【前編】からの続き

その4:指揮科の学生への指導

あの指揮科の貧乏揺すりの男子学生への指導については前回の記事でも詳しく書いた。

但し、それは映画が始まって序盤だというのにその指導だけで延々と10分間以上も続くというバランスの悪さの指摘だった。

今回は、あのターの学生への指導がパワハラだったかどうかの検証である。

映画の中では、ターの指導に苛立った学生が勝手に荷物をまとめ、捨て台詞を吐いて会場から出ていったわけだが、あの指導の中にターが学生を怒らせても当然だと思われるパワハラあるいはアカハラ的なものがあっただろうか

僕は、一切なかったと断言したい。むしろ素晴らしい指導、あの指導を受けて感動しない方がおかしいというレベルで、何故あの若造はあんな風に逆切れして捨て台詞を吐いたのか。

指導の終盤、「ではみんなで評価しましょう!」という展開が気に入らなかったのか。それとも、黒人という容姿、外見をあげつらったような言葉がターから投げかけられたのか、それは僕には確認できない。

むしろ偏見と先入観でバッハの音楽を拒否する学生を丁寧に導く実に感動的な指導のように思われたが、あれをパワハラと捉えられたらたまったものではない。

著名指揮者による合唱指導の恐ろしさ

楽壇のカリスマ指揮者から直々にあんな親身になった丁寧な指導を受けたら感動してしまうと言うには、僕なりの理由がある。

合唱の指導はもっともっと厳しく恐ろしいものが多い。もちろん指揮者、指導者によるが、日本のトップクラスの一般合唱団の演奏会の直前練習ともなれば、常時、怒号が飛び交うような修羅場であることが多い。

「ちゃんと音を取れ!」「ピッチが低い!」「リズムが悪い!」と散々厳しい指摘は、ともすれば「バカだ、アホだ」に至ることも決して珍しくない。

指揮者によっては、ちゃんと歌えない団員を凄まじい勢いで罵倒する。本当に地獄のような厳しさだ。

今日の基準で言えばそれこそ一発でパワハラだろうが、そこは芸術活動。芸術の高みを目指して自分たちが作り上げることのできる最高のパフォーマンスを完成させるためには、当然必要な過程だとしてみんな耐えて厳しい練習に臨む。

そんな大変な思いも演奏会当日の成功によって完全に報われる。そういう世界である。

その世界に耐えられず、不満があるなら辞めればいいだけのこと。芸術、音楽のためなら少々の罵詈雑言は当然のことだと、団員には暗黙の了解がある。

こういうことは音楽に限った話しでもないと思う。演劇でも、映画でもみんな一緒だろう。もちろんスポーツはもっと厳しいのではないか。

結局、この貧乏ゆすりの若造は後日、悪意を込めて編集したターの指導の動画を送ってきた。それは悪意に基づいてターを非難するだけの目的で歪んだ編集がなされた動画だった。

この事実からだけでも、あの学生がまともな人間ではないことが明白だ。

この一連の流れを見る限り、どう考えても学生の方がおかしい。ターはあんなに熱心に指導しながら、いわれなき誹謗中傷に晒されているとしか言いようがない。

こんな困った人間たちに批判を浴びて、ターは身心共に追い込まれていく。

もっと堂々と毅然たる態度を取ってほしかった。

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その5:演奏会での修羅場は大問題

この目を覆いたくなるようなシーンについては、僕は良く理解できていない。これは実際にあった現実なのか?ターが見た幻想なのか?

この映画は、そのあたりの描き方が微妙で、不親切なのが困る。

もし、あれが現実に起きたターが実際にとった行動だとしたら、これだけでターが今まで築いてきた全ての実績と経歴が水泡に帰してしまっても、それはやむを得ないと言うしかない。

音楽家にとって、指揮者にとって最も重要ないわば神聖な場所と言うべきステージ上で、満員の観客を前に指揮者を引きずり下ろし、叩く蹴るの暴力の嵐

あれは常軌を逸している。到底許されることではない。

ターに対してかなり同情的な僕も、あの行動だけは容認できない。あれはダメだ。あの行動だけで、ターが永久にクラシック界を追放されてもやむなしと考えている。

間違わないでほしい。僕は一連のターのパワハラと言われる言動に対しては容認しているのだが、あのステージ上での暴挙、信じられない修羅場は容認できないということだ。

あれが実際に起きた、ターの現実の行動なら、即刻レッドカード。永久追放になっても異存はない。

そもそも暴行罪と威力業務妨害罪で逮捕されてしかるべき事案である。

ターの取った言動を十把一絡げにするのではなく、一つひとつを具体的に検証する必要があるということはこういうことだ。

ガーディナーが暴力事件で音楽活動休止の衝撃

ヘンデルの「セメレ」の紹介の中で触れたことだが、僕が敬愛して止まないあのジョン・エリオット・ガーディナーがオペラの指揮中にベース歌手に対して行った暴力と暴言で、その後一切の音楽活動を中止している事実もある。

やっぱり演奏会本番での暴挙は許されない。これは当然のこと。音楽と暴力が両立しうる余地は決してないということは、あらためて言うまでもない。

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その6:いじめっ子への叱責のどこが問題?

ターの人格に問題があるという一つの材料にするつもりだったのだろうか?少し理解し難いシーンが出て来る。

ターが自分の子として同性のパートナーのシャロンと一緒に大切に育てている養女が学校でいじめられていると聞いて、そのいじめた女の子に、非常に高圧的に「今度やったらどうなるか分かる?容赦しない」と強く迫るシーン。

ターと抱き合う同性パートナーのシャロン。

 

これもターのパワハラ体質の一環として描いたのだろうか?トッド・フィールドの意図は良く分からないが、少なくても僕は、ターに拍手喝采これが子供への厳し過ぎるパワハラだとは到底思えない

悪質ないじめっ子には断固たる対応を取るべきだというのが僕の考えで、妥協は不要。その後は、いじめがなくなったという。こういう毅然たる態度が必要なのだ。

これがターのパワハラ体質の一環として描かれているとしたら、とんでもないことだ思う。

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最大事案:若手指揮者の自殺との因果関係

さて、いよいよ一番重要な事案に到達した。

ターがしばらく指導したとされる若手女性指揮者クリスタの自殺に絡む件の検証である。

これが映画全体を貫く通奏低音となってターに重くのしかかる。

クリスタの自殺にターがどこまで関わっているのか?ターの何らかの言動がクリスタを自殺に追い込む原因を作ったのか?

ターの言動とクリスタとの自殺に因果関係が存在するのかどうか

自殺の真相についてほとんど説明なし

これを検証しようにもほとんど情報がない、というに尽きる。この映画では色々と困ったことが多く、様々な不満があるのだが、最も大きなそして深刻な不満と憤りはこの点にある。

とにかく事の真相がハッキリしない。映画の中で、この件の詳細はまるで分からないのである。ターが追い込まれる最も重要な事案だというのに、真相は藪の中なのだ。

そもそもこの自殺したとされる将来を嘱望されたクリスタは、映画の中では一切登場してこない。いくつかの彼女から届いたメールは披露されるが、それ以外は間接的にしか出てこない。 

実は映画に登場していたクリスタ!?

そうは書いたのだが、実は映画を何度も繰り返し観てみると、どうやらクリスタが映画の中に登場していることが分かってきた。

映画が始まって直ぐに行われるターの公開インタビュー。そのシーンが始まる前に観客席から舞台上のターを見ているアングルがしばらく流れる。暗いので判然としないが、ある女性の頭部が映っている。頭部と後ろ髪がスクリーンを占拠しているような画面だ。

最初は何でもない映像かと思っていたが、どうやらあれはクリスタの後ろ姿、つまりこのインタビューをクリスタが観客として聞いていたのである。

間違いないだろう。

それが分かったとき、思わず背筋が凍りついた。恐ろしかった。

そして、もう一つ分かりにくかった映画の冒頭のスマホのLINEの画面。あれは何を意味しているのかと最初から気になっていた。

この映画はあのLINEの画面から始まる。あの中で、恨み節のような小ばかにしたような文言が示されるのだが、あれがクリスタとフランチェスカのやり取りであることはほぼ確実だ。

もう一つある。ターに届くプレゼント

それは本だったのだが、ターは飛行機のトイレでそれを開けて、表紙を破り捨てて、全てゴミ箱に押し込んだ。

これはハッキリしないが、クリスタがターに送ってきたものと見て間違いないだろう。

それを破ってゴミ箱に廃棄する姿は異様だった。この2人に相当なことがあったのは間違いない。

全く登場しないように見えて、実は登場していたというミステリー。怖い。

何があったかの説明は一切ない

クリスタの自殺を契機にターは追い込まれる。メールの対応と彼女と親交があったと思われる助手のフランチェスカの言葉を介して、こちらはこの2人、フランチェスカを含めて3人の間に何があったのか推察するしかない

そこに限界があって、何とも消化不良となる。

ターはクリスタを紹介したプログラムから告発される。そして最後には両親からも告発され、ベルリン・フィルを追放されることになる。

だが、実際に何かあったのかは説明がない

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ターとクリスタとの間で明確なこと

映画の中でハッキリしているターとクリスタの関係

①最近までターがそのクリスタの指導をしていたこと(クラスタはターの教え子だったこと)

②ターとフランチェスカ、クリスタの3人で、ウカリヤ渓谷に楽しい旅行をしたこと

③旅行から戻ってから、クリスタがターに色々と要求してきたこと(とターが言っていること。事実かどうかは不明)

④ターが様々な指揮者やオーケストラに、彼女を批判し、採用すべきではないと訴えるメールを送ったこと

⑤そのせいもあってか、クリスタは全てのオーケストラから採用を拒否され、働き口がなくなったこと

⑥クリスタが自殺した後、ターはフランチェスカにクリスタに関係する全てのメールを削除するように指示したこと

⑦その際、ターはフランチェスカに「巻き込まれる理由はない」と冷たいことを言ったこと

映画の中でハッキリしていることはこれだけである。

他にも上述のとおり、クリスタから送られてきた本を、ターが破いてゴミ箱に押し込んだこともあるが、これは映画の中ではハッキリとクリスタから送られて来たものだとは伴明していない。

これだけを列挙しても、ターは随分酷い、亡くなったクリスタに冷た過ぎる姿が浮かび上がってくる。

メールの削除を命じることから推測されることは、ターにはクリスタとの関係においてかなり後ろめたいことがあり、それが表沙汰になった場合には、ターに不利益が降りかかり、それを回避するために証拠の隠滅を図ろうとしていることは明らかである。

ターが他の指揮者やオーケストラに彼女を採用しないように働きかけたことは事実である。それが原因となって彼女の指揮者としての活躍の場が奪われたことも事実だろう。

つまりターは、クリスタの就職活動を明らかに妨害した、ハッキリ言えばクリスタの将来を台無しにしたことは間違いなさそうだ。

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就活の妨害をした理由が分からない

だが、妨害した事実は間違いないのだが、ターが何故そのようなことをしたのか、その点が良く分からない。これがこの映画のフェアでないこと。僕がこの作品を非難したくなる最大の要因である。

映画では何となく、ターとクリスタとの間には性的な関係があり、つまり二人は恋仲にあって、何らかの事情で二人の関係が破綻し、その腹いせとして就職妨害をした、つまり恨みをもったターが嫌がらせとしてクリスタが指揮者として活動できないように手を回した。そんな感じで描かれている

本当にそうなのだろうか?二人の間に実際に何があったのかは、明らかにされていない。

死んだクリスタと親交があったフランチェスカが、彼女の自殺に衝撃を受け、ターに救いを求めるも、ターは「巻き込まれる理由はない」と非常に冷たい対応をする。

そのことが原因でフランチェスカの気持ちが完全にターから離れてしまったのだろう。

ターから副指揮者に選んでもらえなかったこと以上に、フランチェスカがターとの訣別を選んだ決定的な要因はここにあった、そう思われてならない。

ターとクリスタとの間にあった親密にして深刻な関係の詳細は全く不明。全ては推測の域を出ない。

まともな情報皆無ではターの責任は不明

ターがクリスタに対して、あっちこっちに採用しないやうに働きかけたことは事実だ。このことだけを取り上げれば、ターは権力をかさにして相当な嫌がらせをやったと思われるが、ターにそんな行動を取らせた原因、事の経緯が明らかにならないため、ターの行動の是非が判断できない

もしかしたら、クリスタには本当にまずい点、指揮者として何か致命的なものを有しており、それを感じたターが楽壇全体を心配した上で、この人物は指揮者に向いていない、指揮者として採用すると、オーケストラや楽団員に迷惑が及ぶと、真剣に心配した上でのメールだったのかもしれない。

但し、仮にそうだとしても、そんなことは迎え入れたオーケストラが自分で見極めれば済むことで、ターは本当に余計なことをしたものだと思う。

少なくとも全てのオーケストラが彼女の採用を拒んだことはハッキリしている。いくらターからのアドバイスとは言っても、そのことだけでターの言葉を妄信するだろうか。ターへの忖度だったのだろうか?

ターが日常的にこのような就職妨害をしているパワハラ人間であるならばその忠告に全てのオーケストラが従うとは到底思えないのである。

要はクリスタの生前の言動を見てみないと何も判断できないということだ。

トッド・フィールドの脚本はこの辺りの人間観察が弱くないか。実際の人間の行動心理を踏まえない頭の中だけで構築した脚本、薄っぺらい脚本だと感じてしまう。

困った映画である。

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ターがパワハラで糾弾されるいわれなし

以上から、演奏会当日の暴挙以外はターがパワハラで糾弾されるいわれはないと判断せざるを得ない。

すなわち、ターの言動は「許容範囲内」ということになる。

だとすれば映画全体が成り立たなくなる

だとすると、この映画が成り立たなくなってしまう。やっぱり脚本に限界があるのではないか。誤った前提でストーリーが展開されるのは耐え難い

敢えて言えば、「パワハラを行っていないにも拘らず、人徳のなさでそういう誤解を受けたカリスマ指揮者の転落物語」と解釈すべきなのかも知らない。

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指揮者ターを僕は信頼し、支持したい

僕はターには好感を抱いており、素晴らしい指揮者だと絶賛したい。 

あの演奏会での暴挙を除けば、ターがそれほど酷い言動を行ったとは思えない。

欠点のない聖人君子なんてどこにいる?

そもそも、完璧な人間なんてどこにもいない。

もちろんターにもいくつか致命的なマイナス面があった。クリスタに対して、採用しないように裏から手を回すようなことはやるべきではなかった。

あの修羅場の暴力事件は言わずもがな。

だが、どんな人間だって欠陥を抱えている。ターがあそこまで追い込まれるのは気の毒としか言いようがない。

指揮者には苦悩と葛藤は付きもの

そもそも指揮者に苦悩と葛藤はつきものだ。ありとあらゆることに葛藤があると言ってもいいだろう。

演奏する曲、録音にも大変なプレッシャーがかかる。

周りがもっとターを支えることができなかったのか。ターの同性パートナーは、「私たちは利害関係で繋がっているだけ」と嘆いたが、そのとおりだったのだろう。

権力者、カリスマの孤独な精神と創造の苦悩に赤裸々に迫った映画、と捉えるべきなのかもしれない。

それならこの映画の評価は僕の中で少し変わったものとなりそうだ。

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この映画の大絶賛ぶりが理解不能

いずれにしても、僕には謎と不満だらけの映画となった。この映画がキネマ旬報のベストワン作品という高評価にはどうしても納得できない。

だが、現在、望むことは一人でも多くの映画ファンにこの作品を観ていただいて、大絶賛にふさわしいのか、それとも僕の捉え方が理にかなっているのか、そのあたりを議論してほしいと切に願うものだ。

ターはいつの日か必ず復活する

最後に、ターはいつの日か必ず復活する。そう信じている。

東南アジアに逃避して、そこの3流オーケストラでゲーム音楽の指揮をしていようと、ターは音楽をこよなく愛し、その音楽愛と音楽性に間違いはない

全てを逃れるために一旦、自宅に戻ったターが古いVHSテープで大切に保存してあったバーンスタインの音楽教室の録画を観始める。音楽の本質を熱く語るバーンスタインの言葉を聴きながら目を輝かせるター。

やがて大粒の涙が溢れ出す。この涙を流すターに、僕は敗北の涙ではなく、希望と再生の涙を見た。

あのシーンはこの映画の中で一番好きなシーン。胸が熱くなった。感動させられた。

あの感動を忘れない限り、ターは必ず復活する

そう信じたい。きっとそうなる。

 

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