昨年キネ旬ベストワンに輝いた大絶賛映画

「TAR/ター」。今年(2024年)発表された昨年公開映画のキネマ旬報ベストテンで見事ベストワンに輝いた作品読者選出ベストテンでも第2位に輝いた。しかも監督脚本のトッド・フィールドが外国映画監督賞まで受賞し、キネマ旬報では大絶賛に包まれている。

2023年のアメリカのアカデミー賞では作品・監督・脚本・主演女優・撮影・編集と主要6部門にノミネートされ、注目を集めていたが、結果的には「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」、いわゆる「エブ・エブ」の前で惨敗し、無冠で終わってしまっている。

アカデミー賞での無冠はともかくとして、日本でのこの作品の評価は絶大で、しかも指揮者としてクラシック界の頂点を極めた女性指揮者が主役と聴いて、非常に気になっていた作品だった。

日本での公開は昨年(2023年)のGWだったのだが、何故かブルーレイの商戦は非常に早く、暫くして直ぐに2,000円という廉価盤となってしたため、僕は直ぐに購入していた。

 

ところが、今まで何故か観る機会を逸していて、ようやく昨夜(2024年7月20日)観ることができたので、取り上げることにした。

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僕には謎だらけの不可解な映画となった

これ程までに大絶賛の嵐に包まれている映画で、しかも僕がどっぷりと浸かっているクラシック音楽の世界と指揮者を描いたものだというのに、僕はこの映画の良さがあまり理解できなかった

前提となっている指揮者という芸術家の描写と音楽界での実態のとらえ方に非常な違和感を感じている。

この指揮者像を前提に、主人公のトップ指揮者が栄光の果てに転落していくというストーリー展開を観ていると、僕には「それはあり得ないだろ、指揮者という存在をまるで理解していないんじゃないか」と首を傾けてしまう。

映画に描かれた世界が、クラシック音楽界と大指揮者の実態に大きく乖離しているように思えて、ストーリー設定そのものに無理があったんじゃないかと思ってしまう。

まあ、先を急ぐのは止めておこう。まだ何も紹介していない前から結論じみたことを言うのは、これ以上は控えたい。

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映画の基本情報:「TAR/ター 」

アメリカ映画 158分(2時間38分)  

2022年10月7日 アメリカ公開
2023年5月12日 日本公開

監督・脚本・製作:トッド・フィールド

出演:ケイト・ブランシェット、ノエミ・メルラン、ニーナ・ホス、ジュリアン・グローヴァー、マーク・ストロング、シルヴィア・フローテ 他

評価:2023年のアカデミー賞では、作品・監督・脚本・主演女優・撮影・編集の主要6部門でノミネートされたが、受賞はならなかった。「エブエブ」の前に惨敗

キネマ旬報ベストテン 2023年外国映画ベストテン第1位 読者選出外国映画ベストテン第2位 外国映画監督賞(トッド・フィールド)

2023年ゴールデングローブ賞 主演女優賞(ケイト・ブランシェット)

どんなストーリーなのか?

主人公の指揮者ナディア・ターは、女性として初めて世界最高のオーケストラであるベルリン・フィルの首席指揮者に就任し、栄光の頂点にいる。作曲家としても、南米の民族音楽の研究家としても超一流のクラシック音楽界の最高のカリスマだ。

現在はマーラーの交響曲第5番のライヴ録音の準備に追われている。この第5番の収録が終わればマーラーの交響曲全集が完成するということで相当なプレッシャーもかかっていた。

そんな中で、以前ターが指導をしていた将来を嘱望された若手女性指揮者が自殺する事件が起きて、ターは告発される。更に期を同じくしてターが判断したことがことごとく不利な展開となって、ターにパワハラ疑惑が重なっていく。心身ともに追い込まれたターは遂に・・・。

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監督・脚本のトッド・フィールドについて

映画の内容に深入りする前に、先ずはこの映画の脚本を書き、監督をしたトッド・フィールドのことを紹介しておく。

「ジョーカー」のトッドとは別人

トッド・○○と聞くと、誰だってあの「ジョーカー」の監督を思い浮かべるだろう。実は僕もそうだった。ところが、「ジョーカー」の監督はトッド・フィリップスであり、全くの別人だ。

「ター」の作者は同じトッドでも、トッド・フィールド。トッドというファーストネームが映画界ではあまり聞かないだけに、同じ人物だと思い込んでしまった。全くの別人で、どちらも脚本も書く才人監督で年齢も似通っているだけに、間違いやすいが、扱うテーマと作風は全くかけ離れている。

トッド・フィールドは

長編映画は今回の「ター」が第3作目となる注目の映画監督。

元々は俳優としてキャリアを積んできた人で、出演映画は「ラジオ・デイズ」(ウッディ・アレン監督)「ツイスター」(ヤン・デポン監督)「アイズワイドシャット」(スタンリー・キューブリック監督)などが知られている。

2000年代に入って監督業に進出。過去2本の監督・脚本作品が非常に高く評価された。

2001年の初長編監督作品の「イン・ザ・ベッドルーム」がいきなりアカデミー作品賞にノミネートされたばかりか主要5部門でノミネートされ、一躍注目された。5年後の第2作「リトル・チルドレン」ではまたアカデミー賞の3部門でノミネート。

ところが、その後は監督から遠ざかり、今回の第3作目「ター」は、実に16年ぶりの監督作品となった。そしてアカデミー賞の主要6部門でノミネートされたことは上述のとおり。

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ターの没落の真相が伝わってこない

この映画を観て非常に引っかかるのは、クラシック業界トップに上り詰めた指揮者のターが、後半になってどんどん精神的に追い込まれ、不眠に陥り、幻聴や幻影などの幻覚症状が現れ始め、窮地に陥っていくのだが、その原因というか、要因と因果関係がまるでハッキリしないことである。

実力ナンバーワンで絶大な権力を持っていた人物が、あることを契機にしてメッキが剥げて没落していくことはよくあることで、古今東西、映画にも繰り返し描かれてきた題材だ。

このテーマは何故か好まれる。クラシック界ではないが、4回も映画化された「スター誕生」や最近の話題作では映画スターの没落を描く「バビロン」など枚挙にいとまがない。スポーツものではスコセッシ監督の「レイジング・ブル」、国王の没落を描くヴィスコンティの「ルードヴィッヒ 神々の黄昏」も典型的なものだ。

それの指揮者版だと言ってしまえば、それだけのこと。主人公の指揮者が女性というのがいかにも現代ならではの視点なのかもしれない。

その意味では、このテーマなら、クラシック音楽界、あるいは指揮者を取り上げる必要はなかったのではないか、そう言ってしまっても、さほど間違っていないと思われる。

没落していく理由が納得しにくい!

権力者や実力者が追い込まれ、没落していく理由が、事の是非はともかくとして、納得できるのならいいのだが、そこに納得できないと欲求不満が募ってしまう。

今回の「ター」は正にそうだ。ターの没落の事情があまりにも不透明で、納得できない。

したがってどんなに素晴らしい映画であっても、素直に受け入れられなくなってしまう。

パワハラ・セクハラの実態が不明で謎

詳細は、この後もう1本配信予定している「ネタバレ満載版」で分析したいが、少なくてもこの映画で示されたターの言動のかなりの部分が、パワハラなのかどうか大いに疑問である。

特に、映画の中核となる最も重大なパワハラ・セクハラ事案(若手女性指揮者の自殺)に至っては、極端に説明不足で、事の詳細が分からず、あまりにもアンフェアだ。

肝心要の部分が謎というのは困る。ミステリー映画であれば謎が謎として残っても、それはいい。むしろ喜ばれることだろう。だが、この映画は謎解きのミステリーではない。正々堂々の重厚なる人間ドラマなのだから、困ってしまう。

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指揮・演奏シーンが少な過ぎる

もう一つの不満は、ベルリン・フィルの首席指揮者としてクラシック音楽の頂点を極めた指揮者の映画、しかもマーラーの交響曲第5番のライヴ録音を準備している指揮者の生き様を描くというのに、この映画には演奏シーン、ターの指揮するシーンがあまりにも少ない。それだけでこの映画は決定的に重大な問題を抱えている。

驚かないでほしい。

楽壇トップのカリスマ指揮者を描くのに、158分(約2時間40分)の映画の中で、最初に出てくる演奏シーン、つまりターの指揮姿、オーケストラへの指導シーンは、何と映画が始まってから約1時間後なのである。正確に言うと、59分4秒経過後にようやく出てくる。

ちょうど1時間後に初めて演奏シーンが出てくる。こんな映画、あり得ないでしょ!?どう考えても。

後述のように、欲求不満が募るインタビューシーンや学生への指導シーンなどで、散々時間を費やすのに(実は僕はこのシーンは決して嫌いではない、念のため)、指揮者として最も重要な指揮姿や演奏シーンは丸々1時間出てこない。

しかも、それはコンサートでの指揮姿ではなく、実は練習シーンに過ぎない。

実際、この後もターが演奏会で指揮するシーンは最後まで全く出てこない

これには呆れた。ほとんど詐欺まがいの音楽映画といってもいいレベルである。

ドイツ語音楽指導の字幕なしの手抜き

もう一つ許し難かったのは、ようやく1時間後に現れるターの指揮をしながらのオーケストラへの指導シーン。

オーケストラはベルリン・フィルなので、ターは主にドイツ語を使って熱く指導するのに、そのドイツ語での指導の内容を完全に無視して、一切字幕が出ない

こんな酷い扱いはない。映画そのものの内容とは直接関係がないのだが、視聴者、観客を無視したとんでもない対応。ちょっと怒りが収まらない。

ターが英語を話し始めると、その部分には字幕が付く。これはどういうことなのか?こんな手抜きの仕事は見たことがない。許し難い暴挙として、強く抗議しておきたい。

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いくら何でもバランスが悪過ぎないか!?

とにかくこの作品は驚く程、全体の構成感というか、バランスが悪過ぎる。バランス感が決定的に欠落している。

全体の構成や配分が破綻している具体例

詳細は避けたいが、バランス感の欠落が大きく4つある。

第1 この映画、普通は最後に流れるエンドロールが開幕早々延々と流れる。生まれて初めて体験した。測ってみた。何と延々と4分間。映画が始まると同時に、エンドロールを4分間見続けることを強要される。

何故こんなことをしたのかというと、どうやら監督のトッド・フィールドが、エンドロールを無視して席を立つ観客に不満があったからだという。

これもあまりにも残念だ。僕は未だかつてそんなことをしたことはないし、確かにそういう不埒な輩もいなくはないが、多くの観客は映画館が明るくなる最後の最後まで、しっかりと余韻を味わいながら、ちゃんと観ている。

僕が足繁く通ったギンレイホールの観客もほとんどそうだった。

第2 いよいよ本編が始まると、早々に評論家と思しき人物からの指揮者ターへのインタビューシーンが延々と続く。これも測ってみるとちょうど10分間

クラシック音楽と演奏論に関することで、これは僕のようなクラシック音楽マニアにとっては、実に興味深い内容で面白くてたまらなかったが、これを普通の映画好きの観客に強いるのは相当にハードルが高いのではないか。

完全にカリスマ指揮者になり切っているケイト・ブランシェットの堂々たる演技と口上は素晴らしいの一言ではあるのだが。

第3 次はジュリアード音楽院に在学の男子学生にターが指導するシーン。これまた延々と続く。例のインタビューシーンが終わった直後、正確には8分後から始まる。こちらはインタビューシーンよりも更に長く、約10分半

このシーンは、実はワンカットの長回しで撮られていて、凄い映像だ。しかもターの指導内容が感動的なもので、僕は堪能させられた。

だが、それはクラシック音楽、特にバッハの熱烈な愛好者の僕だから感動できたのであって、普通の映画ファンが観てあの感動を理解できるか甚だ疑問である。

しかも、指導を受ける音楽学生がターの指導の最中、ずっと激しい貧乏ゆすりをしていて不愉快極まりなく、この後の一触即発を予感させるハラハラのシーンでもある。

第4 既に書いたこと。一般の映画ファンには耐え難いと思わられるシーンが延々と続くというのに、肝心要の指揮をするシーンは1時間後にようやく出現。

しかも演奏会のシーンは全く出てこないのだから、おかしい。

映画全体の構成が、完全に破綻している。

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キネマ旬報ベストテン、最近おかしくないか

僕は熱烈な映画ファン、シネフィルとして、どんな映画に対してもリスペクトの気持ちを忘れたことはない。

今回の作品のように、こんなに構成が破綻してバランスが悪過ぎる映画があっても、それはそれでいいと思っている。

監督が自分の好きなようにやればいい。

それでももちろん作品の良し悪しはある。評価の高い低いはある。

問題はこんな破綻している変わった映画が、大絶賛されていることにある

仮にも天下のキネマ旬報ベストテンのベストワンである。読者選出でも第2位につけている。

えっ、何で?何でそうなるの?それが理解できない。

思い起こすと、1年前のキネマ旬報ベストテンでもベストワンは「リコリス・ピザ」だった。

このブログでも取り上げてはいるが、どう考えても、ベストワンに輝くような映画とは思えない。

主役の2人、特に男子高校生に全く共感できず、むしろ不愉快な作品だった。でも、そのこと自体はいい。

但し、それがキネマ旬報のベストワンでは困る。最近のキネ旬のベストワンは、ほとんど信用できなくなっている。少なくとも僕にとっては。

ターに好感を抱く僕はおかしいだろうか?

僕はこの映画に描かれた指揮者ターには好感を抱いている。少し不明な点があるが、明確なパワハラ、セクハラがあったとは思えないし、指揮者として立派な仕事をしている思っている。

もちろんまずい行動もあった。それが若手指揮者の自殺につながったことは否めないのかもしれないが、それとてパワハラと言い切れるだろうか?そのあたりの説明が完全に欠落しており、判断できない。

他の言動は僕にはほとんど全て許容範囲内である。

そんな風に考える僕がおかしいだろうか?

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レズビアンの生き様を描いた映画でもある

ターはレズビアンを公言し、ベルリン・フィルの女性コンサートマスターをパートナーとして一緒に生活し、一つのベッドを共有している。

ターのパートナー、ベルリン・フィルの女性コンサートマスター。ニーナ・ホス。

 

女の子の養女を非常にかわいがり、外部に対しては「パパ」と自称しているのが興味深い。

新人の女流チェリストに個人的にも特別な感情を抱いている様子は透けて見えるし、助手の副指揮者候補とは性的な関係はないと言っているが、相当に色々なことがありそう。

同性の女性に対して恋多き人なのだろう。

この映画はクラシック音楽界のトップ指揮者を描く一方で、LGBTのリアルな生き様を描くことで、時代の最先端を映し出す貴重な映画となっている。

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ケイト・ブランシェットの迫真の演技は圧巻

不満を色々と書いてきたが、指揮者ターを演じたケイト・ブランシェットには大絶賛を送りたい。本当に非の打ちどころのない素晴らしさだ。

ケイト・ブランシェットはオーストラリア出身の大女優で、数え切れない程の傑作映画に出演している。約50本ほどある。

アカデミー賞では「ブルー・ジャスミン」で主演女優賞、「アビエイター」で助演女優賞と2度のオスカーを取得し、今回3度目のオスカーがかかっていたが、「エブ・エブ」のミシェル・ヨーに敗れてしまった

これは冷静に見れば、ケイト・ブランシェットに与えられるべきだったと個人的には思うが、いかがだろうか。

2018年の第71回カンヌ国際映画祭では審査委員長を務めるなど、映画界最大の実力俳優の一人である。

助手役のノエミ・メルランが絶妙

ターの助手を務める指揮者志望のフランチェスカの存在感が際立つ。独特の絶妙な雰囲気を醸し出し、その美貌といい、非常に気になる存在だ。

この麗人、どっかで見たことがあったなと思ったら、このブログでも取り上げたあの「燃ゆる女の肖像」の主人公の画家だった。

あそこでも非常にインパクトが大きかったが、今回も重要な役回りで、深く印象に残る。

ノエミ・メルラン演じるターの助手で指揮者志望のフランチェスカ。

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クラシックファン以外が受け入れられるか

縷々書いてきたように映画の前半は20分以上に渡って延々と難しいクラシック談議が繰り広げられ、肝心の演奏シーンは中々現れないなどハードルの高い映画で、クラシック音楽ファン以外が受け入れられるかどうか、逆に興味は尽きない

その前半を耐えられれば最後まで観れるだろうが、一般の映画ファンはどうだろうか。

とにかく評価が非常に難しい作品ではある。読者の皆さんはどうか直々ご自身で確認してほしい。

色々と考えさせられる問題作であることは間違いない。

 

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