83歳になって快進撃を続けるリドリー・スコット

このところのリドリー・スコット監督の快進撃が止まらない。今回紹介する「最後の決闘裁判」はリドリー・スコット83歳のメガホンだったが、久々にパワー全開の大傑作となったばかりか、その後にも「ハウス・オブ・グッチ」という超話題作を撮っており、驚くほど元気なのである。

いずれも150分、2時間半の大作である。「ハウス・オブ・グッチ」は未だ観ていないが、かなり評価も高く、「最後の決闘裁判」は紛うことなき大傑だと断言したい。

現在83歳。この衰え知らないパワーは一体どこから来るのか?

「プロメテウス」「エクソダス:神と王」「エイリアン:コヴェナント」などで一時は明らかに低迷し、さすがにリドリー・スコットもダメになったかと囁かれたが、今回の「最後の決闘裁判」と「ハウス・オブ・グッチ」で見事に蘇った。83歳だ。本当に信じられない。

若いときからズッと追いかけているリドリー・スコット監督の熱心なファンとしてはこれ以上嬉しいことはない。

しかもビックリさせられるのは、この「最後の決闘裁判」と「ハウス・オブ・グッチ」はほとんど立て続けに発表されている点だ。方やヨーロッパ中世の百年戦争当時の14世紀フランスを描き、方や現代イタリアの著名なファッションブランド創業家を巡る愛憎劇。

こんな時代もテーマも全く異なる2作品を立て続けに、物凄いスピードで作り上げているのだ。しかもこのコロナ禍において。一体何が起きているのかと、にわかに信じられないのである。

紹介した映画のジャケット写真
これが映画のジャケット写真。主役の4人面構えはどうだ。
紹介した映画の裏ジャケット写真
これが裏ジャケット写真。中世の見事な街並みの写真がないのが残念。

リドリー・スコットを熱愛する僕は、このブログで2本紹介

僕はリドリー・スコット監督が大好きなのである。好きな映画監督はザッと数えても軽く30人は超えてしまうので、リドリー・スコットは僕の最も好きな映画監督というわけでは決してない。

僕が最も好きな映画監督はスタンリー・キューブリックとチャップリン、そしてテオ・アンゲロプロスの3人で決まり。その後には一挙に大勢の映画監督の名前が上がってくるのだが、リドリー・スコットはその中でも筆頭格の一人であることは間違いない。

僕はこの熱々たけちゃんブログで、リドリー・スコットが監督した映画を2本紹介してきた。

「ワールド・オブ・ライズ」「マッチスティックメン」の2本である。この2本は傑作には違いなく、僕は大好きな作品なのだが、リドリー・スコットの輝かしいキャリアの中ではあまり知られていない地味な作品である。

僕としてはあまり知られていない作品であるにも拘らず、ここまで素晴らしい、ということを知ってもらいたくて、敢えて知られていない作品を取り上げたというのが本音なのである。

リドリー・スコットの有名な作品は

たちまち片手では足りなくなる。特に有名な作品は「エイリアン」「ブレードランナー」というSFの超名作2本。

他には「ブラック・レイン」「テルマ&ルイーズ」「ハンニバル」「ブラックホーク・ダウン」「グラディエーター」などなど。

本当にすごい名作、傑作群。映画史に名を残す目が眩みそうな傑作と名作がラインナップされる。正に壮観の一言。

数年前の「オデッセイ」も素晴らしいものだった。

今回紹介する83歳のリドリー・スコットがコロナ禍というハンディを負いながら、作り上げた「最後の決闘裁判」は、これらの名作群に勝るとも劣らない素晴らしい作品だと絶賛したい

この作品に関する感想などをネットで色々調べると、概ね非常に高く評価されているが、僕のように大絶賛する人と、中にはかなり辛辣に貶す人もそれなりにいる。一部賛否両論に分かれているようだ。

この映画には多少の弱点はあって、非常に惜しい部分があるのだが、それは僕に言わせれば些細なことであり、「角を矯めて牛を殺す」ようなことがあっては、決してならないと考えている。

紛うことなき大傑作だと改めて絶賛する。

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映画の基本情報:「最後の決闘裁判」

アメリカ映画 153分(2時間33分)  

2021年10月15日  日本公開

監督:リドリー・スコット

脚本:ニコール・ホロフセナー、ベン・アフレック、マット・デイモン

原作:エリック・ジェイガー 『決闘裁判  世界を変えた法廷スキャンダル』

出演:マット・デイモン、アダム・ドライバー、ジョディ・カマー、ベン・アフレック 他 

2021年 第95回キネマ旬報ベストテン:外国映画ベストテン第14位 読者選出ベストテン第7位

紹介した映画のブルーレイのディスク本体の写真
ブルーレイのディスク本体。これは素っ気ない。普通はディスク本体にも映画のワンシーンが印刷されているのだが。

どんなストーリー:史実を元にしたヨーロッパ中世の強姦事件の謎

舞台はイギリスとの百年戦争の真っ只中である14世紀のフランス。フランス国王の従兄弟である領主のピエール伯(ベン・アフレック)に仕えるジャン・ド・カルージュ(マット・デイモン)とジャック・ル・グリ(アダム・ドライバー)の二人はかつては親友同士であったが、無骨で愛想のないカルージュは、才能豊かで領主に上手く取り入ることも得意であったル・グリにことごとく水を開けられ、関係は急速に悪化していく。

カルージュマルグリットという美女と結婚するが、持参金と土地が目当てのような結婚であった。その妻のアドバイスもあって、憎い敵となっていたル・グリとの和解を果たす中で、その事件は起きた。

ル・グリが夫の留守を狙ってマルグリットを強姦してしまう。

マルグリットは、ル・グリに強姦されたと夫に訴える。カルージュはル・グリを重罪犯として処刑することを望むが、ル・グリは無罪を主張。領主のピエール伯もル・グリに肩入れしたため、彼を裁判で追い込むことは不可能となる。思い余ったカルージュは国王に決闘での決着を直訴し、カルージュとル・グリは「決闘裁判」に臨むことになるのだが・・・。

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黒澤明の「羅生門」を彷彿させる作り

元々は親友だった2人の騎士と従騎士が、壮絶な決闘に至るまでの確執を描くドラマだが、一人の美女を巡ってのミステリアスな愛憎劇でもある。

映画は3つの章からなり、同じ出来事を3人の中心人物のそれぞれの視点から描かれる。

先ずはカルージュ、続いてル・グリ、最後はマルグリット。

そしてマルグリットが主張する強姦が本当にあったのかどうかを見極めていく。誰が真実を語っているのかという謎解きだ。

こう話すと、これはまるで黒澤明のあまりにも有名なあの大傑作「羅生門」と全く同じ展開じゃないかと、そうなるのは明らかだ。

確かにそのとおり。これはリドリー・スコットの「羅生門」である。監督も脚本家も当然、黒澤明の「羅生門」を意識しているのは間違いない。

「羅生門」が斬新だったのは、事の真相を見極めるために登場人物のそれぞれの視点と行動から、藪の中の謎を解き明かす試みだった。

それは「最後の決闘裁判」でも同じであり、しかも事の真相というのが共に強姦の有無なので、本当に設定も内容も同一ということになる。

「羅生門」と設定・内容が同じながら、まるで違うミステリー

だが、実は同じようでいて、随分と様相が違う。

黒澤明の「羅生門」は、3人の証言がかなり異なっていて、映像そのものがそれぞれ初めて観るものばかりになるのだが、「最後の決闘裁判」は、ほとんど似たような映像が繰り返されるのだ。

これが最初の記者会見?のような監督以下、スタッフ、俳優陣が勢揃いした席でマスコミから批判されたらしい。

それに対して、リドリー・スコットが「もう一度良く観ろ」と声を荒げたとのことだ。

僕には同じ映像なんかには全く見えない。同じシーンが描かれても、微妙に違う。その繊細な違いこそが命なのである。

その記者の感性の鈍さに驚かされる。リドリーが声を荒げたのも当然だろう。

僕は全く退屈することなく、その似たような映像でありながらも、微妙に異なる視線と空気感の違いに酔わされた。

この僅かな違いが素晴らしいと思った。

これはどうか、実際に映画を観て確認してほしい。

中世ヨーロッパのどうしようもない偏見と女性蔑視の「決闘裁判」

二人が決闘を繰り広げる「決闘裁判」というものが、そもそも信じがたい前近代的なものだった。時は14世紀という暗黒の中世ヨーロッパなので、やむを得ないと言ってしまえばそれまでだが、ここに描かれるのは「決闘」ではなく「決闘裁判」なのである。

この事件を最後にヨーロッパから姿を消したという「決闘裁判」とは何なのか?

裁判に訴えて双方の言い分が食い違って真相を究明できない場合に、決闘をすることで事の真相の決着をつけようということだ。つまり神の前で真実を述べたと主張する者同士が命を懸けて決闘をすることで、勝った方が真実を述べていたという扱いにする。逆に言えば、真実を述べたから勝つことができたとするわけだ。

言い換えれば、勝ったこと自体が真実を述べた証になるので、負けた方は神に対して嘘をついたということになり、仮に決闘に負けても命が助かった場合には、その後で死刑となる。

あまりにも酷いのは、強姦の被害者である妻も、夫が加害者に決闘で負けると、そもそも妻が最初から嘘をついて相手を訴えたということになって、全裸にされて木に縛り付けられ火あぶりに処せられるという。

実際に映画の中でもマルグリットは決闘の最中に、足枷をさせられたまま、完全に罪人の扱いをされている。

この理不尽。この恥知らず。いくら暗黒のヨーロッパ中世とは言っても、これは酷すぎる。要は決闘で勝つ腕力の強い方が真実を述べていると判断するのだ。

ここには強姦の被害を受けた女性を救済するという視点は、決定的に欠落している。

決闘裁判に至る前段階の裁判でも、聖職者たちがマルグリットに容赦なく浴びせる質問があまりにもみにくい。マルグリットは結婚5年間で懐妊したことがなかったのだが、性交時に絶頂を迎え、満足しないと妊娠しないと当時は考えられていたようで、その前提に立って、「夫との性交時に、満足したことがあるのか?」としつこく聞いてくる。

これはもうセカンドレイプと呼ぶべきあまりにも酷い質問の嵐。

またレイプでは妊娠することは決してないと決めつけられていて、そもそもレイプがあまり問題視されていないのである。

どうしようもない偏見と女性蔑視が痛々しくて、呆れ返るばかりだ。

強姦事件や強制猥褻事件では、今日でも女性の人権を無視した扱いが、少なくてもごく最近まで続いていたはずである。今はどうなったのであろうか?ましてや14世紀の中世ヨーロッパ。こんな理不尽で酷い扱いは日常茶飯事だったのだろう。

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この映画もまた「MeToo」がテーマであることに驚き

そういう意味では、この映画もまた「Me Too」がテーマなのである。時代こそ14世紀という中世ヨーロッパであるが、昨年公開された映画では、このブログでも既に取り上げている「プロミシング・ヤングウーマン」「ラストナイト・イン・ソーホー」に続いて、これもまたセクシャル・ハラスメントなどの性的虐待と女性被害者の救済をテーマとした映画なのである。

「映画は時代の忠実な反映」だとは良く言われることだが、ここまであからさまに前面に打ち出され、直接の影響が出てくることに衝撃を受ける。事態はそれだけ深刻な状況になっているということなのだろう。 

脚本には主演のマット・デイモンとベン・アフラックが参加

この映画の脚本には主演のマット・デイモンとベン・アフレックが加わっている。3人体制でもう一人は女性脚本家である。このニコール・ホロフセナーという女性脚本家が、女性の視点を描くに多大な貢献をしていることは明らかであるが、ここにマット・デイモンとベン・アフレックが加わっているのが嬉しい。

加わっているという言い方は正確ではない。最初にこれを企画し、その後も中核になったのは、マット・デイモンだという。

「ボーン・シリーズ」でマット・デイモンを紹介した際に簡単に触れたが、マット・デイモンは多彩な才能の持ち主で、デビュー作の「グッドウィル・ハンティング/旅たち」でも主演を務めながら親友のベン・アフレックと一緒にいきなりアカデミー脚本賞を獲得している。その時のコンビが今回の映画で主演を務めながら、脚本を担当していることは嬉しい限りである。

「ジェイソン・ボーン」は本当に凄い人なのだ。

ヨーロッパ中世を見事に再現した映像美に息を呑む

映画の全体を通じて、素晴らしい映像美に驚嘆させられる。中世のヨーロッパを実に見事に再現しており、次から次へと繰り出される美しい映像に目を見張り、息を呑まされる。

これは本当に凄い。本物だけが持つ孤高の高みに達している稀有の映像美だと絶賛したい。

映画の最後にはさりげなくパリのノートルダム大聖堂が映される。そう、あの焼失してしまったパリのノートルダム大聖堂は14世紀に建設されたものであった。

建設中のノートルダム大聖堂。現在、実際に工事中なだけに、特別な感慨に襲われる。

本当に美しい中世のヨーロッパ。これだけでもこの映画を観る価値がある。

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音楽が素晴らしいことはもっと注目されていい

その類い稀な美しい映像に合わせて流れる音楽がまた絶品なのである。

ひなびた音色の器楽陣。管楽器というよりも笛と呼ぶべきだろう。この当時の古楽がひっきりなしに流れていることに、バロック音楽だけではなく、中世・ルネサンス音楽などの古楽が大好きな僕にとっては、天上にいるかのような幸福感に包まれた。

これはヴィオールなどの本物の古楽器を用いており、本物志向が痛い程伝わってきた。舞曲などを中心に素晴らしい音楽を聴くことができる。

言語はダメ、なぜフランス語じゃない!?

残念な点は登場人物がみんな英語を話していること。この点だけは残念でならない。映像も音楽も本物志向で貫いているのに、肝腎要の言葉がダメだった。

ここは当然、フランス語を話させるべきだった。どうしてそうしなかったのか。こんなに全てが高いレベルで本物感を醸し出しているのに、言葉が英語とは信じられないし、許せない。この映画の大きなマイナス点である。  

パンフレットが作られていない失望

もう一つ不満を言うと、何とこの映画にはパンフレットがない!

作られていないとのこと。実話ということでもあり、歴史的な背景の説明も必要な、正にパンフレットが不可欠な映画である。監督始め俳優陣も著名な存在ばかりなのに、信じられない。こんなことが稀にあるのである。

僕は初めて経験したが、この春(2022年)に大きな話題となり、非常に高く評価されたスピルバーグによるあのウェストサイド物語のリメイク「ウェストサイドストーリー」にもパンフレットがないらしい。本当だろうか?どうしてそんなことがあるんだろうか?

決闘シーンの迫力は「グラディエーター」に匹敵する凄さ

最後の決闘シーン。これが凄い。本当に半端ではなく、ここまでやるかという真剣勝負の激しい決闘シーンが繰り広げられる。

その迫力たるや、リドリー・スコットの最高傑作の一つ、あの古代ローマを描いた「グラディエーター」に匹敵する素晴らしさである。全く遜色がない。

これは史実に基づいているため、本当にどちらが勝つのか、全く想像もできない。果たしてどうなるのか、この二人は。そしてマルグリットの運命は。

情報が全くないため、本当に観ていてハラハラドキドキ。ほとんど身動きができなくなり、息するのも憚れる程だった。

手に汗握る凄い迫力であり、観応え十分。この映像と迫力に不満を持つ人はいないだろう。

果たして結果がどうなったのかは、観てのお楽しみ。

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ヒロインの凛とした美しさにゾッコン

強姦された悲劇のヒロインを凛として演じたジョディ・カマーの美しさにゾッコン。本当に美しい。僕はこの女優は初めて見たのだが、テレビドラマ『キリング・イヴ/Killing Eve』の主演で一躍を人気を博したという。

この「最後の決闘裁判」でも悲劇のヒロインにして、芯のある信念の人としての決然さと苦悩が伝わってくる素晴らしい存在感を見せた。

これからドンドン映画に出演することになると思われるので、要注目だ。

全盛期のリドリー・スコットに見劣りしない素晴らしさ

本当に素晴らしい映画を観せてもらった。

この作品はギンレイホールで上映されていたのである。僕は絶対に観に行くつもりでいたのだが、コロナの感染者が一向に減らない中で、泣く泣く断念した。

仕方がないのでブルーレイでのテレビ鑑賞。これはどうしても映画館の大画面で観たかったし、観なきゃいけない映画だった。

だが、我が家のテレビで観てもこれだけの満足感を味わえる大傑作であった。

リドリー・スコットの現在ぶりを喜びたい。83歳の老人が作った映画とは到底思えない大傑作。類まれな映像美と大迫力に酔い痴れてほしい。

 

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