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ベートーヴェンのピアノソナタについて
今、話題のポリーニのベートーヴェンの後期ピアノソナタ集を聴いた。CDと同じ演奏がブルーレイでもライヴ映像となっていて、ポリーニの実際に演奏する姿も観たが、いずれも素晴らしく、久々にベートーヴェンを堪能している。ポリーニ何と77歳の演奏会だが、これがもう絶品なのである。
ベートーヴェンのことはやっぱり好きだ。僕は特にピアノソナタが好きなのである。
ベートーヴェンと言えば9つの交響曲が圧倒的に有名で、それはもちろん名曲揃いなのだが、一番盛んに演奏され、最高傑作とされる第九がどうしてもあまり好きになれないので(世界的な指揮者のもと、日本を代表する第一級のホールで何十回も合唱団員としてオンステしているのだが)、ベートーヴェンの交響曲を絶賛する気にはなれない。どちらかと言うと第1番とか第4番とかあまり人気のない曲が好きだという変わった嗜好ではある。
ベートーヴェンは色々と名曲に事欠かないが、僕が昔から一番好きで、今も変らずしばしば聴くのは32曲もあるピアノソナタである。
ベートーヴェンのピアノソナタはベートーヴェンの若い頃(第1番は24歳の作曲)から晩年に至るまで生涯を通じて作曲され続け、それが全32曲に及んだ。それを追いかけて聴くことは本当に楽しい。
全32曲はベートーヴェンの作風の変化に応じて前期・中期・後期と大きく3つの区分に分けられるが、生涯を通じて作曲され続けただけに、ベートーヴェンの成長はもちろん、その音楽の変遷を通じて、時代の新しい音楽を開拓していったことが良く分かるということが重要だ。成長する作曲家としてのベートーヴェンの歩みが克明に刻み込まれている。
ハイドンとモーツァルトが切り拓いた古典派音楽をベートーヴェンが完成させ、やがてベートーヴェンの成長が新たな音楽であるロマン派を切り開くことになったのである。そのあたりの音楽史の流れが、ベートーヴェンのピアノソナタを通じてハッキリと読み取ることができる。
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あらゆるピアニストにとっての究極の目標
このベートーヴェンの32曲のピアノソナタはピアノという楽器の持つありとあらゆる可能性と、音楽としての最高の魅力が詰め込まれたピアノ音楽の最高峰であり、ビューローによって「ピアノ音楽の新約聖書」と呼ばれていることはつとに有名だ。
数多くのピアニストが競い合うように全曲の録音を残している。およそピアニストと名乗る人にとって、このベートーヴェンの32曲は究極の目標であり、挑戦の対象となる。数え切れない程の録音があって、ベートーヴェンのピアノソナタを熱愛している僕もかなり集め、今、手元に全集が20種類近くあるだろうか。
全曲を合わせるとCDにして約8枚から10枚となる。どんなピアニストにとってもその10枚弱の録音が自らのピアニストとしての芸術性と力量の証明書、いや成績表となるわけで、まさにそれぞれのピアニストにとってのライフワークとなる一大プロジェクトになる。
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「後期」のピアノソナタ集
ベートーヴェン晩年の「後期」のピアノソナタが新しいロマン派音楽の幕開けになった。番号で言うと第28番から最後の第32番までの5曲がそれに当たる。
これが実に素敵な素晴らしい曲ばかりなのである。
この5曲のピアノソナタ集こそ、最も魅力的なベートーヴェンと言っていいのではないだろうか。
もちろん人それぞれ好みがあるので、断定はできないが、少なくても僕はこの後期のピアノソナタが最も好きな、最も心を揺さぶられるベートーヴェンである。
5曲あるのだが、特に最後の3曲、ピアノソナタ第30番、第31番、第32番が最高にして最美のベートーヴェンと信じて疑わない。この3曲のピアノソナタはほぼ同時期に並行して作曲され、作品番号も109、110、111となっている。ちなみにあの交響曲第九番は作品番号125であり、これら3曲のピアノソナタは第九の少し前に作られたことになる。
ベートーヴェンのピアノソナタというと、誰でもタイトルを知っているであろう「悲愴」とか「月光」、「熱情」などの愛称は付いていないが、いずれの3曲も甲乙つけ難く、それぞれの魅力を放ち、聴く者の心を魅了して止まない。本当に聴き手の心の琴線に響く美しいものばかり。
3曲が作曲されたのは1820年~22年。ベートーヴェンが49歳から51歳の時。ベートーヴェンは56歳で世を去るので、亡くなる5年前ということになる。
どんな音楽なのか
これらはもう完全にロマン派の音楽になり切っている。
それは力で押す外面的な音楽ではなく、自らの内面、心と向き合うような音楽なのである。内面に深く入り込み、自らの心と対話をするような深遠かつ思索に満ちた音楽。どこまでも深淵で、苦悩と諦念の入り混じった錯綜した音楽でもある。
いかにもベートーヴェン的な外面的な華やかさは姿を消して、外よりも中に向かう音楽と言ったらいいだろうか。どこまでも心の奥深く沈潜していく。
もちろんあのベートーヴェンなので、力強さや激しさにも事欠くことはない。かなり突き刺さってくる部分もあるのだが、一番脂の乗り切っていた中期の最盛期に比べると明らかにその音楽は様相を異にしている。
ベートーヴェンの心の一番奥深いところから、ひっそりとそれでいて一切包み隠すことなく告白を受けているような音楽のようにも取れる。
それでいて「歌」に満ち溢れているのが素晴らしい。
そのようにして作られた音楽は、極めて魅力的な音を奏でることになった。何度聴いてもその魅力は失せることはなく、聴けば聴く程その魅力を増していく何とも魔力的な力も備えていて、聴く者を虜にして離さない。
最後の第32番は特別な奇跡的作品
3曲はそれぞれが20分程度のコンパクトな曲であり、それぞれが個性的な魅力に満ち溢れていて、いずれも甲乙つけがたい。
その中にあってベートーヴェンの最後のピアノソナタである第32番は別格で、特別の高みに到達している。他の作品とは一線を画する大傑作と言うしかない。
若い頃から生涯を通じて作曲をし続けてきたベートーヴェンの心そのものの楽器であるピアノで綴ってきた「日記のような存在」でもあったピアノソナタの、最後の曲。そこに込められた作曲者の思いはどんなものであったのだろうか。
この第32番は非常に変わった構成を取っていて2つの楽章しかない。第1楽章はいかにもベートーヴェンらしい往年の力強い音楽だ。若き日を彷彿とさせる非常に激情的な曲で聴き手に怒りとこの世の理不尽を訴えかけるような音楽でもある。技巧的にも非常に難しい。その怒りと絶望の感情を赤裸々にぶつける音楽が終わると、第2楽章はそれとは一変し、うって変わってしみじみと聴く者の心に優しく語りかけるような音楽が奏で始められる。この楽章だけで18分以上を要する長大な曲だ。
人生に傷つき疲れ果てた人の心の一番奥深いところまで近寄って来てくれて、そっと語り掛けてくれるかのような音楽。第1楽章で人生と社会の不可解さ、理不尽さに怒り、激しい闘争を繰り広げた後で、安らぎの場としての音楽が用意されたように思われてならない。その音楽は少しずつ音色と感情を変化させながら、聴く者をやがて天の高みに導いていく。静かながらもどんどん感情が高揚し、上へ上へと高みを目指していく。この世のものとも思えないきめ細やかな美しいトリルを多用しながら、更にどんどん天の高みに昇っていく。天使に導かれて天国に案内されるかののような妙なる調べで満たされる。途切れることなくずっと続くトリルが限りなく優しく美しい。
まさに天に昇天するかのような音楽。ここには救済と諦念。人生に別れを告げ、死を覚悟した響きのようにも聞こえてくる。これはまごうことなきベートーヴェンの人生と音楽への別れの曲、ずばり辞世の句なのではいかと思えてくる。ベートーヴェンのピアノソナタの最後の最後にこの音楽として結実したことが奇跡のようだ。本当に感動的な音楽である。
この後、ベートーヴェンは二度とピアノソナタを作曲しなかった。
時は1822年、ナポレオン没落後のウィーン体制下。ベートーヴェンは51歳。亡くなる5年前である。
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ポリーニというピアニストについて
マウリツィオ・ポリーニはイタリアが生んだ大ピアニストで、世界最高の巨匠の一人である。一般的には世界最高のピアニストと言って間違いない。そのポリーニも80歳(2022年5月時点)になったが、いまだに健在で、新録音が出るたびに少し事件のようになる。
ピアニストポリーニの誕生こそちょっとした事件であった。いやちょっとしたどころか、これはもう当時の大事件だったと言っていい。
1960年、18歳のポリーニはピアニストにとって最高のコンクールであるショパン国際ピアノコンクールで審査員全員一致で優勝。まさにぶっちぎりの優勝を遂げた。世界中にピアニストのためのコンクールは数多あれど、5年に一度しか開催されないショパンコンクールのステイタスは圧倒的に高く、歴代の優勝者は一人の例外もなく全て国際的な大ピアニストになっている。
審査委員長のアルトゥール・ルービンシュタインが「今ここにいる審査員の中で、彼より巧く弾けるものが果たしているであろうか」と大絶賛したことは良く知られている。圧倒的なテクニックの高さに神童と騒がれ、一躍国際的な名声を獲得したのだが、驚くべきことは、実はここからだ。
ポリーニは優勝した後、何と約10年間、音楽界から完全に姿を消してしまう。
演奏会はイタリア国内で極めて限定的に出演するだけで、録音も一切残っていない。ショパンコンクールで優勝した若き天才ピアニストをオーケストラやレコード会社が放っておく訳がなく、将来を約束された天才の身に何が起こっていたのか、本人も一切口を閉ざしているが、ひたすらピアノの研鑽に打ち込んだとしか言いようがない。
8年後の1968年に国際ツアーに復帰し、一挙に表舞台に登場。あの世界に衝撃を与えたショパンの驚くべき「練習曲集」の録音がドイツ・グラモフォンから発売されたのは1971年のこと。正しく衝撃のデビューを飾った。
その後もショパンの録音を続々とリリース。その全てが事件となる程の高い評価を受けて、正に前人未到の最高のピアニストの名をほしいままにした。
ベートーヴェンのピアノソナタ全集完成までに39年
その衝撃のデビューを飾った初期に、ショパンのいくつかの録音と並んで、ポリーニが世に送った頗る高い評価を得た録音に、ベートーヴェンのピアノソナタがある。1975年のこと。
しかも、いきなり後期から始まったのだ。後期の5曲のピアノソナタを3枚に分けリリース。当時のLP3枚組のイカツイ表情のベートーヴェンの肖像画をジャケットに据えた立派な装丁のBOXが忘れられない。
これが実に素晴らしいもので、大絶賛を浴びることになる。
その後期のピアノソナタに続いて、次々とベートーヴェンの録音を出すことはなかったのだが、長い年月をかけて、少しずつ新録音を発表し、最終的にピアノソナタ全集として全32曲が揃ったのは、2010年のこと。全集完成までに何と39年の長い年月を要したことになる。
こうして完成するに至ったポリーニのベートーヴェンのピアノソナタ全集は、やっぱりすごい出来栄えだ。超人的なテクニックを駆使して、彫琢の限りを尽くし、未曾有の完成度となった。
44年ぶりの後期ピアノソナタ集の再録音
その全集完成から更に5年。そのポリーニがまたベートーヴェンのピアノソナタに挑んだのである。それが今回の後期ピアノソナタ集、第30番から第32番までの3曲の録音というわけである。
全集完成後の再度のベートーヴェンへの挑戦が、一番最初に録音したベートーヴェンのピアノソナタというのが、いかにも几帳面で折り目正しいポリーニらしい。
全てを成し遂げてから、一番最初に戻って来たのである。一番最初の原点に戻ったのはそのとおりなのだが、曲としては一番最後のピアノソナタ3曲というねじれ現象もいかにもポリーニならではだ。ちなみに何と44年ぶりの後期ピアノソナタ集となる。
ポリーニ77歳での録音である。
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ポリーニを酷評する一部の評論家を斬る
この前人未到の超絶なテクニックを誇るポリーニは世界中で大絶賛され、多くの後進のピアニストから絶大な尊敬を集める一方で、めちゃくちゃ貶す人がいるのである。
それも音楽評論家がである。僕にとって神のような存在の最高の音楽評論家である吉田秀和はポリーニデビュー当時からの絶賛者であるが、概して評論家筋からの評価は高くない。
驚くべきことに、あまり高くないというのではなく、一部からはめちゃくちゃ評価が低い。ひどい表現で貶されているのである。
これがどうも訳の分からないところなのだ。ポリーニは何と言ってもそのテクニックが図抜けているので、どうしても演奏技術というかテクニックの凄さばかりが前面に出て、却って割りを食っているというのは分からなくもない。
技術は確かにすごいが中身がなくて、音楽性や芸術性が劣るという評価。こうなりがちなのは、良く分かる。
でも、僕はポリーニが技術だけのピアニストで、音楽性や芸術性が欠けているとはどうしても思えないのである。
断っておくが、僕はポリーニが特に好きというわけでは決してないのである。嫌いじゃないし、もちろん好きなピアニストの一人として注目しているのは事実だが、もっと好きなピアニストはたくさんいる。
参考までに僕にとって最高のピアニストはワルター・ギーゼキングとグレン・グールドの二人で、非常に熱を上げている。バッハ好きならどうしてもグールドになってしまうし、ギーゼキングは他のピアニストとは次元の違う最高のピアニスト。この人以上のピアニストはいないと信じている。
どうしてそこまでムキになってポリーニを貶す必要があるのか、とうてい理解できない。
例えばこんな言い方で全面否定されてしまう。
『ポリーニの悲劇は「伝えるべきことが何もないのにテクニックがある」或いは「魂を抹殺するためにテクニックを鍛え上げた」ということになろうか』(福島章恭「新版クラシックCDの名盤演奏家篇」より)
「伝えるべきことが何もない」っていくらなんでも失礼ではないか。表現の自由はあるから何と言ってもいいし、許されるのだが、これは評論ではなくてただの言葉の暴力。こんな言い方をして平然と済ましているのは、一人の人間に対して、いや音楽に対してあまりにも不遜な物言い。これを受けて大御所の宇野功芳まで「福島さんはうまいことをいう」などと持ち上げて、自身も酷い評価を下している。こんな尊大な大御所がのさばっているので、ゴミのような「評論」がまかり通ってしまう。許せない。
実に不愉快である。僕は演奏者を頭ごなしに全面否定する音楽評論家は、百害あって一利なしだと信じている。そんな評論家はすぐにいなくなってほしい。それが音楽界を健全にする。
CDとブルーレイという2種類の媒体
今回の再録音は本当に素晴らしい。今回は音声のみを収めたCDと当日のライヴ映像を収めたブルーレイの2種類の媒体で出ている。
これが非常に嬉しい。
先にCDが出て(2022年2月)、遅れてブルーレイの映像が販売されたが、この音源はどうやら全く同じもののようだ。2019年9月27日にミュンヘンのヘラクレスザールでのライヴである。
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ブルーレイでポリーニの演奏を観て釘付けになる
僕は先ずはプルーレイの方から観た。聴いたというべきなのか。
立って片付けごとをしながら、かなり気軽に再生したのだが、演奏が始まるなり、冒頭から金縛りになってしまったかのようにテレビ画面に釘付けになってしまう。演奏する老ポリーニから全く目を離すことができなくなってしまった。
すごい。全くすごい。歳を取ってポリーニはこんなに良くなったのか。もう80歳近い(77歳)というのに、この素晴らしい演奏はどうしたことか、と感嘆するしかなかった。
本当に釘付け。座ることさえできず、そのまま立ったままで最後まで見入ってしまった。
これが77歳の老人が弾いているとはとうてい思えない。ホンのわずかミスタッチがあるようだが、ほとんど完璧な演奏で、歳はとっても相変わらずのテクニックは少しも衰えているように思えない。それでいてここにはポリーニの円熟が明らかに加わっている。深みのある円熟。ポリーニの到達した至高の境地と言ってもいいのではなかろうか。
それにしても77歳である。健康で生きているだけでも大したものなのに、このテクニックでもちろん暗譜で弾きこなす姿を見ているととても同じ人間とは思えない。実際、言われてみなければ77歳には到底見えず、実に若々しい。この技術的にも至難のベートーヴェンの最高のピアノソナタを、これだけ見事に演奏を繰り広げることができるというのは、これはやっぱり奇跡なのではないかとつくづく感嘆させられた。
現在望み得る最高の演奏
間違ってほしくない。あのポリーニは77歳にもなって若い頃とあまり変わらないテクニックを維持して、とてもその高齢には見えないと言いたいわけではない。ここで演奏を繰り広げているのは信じられないことにもうすぐ80歳という高齢なのだが、その演奏は確実に今日最高のレベルにあって、どんな若手ピアニストも太刀打ちできない。この演奏が現在望み得る最高の演奏だと自信を持って太鼓判を押す。
録音も素晴らしいもので、そのせいもあるのかもしれないが、このベートーヴェンの珠玉の作品がいつもよりもずっと大きな巨大なものに感じるのである。仰ぎ見るに値する音の巨大な大伽藍がここにある。実に見事なものだ。
ベートーヴェンファン、ポリーニファンに留まらず、全てのピアノ好き、音楽好きに聴いて、観ていただきたい。
音だけのCDでじっくりと耳を傾けるのもいいが、ここは是非ともポリーニの実際に弾く姿をしっかりと観ていただきたいと思う。画質も録音も最高で、きっと僕のように画面に釘付けになってしまうはずだ。
ベートーヴェンの最高の名曲の、望み得る最高の演奏がここにある。
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