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「神様」手塚治虫への特別な思い~愛してやまない手塚治虫
手塚治虫のことが好きでたまらない。数十年来の熱烈なファンである。もうこの手塚治虫という人は僕に言わせてもらうと「神」としか言いようがない人で、ありとあらゆる芸術・エンターテインメントを含めて、日本人としてこの手塚治虫をしのぐ人は誰一人として出ていない。乱暴だがそう言い切ってしまっても全然困らない。最高の日本人。こんな人が地上に現れたこと自体が信じられない思いがする。
手塚治虫はもちろん漫画家である。僕が言っていることは漫画家として手塚治虫が一番、他に比べる人のいない空前絶後の存在であるということではない。そんなことは今更言わなくても周知の事実であり、当たり前だ。
そうではなく、手塚治虫は漫画はもちろん文学でも、映画でも演劇でも、また美術でもおよそ人間のなしえた創作活動の最高峰、これ以上の人はいないのではないかということなのだ。どうやってこういう人が出現したのか、本当に理解できない。それくらい図抜けた存在だ。
手塚治虫の世界と能力を一口で表現すると
時空を自由に飛び越える常人の想像を絶する途方もない発想と壮大なスケール。全ての作品に共通することはこれだろう。一体この発想とスケールをどこでどのように身に付けたのだろうか。
手塚治虫の最も偉大な点は、その類まれな発想とスケールを「絵」として自由に表現することができたことだ。それだけではなく、手塚治虫は独創性とドラマ性、更に表現力の3面においてずば抜けた特別な力を持っていた。ずば抜けた独創性と卓越したドラマ性、それらを巧みに伝えることのできる傑出した表現力。
こうなるともう誰がかかっても勝負にならない。数十年間に渡って、娯楽作品としても、芸術作品としても頂点を極め続けることができたのはそんな能力のせいだろう。
そんな人間離れした特別な存在である手塚治虫と、僕が一番好奇心も感受性も強く、まさに一番多感な時期にリアルタイムで彼の発表する作品群と巡り会えたことは、わが人生の最高の喜びであった。
リアルタイムで味わった思い出の一端
数え切れないほどの記憶と思い出があるが、あの京都での大学生時代、毎週発売される週刊少年チャンピオンに掲載される「ブラック・ジャック」を首が長くなる程待ち続け、むさぼるように読んだあの頃。あんなに心がワクワクウキウキする体験は、その後遂に味わうことができなかった。京都での最初の下宿生活。そこの仲間と少年チャンピオンを回し読みし、特に「ブラック・ジャック」について、「今週のブラック・ジャックは最高だったぞ!本当に素晴らしくて感動したよ!」とお互いに感想を言い合って読み耽ったことは最高の思い出だ。
あれから30年以上。残念なことに手塚治虫は60歳で、昭和の終わりと合わせるようにして急逝してしまったが、僕は一度として手塚治虫を忘れたことはない。これほど映画とクラシック音楽、本を読むことに夢中の僕にあっても、常に手塚治虫は僕の興味の中心にあった。ちょっと特別過ぎる存在なのである。
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手塚治虫の全ての作品を収集
凝り性の僕は、手塚治虫のありとあらゆる作品を全て集めていた。手塚治虫自身が肝いりで発売に漕ぎつけた講談社の全集全400巻はもちろん全て揃っているし、色々な形で発売される様々な作品をその都度買い集めていた。我が家は手塚治虫の漫画本で埋め尽くされている。
DVD-ROMによる手塚治虫大全集というものがある。手塚治虫の全ての作品がDVD-ROMにデータとして納めれている優れものだ。今では広く流布されている電子書籍の先駆けである。講談社の全400冊の全集の全てのデータが収められているのだが、どうしてこれが復刊されないのか不思議でならない。当時12万円もしたものだが、これは正に我が家の家宝だ。
手塚治虫を総合的・俯瞰的に捉えると
この「神様」にして「化け物のような超人」手塚治虫を総合的・俯瞰的に捉えてみる。
①漫画家とはいっても大阪大学の医学部を卒業した秀才中の秀才であったということ。とにかく知的レベルが非常に高い特別な漫画家であったこと。
②今日、日本の漫画・コミックは世界的にみても特別な文化遺産であり、日本が世界をダントツでリードし続ける創作分野であるが、その土台を築いたというか、それは日本に手塚治虫がいたからに他ならないこと。
③藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A),赤塚不二夫、石森章太郎など漫画界の巨人たちはみんな手塚治虫の弟子と呼ぶべき存在であり、後進の漫画家たちに絶大な影響を及ぼし続けたこと。横山光輝、さいとう・たかを、ちばてつや、松本零士、永井豪、つげ義春、萩尾望都など日本を代表する錚々たる漫画家たちも、手塚治虫がいたからこそ。晩年に手塚治虫が大変な嫉妬心を燃やしたことで知られる大友克洋も子供のころからの手塚ファンであったこと。
④手塚治虫は生涯を通じて第一線を守り続けて、常にトップランナーとして漫画界を牽引し続けたこと。人一倍負けず嫌いでライバル心旺盛、一時期スランプと苦境に陥ったときも、見事に這い上がってトップランナーの地位をキープし続けたこと。
⑤漫画を描くこと以上にアニメに対する情熱が凄まじかったこと。
⑥映画狂だったこと。とにかく映画が好きで、映画から絶大な影響を受けていたこと。
⑦劇画ブームが旋風の如く起きてスランプ・低迷に陥るが、そこから脱出する契機となった作品があの「ブラック・ジャック」と「三つ目がとおる」だったこと。
⑧一方で、そのスランプから脱出するために手塚治虫が挑み続けた新たなジャンルがある。それがあの今も続く「ビッグコミック」への連載であった。この大人向けの一連の作品が手塚治虫の最高傑作群であること。「きりひと賛歌」「奇子」「陽だまりの樹」「MW」など。
これらの作品の中では人間の悪と心の闇が容赦なく全面に打ち出され、かつての明るい未来、健全な未来などはどこにもない。手塚治虫は正義も悪も、明も闇も、光も影もどちらの描ける天才だったこと。全く希望のないメチャクチャ暗い作品も少なくなく、それが手塚治虫の魅力となっていること。
⑨一般週刊誌に連載(週刊文春)という考えられないことも実現させた。それがあの手塚治虫の最高傑作「アドルフに告ぐ」である。これは連載終了後、立派なハードカバーの一般書として発売され、大ベストセラーに。その後のハードカバーによる一連の漫画本の出発点になったこと。
⑩生涯を通じて発表し続けたライフワークの「火の鳥」は、奇想天外の発想と内容の深さと完成度で、類まれなシリーズとなったが、特に「未来編」と「鳳凰編」の2本があまりにも凄過ぎる作品だった。これで手塚治虫は神格化されることになるのだが、約5年振りに待望のシリーズ再開となった「望郷編」があまりパッとせず、ダメになった手塚治虫の代表作のようになってしまう。しかし、その後、見事に持ち直し、「火の鳥」シリーズは幸いにもその水準を保ち続け、空前絶後の未曽有の傑作シリーズとして世に遺されたこと。
⑪少年・子供向けから青年・大人向けまであらゆる読者に対して最良の作品を提供し続けたこと。ジャンルもSF、時代劇、戦争もの、恋愛もの、少女漫画、現代劇とありとあらゆるジャンルに挑み続け、全てのジャンル(スポーツものとは最後まで無縁だった)で成功したこと。絵のタッチが全く異なる「おとな漫画」も残し、絵に対してもどこまでも拘ったこと。劇画には最後まで否定的だったが、実は、あまり知られていないが、かなり影響を受けた劇画タッチの作品もそれなりに多いこと。
⑫取り上げたテーマとジャンルがバラエティーに富んでいただけではなく、手塚治虫という人は短編でも長編でも長さに関係なく、そのどちらでも傑作・名作を残した稀有な作家であったこと。古今東西の文豪をみると、チェーホフ、モーパッサン、芥川龍之介など短編の名手と、ドストエフスキーやトルストイ、プルースト、夏目漱石のように長編を書いた人と大別される。両方で傑作を残した作家はトーマス・マンくらい。ところが我が手塚治虫は「ブラック・ジャック」「鉄腕アトム」「ライオンブックス」「空気の底」など1回読み切り型の短編でその実力をフルに発揮する一方、「アドルフに告ぐ」「陽だまりの樹」「ブッダ」始め、数えきれない長編、大河ロマンでも稀有の名作・傑作を多数残したのである。トーマス・マンも到底及ばない。こういう作家は古今東西でも本当に稀な存在であること。
この点をもう少し言うと、ライフワークであった「火の鳥」では、基本的は長編が中心ではあったものの、「羽衣編」「異形編」「生命編」など優れた短編もあり、正に変幻自在であり、こんな離れ業ができたのは手塚治虫が唯一の存在だったこと。
ざっと思いつくままに書き出しても、たちまちこんなことになる。本当にこの人は人間離れした正に超人だった。宇宙人だったのかもしれない。やはり神と呼ぶしかなさそうだ。
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ビッグコミック等に連載された青年・大人向けの作品群について
手塚治虫のことを知らない人は若い人でもあまりいないとは思うが、「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」「どろろ」あたりのイメージが中心で、良くても「火の鳥」「ブラック・ジャック」「三つ目がとおる」を知っていればいいというレベルかもしれない。それらはもちろん手塚治虫の代表作で、素晴らしい作品ばかりではあるが、本当の手塚治虫の真価は、あまり一般には知られていない「大人向けの作品群」にあるのだ。大人向けの作品群がなければ僕もここまで手塚治虫に夢中になってこなかったかもしれない。
手塚治虫を熱愛し、熱狂的なファンとしてはどうしてもこの大人向けの作品群の類まれな素晴らしさを一人でも多くの方々に知っていただき、感動を分かち合いたいのである。
ビッグコミックに連載された手塚治虫の作品群
上述したように手塚治虫の大人向けの作品は、創刊されたばかりのビッグコミックで連載が始まり、それが亡くなるまで途切れることなく続いたことが圧倒的に大きい。ここで錚々たる名作・傑作の山脈が形成された。
時系列に並べてみる。
① 地球を吞む 1968~69(40~41歳)
② I.L 1969~70(41~42歳)
③ きりひと賛歌 1970~71.12(42~43歳)
④ 奇子 1972.1~73(44~45歳)
⑤ ばるぼら 1973~74(45~46歳)
⑥ シュマリ 1974~76(46~48歳)
⑦ MW(ムウ) 1976~78(48~50歳)
⑧ 陽だまりの樹 1981~86(53~58歳)
⑨ グリンゴ(未完)1987~89.1(59~60歳)未完・絶筆
壮観の一言。MWの後、陽だまりの樹の開始まで3年間程空いているが、それ以外はずっと連載が継続されていたことが良く分かるだろう。40歳から亡くなる60歳まで、ビッグコミックで大人向けの名作群を書き続けていたわけだ。
そしてその傾向はビッグコミックでの連載だけには留まらなかった。
ビッグコミック以外で連載された青年・大人向けの作品群
① 人間ども集まれ! 1967~68(39~40歳)漫画サンデー ※絵のタッチが全く異なる「おとな漫画」
② 上を下へのジレッタ 1968~69(40~41歳)漫画サンデー ※絵のタッチが全く異なる「おとな漫画」
③ ガラスの城の記録 1970(42歳)現代コミック
④ 人間昆虫記 1970~71(42~43歳)プレイコミック
⑤ 鳥人体系 1971~75(43~47歳)SFマガジン
⑥ 一輝まんだら 1974~75(46~47歳)漫画サンデー
⑦ どついたれ 1979~80(51~52歳)ヤングジャンプ
⑧ アドルフに告ぐ 1983~85(55~57歳)週刊文春
⑨ ネオ・ファウスト 1988(60歳)朝日ジャーナル 未完・絶筆
本当にすごい作品が目白押しだ。今後、これらの作品を少しずつ紹介していきたい。
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名作・傑作の数々を同時に連載していた驚異
手塚治虫は若い頃から、様々な雑誌でいくつもの作品を同時に連載していたことは良く知られている。1週間に10本近い連載を抱えていたこともあったようだ。
それは40代、50代になっても基本的に変わっていない。
例えば紹介した青年・大人向け作品でも、あの超傑作の「アドルフに告ぐ」を毎週連載している真っ最中にビッグコミックで「陽だまりの樹」を同時に書き、更に少年チャンピオンで「ブラック・ジャック」の連載も行っていたのだ。「ブッダ」も、火の鳥の「太陽編」も同時に連載していた。
全く想像を絶する驚異的なこと。手塚治虫はそんな超人だったのだ。あらためて恐ろしくなってしまう。
手塚治虫の全体像が俯瞰的に分かる雑誌はこちら
手塚治虫の解説書や研究書は山のように出ているが、全体像を俯瞰的に、しかもビジュアルで見せてくれるものはあまり多くはない。現在、最もお勧めできるのは、pen+から出た「増補決定版 手塚治虫の仕事。」だ。今年の3月に出版されたものだが、大きな書店にいけば今でも入手できるだろう。
以下の広告でネットで注文することも可能なようなので興味のある方は是非どうぞ。これは約100ページの薄い雑誌だが、オールカラーの中々見応え、読み応えのある雑誌である。僕がお勧めしている大人向けの作品群の紹介にもかなりのページが割かれ、もちろん「ブラック・ジャック」や「火の鳥」など誰でも知っている名作も丁寧に紹介されている。参考までに目次も紹介しておく。
手塚治虫が急逝された1989年に、今では廃刊になってしまった朝日ジャーナルの臨時増刊「見る・読む・考える 手塚治虫の世界」という追悼記念の特集雑誌が出版された。非常に内容の充実した貴重なものだったが、没後30年、こんな雑誌をもう一度、出してほしい。pen+のものは、これには到底及ばないが、現在、枯渇を癒すにはこれしかない。
「手塚治虫を語り尽くす」の連載。いよいよスタート
シリーズでお送りする計画の手塚治虫の漫画紹介「手塚治虫を語り尽くす」をどうぞお楽しみに。最低でも50本くらいは予定しています。
一緒に楽しんで行きましょう。
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