目 次
未完で終わった黒手塚の超問題作
黒手塚こと手塚ノワール作品をズッと取り上げてきているが、今回紹介する「ガラスの城の記録」は、一連の黒手塚作品の中でも、特に異色な問題作だ。
何と言ってもこの作品は未完で終わっている。手塚治虫の作品には何本かの未完作品がある。
それらの多くは、手塚治虫が常に多くの連載を抱えながら、60歳で急逝してしまったことが原因だ。
逆に言えば、手塚治虫が急逝した際に連載されていたものは、全て未完になっているというわけだ。
「ルードウィヒ・B」・「グリンゴ」・「ネオ・ファウスト」の3作品がそれだ。
これらは作者が連載中に死んでしまったのだから、やむを得ない。
それとは別に手塚治虫自身が何らかの理由によって、作品を最後まで完成させることができなかったものが何本かある。
連載されていた雑誌が休刊や廃刊になったというケースが多いのだが、そんな作品の顛末は非常に気になるものだ。
それらの作品については、手塚治虫が「全集」の個別作品のあとがきに、未完に終わった理由が書かれている、つまり手塚治虫本人が理由をちゃんと説明しているものがほとんどなのだが、何の説明も解説もなく、未完で終わってしまった作品がある。そんな珍しい1冊がこの「ガラスの城の記録」なのである。
その内容が、尋常じゃない位に過激にして強烈なだけに、非常に気になってくる。
以前よく目にした作品だったが
この未完の問題作は、何故か僕には以前から馴染み深いものだった。といっても、しっかり読んだわけでもなく、僕が手塚治虫の魅力に取り憑かれ、本格的に読み始める以前のことだったのだが・・・。
タイトルと印象的な表紙の絵が忘れられない。僕が学生時代に文庫(秋田漫画文庫)になって出版されていたのを鮮明に記憶していて、妙に内容が気になったことを昨日のことのように覚えている。
「あの有名な手塚治虫の作品に、全く聞いたことのない怪しげなタイトルの作品があるが、一体何だろう?」と思ったのだが、漠然とした興味というよりも、得体の知れない違和感を覚えたと言った方が正確だろう。
それでいて、僕は気になりつつもその当時、読むことはなかった。
結果的には良かったと思う。手塚治虫の真の偉大さと魅力を理解する前に、あの時点で「ガラスの城の記録」を読んでいれば、衝撃が大き過ぎて、多分、僕は手塚治虫を大っ嫌いになった可能性が高い。
黒手塚の中でも異例の悪魔のような主人公
この漫画に出てくる主人公は、それくらい嫌な奴、ダーティーな恐ろしい人間なのである。
黒手塚作品は何作もありながら、この作品のように冷たく無機質にして、徹底的な悪に徹した主人公を描いたものは珍しい。
例えば、同じように過激で暗い黒手塚作品、最近紹介した「ボンボ!」も「アラバスター」も、主人公は過激で残酷極まりないが、同情の余地があるというか、ある意味で彼らは被害者であり、漫画を読んでいても、その荒れ狂う感情と悲しみに同情し、意気投合してしまうキャラクターである。
ところがこの「ガラスの城の記録」の主人公には、そんな同情が入り込む余地は微塵もない。ただ「何て酷い奴だ、こんな人間は絶対に許せない」と言いたくなる程の、徹底した悪の権化、悪魔のよう男なのである。
いかん。僕はまだ何も説明していないのに、先走りし過ぎてしまったかもしれない。
順を追ってちゃんと説明していこう。
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「ガラスの城の記録」の基本情報
この作品が未完に終わった理由はご多分に漏れず、連載していた雑誌が休刊になってしまったからだ。しかも2度に渡ってなのである。
そういう意味ではこれは呪われた作品と言っていいかもしれない。いずれにしても、その経緯についても、作者の思いについても、手塚治虫は何も語っていない。
先ず始めに、この作品は未完で終わってしまっただけに、大作の割には短いものだ。230ページ弱しかない。
連載は双葉社が隔週で発行していた漫画雑誌「現代コミック」の創刊2号(1970年1月22日号)から開始され、「現代コミック」が9号(同年4月23日号)で休刊した際に、一旦は打ち切られてしまう。時に手塚治虫42歳。
その後、手塚治虫の会社である虫プロ商事が発行していた「COMコミック」誌に1972年から連載が再開されるが、翌年の2月23日号で再び休刊の憂き目に遭い、結局未完のまま連載が中止に追い込まれてしまった。手塚治虫は45歳になっている。
同時期の連載作品には、このブログでも取り上げている傑作短編集の「空気の底」と「ザ・クレーター」がある。名作「きりひと讃歌」がビッグ・コミック誌に連載開始された直後に1回目の中止を余儀なくされたことになる。
再開した72年はあの超傑作の「奇子」が書かれた時代である。「ガラスの城の記録」の後半は、あの「奇子」と同時に連載されていたと思うと感慨深い。まだまだ不遇の時代は続いていたが、稀有の傑作が続々と連打されている真っ最中の連載ではあった。
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どんなストーリーなのか?
立派な屋敷がガラスの城と称された札貫(ふだぬき)家の当主は、時代の最先端を行く「冷凍睡眠」マシーンを使って、自身はもちろん息子たちを自由自在に冬眠させていた。
息子は4人いたが、折しも長男の一郎が20年振りに冬眠から目覚める。年は取らないので、長男とは言っても、その間、見守り続けて来た弟の次郎よりも若いどころか、次郎の息子のような風貌だ。冷凍睡眠を繰り返すことによって、兄弟・父子の年齢の逆転状態も起こっているのだ。
この冷凍睡眠は法律で禁止されたが、札貫家ではこっそり使い続けていた。
禁止された理由は、冷凍睡眠は脳細胞に異常をきたし、人格が破壊されるからだった。
一郎は父親の勧める冷凍睡眠計画に反対し、時を奪われると父親を憎んでいたが、20年振りに目覚めた一郎は脳の障害で人格が破壊され、良心を失って悪魔のような人間に変わっていた。残忍な凶暴性を発揮し、手当たり次第に悪に染まっていく。今流に言うとダークサイドへの転落だ。本人にはその自覚はなく、外観上は何ら変わらないだけに、衝撃度が強い。
見た目には同世代に見える弟の娘を犯し、愛人としてしまう。伯父と姪の関係にありながら、近親相姦から逃れられない。
人を殺すことに何の躊躇いもなく、父親への復讐を皮切りに次々と人を殺していく。
そこに2,000年間も地下のカプセルで眠りについていた古代の女ヒルンも加わり、物語は思わぬ方向に進んでいく。
やがて一郎は逮捕されてしまうのだが、真の物語はここから始まる。
死刑になるのは当然だったが、時の政府は死刑囚への殺害を見せ物にする「殺人法」を実現させ、一郎は誰でも殺していい殺人ゲームのターゲットとして追われ続けることになってしまう。
果たして一郎はどうなるのだろうか?
「時計じかけのオレンジ」のアレックスのような怪物
この悪魔のような主人公は、あのスタンリー・キューブリックの「時計じかけのオレンジ」の超バイオレンス少年のアレックスによく似ている。
残酷極まりない血の通わない冷酷人間。SEXに取り憑かれ、暴力と殺人と女にしか興味のない悪魔のような人間。もっともアレックスはベートーヴェンにも夢中だったが。
全く同情の余地のない冷酷な人間という意味では、この二人は瓜二つで、双生児といってもいい。
僕は手塚治虫はこの「時計じかけのオレンジ」に影響を受けたに違いないと考え、調べてみると「ガラスの城の記録」の連載スタートは1970年1月からで、「時計じかけのオレンジ」の日本公開は1972年のGW。手塚治虫の「ガラスの城の記録」の方が先だった。
この事実を知ってあらためて驚嘆させられた。手塚治虫は何と「時計じかけのオレンジ」を先取りしていたのである。但し、アンソニー・バージェスの原作は1962年に発表されているので、この原作から影響を受けたことはあり得るかもしれない。
いかんせん、この作品には手塚治虫のコメントが全く残っておらず、真相はハッキリしない。何ともミステリアスな作品だ。
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すごいアクションシーンが満載で興奮必至
アクションシーンが際立っている。激しいアクションとバイオレンスのオンパレード。その点も「時計じかけのオレンジ」とそっくりだ。
この手塚治虫が描いたバイオレンスシーンとド派手なアクションシーンが最高の見ものである。そして何といってもめちゃくちゃおもしろい。夢中になって一気に読めてしまう。1〜2時間もあれば十分だ。
やがてこの主人公に魅力を感じてくる
こんな冷酷な一郎なのだが、激しいアクションシーンを繰り広げ、襲いかかる様々な危機を自力で乗り越えていく姿を見ていると、何故かこの残酷極まりない悪魔のような人間にたまらない魅力を感じ始め、彼の活躍に心をときめかし始めるから、恐ろしい。
途中からこの悪魔が何とも魅力的な存在になってくる。これはヤバいなと思いながらも、応援したくなってくるのである。
もしかしたらこういう心理がヒトラーやスターリンを支持していく心理と繋がってくるのであろうか?
まあ、これはあくまでも漫画、エンターテイメントである。
手塚治虫の卓越したストーリーテラーぶりと人物造形の秀逸さに見事にやられてしまったということか。そう思いたい。
感傷を徹底的に排除したハード・ボイルド感
この作品を読んで強烈な印象を受けるのは、その激しいアクションシーンと並んで、感傷を徹底的に排除したハード・ボイルド感である。その感情を排除した渇いた描写に不思議なくらいに引き込まれてしまう。
加えて抜群のテンポとスピード感にも魅了される。
時代を先取りした超問題作
この作品は、ほぼ同時期のキューブリックの「時計じかけのオレンジ」同様に、時代を先取りしていたとしか言いようがない。1970年代の初頭。全世界で吹き荒れた68年の怒れる学生たちの騒乱の時代が一旦は終息したものの、後遺症として残ったのであろうか。激しい暴力への抜き差しならない誘引と傾斜。
手塚が繰り返し描いた殺人をショーにする未来社会
そして殺人をゲーム、あるいはショーとして見世物にしてしまう狂った未来社会。これは手塚治虫が繰り返し描いたテーマだ。
本作とほとんど同じ設定の話しが、後日登場する。このブログでも取り上げてたあの「火の鳥」シリーズの一編「生命編」である。
これはシチュエーションというか、設定が全く一緒。瓜二つである。未完で終わってしまった「ガラスの城の記録」を惜しんだのか、同じ設定をあの手塚治虫のライフワークである畢生の大作の「火の鳥」で蘇らせるとは。
このテーマに対する手塚治虫の抜き差しならない強い関心を示す証に他ならない。
単に一人に対する殺人を見世物にするどころか、大人数が互いに殺し合う戦争そのものを一大エンタテインメントとして興業を図るというのが、これもまた既にブログで紹介済みの「人間ども集まれ!」である。
人間の命を大切にしない社会と世界に対する手塚治虫の深い怒りと絶望が、痛いほど伝わってくる。
終盤、更に政府の高官が一郎を利用して政治工作を図ろうとする姿が生々しく描かれる。一番悪いのは一体誰なのか?
この辺りもキューブリックの「時計じかけのオレンジ」と全く同様だ。いかに犯罪者とはいえども、政治と権力に翻弄される姿は結構こたえる。
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手塚治虫の真意と狙いはどこにあったのか
手塚治虫の真意と狙いはどこにあったのだろうか。手塚治虫自身のコメントが全く残っていないので、ハッキリとはしないが、このSFの巨匠、明るい未来世界を描き続けてきた漫画の神様が、この時点で立ち止まり、機械文明と未来への警鐘を打ち鳴らしたとか思えないのである。機械文明の発展がややもするとまとまな人間性を奪ってしまう危険性を孕んでいる。そこを何とかしたい。
凄まじい勢いで進化を続ける科学技術。そんな中で、まともな人間性をどのように保ち続けるのか。
人間の命を粗末にする社会と政治に対する怒りと失望もあったのだろう。
何度も書いているが、この時期、手塚治虫は様々な面で苦闘のピークにあり、それだけにその怒りと不安、失望はあまりも深かった。
悪の権化のような一郎よりも、一郎を取り巻く社会が酷い。そういう意味では、一郎もまた被害者としか言いようがないのである。
そんな時代に書き上げた無性におもしろいアクションエンターテイメントとして、これは不朽の位置を占め続けると確信している。
返す返すも、未完で終わってしまったことが残念でならない。
「ボンバ!」も入っているオリジナル版を是非!
オリジナル版を自信を持ってお勧めしたい。あの「ボンバ!」で紹介したオリジナル版である。立東舎から出ている大判のオリジナル版としては格安なこの非常に良心的なオリジナル版を、声を大にしてお勧めしたい。
「ボンバ!」と今回の「ガラスの城の記録」の双璧に、更にこれまた人気作のポリティカルサスペンスの傑作「時計仕掛けのりんご」まで収録された何とも贅沢な一冊。ところどころに配置されたオールカラーのページも美しく、手塚治虫ファンを自任する方はもちろん、一人でも多くのマンガ好きがこの素晴らしい貴重な美本を購入していただくことを願うばかりだ。
是非とも購入してほしい。決して後悔しないことを確約させていただく。
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