目 次
手塚治虫の急逝によって未完となった3作品
前にも触れたが、手塚治虫の急逝によって未完に終わった作品は3本ある。
1本は前回紹介したベートーヴェンを取り上げた「ルードウィッヒ・B」。これは手塚治虫の急逝によって、若き日のベートーヴェンしか描かくことができず、全体の構想の中では、ごく最初の部分しか描けずに終わってしまった。完成していれば相当な長編となったはずである。
残りの2本は、「ビッグ・コミック」に連載(きりひと讃歌・奇子・ばるぼら・シュマリ)されていた「グリンゴ」と、朝日ジャーナルに連載されていた「ネオ・ファウスト」であった。
その作者の急逝によって未完に終わってしまった3本の作品の中でも、手塚治虫が一際、完成させることに拘っていたのが、今回取り上げる「ネオ・ファウスト」なのである。
入院中も何とか書き続けようとして、相当に無理をしたことが伝わっている。
それだけ特別に思い入れの強かった「ネオ・ファウスト」とはどんな作品だったのか?
今回は手塚治虫が死の直前まで完成に拘り続けた未完の問題作「ネオ・ファウスト」を紹介したい。
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ゲーテの「ファウスト」の3回目の漫画化
これはあのドイツの文豪ゲーテの最大傑作「ファウスト」の手塚治虫による実に3回目の漫画化である。
ドイツが生んだ大文豪のゲーテのことは、ここでは触れないでおく。
またまためちゃくちゃ長くなってしまいそうなので(笑)。
後世に絶大な影響を及ぼしたゲーテの多くの作品の中でも最大にして最高の傑作が「ファウスト」であることは間違いないだろう。
この悪魔と契約して魂を売り渡すことと交換に若さを手を入れるというストーリーに手塚治虫は相当、入れ込んだのであろう。
元々手塚治虫の最大のテーマの一つは「変身」、手塚治虫自身の言葉を借りれば「メタモルフォーゼ」(変身のドイツ語)なのである。
主人公が変身するストーリーは、手塚治虫作品の中に数え切れないほど膨大な量があることは、誰だって良く知っている。
代表作の「鉄腕アトム」を皮切りに、手塚治虫のSFをテーマにした作品のほとんど全てがそうであるばかりか、SF以外でも主人公が変身して、特別な力を身に付けるものがやたらと多い。
「ビッグX」「マグマ大使」「バンパイヤ」「0マン」「リボンの騎士」「どろろ」など枚挙にいとまがない。あの大ヒットした大作「三つ目がとおる」もそうだ。
手塚治虫は短編集「メタモルフォーゼ」のはあとがきに「僕は"変身もの”が大好きです」とハッキリと書いている。
そんな強い変身願望を持っていた手塚治虫にとって、悪魔と取り引きして、若さと別の姿を手に入れるというゲーテのテーマは、非常に魅力的だったのだろう。
何と言っても、「ファウスト」を原作に過去に2つの作品を描き、それでも納得できなかったのか、3度目のトライアルとなったのが最晩年の「ネオ・ファウスト」というわけだ。
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手塚治虫の過去の「ファウスト」
ゲーテの「ファウスト」は、手塚治虫にとって本当に大切な作品だったようで、初期と最盛期、そして最晩年と約40年間に渡って漫画化に取り組んできた。ここは大きなポイントである。
第一回目:「ファウスト」
手塚治虫のごく初期の書下ろし作品。1950年。時に手塚治虫22歳である。
第二回目:「百物語」
「ライオンブックス」という手塚治虫屈指の傑作短編シリーズ集に収められている体裁を取っているが、この「百物語」は独立した大作である。全体は3部からなり、①「放浪編」②「恐山編」③「黄金編」④「下剋上編」と名付けられている。
1971年の7月から10月まで4カ月間かけて、月に1編ずつ少年ジャンプに掲載された。時に手塚治虫43歳。非常に脂が乗っていた、いわば最盛期の作品と言っていい。「火の鳥」の「未来編」も「鳳凰編」も既に発表され、このブログで取り上げてきた「きりひと讃歌」「アラバスター」の連載と同時並行して描かれた。短編集の「空気の底」「ザ・クレーター」も前年に発表されている。
「奇子」が描かれる前年である。「きりひと讃歌」と「奇子」の間に描かれたというのが一番分かりやすいだろうか。正に絶頂期と言ってもいい。
それだけにこれは少年向けとはいえ、かなりのレベルに達している。ゲーテのファウストの世界を日本の戦国時代に置き換えている。
「ネオ・ファウスト」の基本情報
「百物語」でファウストの世界観を存分に描き出したはずだったが、手塚治虫はこれに満足しなかった。「百物語」は少年ジャンプの連載で、基本的に少年向きに書かれている。
少年相手では「ゲーテ」と「ファウスト」の世界は描き切れなかったのであろう。
手塚治虫は、最後の年、すなわち死の年の1988年に朝日ジャーナルに連載を開始する。手塚治虫の急逝によって未完に終わった作品は3本あるとは何度も言ってきたが、この「ネオ・ファウスト」が最も遅いスタート。正に手塚治虫の最後の作品である。
掲載誌が漫画雑誌ではなく、筑紫哲也が編集長を務めていた当時大注目の報道雑誌の朝日ジャーナルだったということにも注目してほしい。
第1部が1月1日・8日合併号から始まり11月11日号で完結。第2部は、直後の12月9日号と16日号の2回の連載で絶筆となった。手塚治虫が亡くなったのは翌1989年の2月9日のことである。
どんなストーリーなのか?
1969~70年の全国の大学で吹き荒れた学園紛争が舞台。そこで50年以上に渡ってひたすら生命の謎について研究を続けてきた一ノ関教授はノーベル賞の候補になる著名な学者とはいうものの、全くの世間知らずで、世間からも学生からも隔絶し、ミイラと呼ばれている存在だ。
誰からも相手にされず、それでいて研究の答えが出ないと絶望にかられる教授にメフィストフェーレ(悪魔)が忍び込む。宇宙の真理を解明する数式をいとも簡単に黒板に書き記す悪魔に魅せられ、悪魔との取り引きに応じてしまう。
こうして、若さと美貌を手に入れるが、教授は記憶喪失となっていて、過去のことは一切思い出せない。第一という名前を付けられて、人生を最初からやり直すことに。
苦労を重ね、紆余曲折の果てに膨大な財産を手に入れた第一は、ようやく自分のやりたかったことに開眼し、一ノ関教授に接近していく。バイオテクノロジーの神髄を極めようとするが。
大学まで買収して第一の目指したものとは?
彼は宇宙と生命の謎を解き明かし、新たな生命を誕生させることができるのであろうか?
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全体構成の卓越さに舌を巻く
未完とはいうものの、全体構成が絶品。その卓越さに舌を巻くしかない。
ゲーテのファウストから骨格を借りてきているが、それは悪魔との契約で若さを手に入れるという点だけで、後は全て手塚治虫のオリジナルストーリー。
天才的な見事なシナリオ
実に良くできている。アッと驚く思わぬ展開は、正に手塚治虫だからこそ可能になった天才的な発想で、読んでいて声を上げてしまう程だ。
なるほど、こういう展開になるのか!?と驚嘆するばかり。
構成の天才であると同時に、語り口の天才というか、読んでいて何時の間にか手塚治虫の手中に落ちて、物語にどっぷりと浸かってしまうことになる。
まいった、やられたなと思うのだが、それが快感になるほど、見事にハメられてしまう。
理屈抜きの抜群のおもしろさ
手塚治虫のストーリーテラー振りはもう異次元のレベルである。今まで紹介してきた手塚作品はテーマの深遠さもさることながら、どれを読んでも無条件におもしろく、夢中にさせられてしまうのだが、この「ネオ・ファウスト」のおもしろさも尋常ではない。
とにかく抜群におもしろい。1970年という現代に悪魔が降臨するわけで、そこで起きる悪魔による人知を超えた驚異の能力とそれを駆使した殺人方法などが、現代に発生するというあり得ない展開となるわけだ。
今日の刑事たちが実際に、その理解不能の事件と出来事に振り回されることになる。
現代の最新の捜査技術と、時代遅れのそれでいて人間には到底持ち合わせていない悪魔の能力が、同じ時代にクロスマッチするわけで、このあり得ない関係が漫画の中では現実に起きた事件として展開され、真相解明に向けて取り組まれる。
このアンバランスが最高のおもしろさであろうか。これは超一級のミステリーにしてスリラーでもある。
第2部の悲劇的な展開に胸が張り裂ける
未完とはいうものの、第1部は完了し、第2部の冒頭で突然の終了を余儀なくされるのだが、第2部は怒涛の展開の第1部から一挙に10年以上の歳月が流れているという展開。
この第2部は実に辛く、悲劇色の強いものとなる。
「ネオ・ファウスト」は僕が好んで取り上げてきたいわゆる「黒手塚」(手塚ノワール)ではない。
ところが、手塚治虫はやっぱり残酷なところがある。第1部に登場した美しきヒロイン、辣腕刑事の妹にして第一に愛された学生運動にのめり込んでいた少女は、あまりにも無残な姿となって登場してくる。これには胸が張り裂けそうになってしまう。
それだけに、ここから先の展開を読んでみたかった。あの薄幸のヒロインがいかに人生を取り戻していくのか?それが生命の謎と、新たな生命の誕生と重なり合ってくるのではないか、そんな手塚治虫の壮大な計画が、何となく伝わってくる。
どうしても読んでみたかった。
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最後の最後に挑んだ宇宙の真理と生命の謎。生命の創造
紆余曲折の果てに、結局は生命の謎の解明と新たな生命の創造を目指すようになる第一。
魂を悪魔に売り渡してまで欲しかった若さは、何のために必要だったのか。
年老いた一ノ関は、こんなに長く研究を続けてきたのに、宇宙の真理と生命の謎が解けないことを嘆く。もう先の長くない自分には時間も若さもないと絶望する中での、突然の悪魔からの若さの提示。
悪魔の誘惑に負けた教授は、取り引きに応じて若さを手に入れたが、記憶は失っていて、全く科学とは関係のない別の人生を一度は歩む。
だが、結局はここに戻ってくる。
主人公の願望は手塚治虫自身の願望そのもの
そこまでして解明したかった生命の謎は、漫画の主人公の一ノ関教授というよりも、作者である手塚治虫自身の願望、いや執念に近いものを感じる。
生まれ変わった第一は、紆余曲折の果てに次のように考え、それを実現させるために次々と実行に移していく。
「おれは自分の手で生命を作り出したり、自由に操れたりすると、どんなにすばらしいと考えた。それも、この世にない新しい生命体だ。それが創造できれば、おれはそいつらを神のように操るのだ」
これはちょっと恐ろしい発想だが、手塚治虫のライフワークである「火の鳥」のテーマに通じる、手塚治虫にとっては最も切実なテーマであったに違いない。
手塚治虫の存命中に山中伸弥博士のあのIPS細胞を知ってもらいたかった。
IPS細胞の発見に一番狂喜したのは手塚治虫であろうことは想像に難くない。
本当に残念だ。
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何としても完成してもらいたかった
「ネオ・ファウスト」は、手塚治虫の急逝によって、突然の中断を余儀なくされた。死の床でも、その先を書きたいと必死でもがいていたことは良く知られている。
手塚治虫本人も完成を熱望したが、僕ら読む側もこれは何としても完成してもらいたかったと思わずにいられない。
未完ながらも草稿と講演会記録が救い
最後のワンカットの後に、草稿のデッサンのようなものが添付されている。少し先まで展開を想像することが可能だ。
救いは、この「ネオ・ファウスト」には、手塚治虫の講演会でのスピーチが残されていることだ。
ズバリ「ネオ・ファウスト」について、熱く分かりやすくその思いと狙いを語っている。
それが巻末に添付されているのが実に嬉しい。ページ数は6ページもあるから、かなり突っ込んだ話しを手塚治虫自身の言葉で直接、聞くことができる。これを読むことで、いかんともし難い渇きが何とか癒されるというものだ。
手塚治虫が最後の最後に情熱を傾けながらも、病魔に絶たれた執念の傑作を是非とも読んでいただきたい。
これは未完ながらも、手塚治虫の最後に相応しい至高の作品である。
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