目 次
日中を股にかけた壮大な歴史ロマン
今回紹介する「一輝まんだら」。これまた実におもしろく、夢中になって一気に読み切ってしまった。
日中を股にかけた実に壮大な歴史ロマンで、これは知る人ぞ知る手塚治虫の隠れた逸品とでも呼ぶべきものだ。
但し、事情があって惜しいことに未完で終わっている。本当に残念でならない。
「一輝まんだら」は、壮年期にビッグコミックに連載された一連の名作・問題作とは別の媒体で発表されたせいか、あまり知られていないのだが、「奇子」や「シュマリ」、更に「アドルフに告ぐ」などと同じ日本の暗い近現代を描く歴史ロマンである。
タイトルにある「一輝」とはもちろんあの北一輝その人に他ならない。北一輝が本作の主人公の一人なのである。
思想家の北一輝を中核人物としながら、大正時代の日本と、列強の植民地として蹂躙され続けていた清朝末期の中国の若い革命家たちが迫害を受けながらも社会変革を目指す群像劇だ。
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読みだしたら止まらない傑作にして問題作
実におもしろく、読み始めたら一気に(笑)最後まで読み切らずにはいられなくなる。上下2巻からなるそれなりに長い作品だが、あっという間に読み切ってしまうことだろう。
手塚治虫の語り口の巧妙さにただただ乗せられて、時の経つのも忘れて夢中になってしまうに違いない。
実は、北一輝は後半にしか出てこない。そもそも日本が舞台になること自体が後半であって、この漫画の舞台は19世紀末から20世紀初頭にかけての中国、清の末期なのである。
歴史上非常に有名な義和団事件(北清事変)(1999~2000年)に加わった貧しく学もない少女が主人公。彼女が時代の荒波に揉まれ、様々な紆余曲折を経て、仲間と日本に渡ってくる。そこで出会うのが北一輝という設定だ。
先ずはその設定が信じられないくらいに巧みであり、読み始めるとグイグイと話しに引き込まれ、夢中にさせられるのはいつもの手塚治虫作品の定石なのだが、特にこの「一輝まんだら」でのストーリーテリングの見事さは、唖然とするしかない。
よくもまあ、こういうストーリー展開を思いつくものだと感心させられる。
ギャグやユーモアがふんだんに取り入れられていることも本作の特徴なのだが、革命を目指す若者たちを描くドラマだけに、社会のどうしようもない不正や怒りなど、テーマが深いことは言うまでもない。
未完で終わったのが残念の極み
この作品、実は残念なことに未完で終わってしまっている。
手塚治虫作品には未完は少なくない。前にも触れたことがあるが、未完となった理由には2つのパターンがあって、先ず一つのパターンは、手塚治虫の急逝によって連載中の作品が絶筆となってしまったケースである。
このパターンの作品を、最近の「手塚治虫を語り尽くす」シリーズでは集中的に取り上げてきた。
3つある。「ルードウッヒ・B」と「ネオ・ファウスト」。そして一昨日配信したばかりの「グリンゴ」の3本。
それとは別に、手塚治虫は存命中だったにも拘わらず、様々な理由によって中断され、未完で終わってしまったパターンがある。
このケースの代表例は、以前に紹介した「ガラスの城の記録」だ。
そして、今回取り上げた「一輝まんだら」もそうした作品の一つである。連載されていた雑誌が廃刊になったという場合が多いのだが、「一輝まんだら」がこれだけ壮大にして、抜群におもしろいにも拘らず、未完で終わってしまった経緯については、後ほど触れさせていただく。
とにかくこの作品が未完であり、非常にいいところで、正にこれからというところで中断してしまっていることを予め承知しておいてほしい。
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「一輝まんだら」の基本情報
掲載雑誌は「漫画サンデー」。1974年9月28日号から1975年4月12日号までの約半年間掲載された。
個人的な話しで恐縮だが、僕が同志社大学に入学したのが1975年の4月のことであり、ちょうどその時に連載が中断してしまったのかと思うと何とも感慨深いものがある。
例のビッグコミックに連載され続けた傑作の森の作品群の中では、「ばるぼら」が終わって、第6作目の「シュマリ」が始まっていた。「シュマリ」の連載は1974~76年なので、その間に完全にダブっている。
時に手塚治虫は45歳から46歳。復活の狼煙をあげた「ブラック・ジャック」の連載は2年前の1973年から既に始まっており、手塚治虫の新たな大ブームが巻き上がっていた。正に最も脂の乗った最盛期。
そんな最盛期に書かれた手塚治虫渾身の歴史ロマンがおもしろくないはずがない。見事にその期待に応えてくれた。
どんなストーリーなのか
ストーリーは既に紹介してしまったようなものだ。
清朝末期、八方塞がりの中国社会を変革すべく武装蜂起した中国民衆の義和団。「扶清滅洋」をキャッチフレーズに清を助けながら侵略を進めていた欧米の外国人たちを排斥しようと立ち上がったが、清朝からも裏切られ、欧米諸国の圧倒的な軍事力の前に壊滅。
ひょんなことから義和団に加わることになった貧農の娘、姫三娘(きさんじょう)は無学ながらも向こう見ずで生命力だけは抜きん出ていた。姫三娘は様々な危機を持ち前の気丈さで切り抜け、社会を変革しようともがいていた様々な人物たちと出会っていく。
命からがら日本への脱出に成功し、そこで若い北一輝と運命的な出会いを果たすのだが・・・。
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手塚治虫が描いた日本の近現代史関連の1冊
手塚治虫が描いた一連の日本の近現代史関連の1冊で、今回は19世紀末から20世紀初頭の中国と日本の歴史を描き出す。日本は大正時代にあたる。
この作品の中では、北一輝を筆頭に実在の人物と、手塚治虫が創作した架空の人物とが見事に融合し、複雑に絡み合っていく。
主人公の中国人娘の姫三娘は手塚治虫が生み出した全くの架空人物。
実在の人物としては中華民国を設立した孫文や毛沢東も出てくる。中でも重要なキーマンとして登場するのは章炳麟だ。この章炳麟がいい。
これらの実在と架空の人物が、複雑に絡み合う人間模様が先ずは読みどころとなる。
社会を改革したいという切実な思い
彼らは一様に、当時の社会に憤懣やるかたなき不満と怒りを持っており、何とかして社会を変革させたいとの思いを胸に抱いていた。
武力革命を目指すもの、孫文のように議会制民主主義と大統領制を目指す者など、その方向性はバラバラだったが、その社会変革へのエネルギーはすさまじく、権力者から執拗かつ残虐な拷問を受けても、ひるむことはない。
まさしく「まんだら」そのもの。日中両国の悩める若者たちの青春群像である。
それらが複雑に絡み合い、運命に弄ばれていく姿に、読者はすっかり夢中になってしまう。読んでいて、ハラハラドキドキが止まらなくなる。
そして、運命の悪戯は、遂に北一輝青年と姫三娘を巡り合わし、いよいよ盛り上がりを見せていくのだが・・・。。
手塚治虫のストーリーテリングぶりに唖然とするしかない。
激しい暴力で徹底的に弾圧され、とことん虐げられながらも夢を諦めない若者たちに、心からのエールを送りたくなってしまう。
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北一輝の異様なまでの凄み
前述のとおり北一輝は、後半にしか出てこない。本作のタイトルは「一輝まんだら」なのだが、主人公とは到底言い難い。
ちなみに本作の中で、北一輝は北輝次郎として登場してくるが、輝次郎は北の本名である、念のため。
北一輝の登場場面は非常に限られているのだが、にも拘らず、そのインパクトは絶大だ。北一輝が出てくると全てを食ってしまうかのような圧倒的な存在感がある。
これは手塚治虫も相当に意識していたのだと思う。
本作の中で、北輝次郎(北一輝)は、眼病に苦しんでおり、常に右目に眼帯をしている隻眼だ。その隻眼が不気味さを際立たせる。
現在残されている北一輝の写真を見ると、眼帯をしている写真はお目にかかれないが、右眼は義眼だったことは良く知られている。
手塚治虫が描く北一輝の絵の力が、他の登場人物とは、主人公の姫三娘を含めても、まるで違う。異様なまでの凄みを漂わせている。
実際に見てもらおう。
手塚治虫が描いた壮大な構想を明かす
講談社の手塚治虫漫画全集の最後にいつものように手塚治虫自身による「あとがき」がある。これは短いものではあるが、実に興味深いものだ。
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手塚治虫自身の「あとがき」を全文引用
作品の核心に迫る非常に貴重なものなので、そっくりそのまま引用させていただく。表示も原文のまま。
「一輝まんだら」の〝一輝″は、北一輝のことだと、お読みになっていくうちに、わかったでしょう。
北輝次郎—あの、二・二六事件を生むきっかけをつくり、民族社会主義の旗じるしをかかげた一匹狼として、数奇な運命をたどった彼の、謎にみちた生涯を、ぼくは一度どうしても漫画でとりあげてみたかったのです。
といっても、伝記だけでは漫画になりません。彼の運命を縦糸とすれば、横糸の主人公がどうしても必要です。そしてそれは物語の狂言まわしといった役割のフィクショナルな人物でなければなりません。
で、一風変わった性格の中国人女性をつくってみました。そのほか、たくさんの架空の人物、実在の人物が、この横糸にめまぐるしくからみます。
それによって、北一輝の性格や行動が、客観的にすこしずつわかってくる、という仕組みです。
北一輝といえば、清朝末期から、中華民国にいたるまでの、中国の情勢を無視するわけにはいきません。漢民族の、革命と新生に賭けたエネルギーの力強さが、、異国の白皙のインテリ北青年にどう影響をおよぼしたか、そしてそれは国情も体制も異なる日本の社会にどうかかわっていったかを、描きたいと思いました。でも、それは、この第一部では、とうとう描けずじまいでした。
第一部は週間漫画サンデーに約半年のあいだ連載したものですが、同誌の内容の性格が次第にかわっていって、この題材があわなくなってきたので、残念ながら中断したのです。
第二部では、日本の軍閥の跋扈と退廃、北青年の失意と上海での執筆活動、そして二・二六事件の青年将の蜂起、という核心に移していきたいと思っています。どこかで連載をやらせてくれないでしょうか。」
内容が濃すぎて心がわななく
これは読む度に、心が震えてしまう。
手塚治虫が自作の解説として、ここまでその思いを吐露することは稀だ。このあとがきを読めば、それ以外の僕のどうでもいい紹介記事など、全く不要。ゴミに等しい。
そして、最後の一行に胸が塞がってしまう。天下の大巨匠が今後の壮大な構想を具体的に語り、更にどこかで連載をさせてほしいと訴えている。
どうしてこの神様・手塚治虫の願いが叶わなかったのだろうか。悔しくてたまらない。
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完成したら大傑作になったに違いない
というわけで、この作品が手塚治虫自身が切望したように、他の雑誌で第二部の連載が再開し、完成していれば、手塚治虫の作品の中でも屈指の大傑作になったであろうことは想像に難くない。
第二の「アドルフに告ぐ」になったのではなかろうか。
どうしても続きを書いてほしかった
本当に残念でたまらない。どうしてもこの先を読んでみたかった。
手塚治虫が描く二・二六事件はどういう様相を見せたのであろうか。北一輝の思想に感化を受けた青年将校たちの思い。そして北一輝が処刑に至る経緯、そこでの北一輝の心情の真実を一切の妥協なく描いてほしかった。
一方で、北一輝の思想の危険な要素と、その後、日本がとんでもない軍国主義国家となってあの戦争に突入していった未曽有の悲劇までをトコトン描き切ってほしかった。
実に惜しい作品。でも残された第一部だけでもその片鱗は垣間見える。どうかお読みいただきたい。
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一輝まんだら(1) (手塚治虫文庫全集) [ 手塚 治虫 ]
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電子書籍は、いつものとおり2種類、出ています。
☟ こちらが電子書籍。手塚治虫作品の電子書籍は2種類出ています。
① 講談社版 770円×2=1,640円(税込)。
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