目 次
「手塚ノワール=黒手塚」について
久々の手塚治虫は「ボンバ!」を取り上げる。この「ボンバ!」は実に暗く、怖い作品である。
手塚治虫には手塚治虫の一般的なイメージとは程遠い極めて暗く、救いようのない作品がいくつもあることは紹介してきたとおりである。
特に「ビッグコミック」に連載してきた青年向けの作品にその傾向が強いことも詳しく説明し、それらの作品を何作も紹介させてもらっている。
「奇子」「きりひと讃歌」などがその典型で、手塚治虫の最高傑作にして僕が愛してやまない「アドルフに告ぐ」だって非常に暗い救いようのない作品と言えるだろう。短編集の「空気の底」や「ザ・クレーター」だってそうだ。
これらの暗くて救いようのない手塚作品は「手塚ノワール(黒手塚)」と呼ばれているが、手塚治虫の熱心なファンは手塚ノワール(黒手塚)を殊のほか愛しているのである。
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「ボンバ!」の暗さは常軌を逸している!?
今回紹介する「ボンバ!」は、「手塚ノワール」の中でも群を抜いた暗くて、陰惨な作品。読んでいて気が滅入ってくる程だ。暗いというよりも、ここにあるのは主人公の絶望の深さから来る怒りの激しさと感情の爆発だ。
相当に強烈だ。そして、これはスリラーでありかなり怖い。人がたくさん死ぬし、街が破壊される。こんな深い絶望感と怒りに満ち溢れた作品をあの手塚治虫が書いていたのかと信じられない思いがする。
だが、それでいて実に魅力的な作品なのである。僕は初めて読んだ時から非常に気に入って、大好きな作品となっている。
暗いのもここまで徹底していると、却ってスッキリするし、読んでいるこちらもモヤモヤ感、イライラ感が吹っ切れる。
しかもこれは人間の深層心理に迫る医学的な要素も濃厚であり、医師であった手塚治虫ならではの作品と呼べるかもしれない。
あまり広く知られている作品ではないが、隠れた傑作、問題作として一部ファンからはカルト的な人気を誇る作品でもある。
プーチンとロシアへの怒りを託したくなってしまう
今回のロシアのウクライナへの侵略戦争への怒り、更にここ数日報道されて明るみになった首都キーウ近郊のブチャや周辺都市での民間人へのあまりにも非道な殺戮行為、ジェノサイドと呼ぶしかない残虐な殺害とレイプなどの鬼畜の振る舞いを知るにつけ、怒りの矛先を収めようがない。
この怒りを一体全体どこにぶつけたらいいのかと考えた時に、この「ボンバ!」が浮上、この憤りと苛立ちを「ボンバ!」に託すしかないと思うに至った。荒唐無稽な発想だとは承知の上で。
「ボンバ!」の基本情報
これは中編作品である。ページ数は148ページ。短編と呼ぶには長いが、手塚治虫としてはかなり短い部類に入る。
1970年の9月から12月にかけて別冊少年マガジンに連載。手塚治虫42歳。既に紹介した短編集の「空気の底」や「ザ・クレーター」の連載が終了し、あの傑作「きりひと讃歌」と並行して連載されていた。つまり手塚治虫屈指の傑作「きりひと讃歌」と「ボンバ!」は全く同時期に描かれていたことになる。
「ボンバ!」がここまで暗いのは
この時代の手塚治虫の苦悩を一身に体現した作品と言っていいだろう。手塚治虫は「あとがき」の中で、かなり具体的にこの頃の状況と心境を書いている。ここまで書くことは手塚としては珍しく、当時の漫画界の貴重な証言でもあるので、該当部分を全て正確に伝えておきたい。漢字表記なども全て手塚治虫の用い方を忠実に再現する。
『この作品を読まれたかたは、暗い、いやァな気分を味わわれたことでしょう。
そう、ぼくの作品には、ある時期、なんとも陰惨で、救いのない、ニヒルなムードがあったのです。
ちょうどそれは、60年と70年安保の間の頃です。はっきりいうと、‘‘新左翼”といわれる若者たちがさかんにゲバをやっていた頃です。また、虫プロや虫プロ商事にトラブルが絶えず、僕はその収拾にかけずりまわって、心身困憊していた頃です。
ぼくはやけくそで、世の中にも、自分の仕事にも希望がもてず、どうにでもなれといった毎日だったのです。
なによりもやりきれなかったのは、‘‘新左翼”支持を表明する一連の漫画・劇画評論家があらわれて、無知なくせに独善的な漫画評をやたらと発表していたことです。名まえはさしひかえますが、彼らの勝手きわまる無礼な解釈のために、実力ある劇画家の何人かは、せっかく脂がのっていたのに、考えこんでかけなくなってしまいましたし、ぼく自身も一方的な中傷だらけでまったく弱りきってしまったのです。
でも、反論しようとすると、周囲がとめるのです。「そんな連中とケンカなどしたら、相手を喜ばせるだけですよ!」というわけで、いっさい無視するほかありませんでした。これらの自称評論家が、白土三平、つげ義春、水木しげる氏らの仕事を袋小路に迷い込ませてしまったのだと、ぼくははっきり信じています。』
手塚本人の言葉以上に雄弁なものはないが、連載された1970年は手塚治虫にとって最も苦しかった時代。自身が経営する虫プロダクションが経営難に陥り、結局は倒産するに至る。それ以上に苦しかったことは、本人の漫画家としてのスランプと人気の凋落にあった。
手塚治虫の書く少年漫画は飽きられ、新たに生まれてきた「劇画」が一世を風靡するに至り、手塚漫画は過去の人と囁き始められていた。そんな憤懣やるかたない思いと不満、怒りがこの「ボンバ!」にストレートに反映されていると言っていい。
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どんなストーリーなのか
中学生の少年男谷(おたに)には、潜在意識が突然、強迫観念のようなかたちで心にあらわれ、馬の幻覚に襲われることがしばしばあった。学校でも担任教師から体罰を受けるなど辛い日々を送っていたが、優しくて美しい水島先生に憧れていた。両親もひどいもので、男谷少年にとって水島先生の存在だけが生きがいとなり、大人になったら結婚しようと強く望むようになる。
暴力教師の鬼頭も水島先生との結婚を希望していることが分かる中、鬼頭の男谷に対する理不尽な体罰はエスカレートし、遂に男谷は鬼頭に殺意を抱くに至る。潜在意識の中で鬼頭の死を願うと、馬が幻覚となって現れた。翌日、鬼頭は水死体となって発見される。
やがて高校生になった男谷の水島先生への思いは強まる一方で、ダメ親父から妨害されるなど、行き詰まった男谷は周囲に憎悪を募らせていく。男谷の幻覚に現れる馬は父親が戦時中に可愛がっていた軍馬のボンバだったのだが、男谷が憎悪する人間の死を願うと、実際に対象者が死んでしまうことが判明してくる。
憧れの水島先生が事故で亡くなると、男谷は自暴自棄に陥り、ボンバに次々と関係者の殺害と街の破壊を命じるのであった。
ボンバの正体とは何なのか。男谷はどうなってしまうのか。最後の最後まで、全く目の離せない奇想天外な展開に、時間を忘れて最後まで一気に読み切ってしまう。
絶望と怒りの深さに共感できる!
僕はこの主人公男谷の絶望と怒りの深さに非常に共感できるのである。
僕だってこういう状況に直面したら、男谷同様に絶望し、深い悲しみと激しい怒りの感情を抑えられないと、本当にそう思ってしまう。この少年の心の痛みが自分のことのように理解できて、男谷の心の痛みは僕自身の心の痛みに同化する。
これはあまりにも残酷でいたたまれない。あのいたたまれない両親と暴力教師。慕っていた水島先生との顛末を知るに、辛いなあ、これは耐えられないなあと思う。
少年の真摯な愛の崩壊。大好きで心の底から尊敬し、信頼していた先生を失ったばかりか、その先生の秘められた姿を知ったとき、僕自身、耐えられるだろうか。
ここまで暗く、救い難いシチュエーションにしなくてもいいのに、と手塚治虫を呪ってしまいたくなる程だ。
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絵と表現力は傑出している
その暗さに手塚治虫自身が背をそむける「ボンバ!」だが、漫画における表現力と絵の素晴らしさは、手塚治虫の頂点ではなかろうかと思われる程だ。ホレボレとさせられる。
絵というか手塚治虫が描く映像が傑出しているのだ。
少年の激しい憎悪の心が生み出した人を殺しまくる荒れ狂う馬の表情やアクション描写も素晴らしいし、コマ送りの妙から、憧れた先生の美しさといい、非の打ち所がない。絵の持つ圧倒的な力、卓越した表現力に圧倒される。手塚治虫の天才を痛感させられる。
少年の深層心理の描写。少年の不安や怒りの感情がドンドン昂ってきて、遂にボンバが出現するに至る心理描写と、それを見事に表現する絵の持つ力が実にスリリングで、読んでいるこっちも一緒に気持ちが昂って来る。
これは優れた才能を持った映画監督が映画にしてくれないかとかねてから切望している。
クリストファー・ノーランかリドリー・スコットあたりなら、どんな映画に仕上げてくれるだろうか。韓国のポン・ジュノ監督でもいいかもしれない。
いや、一番向いているのはあの「ロボコップ」を撮ったポール・バーフォーヴェンだろう。もっともバーフォーヴェンはさすがに歳で、もう実質的に引退しているが残念だ。
こんなふうにプーチンを追い込めないか
最後はこの少年の力で、プーチンを追い込めないかと真剣に願ってしまうのだ。
男谷少年の怒りの矛先をあのプーチンに向けたい!
僕の今の思いはそれしかない。それが叶うならどんなに素敵だろうと思ってしまう。
そして、そんなありえない荒唐無稽な発想でプーチンの力を削ぐことしかできないことに、改めて自分と世界の力のなさに絶望感を感じてしまう。
でも、他に何ができるというのだろう。
せめて、漫画の中だけでもプーチンを滅ぼしてしまいたいと考える自分に愕然とさせられるのだが、それは本音でもある。
今のロシアのウクライナへの暴虐ぶりへの怒りを託すに足る貴重な一編。
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オリジナル版の薦め
この作品を読むには講談社の手塚治虫文庫全集を読んでもらうしかないのだが、この「ボンバ!」には素晴らしいオリジナル版がある。
これを声を大にしてお薦めしたい。
この「ダーク・アンソロジー」と銘打たれた作品集には、「ボンバ!」の他にも、「時計仕掛けのリンゴ」や「ガラスの城の記録」など「ボンバ!」に勝るとも劣らない手塚ノワールの超傑作がオリジナル版の形で揃っている。正に壮観。
本当にお薦め。集められた作品がお薦めなだけではなく、ワイドサイズであることはもちろん、本としての全体の作り、紙の質、印刷の美しさなど本当に最高の水準で感動的だ。
手塚作品のオリジナル版が続々と刊行されていることは前にも紹介したが、それらはいずれも極めて高額で、1冊1万円近いものが多い。それに対して、本書は半額の4,000円強(4,180円)。立東社は極めて良心的な出版社で、この水準を他社の半額で刊行することには大きな拍手を送りたい。
手に取ってもらえば、その素晴らしさが直ぐに分かる。
手塚治虫のファンには声を大にしてお薦めしたい。
☟ 興味を持たれた方は、是非ともこちらからご購入ください。
文庫1,023円(税込)。送料無料。
電子書籍もあります。こちらは文庫と同じ内容の4編が収録されたものと、「ボンバ!」だけの単編の2種類出ています。
880円(税込)。330円(税込)。
ボンバ! 手塚治虫文庫全集【電子書籍】[ 手塚治虫 ] 880円(税込)。
ボンバ!【電子書籍】[ 手塚治虫 ] 330円(税込)。
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