手塚治虫の最大の問題作かもしれない 

今回取り上げる手塚治虫は「上を下へのジレッタ」という作品である。相当、手塚治虫に詳しい人でないと、名前すら聞いたことがないという人がほとんどだろう。

ところが、この「ジレッタ」は、知る人ぞ知る手塚治虫の隠れた問題作として、これ以上の作品は思い浮かばないほど重大な作品である。

衝撃度の深さと時代を何十年も先取りした先進性に度肝を抜かされる。

手塚治虫のファンを自認する人なら、どうしても「上を下へのジレッタ」を読んでもらわないと困る。

手塚治虫には数多の名作、傑作がひしめいているが、時代を先取りした斬新さと奇想天外なストーリー展開で、この作品の右に出るものは多くはない。あまりのユニークさとシュールさに衝撃を受け、言葉を失ってしまうこと必至だ。

我が家にある「上を下へのジレッタ」。講談社の手塚治虫全集と分厚な完全版。
我が家にある「上を下へのジレッタ」。講談社の手塚治虫全集と分厚な完全版。上下2巻の文庫本もあったが、見つからない。
立てて横に並べた写真
立てて横に並べるとこんな感じだ。
立てて斜めから写した写真
とにかく「完全版」の分厚さに圧倒されてしまう。

黒手塚(手塚ノワール)とは一線を画す

この作品は、いわゆる黒手塚(手塚ノワール)なのだろうか?

人間への根強い不信感が根底にあるという意味では黒手塚と言えなくはないが、「ジレッタ」は残酷さとか人間に対する絶望感とか、究極の暴力とか、そういう深刻かつ強烈な世界観とは一線を画していて、極めてシュールでありながらも、冒頭から突拍子もない抜群のユーモアと滑稽さに満ち溢れている

ギャグマンガというのが一番分かりやすいだろうか。

いくら内容的に過激でも、ギャグマンガを黒手塚と呼ぶことはできない。

人間への深い不信感と嘲笑に満ち溢れているが、他の黒手塚作品とは明らかに別物、違うカテゴリーに区分けするのが適切だろう。

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「人間ども集まれ!」の姉妹作

以前、この「手塚治虫を語り尽くす」シリーズで「人間ども集まれ!」を取り上げているが(手塚治虫を語り尽くす⑦)、実は「ジレッタ」は手塚治虫全作品の中でも屈指の傑作である「人間ども集まれ!」の続編と呼ぶべき作品である。

したがって「人間ども集まれ!」に見られた特徴を、「ジレッタ」は何から何までしっかり引き継いでいる。

とんでもないシュールなSFにして、ギャグ漫画というテイストも全く一緒だ。

「人間ども集まれ!」をブラックユーモアの極致と評したが、これも「ジレッタ」にそのまま当てはまる。

いかにも深刻なテーマを扱いながらも、決して悲劇的にならず、いつもカラッとした明るさが付いてまわる。

絶望の中にある深刻にならない乾いた冷笑こそが真骨頂だ。突き放している感がある。

そういう意味では、「ジレッタ」のブラックユーモアは、「人間とも集まれ!」と同様にあのスタンリー・キューブリックの「博士の異常な愛情」に極めて近いものがある。

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「上を下へのジレッタ」の基本情報

掲載雑誌は実業之日本社が発行していた漫画サンデー。連載期間は1968年8月14日号から69年9月10日号まで、ちょうど1年間手塚治虫は40歳だった。

「人間ども集まれ!」はその直前まで1年半に渡って同じ漫画サンデーに連載されており、手塚治虫のいつものごとく、「人間ども集まれ!」の連載終了の直後から「上を下へのジレッタ」の連載が始まった。

手塚治虫が起死回生を掛けて、ビッグコミック誌に青年・大人向けの作品を連載し始めたのは1968年、40歳の時のこと。その第1作「地球を吞む」と全く同時期に「上を下へのジレッタ」は連載されていた

「人間ども集まれ!」と「上を下へのジレッタ」が、ビッグコミックの一連の名作群を誘導したと言ってもいい。

その意味で、手塚治虫の作品の中では非常に珍しい大人マンガのタッチで描かれた「人間ども集まれ!」と、「上を下へのジレッタ」の両作品は、手塚治虫の全作品を通じても、特別に重要な意味を持つ傑作として、もっと知られ、広く読まれなければならないものだ。

講談社の手塚治虫全集の全2巻
講談社の手塚治虫全集の全2巻。表紙の絵は空腹時の美しい小百合チエ。
立てて背表紙を写した写真
立てて背表紙を写す。「完全版」の分厚さと大きさに圧倒される。

どんなストーリーなのか?

テレビのやり手ディレクターの門前市郎は野心家で、それ故に失敗も多く、今回も大失敗をやらかしてクビの憂き目に。だが、そんなことではへこたれない。

歌手を目指して田舎から上京した醜い容姿の小百合チエを押し付けられて困っていたところ、驚嘆すべき事実が伴明。

チエは、空腹になると絶世の美女に変身する。大食漢で腹っぺかしのチエは、直ぐに食べようとするが、食べた途端に元の醜い姿に戻ってしまう。

この美人姿のチエをデビューさせて一儲けを企む門前。人前では常に空腹にさせておかなければならないため、チエを言い含めながらいつも四苦八苦させられる。

チエには、同郷の漫画家アシスタントの山辺音彦という冴えない恋人がいた。彼は普段の醜いチエが好きで、事あるごとに門前と衝突するが、ある日、アクシデントで山辺はビルの工事現場の特殊な空間に放置されてしまう。死んだと思われていた山辺はそこで特殊な能力を身に付ける。それがジレッタだ。

山辺が見る妄想が特別なもので、それをヘッドホンの装着で他人も共有できる。その映像体験が唯一無二のものと判明し、門前はそれを使ってテレビ界を席巻することを目論む。やがてジレッタの世界が世に知られ、政府までそれを利用しようと門前に近づいてくる。

壮大な事業展開に取り憑かれた門前の野心は限りなく広がり、遂にとんでもないことを考え出す。それは人類の生存をも脅かすものだった。果たしてどうなってしまうのか?

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小百合チエの「秘密」の造形が抜群

読み始めて最初に驚かされるのはヒロイン小百合チエの造形だ。チエの信じ難い「秘密」。普段は醜い容姿なのに、空腹になると絶世の美女に変身する。

このギャップは相当なもので、漫画の中の門前市郎も度肝を抜かされたが、我々読者もこんなアイデアを思いつく手塚治虫の天才ぶりに驚嘆してしまう。

こんな表現を可能にしたのは、漫画という媒体ならではのこと。実写では到底受け入れられないだろう。

漫画だからできた。手塚治虫は嬉々として、このアイデアを全面展開させる。醜いチエと絶世の美女の極端な対比が何ともおかしい。

実際の漫画からの転載①。門前が初めて小百合チエの変身を目撃する重大なシーン。
実際の漫画からの転載①。門前が初めて小百合チエの変身を目撃する重大なシーン。
実際の漫画からの転載②。門前と美しい姿の小百合チエ。
実際の漫画からの転載②。門前と美しい姿の小百合チエ。
実際の漫画からの転載③。門前と本来の醜い容姿の小百合チエ。
実際の漫画からの転載③。門前と本来の醜い容姿の小百合チエ。

 

手塚治虫自身も、本作のあとがきの中で、「腹がへったら美人になる、というアイディアは、自分ながらまあ上出来だと思います。女性が美人になるために減食したり、カロリーをとらない、という涙ぐましい努力をパロッたものです」と書いている。

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魅力的な登場人物が続々登場

「主人公の門前市郎」はとんでもない野心家で、この奇想天外のストーリーは全て彼の果てしない欲望が原点。一般的に言えば悪人中の悪人という許し難いキャラクターだ。

この作品が今一つ人気に恵まれなかった要因として、「門前が悪役というのもマイナスだった」と手塚治虫自身が語っているが、果たしてそうだろうか?

僕はこの門前に魅力を感じてしまう。自分の飽くなき欲望にどこまでも正直で、どんな苦境に陥ってもひるむことなく、常に前を向いて全力投球。その驚くべきバイタリティには脱帽だ。

チエとリエはどちらも愛おしい

「ヒロインの小百合チエ」は愛おしい。門前に利用され続けながらも、さえない漫画家アシスタントの山辺への純愛を貫ぬき通す姿には、時に爆笑してしまうが、感動を呼ぶ。

もう一人魅力を放つ愛おしい女性がいる。離婚した「門前の元妻リエ」。欲望の塊の門前に嫌気がさしながらも好きでたまらない。最後に遂に目覚めて、門前と完全に手を切ろうとするのだが・・・。

「ジレッタを生み出すチエの恋人の山辺」は、今ひとつ掴みどころのない人物だが、敢えてそう設定したのだろう。

「人間ども集まれ!」で重要な役割を演じた「剛腕マネージャーの木座神」が再び登場するのも、手塚治虫の遊び心だろう。

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手塚が描いた大人マンガの傑作

この作品の絵が、いつもの手塚治虫とはまるで違うことは、誰が見ても一目瞭然。手塚治虫らしい絵を一切封印して、いわゆる大人マンガの絵を貫いていることが最大の特徴だ。

この作品はギャグ漫画、徹底したコメディだ。実態はブラックユーモアなのだが、一見ドタバタコメディそのもの

「人間ども集まれ!」もそんな大人マンガで書かれていたが、「ジレッタ」もその路線をそのまま引き継いでいる。この両作品は連続して描かれた姉妹作なのである。

「大人マンガ」という絵のタッチ

「人間ども集まれ!」でも触れたことだが、絵のタッチの違いについて再度簡単に触れておきたい。

「大人漫画(マンガ)」というジャンルがある。

これは僕がこの「手塚治虫を語り尽くす」で繰り返し紹介してきた手塚治虫の晩年の青年・大人向けの漫画とは意味が全く異なる手塚治虫がビッグコミック等に連載した青年・大人向けの漫画、つまり「大人向け漫画」と「大人マンガ」は全く別の概念だ

手塚治虫の「大人向け漫画」は、テーマが少年向きではなく、青年または大人を読み手の対象にした漫画である。一方、「大人マンガ」は、もちろん内容的にも大人向けの作品が多いのも事実だが、問題は絵のタッチで、ほとんど背景のない細くて柔らかな線で描かれた軽いタッチが特徴

小島功の絵、カッパの出てくるあの黄桜のマンガが代表例だと言えばイメージが湧くだろう。劇画の対極にあるタッチである。

何度か大きなスランプに陥り、試行錯誤を繰り返してきた手塚治虫にとって、大人マンガで描くことは大胆な挑戦だっただろうが、チャンスでもあった。

本人も大人マンガは簡単に書けるので、まんざらでもなかったようだ。

実際の漫画からの転載④。大人マンガのタッチはこんな感じ。チエの恋人でジレッタを生み出す山辺音彦。
実際の漫画からの転載④。大人マンガのタッチはこんな感じ。チエの恋人でジレッタを生み出す山辺音彦。
実際の漫画からの転載⑤。大人マンガのタッチが良く分かる1ページ。醜い姿のチエも愛おしい。
実際の漫画からの転載⑤。大人マンガのタッチが良く分かる1ページ。醜い姿のチエも愛おしい。真剣に山辺を愛している。

 

長編では「人間ども集まれ!」と「上を下へのジレッタ」の2作品。短編では「フースケ」シリーズなど、手塚治虫の膨大な作品の中では目立たないが、読んでみるとこれが結構おもしろく、癖になりそうな魅力を備えている。

手塚治虫漫画全集の「人間ども集まれ!」のあとがきから、本人の言葉を引用しておく。

「なぜこういう画風でかいたか、という点については、(中略)なによりも、それまでのぼくの漫画の画風に限界を感じていたからです。子どもむけの、あかぬけしない、ごちゃごちゃしたペンタッチから、ぬけだしたいとも思っていたからです。(中略)漫画家もだんだん年をとっていくと、若いときのようなこまかな線がなかなかかけなくなるといいます。ぼくの場合、たしかに目がわるいせいもあって、こまかいペンタッチにはしだいに苦痛を感じてきたわけで、この「人間ども集まれ!」や「フースケ・シリーズ」のようなかき方は、たいへん気らくに、気をはらずにかくことができました。(後略)」

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テーマはずばりバーチャル・リアリティー

「ジレッタ」の斬新性は、チエの変身ぶりもさることながら、何と言っても山辺の見る妄想そのものと、それを第三者が共有し、山辺の妄想空間をエンターテイメントとして商売にしてしまおうという発想に尽きる。

これは正に今日いうところの、バーチャル・リアリティそのものである。仮想空間をエンターテイメントにするという人類が漸く最近、現実的なものとし始めたバーチャル・リアリティを、手塚治虫がものの見事に突き詰めた。

この作品の発表は、1968年から69年にかけて。今から、55年以上も前のことである。

手塚治虫は半世紀以上も前に、これを予測していた。驚くべきことだ。

しかもバーチャル・リアリティの世界を垣間見せただけではなく、上下2巻の長編漫画にして、その行き着く先まで一気に描いてみせた

それが決して人類に幸福をもたらすものであるどころか、人類の滅亡に繋がる危険性にまで踏み込み、妥協せずに描き切った。

このあまりにもぶっ飛んだ作品に、手塚治虫の頭の中を覗き込みたくなる。

本当にこの人は、異次元の天才だった。

あまりにもシュールな世界観

半世紀以上も先取りしたバーチャル・リアリティの世界は、あまりにもシュール。山辺の妄想を利用して、自らの野心を満たそうとする門前の欲望は限りなく広がって、次々ととんでもない妄想を展開させていく。

突拍子がなくて、シュールとしか言いようがない。手塚治虫の頭の中にこういう妄想が詰まっていたのだろう。空恐ろしい。

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前半の秀逸な展開が途中で破綻の難

想定を許さない奇想天外なストーリー展開に唖然となるが、実は少し難もあることには触れておく必要がある。

途中で少しストーリーが破綻してしまう。

いや、破綻ということでなく、あの前段の小百合チエの醜い姿と絶世の美女との頻繁な変身ぶりが、後半に入ると少し影を潜めてくる。

その後も変身は繰り返すのだが、その変身そのものが、ストーリーそのものの中核に絡んでこない不満が否めない。

前半はその点が非常に興味津々でワクワクさせられたが、後半になるとジレッタの隆盛の方に感心が大きく傾いて、大切な点が弱くなってしまうのが残念だ。

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絶版の「完全版」が凄い出来栄え

かつて「上を下へのジレッタ」の「完全版」という分厚い本が出ていた。2008年、手塚治虫生誕80周年記念だった。

これが何とも貴重な素晴らしいもの。

全集に収められた最終版と、漫画サンデーに連載されたオリジナルがそっくりそのまま、2本丸々完全収録されている。

更にもう一つ、別のエンディングまで収録されている。「ジレッタ」にはラストシーンが3つもあったのだ。

加えて、巻末の著名人による解説が圧巻だ。

「完全版」の表紙の写真。
「完全版」の表紙。左右に小百合チエの2種類の姿。分かりやすい。帯の太田のコメントが凄すぎる。
「完全版」の裏表紙の写真。
「完全版」の裏表紙。キャッチコピーがズバリだ。錚々たる解説者の名前にビックリ。手塚治虫の生誕80周年記念で出版された貴重な1冊。

 

これは必ずしも「ジレッタ」の解説やエッセイに限らないのだが、小松左京、筒井康隆、豊田有恒、香山リカなど各界の錚々たる著名人による手塚治虫の分析や賞賛だ。

中でも爆笑問題の太田光のコメントが凄い

その一部が帯にも掲載されているが、このキャッチコピーのような短い数十字だけで、手塚治虫のとてつもない巨大さと天才ぶりが表現され尽くされている。

これを読んで、太田光という人は凄い奴だな、と心から感心してしまった。

爆笑問題の太田光の手塚治虫へのコメント

(前半略)
「手塚治虫が天才であるということは、それを言う側もすでに言い飽きていて、言う度に自分の言葉の陳腐さにウンザリするのであるが、こうして今になって自分の知らない作品に出合ったりすると、改めてまた”天才”という言葉を繰り返すしか術がない。

手塚治虫は、大山脈で、しかもその全てが活火山だ。亡くなってからこれほど時間がたつのに、我々はその山の標高すら、未だに把握出来ていない」

古本でも、見つけたら即入手すべし

手塚治虫ファンなら、これだけは手元に置いておきたい。これだけ中身の充実した完全版(オリジナル版)は滅多にない。

「完全版」を立てて手前から撮影。
「完全版」を立てて手前から撮影。この真っ白な紙と分厚さが魅力。

 

手塚治虫ファン垂涎の1冊。今となっては古本でしか入手できないが、古本屋でもネットでも見つけたら迷わずに購入してほしい。家宝に値する1冊だ。

手塚の未曽有の天才で可能となった前衛漫画

この漫画はちょっと考えられないほど異形であり、その奇想天外なシュールぶりは、全手塚治虫作品を通じても空前のものだ。

常軌を逸している、と言ってもいい。あまりにもぶっ飛んでいる。

絶対にへこたれない野心家の主人公が成功と名声、富を求める欲望の果てに起きる事態。全く想定外だ。

よくぞ、こんなぶっ飛んだストーリーを思いついたものだ。手塚治虫の未曾有な天才ぶりに、開いた口が塞がらない。

手塚治虫に興味はあるが、「ジレッタ」をまだ知らないという人は、どうかこの機会に騙されたと思って読んでみてほしい。

 

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上を下へのジレッタ (手塚治虫文庫全集) [ 手塚 治虫 ]

 

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① 講談社版
880円(税込)。


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330円(税込)×2冊。


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