黒手塚を代表する中編の衝撃作 

「手塚ノワール」とも呼ばれる「黒手塚」をかなりたくさん取り上げてきた。主だったものは大体紹介してきたが、まだまだいくつも残っている。

その中でも、衝撃度から言ったらトップクラスの中編と短編があるので、今回はその中編の方を紹介したい。短編は次回取り上げることにする。

その中編のタイトルは「鉄の旋律」だ。あの衝撃作「ボンバ!」とほぼ同じ長さの作品だ。実は、内容的にも「鉄の旋律」は「ボンバ!」と非常に共通する部分があって、両者は兄弟というよりも双子のような関係にある。

「鉄の旋律」ほどやりきれなくて、暗い話しはない。それは「ボンバ!」以上と言っていい。

マフィアからひどいリンチを受けて、両腕を失った男が復讐を果たそうとする話しだが、それが思わぬ方向に向かっていくというショッキングな話しである。

残酷さも半端なものではなく、相当ショックを受ける可能性が高いので、あらかじめ覚悟が必要だ。

我が家にある「鉄の旋律」2種類の写真
我が家にある2種類の「鉄の旋律」。

「鉄の旋律」の基本情報

掲載雑誌は増刊「ヤングコミック」である。連載時期は1974年の6.25号から1975年の1.7号までの約半年間。手塚治虫46歳である。この1974年という年には注目だ。

長い「冬の時代」が終結して、手塚治虫が見事に復活を果たす記念すべき年の翌年に当たる。

手塚治虫の復活のエポックメーキングはもちろん「ブラック・ジャック」の連載である。1973年の11.19号の「週刊少年チャンピオン」で、記念すべき「ブラック・ジャック」の第1話が発表された。

この「ブラック・ジャック」の連載が契機となって、手塚治虫は復活を遂げることになるのだが。

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「ブラック・ジャック」連載後の黒手塚

この黒手塚の極点とでも呼ぶべき悲惨な中編が、何と「ブラック・ジャック」連載後だったことを改めて確認して、正直驚いてしまった。

詳しく調べると、「ブラック・ジャック」が最初に登場した1973年11月から、「鉄の旋律」の連載が始まるまでの約半年間に「ブラック・ジャック」は28作が発表されている。初期の力作が毎週続々と発表されていた頃である。

そんな復活後の幸福であるはずの時期にこんな暗くて救いようのない作品を描いていたことが不思議でならない。

実は、「ブラック・ジャック」は連載の当初はまだ人気がなくて、当時の「少年チャンピオン」誌の中でも最低レベルだったという。人気に火が点き始めるのは50本程が発表されてからだったというのが真相だ。

というわけで、この頃の手塚治虫はまだ黒手塚を描き続けていたのである。

つまり「ブラック・ジャック」連載開始と同時に手塚治虫の人気が再燃したわけではなかったのだ。ブラック・ジャック」は全体で243話もあるので、その最初の10分の1、連載開始から半年では、まだ人気の復活には至っておらず、完全復活を遂げたとは言えなかった。

ヤングコミック誌に発表された手塚作品

少年画報社が発行する月刊漫画誌「ヤングコミック」に手塚治虫が発表した作品は、意外にも非常に少なくて3本しかない。それが今回取り上げる「鉄の旋律」と、後は短編として1回読み切りで書かれた2本の作品だ。

その3作品が揃って1冊に収めれている気の利いた文庫本が、角川文庫から出ていて重宝している。

いずれも非常に暗く、救い難い黒手塚の極北に位置づけられるようなダークな作品ばかり。どの作品にも戦争との関りと政治不信が色濃く漂っていること点が特徴だ。

「鉄の旋律」は「ブラック・ジャック」と並行して描かれていたが、他にもこの「手塚治虫を語り尽くす」で紹介した作品でいうと、例のビッグコミック誌に連載された「シュマリ」と「一輝まんだら」がほぼ同時連載となっている。かなり脂が乗っていた時代である。

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どんなストーリーなのか

主人公のタクヤは親友のアメリカ人エディと妹の亜理紗との結婚を許したが、エディはマフィアの御曹司だった。思わぬ経緯から知らないうちにマフィアの誓いを破ってしまったタクヤは、マフィアから酷いリンチを受け、両腕を失ってしまう。エディは助けるどころか率先してリンチに加わったことで、タクヤは復讐の鬼と化す。

ある異能の科学者と知り合い、苦節の末に念力で動かすことのできる鉄製の義手を入手タクヤは、エディへの復讐を果たそうとするが、事態は思わぬ方向に進展。タクヤの憎しみが潜在意識となって、義手がタクヤの意思とは別に勝手に暴走し始めてしまう・・・。

第一級のサイコスリラー

130ページちょっとの短い中編だ。それほど入り組んだ複雑な話しではなく、簡潔明瞭なのだが、単なる復讐譚ではなく、想定外の方向に進んでいくサイコスリラーというか、サスペンスが展開される。

人間の強烈な憎しみが潜在能力となって、本人の知らないうちに勝手に暴走し始め、最後には本人自身も制御できなくなってしまうという恐るべき世界。

超能力とオカルトへの大ブームが背景

あのユリ・ゲラーの登場はアメリカで1973年、初来日は1974年のこと。世の中はスプーン曲げなどの超能や念力で離れた物を動かすことなどへの超能力への関心が異常なまでに高まっていた。

更にあのフリードキン監督によるホラー映画「エクソシスト」が日本で公開されたのも1974年の7月であり、以後オカルトとホラーで日本中が大盛り上がりに。

正に「ユリ・ゲラー」ブームと「エクソシスト」の大ヒットは、「鉄の旋律」の連載と同時期なのである。

そんな影響も間違いなくあって、人間の人智を超えた霊や魂、人間の潜在能力の計り知れない力、超能力への関心がこの作品のベースになっている。

人間感情、特に計り知れない憎しみと究極の潜在能力、超能力とが結びついたら一体どうなるのか?その答えが「鉄の旋律」と言っていいだろう。

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中編ながらも黒手塚の極点!

超能力とオカルトの大ブームを背景に、連載直前まで大変な苦境に立たされ、苦悩の真っ只中にいた手塚治虫が結びつくと、かくも強烈な黒手塚の世界が出現する。

「鉄の旋律」は短いながらも黒手塚の極点と言ってもいいダークで残酷な作品だ。その描写に甘っちょろい妥協はなく、情け容赦ない残酷で救い難いシーンが続出する。

タクヤの憎しみの深さは半端じゃない。その底知れない憎しみが潜在能力となって、念力で動かすことができる義手が、その念力を超えて制御不能な殺戮マシーンと化してしまう。

全ては憎しみの深さ、強烈な復讐心に尽きる。あの「ボンバ!」もそうだった。本当に「ボンバ!」と「鉄の旋律」は根底に流れるものが同一の双子のような存在だ。

手塚治虫の闇の深さを痛感させられる2作品である。

妹の亜理紗があまりにも哀れ過ぎる

この作品には多くの人物が登場するが、中心をなすのは主人公のタクヤ敵役のマフィアのエディ。そしてエディとの結婚を願ったばかりにタクヤを地獄に落とすことになる妹の亜理紗の3人だ。

その中で、妹の亜理紗が哀れ過ぎる。兄を心配し、どうしようもないマフィアのクズ男に監禁生活を強いられながらも、全ての真相を知った後で、この両者を和解させるために尽力する。

そのけなげな姿が感動的だ。この3人の最後、それは実際に読んでもらうことにしよう。

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辛うじて救いもある

こんな救いのない暗過ぎる残酷ドラマの中にも、一縷の望みというか救いがあることには注目してもいいだろう。

両手を失って復讐心に駆り立てられながら自暴自棄の生活をしていたタクヤを、義手を製作する異能の科学者に引き合わせる黒人のバーディ。両足を失っている彼の存在が、このダークなドラマの中で、異彩を放つ希望と救いの星だ。

バーディはベトナム戦争で「北のやつらを25~6人は殺したろうな。お返しに足をブッ飛ばされた。おれは長い間、ベッドの上で敵を憎んだ。だが、ある日、敵はもっとおれを憎んでいるだろうと思った。やつらにとってはおれを殺すことが正義なんだ・・・」と過去の経緯を話し、

「おれが相手を憎み、そいつがおれを憎み・・・憎しみが百人も千人も増えていったら、この世の中は・・・憎しみ合い、殺し合いになってまうだろうな」と、タクヤに復讐を止めるように静かに説得するのだが、復讐に燃えるタクヤの心には届かない。

「まだ思いとどまる時間はあるぜ、兄弟」というバーディの言葉が響く。

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第一級のスリラー・アクション映画そのもの

この138ページの手塚治虫のオリジナル漫画はそのままで第1級のサイコスリラー、アクション映画と言ってもいい。漫画を読んでいて、映画を観ているのと何ら変わらない錯覚すら覚える

漫画の中のどんなシーンも、そのまま映画の1シーンになる。映画そのものだ。

手塚治虫の映画的な発想と感覚が最大限に発揮された作品と言ってもいいだろう。元々映画を熱愛していた手塚治虫は漫画で映画を表現したと言うしかない。

「鉄の旋律」からの1シーン①
「鉄の旋律」からの1シーン① この時期の手塚治虫の画力には驚嘆してしまう。
「鉄の旋律」からの1シーン②
「鉄の旋律」からの1シーン② これは映画そのもの。手塚治虫が漫画で表現する映画と言っていいだろう。
「鉄の旋律」からの1シーン③
「鉄の旋律」からの1シーン③ 正に映画そのもの。手塚治虫はこういう構図が大好きだった。それにしても決まっている。

辣腕監督による映画化を切望する

そうは言いながらも、この第一級のサイコスリラーとアクションを実写化して映画にしてほしいと切望してしまう。主役は3人いるし、それ以外にも残酷なマフィアの連中や怪しげな科学者、そして希望の人も一人はいる。刑事コロンボそのものの日本の刑事も出て来るし、これは十分に観客を集めることのできる超傑作になると思われてならない。

監督を誰にやってもらうのか。「ゴッドファーザー」3部作を作ったフランシス・フォード・コッポラが最適だろうが、さすがに今となっては不可能だ。

僕が私淑しているクリストファー・ノーランか、サム・メンデスあたりが監督してくれたら素晴らしい映画の誕生となりそうだ。デヴィッド・フィンチャーでもいいだろうし、思い切ってジョン・ウーでも最高かもしれない。

そんな見果てぬ夢がとめどもなく広がっていく。

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秀逸なサイコスリラーとアクション

確かにこれは暗くて、救い難い黒手塚の極北に位置する作品と呼ぶべきものだが、残酷なシーンは頻出するが、サイコスリラーとして実に興味深く、アクション漫画としても秀逸だ。

読んでいて、こんなにハラハラドキドキさせられる手塚作品もそう多くない。是非とも手塚治虫の隠れた大傑作を堪能してほしい。

 

☟ 興味を持たれた方は、どうかこちらからご購入ください。

◎ 角川文庫版 481円(税込)。送料無料。
この角川文庫は1995年10月に発売されたもので、以来約30年近く経過しているが、今でも現役で生き残っていることが判明。

正直驚いた。実は、続いて取り上げたい2本の短編もこの文庫本に収録されていて、この1冊で2本の記事で取り上げる3作品を網羅できる。これは是非ともご購入いただきたい素晴らしい1冊。
いつもは手塚治虫作品を読むに当たって、文庫本を否定している僕だが、これだけは別だ。

これが生き残っているだけでも奇跡。今、直ぐに注文してほしい。


鉄の旋律 (秋田文庫) [ 手塚治虫 ]

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これは何とあの「奇子」の下巻(②)に収録されている。

「奇子」を既にお持ちの方は、後半に併録されているので是非読んでほしい。「奇子」は言うまでもなく手塚治虫全作品中でも最大の問題作にして屈指の大傑作なので、もし読んだことがないのなら、この機会に併せて読んでほしい。これは必読の手塚治虫作品である。


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