目 次
あの田中信昭が亡くなったしまった!
あの田中信昭の突然の訃報に接した。2024年9月17日(火)の朝のことだった。
僕が読んだ読売新聞オンラインの記事を、そっくり転載させてもらう。
「戦後日本の合唱界をリードした指揮者で文化功労者の田中信昭(たなか・のぶあき)さんが12日死去した。96歳だった。葬儀は近親者で行う。5日に自宅で転倒して入院後、退院したばかりだった。
1956年、東京芸術大卒業と同時に東京混声合唱団を設立し、常任指揮者に就任。柴田南雄、武満徹、三善晃ら多くの作曲家に新作を委嘱し、計460曲に及ぶ現代曲を初演した。たびたび海外公演を行い、オペラ指揮も手がけた。
97年に同合唱団の桂冠(けいかん)指揮者となり、2007~13年には音楽監督を務めた。母校のほか、桐朋学園や国立音楽大でも教べんを執るなど、晩年まで日本の合唱界を代表する顔として活躍した。
今年8月31日、東京で同合唱団を指揮したのが、最後の公演となった。16年文化功労者。」
簡潔ながらもポイントを良く押さえたいい記事だと感心した。
そう。田中信昭は日本の合唱と、日本人作曲家が作曲したオリジナルの合唱曲が世界に冠たる高みを極めるに当たって決定的な役割を演じた、日本の合唱界にとって神のような存在なのである。
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田中しんしょうさんと呼ばれた合唱界の神
田中信昭の本名はもちろん「たなか・のぶあき」なのだが、合唱に関わる人は誰一人として「のぶあき」とは読まず、みな「しんしょうさん」と親しみを込めて呼んだ。
その「しんしょうさん」は、90歳を超えるご高齢になっても、矍鑠としてすこぶる元気だったのだが、突然の訃報に接して言葉がない。
大変なショックを受けている。
享年96歳と聞いて、天寿を全うした大往生に間違いなく、悲しむというよりも、むしろあらためてその絶大な功績と天寿真っ当に祝意を表さなければいけないのだろうが、僕は田中しんしょうさん、いや、田中信昭先生から個人的にも大きな影響を受けていて、冷静にはいられない。
僕としんしょう先生とのエピソードについては、後で詳しく書かせてもらうことにして、先ずは田中信昭の功績をもう少し具体的に掘り下げてみたい。
田中信昭と東混(とうこん)
田中信昭の華々しい合唱活動の皮切りは、東京混声合唱団の設立である。
田中は東京芸大を卒業して直ぐに仲間と東京混声合唱団を設立した。これが日本の合唱史に残るエポックメイキングである。
仲間と合唱団を設立することなら、誰にでもできる。僕でさえ、自分で合唱団を設立した。
田中信昭が設立した「東混」(とうこん)こと東京混声合唱団は、特別な意味を持った合唱団であった。
日本で例をみないプロ合唱団の誕生
それは日本で初めてのプロの合唱団だったのである。
1956年のこと。今から70年近く前のことだけに、当時、日本に合唱団がどれだけあったか分からないが、その当時にプロの合唱団が他にはなかったことは間違いない。
今日、日本には合唱団の数がどれだけあるのだろうか?
小中高大などの学校内に設立されたものや職場に設立された合唱団以外の、好きな有志が集まって作られた合唱団を、日本ではなぜか「一般合唱団」と呼んでいる。
その一般合唱団の数が、現在、日本全国にどれだけあるかは正直言って想像すらできない。
あくまでも想像の域を出ないが、1万、2万という数になるのではないだろうか?
そんな星の数だけあるような膨大な数の合唱団にあって、プロの合唱団というのはほんの僅かしかない。
日本の合唱団のほとんど、限りなく全てに近いほとんどの合唱団は、アマチュアなのである。
僕自身も自分が設立した合唱団がアマチュアなのはもちろん、僕は歌い手としても学生時代から50代まで日本のトップレベルの合唱団にいくつも所属してきており、全日本合唱コンクールで金賞日本一に輝いたことが2回あったが、どちらの合唱団ももちろんアマチュアだった。
日本の合唱はアマチュアが支えている。
そんな中にあって、しかも今から約70年近く前、終戦から10年ちょっとしか経っていなかったあの時代に、田中信昭がプロの混声合唱団を設立したことの画期的なことについては、どれだけ褒め称えても称え過ぎということはない。
繰り返しになるが、その後の日本の合唱の世界に冠たる隆盛を決定付けたエポックメーキングになったのだ。
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何が偉大で、凄かったのか?
田中信昭と東京混声合唱団がその後の日本の合唱繁栄の契機になったというその活動は、どこが偉大だったのか?どこが凄かったのだろうか?
それには2つの側面があると僕は考える。
① 合唱団としてのスキルがめちゃくちゃ高かったこと。ほとんどのメンバーは東京芸大の声楽科を出た歌うことのスペシャリストだった。
素晴らしい声と圧倒的なアンサンブルを誇った。
② もう一つは、専門の声楽家集団であるプロ合唱団の活動に相応しい、極めて芸術性の高い名作にして、演奏するに当たって技術的にも超難解なオリジナルの日本語による合唱曲を、新進気鋭の若手作曲家たちに委嘱しまくったこと。
特にこのプロの合唱団でなければ演奏できないような極めて難解な合唱作品を若き邦人作曲家たちに委嘱して、競い合わせるように作曲させたことは、実に画期的だった。こうして生まれた数多の名曲は数え切れない。
田中信昭と東京混声合唱団の、他の合唱団では決してなし得なかった最大の功績である。
日本人作曲家への委嘱を推進した田中信昭
田中信昭が東京芸術大学を卒業後、芸大の仲間を集めてプロ合唱団である東京混声合唱団を設立したのは1956年。昭和31年である。
1945年、昭和20年の終戦からまだ約10年しか経っていない。
そんな時代に田中信昭はプロの混声合唱団を立ち上げて、プロに相応しい音楽的にも技術的にも極めて演奏困難な難曲を、これまた新しい時代に何を作曲すべきか模索していた若手作曲家たちに依頼して、大変な名作や問題作が世に放たれることになった。
歴史に残る珠玉の名曲が量産された
こうして、日本の合唱界に後世に残るべき数々の名作、傑作、問題作が生まれることになった。
あれから70年近く経過した今日からみると、本当にその委嘱活動の意義と功績は計り知れないものだったことが良く分かる。
委嘱され作曲された当時は技術的にあまりにも難解過ぎて、プロ集団である東京混声合唱団でなければ歌えなかったものが、やがて力を持った優秀なアマチュア合唱団が続々と出現し始め、これらの作品を歌いこなせるようになっていった。
全国展開された全日本合唱コンクールともうまい具合に絡み合って、その後の世界に冠たる日本の極めてレベルの高い合唱文化が醸成されることとなった。
冒頭の読売新聞オンラインの訃報にも載っていたが、田中信昭のプロフィールを調べると、田中信昭が日本人作曲家に委嘱し、初演等に携わった作品数は、必ずしも東混だけに限らないのだが、何と460曲にも及ぶという。
ちょっと信じ難い数である。これだけの数の日本語によるオリジナル合唱作品が生み出されたわけである。
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たくさんのCDが販売されている
これらの田中信昭と東混が世に送り出した名作・傑作・問題作の多くがCDとして多数販売されている。
廃盤になってしまったCDも多いが、現在でも入手できるものも多いので、聴いていただけると嬉しい。
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天才作曲家を育てることにも貢献した
このことは、気鋭の日本人作曲家を育てることにも大きく貢献することにもなった。今流の言い方をすればウィンウィンの関係、相乗効果として合唱団にも作曲家にも至福の結果をもたらしたのである。
もちろん田中信昭という指揮者にとっても。
この功績だけでも、しんしょうさんには、どれだけ感謝しても感謝し切れない。
三善晃と間宮芳生の名作群は田中信昭のおかげ
これらの委嘱作品はいずれも、技術的にあまりにも難解だということはあっても、音楽的にも、芸術的にも非常に傑出した音楽史に残る至高の名作がズラリと並んでいる。
特に、今日では古典的な名作との評価が確立した三善晃や間宮芳生の作品群は、そのほとんどが田中信昭と東混の活動の中から生まれた作品である。
三善晃の「嫁ぐ娘に」「小さな目」。「三つの抒情」「五つの童画」など、至高の作品が誕生した。
三善晃の名作群と並んで僕が愛してやまない間宮芳生の「合唱のためにコンポジション」シリーズ(現在は第16番まで作られている)も、そのほとんど全てが田中信昭と東混の委嘱の中から生まれたものだ。
林光の「原爆小景」という脳天から楔を打ち込まれたかのような衝撃を受ける圧倒的な名作も、田中と東混である。
これらの問題作にして音楽史に残る至高の名作がなかったら、日本の合唱はいかにもつまらないものになってしまっていたのではなかろうか。
三善晃や間宮芳生。林光などの天才作曲家を育てたのも田中信昭だったと言って間違いない。
大変な貢献だったというありきたりの言葉では表現できない、正に田中信昭が成し遂げた偉大な功績だ。
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非常に参考になる合唱の本も出版
田中信昭は晩年になって、1冊の本を出版した。
ヤマハミュージックメディアからシリーズとして出版された「絶対!うまくなる 100のコツ」といういかにも内容の薄い軽薄なタイトルのシリーズの1冊を田中信昭が受け持ったものだが、これはとんでもなく素晴らしい本である。
こんないかにも軽薄なハウツー本に合唱界最大の大御所が、よく乗ってくれたものだと思うが、中身は非常に濃く、充実したものだ。
非常に分かりやすく、驚くほど具体的に書かれた本であり、合唱に関わる全ての人の必読書。いや、バイブルである。
合唱に関わる人の中で、もしこの本を読んだことのない方がいたら、即座に購入して読んでいただくことを推奨する。
紙の本は絶版となってしまったが、電子書籍としては今でも入手できるので、迷わず購入いただきたい。(後述☟参照)。
特に、田中信昭がとことん拘った最大の功績である邦人作曲家へのオリジナル合唱曲の委嘱について、1ページを割いて書いているので、読んでほしい。
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田中信昭と僕の感動エピソードを披露
こんな不滅の業績を合唱界に残した田中信昭に、僕は個人的な接点があり、それがちょっと考えられないほどの感動的なエピソードなので、ここで披露させていただく。
僕が高校3年生のときの出来事である。
何年、いや何十年前のことだ!?(笑)。答えは半世紀?(笑)。
ことの発端はこうだ。
【中編】に続く
☟ 興味を持たれた方は是非ともこちらからご購入ください。
田中信昭の書いた本。
これは合唱に関わる人全ての必読書。紙の本は絶版となってしまったが、電子書籍として読むことができる。
@1,496円(税込)。
絶対!うまくなる 合唱100のコツ【電子書籍】[ 田中信昭 ]
◎ 三善晃の混声合唱のための名曲集。「嫁ぐ娘に」「五つの童画」「小さな目」
素晴らしい音楽の素晴らしい演奏。
@1,572円(税込)。送料380円。
日本合唱曲全集: 嫁ぐ嫁に 三善晃作品集1[CD] / 田中信昭 (指揮)
◎間宮芳生 合唱のためのコンポジション
これぞ日本の合唱曲の最高作品と呼ぶべき未曾有の傑作。必聴。
@1,572円(税込)。送料380円。
日本合唱曲全集: 合唱のためのコンポジション 間宮芳生作品集[CD] / 田中信昭 (指揮)
【送料無料】柴田南雄/合唱のためのシアター・ピース/田中信昭[SHM-CD]【返品種別A】