目 次
格安にて再発売された「ポッペアの戴冠」に震撼させられる
今回はモンテヴェルディ最晩年の大傑作「ポッペアの戴冠」だ。
これはすごい。すご過ぎる。空いた口が塞がらなくなる衝撃だ。聴いて、観て、思わず心が震撼させられてしまう。
何と言ってもモンテヴェルディが作曲したこのオペラそのものが信じられない程すごい作品。そしてこれを演奏した指揮者のアーノンクールと演出のポネルがこれまたすご過ぎる。
目を疑うような衝撃的にして官能的な音楽と演技、舞台演出など度肝を抜かれる映像が連続する。
そんなすごいDVDが日本語字幕付きの国内盤として待望の再発売。しかもめちゃくちゃ安くなっての限定発売である。
これを見逃しちゃ駄目だ。どうしても購入していただきたい名盤中の名盤の登場(2022年8月10日)である。
天才モンテヴェルディの最後にして最高の傑作オペラ
このところ集中的にモンテヴェルディとその作品について紹介してきた。何度も繰り返し書いてきたが、僕はバッハと並んで、若い時からズッとモンテヴェルディに夢中なのである。
一般的にはあまり知られていない作曲家なので、しつこいようだが再度紹介させていただく。
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モンテヴェルディのこと
我がクラウディオ・モンテヴェルディは1567年に生まれ、1643年に亡くなった。享年76歳。この時代にあって脅威的な長命を誇り、しかも死ぬ直前まで名作を作り続けたちょっと化け物のような存在だ。
イタリアのクレモナ生まれ。最後はヴェネツィアのサン・マルコ寺院の楽長として天寿を全うした。
同じくヴェネツィアで活躍したヴィヴァルディの約100年前、大バッハことヨハン・セバスティアン・バッハの約150年前に大活躍したイタリアの作曲家であり、音楽史上空前の、ケタ外れの大天才。
音楽史上の位置付けは、ルネサンスからバロックへという音楽史上未曽有の大変革期を、自らの力で切り開くとともに頂点にまで導いた空前の天才ということになる。バロック音楽とオペラの生みの親というわけだ。
モンテヴェルディの偉大な業績の中でもとりわけ重要な点は、「オペラ」いわゆる「歌劇」を創り出したことだった。
オペラこそ、バロック音楽ならではの創作だった。モンテヴェルディは「マドリガーレ」と呼ばれる世俗の詩につけた多声音楽を生涯に渡って作曲し続けたのだが、その詩の内容に即した劇的な表現を追求しようとすればするほど、最後にはオペラという様式の創造に到達せざるを得なかったということは何度も書かせてもらったとおり。
モンテヴェルディの現存しているオペラは3作品のみ
モンテヴェルディは、既に2つの演奏を紹介させてもらった最初のオペラ「オルフェオ」を作曲後、オペラの作曲に情熱を傾けて、最終的には最低でも18曲のオペラを作曲したと言われているが、残念なことにその多くが紛失してしまい、現在残っている作品は「オルフェオ」を含めて3作品しかない。
これは音楽史上の最大の損失の一つで、本当に残念と言うしかない。痛恨の極みである。
「ポッペアの戴冠」という史上最高のオペラ
だが、晩年の2つの作品が残されたのがせめてもの救いだ。しかもそれが飛びっきりの名作なのである。「ウリッセの帰還」と「ポッペアの戴冠」。いずれもモンテヴェルディ最晩年の70歳代に作曲されたものだ。
「ウリッセの帰還」も大変な傑作だが、最後の最後、死の前年の75歳の時に作曲された「ポッペアの戴冠」が空恐ろしいばかりの超弩級の名作なのである。4時間近い大作で、僕は音楽史上、現代に至るまでに作曲されたありとあらゆるオペラの中の最高傑作の1本であると固く信じて疑わない。
この「ポッペアの戴冠」に匹敵できるオペラ作品を敢えて上げるとすれば、ワーグナーとR・シュトラウスのいくつかの楽劇、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」、ベルクの「ヴォツェック」くらいしか思い浮かばない。
バッハが活躍する150年近くも前に、初めてオペラというジャンルを開拓した人物が、史上最高の究極のオペラを作ってしまったという現実に、モンテヴェルディの想像を絶する空恐ろしさを感じてしまう。
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「ポッペアの戴冠」はどんなストーリーなのか
本作は、神話や伝説上の題材ではなく、実際にあった史実に題材を求めた初めてのオペラだと言われている。
古代ローマ時代の著名な歴史家タキトゥスの「年代記」を原作に、ヴェネツィアで活躍していた作家ジョヴァンニ・フランチェスコ・ブゼネッロが台本を書いた。
「ポッペア(ポッペーア)」という名前は聞いたことがない方でも、あの極めて残忍なことで有名なローマ皇帝ネロ(ネローネ)と言えば誰だって知っているはずだ。「暴君ネロ」として知らない人がいない古代ローマ史を彩った歴史上の人物。ポッペアは強烈な色仕掛けと様々な奸計を用いてローマ皇帝ネロの皇后に収まった元々はネロの部下の騎士長の妻。稀代の悪女として史上有名な存在だ。
皇帝ネロにはオクタヴィアという正式な皇后がいたが、部下の騎士長の妻ポッペアと背徳の恋に落ちたネロは、様々な策略を用いながら障壁を取り除き、最後はオクタヴィアを皇后の座から追い払ってローマから追放。目論見どおりに新たな皇后の座に収まったポッペアはネロと愛の二重唱を歌ってジ・エンドとなる。
悪が勝利を収める驚愕のストーリー
まさしく悪が勝利を収める驚愕のストーリーなのである。
歴史上初めて史実を基に生身の人間を描いたオペラと言われる「ポッペアの戴冠」だが、その史実の主人公というのが、悪名高い凶悪な暴君とその暴君を手玉に取った権力欲に取り付かれたしたたかな悪女という凄まじい内容だ。
皇帝ネロには非常に有名なストア派の哲学者セネカが補佐役を務めていたのだが、ネロにとって師であるこのセネカの存在が鬱陶しくてたまらない。
ネロが皇后のオクタヴィアを追い払ってポッペアと結婚したいと申し出ると、当然セネカは道理を説いて諫めるのだが、ネロと激しい言い争いになる。中々受け入れようとしないセネカにネロは怒りを爆発させる。
更にセネカの存在を邪魔に思うポッペアの讒言を信じて、ネロは遂にセネカに自殺を命令し、死に追い込む。ポッペアの策が実った瞬間だ。
こうして最大の障害であったセネカを葬ったことで、最終的にネロとポッペアの邪悪な恋が実り、オクタヴィアは「去らば、ローマよ」と歌いながらローマを去って行く。こうしてポッペアの戴冠が実現し、ネロとポッペアは互いを称え合う愛の二重奏を歌い上げるというわけだ。
冷酷なドラマに挑んだ芸術家魂に脱帽
凄まじいドラマ展開だ。全て史実だという。悪が正義を打ち滅ぼし勝利する話しである。
こんな冷酷な題材にひるまなかった75歳のモンテヴェルディの真意はどこにあったのだろうか。
善悪の是非ではなく、実際にこの世に存在する権力に取りつかれた人間と理性の効かない愛欲。それに翻弄されてしまう悲しき人間の性(さが)。このどうしようもない人と社会の本質を一切の妥協なしで抉り出し、音として表現する。モンテヴェルディ最晩年の執念のような芸術家魂に脱帽するしかない。
何度聴いても、観ても、この全く妥協のない人間ドラマと、こんなテーマにひるまずに挑んだモンテヴェルディの芸術家魂に震撼とさせられてしまう。
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当時の前衛音楽は、今でも衝撃的な音楽
「ポッペアの戴冠」は悪が勝利を収めるという強烈な台本もさることながら、この妥協のない台本に付けられたモンテヴェルディの音楽がものすごいのである。
ストーリーの強烈さに勝るとも劣らない驚嘆すべき音楽が、4時間近くに渡って繰り広げられる。
バロック音楽というモンテヴェルディ自身が生み出した、17世紀の当時にあっては前衛音楽としか言いようがない時代の最先端を走る美しくも強烈な音楽だ。
登場人物の心理描写を音楽で表現するに当たって、一切の妥協をしなかったモンテヴェルディ。
感情の赴くままに自由自在に姿を変えていく変幻自在の音楽は、今日の耳で聴いても衝撃的だ。
全編に渡ってモンテヴェルディしか作曲できなかった驚異的な音楽が連続するが、その中でも特に注目すべき部分を上げてみたい。
ネロと師セネカとの対決シーン
聴かせどころは無尽蔵にあるが、何と言ってもすごいのは、ネロとセネカの一騎打ち。時の最高権力者の皇帝とその師にして補佐役、高名な大哲学者との激しい言葉の応酬を、驚くべき音楽で彩っていく。
始めのうちは互いに冷静に話し合っていたものが、セネカがネロの要求を受け入れない中でネロが怒り出し、興奮してくる。哲学者のセネカはあくまで冷静だ。そうなればそうなるほどネロは感情的になり、やがて激昂し始める。
最後はセネカもネロに合わせるように激しい口調になるのだが、この2人の激しい言葉の応酬につけられた音楽がすごい。テンポもリズムも感情の赴くままに自由自在に変化していく。そのフレキシブルというか変幻自在の自由な音楽に圧倒される。
怒りの収まらないネロは、最後には師に対して反論できなくなり、「そなたは、そなたは!予を怒らせたいのか!」と感情爆発。言葉が出なくなってしまうのだが、音楽もまさにそういう途切れ途切れの音になる。
これはもう歌ではなく、劇そのものと言うか朗読に近いと言うか。ほとんど罵り合いのような、極めて劇的な「語りの音楽」なのである。モンテヴェルディが最も得意とした作曲技法だが、後世、こんな音楽を作った作家家は1人もいない。
それにしてもこの両者の対決場面は心に迫る。セネカ役のバスのマッティ・サルミネンの声が周囲を圧倒する驚異的な低音。朗々と響き渡る迫力満点の低音に聴き惚れてしまう。一方のネローネ役のエリック・タピーのテノールも実に素晴らしい。
セネカの自殺を引き止めるシーン
その後の自殺を強いられたセネカとその弟子たちのシーンが、また大変な見所と聴きどころになる。
その悲痛なシーンを描くモンテヴェルディの音楽が、開いた口が塞がらなくなるほどの素晴らしさだ。
一度耳にしたら忘れられなくなるような強烈にして美しい音楽。
弟子たちが「師よ、死なないで!」と泣きながら訴えるシーンだ。
弟子たちの合唱となるのだが、弟子たちの感情がじわじわと昂ってきて、その感情の高まりがまさに音楽そのものの高揚となり、最後は絶叫に至る音楽の感動的なこと。天才モンテヴェルディの面目躍如。
当時としては考えられない不協和音と半音階進行を駆使しながら、ドラマを盛り上げていく。これはもうあのリヒャルト・ワーグナーを先取りしているとしか言いようのないもの。時代を200年以上も先取りしたあまりにも早過ぎる音楽だ。
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言葉の意味する世界をいかに音楽で表現するか
モンテヴェルディが生涯に渡って作曲し続けた「マドリガーレ」が、最終的にはそのまま「オペラ」という新しい音楽形態に到達したわけだが、そこでモンテヴェルディが拘ったのは、言葉の意味する世界をいかに音楽で表現するのか、その一点であった。
それを200曲近いマドリガーレで50年以上に渡って、ずっと追求し続けてきたのである。
その究極の到達点が「ポッペアの戴冠」だ。この75歳で作り上げた最後のオペラに全て集約された。このオペラの中にはモンテヴェルディの音楽的進化の到達点と最終形がある。まさに奇跡的な作品。
75歳の老人が作曲したとは思えない驚嘆すべき官能的な音楽
驚くべきことはそれだけではない。このオペラを聴いて一番驚嘆してしまうのは、その音楽の瑞々しいばかりの若々しさと濃厚な官能性で全編が覆い尽くされていることだ。
到底考えられないような濃厚な官能性には言葉を失う。ネロとポッペアの恋は邪悪なものであり、人の道に外れた許しがたいものなのだが、オペラの全編に渡って何回も出てくる二人の愛欲シーンは、ゾクゾクと来るほど魅力的で甘く、何よりもたまらなくセクシーで官能的なものだ。
これを聴かされると道に外れた浮気シーンであるにも拘らず、この二人の熱烈な恋に少し声援を送ってやりたくなってしまう位、妖しい魅力に満ちている。零れ落ちんばかりの官能性にこちらの感覚までおかしくなってしまいそうだ。
セクシーの極み。こんなに甘く官能的な音楽は、他に聴いたことがない。僕は古今東西のクラシック音楽を相当聴いてきたが、この75歳の老人がバッハが登場する100年も前の17世紀に作られたオペラ以上に赤裸々な濃厚な愛欲シーンを描いた作曲家は知らないし、ここまで官能的な音楽も全く知らない。
ちょっと子供には聴かせられない音楽なのだ。
男女の愛を描いた官能的な音楽と言えば、それはもうリヒャルト・ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」にとどめを刺すと言われており、僕もそれには異存はないのだが、あの「トリスタンとイゾルデ」のむせかえるような濃厚な官能性も、モンテヴェルディの「ポッペアの戴冠」の前では影が薄い。到底太刀打ちできないというのが僕の偽らざる実感だ。
オペラの冒頭、夜を徹してポッペアとの情事に及んだネロが、明け方になってポッペアの屋敷から去ろうとする際の二人の別れの音楽が、考えられないもの。そこで多用される妖しい半音階進行が後代、直接ワーグナーに影響を及ぼしたとしか考えられない。
これは本当に驚嘆すべき音楽。音楽でここまで男女の愛欲シーンを描いていいのだろうかと心配になってしまうほど。オペラだから当然、演技を伴う。ほとんど息絶え絶えの喘ぎや吐息。これはすごい。ヤバすぎる。
どうかその耳で、その目で確認してほしい。
このたまらない官能的な音楽を75歳の老人、翌年には天寿を全うして死を迎える老人が17世紀半ば(日本では島原の乱の直後)に作曲したということを、僕は何時だって信じられないし、理解できないのだ。
本当にモンテヴェルディという作曲家は、人間離れした怪物としか言いようがない。
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悲痛な悲劇の中に並存する軽みとユーモア
悲痛な悲劇と邪悪ながらも濃厚な恋の隣り合わせに併存する絶妙なユーモア感覚にも事欠かない。意外にもかなり軽妙なユーモアを誘うシーンが頻繁に出てくる点にも、驚かされる。
これはブゼネッロの台本の素晴らしさだろうが、この悪が勝利を収めるという耐え難い悲劇の中に混在し、隣り合わせに並存するユーモアと軽み。
一見場違いのようにも思える軽妙さやユーモア感覚が、悲痛な悲劇をより一層浮かび上がらせる。この対比と錯綜性が作品に立体感と深淵さを与えているように思われる。
冒頭に出てくる情事を楽しむネロを徹夜で警備するするローマ兵たちの、ネロやセネカ、組織へのボヤキどころか罵詈雑言の数々が、いかにも現代的で驚かされる。これはつくづくすごい作品。こんなものが17世紀に作られていたのである。
アーノンクールとポネルが組んだチューリッヒでの衝撃の舞台
今回、国内盤として日本語字幕付きで再発売されたモンテヴェルディの「ポッペアの戴冠」の映像は、つい先日取り上げたばかりの「オルフェオ」同様に、この世のものとも思われない素晴らしい演奏の記録である。
「オルフェオ」の紹介内容と重複してしまうのだが、同じ指揮者、同じ演出家、同じプロデューサーによる同じチューリッヒ歌劇場における一連のシリーズとして同時並行して上演された舞台なので、感想もまた同じになってしまうのは当然のことだとお許しをいただきたい。
「オルフェオ」を遥かに凌駕する「ポッペアの戴冠」
但し、より衝撃的で深い感動に包まれ、圧倒されてしまうのは、もちろん今回の「ポッペアの戴冠」だ。
これは「オルフェオ」と「ポッペアの戴冠」という二つのオペラの内容の違いに尽きる。
天才とはいうものの初めて作ったオペラと、最晩年の熟練の作曲法と人間的な深淵を見極めた天才の最後のオペラとではその内容に雲泥の差があることは当然だ。
誤解があっては困るのでハッキリ書かせてもらうが、僕は「オルフェオ」も大好きな作品で、これも音楽史上の最高のオペラの1本だと信じて疑わない。本当に熱愛している作品である。
だが、「ポッペアの戴冠」の素晴らしさはこの名作「オルフェオ」を更に凌駕するものだ。はちょっと考えられない空前絶後、未曽有の名作なのである。
重ねて書かせてもらうが、「ポッペアの戴冠」に比肩できるオペラは、その後の今日に至るまでの400年近い長い音楽史においても、ホンの数えるほどしかない。ワーグナーとR・シュトラウスのいくつかの楽劇と、それ以外にはムソルグスキーとベルクくらいしか思い浮かばないという特別な作品なのだから。
僕はこの「ポッペアの戴冠」に比肩できる音楽は、古今東西の長い音楽史を通じて、バッハの「マタイ受難曲」だけではないかと考えている。バッハの「マタイ受難曲」は、人類が作曲した最高の音楽作品との評価が定まっている名作中の名作だ。
僕にとって、「ポッペアの戴冠」はバッハの「マタイ受難曲」と並び称せられる作品なのである。
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目を見張る最高の舞台演出と演奏陣
上述したとおり、このDVDの素晴らしさは前回の「オルフェオ」と全く同じ感想になってしまう。
惜しまれつつも6年前(2016年)に亡くなった鬼才指揮者のニコラウス・アーノンクールが、オペラの最高の演出家であるピエール・ポネルと組んで、全世界で絶賛された1977年のチューリヒ歌劇場での記録であった。
「チューリッヒ・モンテヴェルディ・チクルス」と呼ばれ、現存するモンテヴェルディの3つのオペラをスイスのチューリッヒ歌劇場で完璧なまでに再現したものだ。
これは世界中で大変な話題となり、モンテヴェルディのオペラが現代に見事に復活を果たしたことはもちろん、古楽界の鬼才として注目を浴びていた指揮者アーノンクールが、この上演の最高によって、華々しく第一線に躍り出た記念すべき上演でもあった。
使用する楽器はもちろん全てオリジナルの古楽器(ピリオド楽器)であり、その珍しい古楽器の数々を見ているだけでも心がときめてしまう。新鮮な驚きに満ち溢れている。
実際に、これはもう言葉を失うほど素晴らしいもので、舞台演出や衣装など強烈に視覚に訴えかける尋常ならざる映像美だ。その零れ落ちんばかりの美しさには、溜息をつくしかないという類い稀な逸品。
たまに映し出される当時48歳になる脂の乗り切ったアーノンクールの指揮が実に颯爽としていて、強烈な印象となって記憶に残る。
これ以上の演奏はないと断言できる最高の出来栄え
この未曾有の素晴らしい舞台がブルーレイになって復活しなかったことは本当に残念だ。77年に録画されたDVDだとシャープさに欠けて、それほど美しく再現はされないが、一連の同じシリーズでも今回の「ポッペアの戴冠」の映像の方が、「オルフェオ」よりも明らかに美しい。その画質にはあまり不満を感じない。
その類い稀な目を見張る舞台の素晴らしさと見事な演出を十分に堪能できる最高の出来栄えだ。ポネルの演出と舞台は本当に細部にまで様々な趣向を凝らし、この世のものとも思えない見事なものである。
なお、モンテヴェルディが作曲したオリジナルの「ポッペアの戴冠」は、全体で4時間を超える大作なのだが、今回紹介のアーノンクールのチューリヒでのライヴは、重複部分などを一部省略して約3時間弱に短縮されている。作品を聴くに何の問題もない、念のため。
手元にある15種類の映像の中でダントツの最高峰
僕の手元には現在、「ポッペアの戴冠」」のブルーレイとDVDによる映像が15種類あるが、もちろん今回のアーノンクールとポネル盤がダントツの最高峰。15種類の中には他にも素晴らしいものがいくつもあるが、このアーノンクールとポネルのチューリッヒでの映像は次元が違う。本当によくぞこんな舞台を実現させたものだと驚嘆してしまう。
ネロを男性のテノールが歌うのはこの盤だけ
この15種類に及ぶ「ポッペアの戴冠」の映像。実は、皇帝ネロはほとんどがカウンターテナーで歌われている。ソプラノで歌われることも珍しくない。そうなると肝心のネロとポッペアとの愛欲シーンが、女性二人で歌っているような感じとなり(カウンターテナーは男性だが、女のような声で歌うわけだ)、暴君ネロのイメージが湧いてこない。何だかレズビアンというか同性愛のような雰囲気になってしまう。ここはどうしても力強い男性の強い声が欲しいところだ。
その点、このアーノンクール盤のエリック・タピーは申し分がない。だからどうしてもこの映像で「ポッペアの戴冠」を味わっていただきたいのだ。
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絶賛に値する名歌手の数々
ネロのエリック・タピーの他にも、ポッペアを歌うラシェル・ヤカールもオクタヴィアを歌うトゥルデリーゼ・シュミットも素晴らしいの一言。セネカを歌うマッティ・サルミネンの驚異的なベースについては上述したとおり。他に類を見ない見事さだ。ポッペアの夫である騎士長オットーネを歌うカウンターテナーのポール・エスウッドは最高のカウンターテナーと称賛を受けている名歌手。
本当に見事な歌と演技、それらを演出する映像の素晴らしさに時の経つのを忘れてしまう。
モンテヴェルディの到達点を味わう最高の作品と演奏
モンテヴェルディの類い稀な衝撃的な音楽と歌。考えられない官能的な音楽と演技。アーノンクールの驚嘆の古楽器演奏。そしてポネルの細部にまで様々な趣向を凝らした目を見張る演出と信じられないほど美しい舞台。類まれな色彩美。
4拍子どころか、全てが揃ったこれ以上考えられない超一級の演奏だ。
最後に「オルフェオ」のときと全く同じことを、重ねて書くことになる。
何をおいてもこのDVDは絶対に手元に置いて、繰り返し鑑賞してほしい。本当に驚嘆に値する音楽と舞台演出。
騙されたと思って、最高の出来栄えのモンテヴェルディの「ポッペアの戴冠」を、どうか体験していただきたい。
☟ 興味を持たれた方は、是非ともこちらからご購入ください。
2,316円(税込)。送料無料。
定価は2,970円のところ22%引きとなっています。とにかくめちゃくちゃ安いんです。
完全限定盤。これが最初で最後のチャンスです。どうかお見逃しなきよう。
直ぐに申し込んでいただければ、と願うばかりです。
モンテヴェルディ:歌劇≪ポッペーアの戴冠≫ [ ヤカール、タピー アーノンクール チューリヒ歌劇場 ]
☟ どうしても「ポッペアの戴冠」を先に、映像なしで音楽だけ聴いてみたいという方は、こちらのガーディナーのCDをお薦めします。
4,755円(税込)。送料無料。
申し込みタグが2つあり、値段も一緒ですが、店舗が異なり、地域によっては一部送料が発生する場合もありますので、それぞれの購入先タグでご確認ください。演奏は折り紙付きの素晴らしいものです。
CD/モンテヴェルディ:歌劇(ポッペーアの戴冠) (歌詞対訳付) (限定盤)/シルヴィア・マクネアー/UCCA-3112
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