目 次
初めて読んだ高坂正堯に魅了された
高坂正堯(こうさかまさたか)の本を初めて読んだ。新潮選書の中の1冊「歴史としての二十世紀」である。
これが非常に興味深く、僕は時間の経つのを忘れて読み耽ってしまった。実におもしろく、興奮してしまったほどだ。
高坂正堯は非常に有名な方なのだが、僕にはほとんど縁がなく、正直言って長い間、どちらかというと避けてきた存在である。特に若い頃に高坂正堯に心を動かされることは全くなかった。
ところが冷戦も終わり、その後も世界が平和になるどころかドンドンきな臭くなっていく中で、ひょんなことから最近になって高坂正堯の本が僕の目に留まり、全ての先入観と偏見を捨てて、思い切って読んでみたのである。
すると、想定外にも非常におもしろかった。強く惹きつけられ、とてつもない魅力を感じた。興味が尽きなかった。
僕は今まで高坂正堯を避けてきた
高坂正堯は非常に良く知られた知識人だ。國際政治学者というのが高坂に付される一番一般的な肩書のようだが、京都大学の教授であり、歴史家であり、社会科学者であり、思想家でもあった。
またテレビ朝日の「サンデー・プロジェクト」を始め、多くのテレビ番組でコメンテーターとして名を馳せたお茶の間の人でもあった。
そして何と言っても保守の大物として自民党のブレーンとなり、特に佐藤栄作以降の自民党の歴代総理大臣、具体的には佐藤栄作、三木武夫、大平正芳、中曾根康弘のブレーンとしてあの時代の自民党の政策に深く関わった人物である。
正直言って、僕は保守の論客にはあまり興味がなく、佐藤栄作や中曾根康弘のブレーンだったなどと聞くと、それだけで毛嫌いをしてしまうような青春時代を送ってきた。非常に信頼が厚かったと言われているテレビでのコメンテーターも一度も聞いたこともなければ、見たこともなかった。
それでいて写真を見ると、良く知っている顔なので、無意識のうちにどこかで見かけていたのかもしれない。
こういう出会いというか、人生には思わぬことが起きるものである。この歳になって保守の重鎮の高坂正堯にここまで惹きつけられるとは思ってもみなかった。
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高坂正堯という人
ここで改めて高坂正堯のことを紹介しておく。
いつのように本書に掲載されているプロフィールをそのまま引用することにしたい。
1934年、京都市生まれ。京都大学法学部卒業。1963年、「中央公論」に掲載された「現実主義者の平和論」で鮮烈な論壇デビューを飾る。1971年、京都大学教授に就任。『古典外交の成熟と崩壊』で吉野作造賞受賞。佐藤栄作内閣以降は外交ブレーンとしても活躍。新潮選書から刊行した『世界史の中から考える』『現代史の中で考える』『文明が衰亡すうるとき』『世界地図の中で考える』がいずれもベストセラーとなる。1996年没。
もう少し情報を集めてみたい。
父は高坂正顕。西田幾多郎に学んだ京都学派に属する哲学者で、「近代の超克」を唱えたことで有名だ。
高坂は、京大で優れた教育者としてたくさんの優秀な研究者を輩出させたことでも知られる。現在は軍事政権によって幽閉されているミャンマーのあのアウンサン・スーチーも京大に留学中に高坂の教えを受けているという。
あの出口治明さんも京大で学んでいた時に、高坂の授業を受けて深く感銘を受けたエピソードを披露している。
一方で阪神タイガースの熱烈なファンとしても知られており、非常にユニークな魅力的な人物だったようである。
肝臓がんで62歳という最も脂の乗った年齢で亡くなってしまったことが惜しまれている。
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高坂正堯「歴史としての二十世紀」の基本情報
新潮選書。2023年11月15日発行。僕の手元の本は同年12月5日の2刷である。
そう、本書は昨年11月に発行されたばかりの非常に新しい本なのである。出版されてまだ9カ月程度しか経っていない(2024年8月時点)新しい本だ。
高坂正堯は1996年に亡くなっており、没後27年も経ってから出版された本だということに注目してほしい。実際に本書は、高坂正堯にとって、27年振りの「新刊本」だという。
没後、約30年近くも経過して新しい高坂正堯の本が出版されるということで、昨年の年末にかなり大々的に宣伝されており、僕もそのキャンペーンの中で本書の存在を知ったという次第。
1990年の幻の名講演の記録
この本は、1990年に高坂正堯が行った連続講演会の記録である。
新潮社が主宰した新宿紀伊國屋ホールで行われた連続講演「歴史としての二十世紀」の録音テープを文字に起こして、更に読みやすくするための編集を加えて書籍化したものだという。
実際の講演は1990年1月19日から同年6月15日まで6カ月に渡って行われた(以上、解説の細谷雄一氏による)。
この講演が活字化されることは高坂の生前にもなかったようで、正にこれは「幻の講演」「幻の名著」と呼ばれてしかるべき貴重な記録なのである。
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「歴史としての二十世紀」の全体構成
非常に明解かつ詳細な目次がある。
全体は6つに分けられているが、それはもちろん紀伊國屋ホールでの半年に渡った月に1回の連続講演に一致していることはもちろんだ。
第一回 戦争の世紀 世界戦争と局地戦争
第二回 恐慌 大成の前の試練
第三回 共産主義とは何だったのか
第四回 繁栄の二五年
第五回 大衆の時代 資本主義と民主主義
第六回 異なる文明との遭遇
それぞれの回には更に細かい見出しが付いていて、非常に分かりやすく親切だ。少ない回でも13章、多い回は18章に分かれ、それぞれ詳細に明示されている。
スティーヴン・キングの「読むことについて」とは全く異なって、非常に親切な作りとなっている。編集者の愛情を痛い程感じさせてくれる。
各回はおよそ30~40ページからなっている。それが6回ということで、約200ページとなる。その前後に慶應義塾教授の細谷雄一による非常に分かりやすい「はじめに」と「解題」があって、本書全体は231ページからなっている。
高坂正堯による非常に聞きやすい講演の記録だけに、もちろん話し言葉で書かれており、どの部分も非常に読みやすい。目から鱗の連続となる内容のおもしろさもあって、本当に直ぐに読めてしまう。
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1990年という年代に注目してほしい
高坂正堯の連続講演が行われたのは、1990年の1月から6月までだった。1990年の年明けから直ぐにスタートしているわけだ。
前年の1989年と1990年というのは、世界の歴史の中でもエポックメーキングとなった歴史的な年である。二十世紀の歴史の中でも特別な意味を持つ記念すべき年に行われた講演であるということに注目してほしい。
東欧革命である。1989年にソ連の衛星国家となっていた東ヨーロッパのほとんどの国、具体的には東ドイツ、ポーランド、ハンガリー、チェコスロバキア、ルーマニア、グルガリアで共産主義の支配に対する抵抗運動が勃発し、共産党政権が雪崩を打つようにして崩壊した。
特に11月9日にはあのベルリンの壁も崩壊してしまった。
ソ連にゴルバチョフが登場し、ペレストロイカが進められる中での東ヨーロッパ全域を巻き込んだ革命だった。
1991年にはソ連邦に所属していたバルト3国が独立を果たし、12月にはソ連邦そのものも崩壊に至り、ここに冷戦が終結した。
この一連の怒涛の歴史的なうねりの真っ最中に行われた連続講演だったのである。
時の自民党のブレーンとして実際の政策にも関わり、国際政治学者、歴史家、思想家として確固たる地位を築き、日本屈指の知識人として影響力・発言力の非常に大きかった高坂正堯によるタイムリーな講演は、この講演自体がまたとない奇跡的なものだったようにも思える。
したがって、この講演の中でも共産主義の崩壊、冷戦の終結が大きなテーマとなって語られることになる。
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共産主義の総括が全体の白眉
そういう意味では、やっぱり第3回の「共産主義とは何だったのか」が全体の白眉であり、実に興味深い。この30ページが圧巻だ。
講演の直前に東欧革命があり、ベルリンの壁も崩壊した直後だけに、高坂正堯の解説にも自ずから力が入る。この時代の貴重な証言としての価値も第一級品だと思う。
一方で、そうは言うものの、さすがに世界的な国際政治学者にして歴史家でもある高坂正堯の歴史の本質を見る眼は、冷静にして沈着、あの時代の熱狂に影響されることなく、あくまでも冷静かつ沈着に本質を射抜いているように思える。
個別の事件や出来事を具体的に掘り下げるのではなく、あくまでもその事件の背後に潜む人間の心理、歴史的必然を分析していくのである。
ここで語られていることは、あれから33年経過した今日から見ても少しもブレていない。ますます核心に迫っているように思われる。
「共産主義とは何だったのか」という答えは、あまりも興味深く、かつおもしろ過ぎるテーマなので、高坂正堯が何と語っているのかは、是非とも実際に本書を手に取って読んでいただきたいと思う。
だが、そうは言いながらも、高坂正堯の核心に迫る言葉を一部だけ引用しておきたい。
『マルクス主義者が「科学」と呼んでいる「人間は進歩するはずだ」、「こうすれば世の中は変えることができる」という信念に普通の人間的な信念が結びつくと、それが共産主義になるわけです。そして、そのプロセスの青写真を描くことができる少数者が社会を指導すべきなのだという思考回路を、レイモン・アロンは「終末論的楽観論の極致である」と指摘しています。
世の中は複雑かつ不思議なもので、いいことが悪くなったり、悪いものがよくなったりすると柔軟に物事を考える立場だと、なかなかこういう発想にはなりません。しかし「人間は進歩すべきで、必ずその方法はある。その青写真は共産主義にある」という固い信念がある人間は、他人の意見には聞く耳を持たず、強引な形で政治を進めることになります。周囲もまた彼の批判ができなくなり、処刑する人も処刑される人も、正しい主義主張と一体のまま死にたいと思うでしょう。』
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細谷雄一による「はじめに」「解題」も秀逸
本書には慶應義塾大学教授の細谷雄一による冒頭の『はじめにー「我々がどのような時代に生きてきたか」』(5ページ)と、最後の『解題ー高坂正堯が我々に託したもの』(13ページ)があって、読者への本書の解説となっている。
これが非常に明解な分かりやすい文章で、高坂正堯によるこの講演の持つ意味と重要性を訴え、極めて説得力がある。非常に秀逸な解説だと頭が下がる思いだ。
細谷は解題の冒頭の方で、『ここでは「解題」として、その連続講演が行われてから30年が経過してなお、本書が幅広く読まれるべき1冊である理由を、綴ることにしたいと思う』と書いているが、その理由が非常に分かりやすく展開される。
そこで2022年から始まり、今なお続くロシアによるウクライナへの侵略戦争のことにまで深く言及される。
僕は、高坂正堯の講演を収めた本体部分に非常に深い感銘を受けたことはもちろんだが、この総計18ページに及ぶ細谷雄一による本書の解説にも、高坂正堯の本体部分に勝るとも劣らない感銘を受けたことを記しておきたい。
細谷は高坂正堯の高弟の一人なのだろうが、高坂正堯の叡智を確実に引き継いでくれる若手研究者の存在を知って、非常に心強く感じた。
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再びやってきた「戦争の世紀」
解題の中で細谷雄一も指摘しているように、二十一世紀に入って「われわれは再び戦争の時代を生きている」。
『これだけ世界の人々が戦争を嫌悪し、平和を願い、そのための努力を続けてきたにもかかわらず、依然として「戦争の世紀」は続いている』として、ロシアのウクライナへの侵略戦争に言及するのだが、細谷は『高坂が「戦争の世紀」で語っている内容の多くが、あまりにも現代的であり、二十一世紀の戦争を理解する上でも示唆を与えてくれる』とする。
本書の魅力は多岐に渡るが、当然のことながら一番感銘を受け、考えさせられるのは戦争への対応、いかに戦争を避け、平和を構築していくのか、そこが最大のポイントであることは言うまでもない。
高坂正堯の魅力を知るのが遅すぎた
僕は、保守の論客であり、自民党のブレーンを長きに渡って務めていた高坂正堯を、偏見と先入観で避けてきてしまったきらいがある。高坂の魅力を知るのが遅すぎたと、今、痛感させられている。
今からでも遅くはないだろう。これからしばらく、高坂正堯の著作と集中的に向き合いたいと決意を新たにしている。
講演録だけに非常に親しみやすく読みやすい
本書は高坂正堯が講演で実際に話した録音テープをもとに、活字に起こしたものである。それだけに非常に親しみやすく、話し言葉で書かれているので読みやすさも抜群だ。
二十世紀という戦争に明け暮れた困難な時代。その総括は様々な価値観と歴史観があってこれまた非常に困難であるところ、高坂はポイントを大きく6つのテーマに絞り込んで、講演を聞いている一般人でも理解できる平易な言葉を用いながら、時にユーモアを交えながら話しを進めていく。
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平易な言葉で歴史の核心と本質に切り込む
分かりやすい言葉と丁寧な説明を用いながらも、内容的には決して手を抜かずに、二十世紀という困難な時代の問題の核心と本質に鋭く切り込んでいく。それでも決して専門的にならずに、最後まで誰が聞いても理解できるように分かりやすく語ってみせた。
平易な言葉を用いながら、歴史の本質に迫る。初心者から専門家までどのようなレベルの受講者が聞いても満足し、納得できる極めて稀有な講演がこの1990年という記念すべき年に開催され、それが33年後の今日、こうして書籍化されて簡単に読むことができることは、至福としか言いようがない。
幻の名講演と言われた所以である。
それにしても高坂正堯の凄さに脱帽だ。剛腕としか言いようがない。こんな平易な言葉を用いながら、その内容は歴史の核心と本質に鋭く迫る、人類の叡智と呼んでもいいものだ。
本書の帯には「今こそ高坂史観に学ぶ。」とあるが、一口で保守の論客と呼ぶにはあまりにも深く高邁な高坂正堯の人と歴史を見つめ、切り取る眼力に改めて刮目させられた。
非常に勉強になるかけがえのない1冊だ。
とにかく歴史を語ってこれほど興味深い本は稀なので、一人でも多くの方に読んでいただきたい。
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