目 次
ロシア専門家の佐藤優によるプーチン論
プーチンのことを改めて徹底的に理解しようと佐藤優の「プーチンの野望」を一気呵成に読んだ。
これは非常に有用ではあった。これを読むことで、僕のプーチンに対する理解が深まったことは確かである。
さすがは佐藤優だと感心もするが、一方でこの本は相当に問題も孕んでいて、決して手放しで歓迎できる本ではない。
いかにも残念な、微妙な一冊というしかない。
プーチンの情報は得られることだけは間違いないので、読んで良かったとは思うし、人にも薦めたいが、最近、意識的に佐藤優の著作を避けてきた僕としては、かなり複雑な心境だ。
熱心な愛読者だった僕は、佐藤優と決別した
僕は元々佐藤優の熱心な愛読者であった。
佐藤優の本は、今までそれこそ山のように読んできた。
一時は立花隆に次ぐほど夢中になって、片っ端から読んでいたものだ。
だが、佐藤優はあまりにも本を出し過ぎた。毎週のように続々と新刊が出版されるのについていけなくなっただけではなく、その内容も始めの頃に比べて明らかに落ちてきた感は否めなかったし、同じ内容の本を手を替え品を替えて、出しまくっているという感が強まってきて、少し敬遠し始めていた。
要は手抜き感が伝わってきた。
だが、その点は実はそれほど重要ではなかった。そんな手抜きを感じても、読んでみれば、どんな本であっても必ずや得るところがたくさんあって、捨て難い魅力は健在だったからである。
スターリン論を読んで幻滅
僕が佐藤優を許せない、こんな人の本はもう読むのをやめようと思ったのは、彼の書いたスターリン論を読んだときだった。
スターリンを美化し、彼を非常に高く評価しているのを読んで、ひどく幻滅させられたのだ。
僕もスターリンのことについては、それなり詳しいつもりで、僕の中のスターリン評価はソ連という共産主義の実験国家を成功させるためには、スターリンのような国民に対する抑圧と個人崇拝もある程度は必要悪として認めざるを得ないとは理解しつつも、そうは言ってもやっぱりスターリンのあの大粛清は許せない、あの猜疑心の塊のスターリンという人間だけは許せない、こう考えている。
ところが佐藤優は、発想が逆で、大粛清などひどいこともやったが、それはソ連という国をまとめ、共産主義国家を建設するためには必要だったとする。
ひどいこともやったが、それも国と共産主義実現のためだから批判はできないとする佐藤優。
共産主義実現のためにやむを得ない点もあったが、あの大粛清は絶対に許すことができず、史上最悪の独裁者だったとする僕との明確な相違だ。
決定的だったのは、この熱々たけちゃんブログでも紹介した佐藤優の「悪の処世術」だった。この中でスターリンが取り上げられていて、信じられないスターリン擁護論が展開されて、僕は辟易させられた。
これを紹介した記事はこれだ。
『佐藤優「悪の処世術」:11人の独裁者の素顔と生き様を佐藤優が斬る!有用で興味尽きない一方、いたく失望させられた記述も!』
それ以来、僕は佐藤優と決別し、彼の本は一切読まない決心をして、今に至っている。
それでもまた読んでしまった佐藤優作品
二度と読まないと固く決心していたにも拘らず、今回は読んでしまった。
理由はただ一点。プーチンのことをもっと詳しく知りたかった、ただそれだけだ。
読めば読んだで、今まであれだけ膨大な量の佐藤優の本を読んできただけに、懐かしさもやっぱり込み上げてくる。
別れた昔の恋人と再会したような感じと言ってもいいだろうか。
そして、内容的にもやっぱり佐藤優の旧ソ連とロシアに関する本は、参考になると感じた。さすがは佐藤優にしか書けないプーチンの真実が良く伝わってくる。
確かにそうだったのだが、今回は二度と読まないとの決心を覆して読んだ久々の佐藤優作品だったが、新たに色々な問題点とありえない記述があったので、本に書かれた内容の紹介、つまりプーチンに関することよりも、佐藤優のこの本の在り方の方の話しに熱が入ってしまうかもしれない。そんな気がする。
スポンサーリンク
佐藤優のこと
佐藤優のことはこのブログでも何度も取り上げてきたが、基本的な点だけは紹介しておきたい。
本書の著者の紹介部分をそのまま引用するのが一番確実だと思われるが、過去の著作の紹介については、本書に著しい偏りがあるので、そこはカットしている。
【佐藤優】
1960年東京都生まれ。同志社大学大学院神学研究科終了後、専門職員として外務省に入省。在イギリス大使館勤務、在ロシア大使館勤務を経て、外務省国際情報局で主任分析官として活躍。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕・起訴され、09年6月に執行猶予付き有罪確定(13年6月に執行猶予期間が満了し、刑の言い渡しが効力を失った)。
著者に『国家の罠』(毎日出版文化賞特別賞)、『自壊する帝国』(新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞)、『十五の夏』(梅棹忠夫・山と探検文学賞)、(中略)など多数。20年12月、菊池寛賞(日本文学振興会主催)を受賞。同志社大学神学部客員教授も務める。
以上が、本書に掲載されている公式のプロフィールだが、本当に佐藤優の著作は多数ある。膨大な量だ。
ラスプーチンならぬ知の怪物との異名
佐藤優は外交官として、特にインテリジェンス分析の第一線でバリバリと働いていた優秀な官僚だったわけだが、例の鈴木宗男との関係があまりにも密接になり過ぎて、鈴木宗男が逮捕された際に一緒に逮捕され、結局は有罪が確定した外務省元主任分析官である。
あの逮捕がなければそのまま外交官を続けていたわけで、しかも官僚時代に文筆活動はしていなかったので、あの事件を契機に全く人生が一変してしまったことになる。
そして突然、言論界に登場したわけだ。こういうことがあるんだと驚くしかない。
運命の悪戯としか言いようがないが、元々キリスト教のプロテスタントを深く学んだ人で、その読者量が半端じゃなかったことを受けて、当代随一の文筆家に名乗りを上げた格好である。
すごいのはその幅の広さ。
外交官としてソ連とロシアの専門家になったこともあって、資本論を始めとするとマルクスとマルキシズムに深く通暁している。
その一方で、日本の古典や文学にも通じており、論壇では右派からも左派からも一目も二目も置かれる存在だ。
本当に僕は彼の膨大な著作を片っ端から読んできた中で、佐藤優は右翼なのか左翼なのか、検討がつかない。そういう範疇には収まりきれない巨大な存在というしかない。
立花隆の知の巨人に対して、「知の怪物」と言われているが、その容貌からしてもいかにも怪物にふさわしい、得体の知れない鵺(ぬえ)のような存在だ。
スポンサーリンク
「プーチンの野望」の基本情報と全体の構成
2022年6月6日初版発行の新書本。僕の手元にあるものは6月10日発行の2刷版である。本文は267ページの薄い新書である。
本当に直ぐに読めてしまう。
全体は「はじめに」に続いて7つの章から構成されている。
はじめに
第1章 仮面のプーチン
第2章 プーチン 独裁者への系譜
第3章 20年独裁政権構想とユーラシア主義
第4章 北方領土問題
第5章 クリミア併合(28ページ)
第6章 ウクライナ侵攻(44ページ)
終 章 平和への道程(21ページ)
僕は緊急出版!と称してこの時期(2022年6月・・・ウクライナへの侵略が開始されてから4カ月後)に出された「プーチンの野望」というタイトルの新書ならば、本書でいうところの第5章と6章にテーマを絞り込んだ、あくまでも今年(2022年)2月24日から始まったロシアによるウクライナ侵略戦争と、それの前哨戦となっていた2013年11月の「マイダン革命」とその直後の2014年4月のクリミア併合以降にテーマが絞られているものと信じ込んでいた。
今回の戦争を受けての全編書き下ろしだと、誰だって思う。
それを説明する前提として、プーチンがエリツィンの後継指名を受けて彗星の如くロシアの大統領に就任した経緯などについては、当然紹介されるだろうが、あくまでもメインは今回のウクライナへの侵略戦争とその重大な伏線としてのクリミア併合、更にその直前に起きたマイダン革命のことについて詳細に分析がなされるものと期待していたが、そうではなかった。
本書全体が267ページしかないのに、その肝心な部分は最後の終章を含めても93ページしかない。3分の1である。
本書を読むに当たっては、その点に注意して読む必要がある。
もちろん、前段というかクリミア併合に至る3分の2部分も、プーチンという特異な独裁者を理解するためには、絶対に必要な部分であることは理解できなくもないのだが。
佐藤優の過去のプーチン記事をまとめただけ
注意してほしいのは、今回のロシアのウクライナへの侵略戦争に直接関係する部分は全体の3分の1しかないということだけではなく、その前段の3分の2、つまり176ページまでは新たに書かれたものではなく、佐藤優がプーチンについて今までに、あっちこっちで書いてきた過去の文章をまとめ、最後に今回の侵略戦争を追加しただけの本ということだ。
緊急出版!とは言っても、60ページほどの新たな書き下ろしがあるだけで、全体の8割は既に何らかの本、媒体等で発表されているものばかりということ。
この点をどう評価すべきだろうか?
実は、僕はそのこと自体をあまり責める気にはならないというのが正直なところ。
佐藤優のプーチン論をまとめるに当たって、佐藤自身が過去に書いてきたプーチンに関連する文章を集めてくること自体は、何もおかしくない。
僕の個人的な願いとしては、その過去の記事をもとに、全編を全てリニューアルして欲しかったと思うが、そうはなっていない。それぞれの章の最後にだけ、直近の状況を追記しているのだが、全体を改めてリニューアルしたというのとは随分異なる。最後の部分に少し追加しているだけだ。
まあ、そんな扱いだってあるだろう、そうは思う。
このことについて、佐藤優自身は、本書の「はしがき」で、「本書は、私が職業作家になった05年以降、さまざまな媒体に発表したプーチン論を再編集し、加除修正を加えたものだ。この機会に昔の原稿を読み直してみたが、基本線について変更することはなかった」と書いている。
加除修正がどこまで行われたのか詳細は不明だが、僕には各章の終わりにホンの少し、追記しているようにしか思えない。
新しい書き下ろしの文章が、最後の60ページ足らずだというのは、残念なことだが、そのこと自体を取り立てて批判する気はない。
スポンサーリンク
僕の不満は、そもそもの内容と文章のレベル
僕の不満はズバリ、佐藤優がかつて書いたプーチン論の内容そのものとその文章表現にある。
書いてある内容は佐藤優のオリジナルのもので、さすがに佐藤優でなければ書けない内容もあるのだが、全般を通じて掘り下げが浅いと感じる部分が少なからずある。
佐藤優ならもっと深く掘り下げて、読者を思わず唸らせるよう内容を、力強い文章で書けるのではないか。
本当にえっ!?と感じるのは、文章にキレがないというか、かなりレベルの低い記述が目立つ。
僕が熱心に読んできた山のような佐藤優の本にそんなことを感じたことは、今までほとんどなかったのだ。
佐藤と訣別したのは、スターリン擁護の考え方に付いていけないものを感じただけで、その文章に不満があったわけではない。
佐藤優の魅力の一つは、その説得力のある骨太の文章にある。とにかく文章力は傑出していると感じていた。文章のうまさは抜群だと。
それがこのプーチン論では、なぜか文章が非常に平板で、力がない。薄っぺらいのである。
思わずどうしたんだろうと心配になるレベル。
スポンサーリンク
佐藤優の力は落ちているのだろうか?
判断が何とも難しい。
最近の佐藤優があまりにも本の出版を乱発させていて、そのせいで手抜きになっているのなら、話しは単純なのだが、そうではない。
僕の本書の文章の不満は、主に佐藤優が以前に書いた記事に対してなのだ。
昔から佐藤優はこんなレベルの低い文章を書いていたのだろうか?僕は最近までズッと佐藤優をフォローしてきたので腑に落ちない。
しかもプーチンに関する記事といえば、佐藤優の最も得意とするところに違いないのだが、こんな薄っぺらいプーチン論を書いてきたとは意外であった。
もちろん、僕はその中の多くをかつて読んだことがあるのだが、プーチンについてはこんな文章しか書いていなかったのかと少々戸惑っている。
僕が決別した佐藤優を少し美化してしまっていたのかもしれない。
あの類稀な文章力と説得力は幻だったのだろうか?
今回の最新の書き下ろし部分を読むと、それほど文章力の衰えは感じないので、最近の手抜きというわけでもないことは判明した。少しホッとしている。
過度の期待をせずに読めば、満足できる
というわけで、残念ながら、本書に展開されるプーチン論は、あまりレベルの高いものではないと言わざるを得ない。
情報量として参考になることはそれなりに多いので、あまり大きな期待をせずに読んでもらえば、得るものはかなりあるのではないか。
そう割り切って読んでもらうのが良さそうだ。過度の期待をせずに読んでいただければ、それなりに満足できるに違いない。
スポンサーリンク
もう一つの大問題:創価学会への賛美
実は、本書には更に深刻な問題がある。これをどう考えたらいいのだろうか?
それは最後の最後、正にエンディングとしての今回の戦争に対する佐藤優の思いをまとめた終章の「平和への道程」である。
そこで佐藤優は徹頭徹尾、創価学会への賛美と称賛を展開するのである。
全体をパラパラとめくっていた時から気になっていたことだ。
佐藤優は、ロシアによるウクライナへの侵略戦争の終息を願うに当たって、池田大作と創価学会の活動を全面的に取り上げ、称賛して止まない。
これは言論人としてどうなのか?ということがあるが、筆者が池田大作と創価学会を賛美する必要性を本気で感じているのなら、何も問題はない。
それは言論の自由、ズバリ表現の自由である。
だから、そのこと自体を糾弾するつもりは毛頭ないのだが、実はこの新書は潮出版社から出ているものだ。
潮出版社というのは知る人ぞ知る、ズバリ創価学会の出版部門である。
創価学会が出版している本に、稀代の言論人、知の怪物として知られ、論壇の重鎮として広くリスペクトを集める人物が、こんな重大な、今や世界中の最大関心事であるウクライナ侵略戦争の今後を考える本のエンディングに、創価学会の称賛で締め括られるというのは、どう考えても異常としか言いようがない。
繰り返すが、佐藤優が自身の信念として、今も繰り広げられているロシアによるウクライナ侵略戦争に対して、創価学会を称賛したいというのなら、論壇の重鎮としていかがなものかと個人的には思うが、何ら問題はない。要は読む人が評価する話しである。
ところが、創価学会が出版している新書の最後に創価学会のことを口を極めて称賛する、これは出版社に対する忖度ではないのか。ゴマスリではないのか、そう思われても当然だろう。
全く愚かなことをやってくれたものである。ありえない。佐藤優は信用するに足りない人間だと判断されても仕方がない。
スポンサーリンク
池田大作への賞賛は構わない
この問題は重大なので、もう少し詳しく展開させてもらう。
問題となる終章の「平和への道程」は、そもそも池田大作のことが取り上げられている。
池田大作SGI(創価学会インターナショナル)会長とミハイル・ズグロフスキー博士(ウクライナ国立キエフ工科大学総長=当時)との2008年に行われた対談である。
その2人による対談のエッセンスを本書の引用で読む限り、極めてまともなことが書かれていて、何も問題はない。池田大作がどのような人物であろうと、ここに書かれていることは、全くそのとおりで、僕は素直に受け入れることができた。
池田大作は僕が信奉するゴルバチョフともかつて長い対談を行っており、それも極めてまともな感動的な対談であった。
だから、僕は今回のロシアによるウクライナへの侵略戦争の停戦、終結に向けて最後の下りに池田大作とウクライナのキエフ工科大学総長の対談を引き合いに出すことには、それほど抵抗はない。それが最適かどうかはともかくとして、そのような話しの展開は決しておかしなことだとは思わない。
本書が最後に池田大作の対談を取り上げていることに対して、かなりの批判があることは認識しているが、そのこと自体を否定するのは過度な反応だと思う。「対話」の重要性を訴える実にまっとうな対談である。
だが、佐藤優は、本書を締めくくるに当たって、池田大作のウクライナの著名知識人との対談を離れ、創価学会とSGI(創価学会インターナショナル)を口を極めての称賛を隠さない。
「創価学会とSGIが存在することは、戦乱の世界における大きな希望といえるだろう」これが本書の締めくくり、最終行の言葉である。
これはどうなんだ。この本の出版社は創価学会である。まさに創価学会とSGIへの無用な忖度、魂を売ったと言われても仕方がない。言論人がやってはいけないありえない記述。
本当に残念なことである。
佐藤優批判に終始してしまった感あり
こんなに長く書いてきたのに、今回の記事は佐藤優のプーチン論の紹介、今も続くロシアのウクライナへの侵略戦争をプーチンがどのように捉え、こんな無謀にして残虐な戦争を継続している中、何とか止める方策はないのか、という一番重要なことを少しも紹介できずに、佐藤優への不満と疑問を全面に打ち出してしまった。
いわば「プーチンの野望」における佐藤優批判となってしまった。
こんなつもりではなかったが、この点に触れないわけにはいかず、こうなってしまった。お許しいただきたい。
スポンサーリンク
著者が強調するプーチンの発想とウクライナ
最後に肝心な点について、ポイントだけ触れておきたい。
一言でいうと、プーチンにはロシアの立場で言い分があり、そのプーチンの考え方を理解しようとせずに、一方的にプーチンとロシアを責めても駄目だ。ウクライナ側にも問題はあるという歴史的な経緯を強調する。
そのプーチン擁護を、僕は決して支持するつもりはないが、プーチンにはプーチンの思想と考えがあり、それを一切無視して批判だけしていても問題は決して解決しない、したがって戦争が終結することはないということは確かだろう。
それは分からないわけではない。佐藤優も今回の侵略戦争を決して許せないとは強調しているが、100%ロシアだけが悪魔のような悪者で、ウクライナとゼレンスキー大統領側が全くの被害者で1%の非もない、ということではないということだ。
佐藤優があの鈴木宗男と活動を共にして、鈴木宗男逮捕のあおりを受けて、自身も有罪判決を受けるに至ったことを知らない読者はいないだろう。
その鈴木宗男がこのところ(日本維新の会の議員に収まっている)ネットで今回の戦争について発言を増しており、その論調があまりにもロシアびいきであり、ウクライナに停戦を受け入れさせる内容ばかりなので、現在、大顰蹙を買っているところだが、佐藤優はやっぱり鈴木宗男と意気投合してロシアでの仕事を進めてきた人間だけに、基本的な論調は似かよったところがある。
もちろん鈴木宗男の主張ほどおかしなことは書いていない。要は一方的にプーチンだけが悪くて、ゼレンスキーとウクライナには非がないというわけではないということを、分かりやすく解説している。
プーチンはなぜウクライナをナチと批判?
もう少し、具体的に踏み込んでみたい。
佐藤優は本書の中で、今回の戦争の背景にはロシアとウクライナの歴史的解釈の違いがあるという。特にガリツィアと呼ばれる西ウクライナの政治エリートと知識人によって進められた「ステパン・バンデラの名誉回復」が重要な争点だという。
ステパン・バンデラ(1909~59)は、一時期ナチスドイツに協力し、ユダヤ人、ポーランド人、スロバキア人、チェコ人の虐殺に従事した。そのバンデラの名誉回復を推し進めようとしていることが、ロシアからはナチスの復活とみるわけだ。
ロシアの歴史解釈、すなわちプーチンによれば、バンデラ主義者はナチスの仲間であり、したがって、現ウクライナ政権(ゼレンスキー)=バンデラ主義者=ナチス主義者という乱暴な図式が成り立ってしまう。
是非はともかくとして、このような歴史的背景が今回の戦争の遠因となっていることを見逃してはならないとするのが、佐藤優の主張である。
佐藤優は本書にこう書いている。
「今回の戦争で、ロシアがウクライナに対して非道な蛮行を働いているのは間違いない。無辜のウクライナ人をたくさん殺していることは、紛れもない事実だ。しかし、ウクライナもロシア人に対して同様のことをやっている。その根っこの部分には、反ソ連(ロシア)の活動に邁進したバンデラ主義者の問題があるのだ」と。
そういう発想で考えることは確かに必要。その意味においては、有用な1冊と評価したい。
色々と痛烈な批判をしてしまったが、本書から得られるものが多いことは間違いない。是非とも実際に読んでいただき、僕が展開した佐藤優への批判の是非についてもご意見をいただければありがたい。
☟ 興味を持たれた方は、どうかこちらからご購入ください。
880円(税込)。送料無料。 電子書籍もあります。870円(税込)。