衝撃が止まらない大変な一冊!

ものすごい本を読んだ。この衝撃は中々収まらない。日本の近代史に関する本の中で、これだけ衝撃を受け、深く考えさせられた本はない。

幕末から明治維新(1868年)、更に日本の敗戦(1945年)に至るまでの約100年間の歴史は、僕にとっても長い日本史の中でも最も興味あるところの一つで、色々と何冊も本を読み、自分なりに日本のあの未曾有の大被害をもたらした敗戦、明治維新がそれほどいいものだったとは決して思わないまでも、何だかんだと言って、あれだけ急激に力をつけた日本が、最後にあんな壊滅的な敗戦を迎えるようになってしまった、その原因はどこにあったのか?どこで道を誤ったのか?

どこで軌道修正をしていれば、あんな悲劇を迎えずに済んだのか?

こんな疑問はいつも僕の脳裏から離れない。

そんな中で、たまたま書店で見かけて読み始めたこの本。NHKの大河ドラマ「西郷どん」(2018年)の放送もあって、否が応でも西郷隆盛の話題に事欠かなかった頃だったと思う。

そう。この本は、購入して直ぐに読み始め、大変な衝撃を受けながらも、西郷隆盛の章を一気に読み終えてからは、他の部分を読み終えるのに少し時間がかかってしまった。中断してしまったのだ。今回はもちろん全体を読んだ上での紹介である。全体を読み終えた上で、中核部分の西郷隆盛の部分は再読した。

とにかく抜群におもしろい。あまりのおもしろさとビックリ仰天の展開に、衝撃を受ける。いつまでも尾を引く強烈な衝撃だ。

かなり印象的な文庫の表紙。正にドーダという感じだが。

全体の構成は

総ページにして500ページ近い(476頁)かなり厚めの文庫本である。タイトルは「ドーダの人、西郷隆盛」となっているが、元々のオリジナルの単行本のタイトルは「ドーダの近代史」。日本の近代史の複数の政治家・思想家を取り上げており、水戸学から始まって、高杉晋作、そしてメインの西郷隆盛。西郷に続いては、中江兆民、頭山満が取り上げられている。

かなりの厚さではある。
目次はこうだ。ドーダの文字が躍るが。

全てが西郷隆盛に繋がる

それぞれは独立しているのだが、いずれも西郷隆盛との関係に集約されるように書かれており、全体を通じて西郷隆盛について書かれた本と言っていい。

僕も西郷隆盛には非常に興味を持っており、今まで多くの本を読んできたが、こんな思ってもみない視点で西郷を描いた本は皆無であり、その衝撃度は類を見ない。唯一無二の衝撃的な西郷隆盛像を描き出し、西郷隆盛が後世と現在にまで及ぼしている影響力の強さが、冷徹に分析されていく。

この希代の英雄、多分、日本で最も愛されている国民的英雄の「罪と罰」、功罪が暴かれるといった様相だ。

スポンサーリンク

著者の鹿島茂のこと

著者の鹿島茂はフランス文学者として著名な人。フランス文学とフランスやパリの歴史や風俗について実におもしろい本を量産している。

僕はこの人の日本の近現代史の本は、今回初めて読んだのだが、とにかくめちゃくちゃおもしろいばかりか、その内容の衝撃度に驚ろかされた。他にはちょっとない本。フランス文学者がこんな日本の近現代史を描いたことに素直に脱帽。ものすごい慧眼に圧倒されてしまった。

その鹿島茂だが、神奈川県立湘南高校を経て、東京大学文学部仏文学科卒業。共立女子大学助教授・教授を経て2008年より明治大学教授を務め、2020年に定年退職したという経歴の持ち主だ。

めちゃくちゃおもしろい「ドーダ」学 

その衝撃的な内容について紹介する前に、先ずはこの本のタイトルとなっている訳の分からない「ドーダ」について。

ドーダ学というものをこの本の中で鹿島茂が提唱しているのだが、このドーダというのが頗るおもしろい。

ドーダ学のドーダというのは、誰かが周囲に対して偉そうに言う時のあの「どーだ、まいったか!」の「どーだ」である。自慢するときのあのドーダ。

そのドーダが全ての歴史を動かして来たという理論である。へぇぇ!?

元々はあの東海林さだおが「もっとコロッケな日本語を」の中で書いたのが始まり。それに鹿島茂が飛びついたというわけだ。

これがドーダ学が提唱された東海林さだおの文庫本。今は絶版で入手できない。残念だ。

もう少し詳しく言うと、ドーダ学は「人間の会話や仕草、あるいは衣類や持ち物など、ようするに人間の行うコミュニケーションのほとんどは、『ドーダ、おれ(わたし)はすごいだろう、ドーダ、マイッタか?』という自慢や自己愛の表現であるという観点に立ち、ここから社会のあらゆる事象を分析していこうとする学問である」ということだ。少し笑える。

それを受けて、鹿島茂は「調子に乗った私は、文学史に限定せずに、日本の歴史、次には世界の歴史にもドーダ理論を適用してみた。驚くべし、世界史の万能カギを手にいれたようにスパスパと解けてしまう。もしかすると、ドーダ理論は世界最強のグランド・セオリーなのかもしれない」と主張し、「ドーダ理論をトンデモ本と混同されては元も子もない。こちらは、大まじめなのである」と本人はいたって真剣なのだ。

「ドーダ」の定義もちゃんと定められているのがおもしろい。
『ドーダとは、自己愛に源を発するすべての表現行為である』と。

分かるようで、これは少しジョークの要素もあるんじゃないかと思いたくなってしまう。

この本はある意味で少し軽いノリで書かれている。ドーダ学、ドーダ理論なんて、ホントにそうかなあ?それってあまりにも当たり前過ぎて、フランス文学の日本を代表する大学者にして大作家が言うのは、少しどうなのか?

本人も誤解を恐れているが、やっぱりトンデモ本の類いじゃないのか?と思えなくもない危なっかしい話し。だから、鹿島茂も肩の力を抜いて、気軽に書いているようにも見受けられる。

気取らない、飾らない文章。べらんめえ調の気楽な文章。僕が普段読み慣れている様々な作家の文章に比べると随分とくだけた文章のように感じる。

それでいて書かれている内容は、ものすごい。ここには手抜きは一切ない。実に衝撃的な内容なのだ。このギャップに驚かされる。恐るべし、鹿島茂!

スポンサーリンク

日本人が大好きな西郷隆盛を滅多斬り

ドーダは、普通は自分の自慢をドーダとやるわけだ。あの人望の厚い大カリスマの西郷隆盛がドーダを振りまいたとは少し考えにくいのだが、鹿島茂はこの本の中で、西郷隆盛の生涯を大きく二分し、明治維新を成し遂げ、江戸城無血開城を実現させるまでの前半と、その後、明治政府の参議となりながらも、有名な明治6年の政変によって下野した以降とを区分けして考えている。

問題とされるのは偉業達成後の「陰ドーダ」

鹿島茂はこの本の中で、日本人が好む西郷隆盛の生き様が、実は西南戦争によって西郷隆盛が自刃してしまった後、実際の戦には負け、首を刎ねられたにも拘らず、その後の影響力では結果として勝利し、日本人のメンタリティに絶大な影響を与え、そのことによって日本は道を誤り、悲劇的な敗戦を迎えた。

すなわち、日本人の内なる西郷隆盛的な心情が日本を滅ぼしたと大胆に言い放つのである。

西郷隆盛が明治維新を達成した後の後半生の生き様を、「陰ドーダ」と定義づけ、この西郷の陰ドーダが日本を滅ぼしてしまったと主張する。

やっぱり西郷隆盛には魅力を感じてしまうのだが。

 

だから、日本ではいつの時代にあっても、西郷隆盛を求め、西郷隆盛の出現を願うけれど、それはダメ。否定しなければならないと断言する。

この衝撃に、貴方は耐えられるか!?

スポンサーリンク

日本を滅亡に導いた統帥権独立は、西郷対策として誕生

実は、元々西郷隆盛が日本の敗戦を導いた張本人だとする考え方は、前から存在している。

戦前の日本があの軍部独裁を許してしまった最大の要因の一つが、いわゆる「統帥権独立」にあったことは誰もが認めるところであり、その問題の「統帥権独立」が西南戦争終結の翌年に誕生しているからだ。

このことはこの本書の中では触れられていないのだが。

「統帥権独立」とは何か?

統帥権は大日本帝国憲法で認められた天皇大権の一つで、天皇が統帥権を行使するには当たって、軍部が権限を独占し、総理大臣であろうが、文官や政治家は一切口を挟むことができない。正にアンタッチャブルな問題として、軍部の独占とした。これが軍部の独走を許してしまったという考え方だ。

これは確かにそうだろう。全くもって酷い制度を考え出したものだと、今だったら誰だってそう思う。

山縣有朋が考え出した統帥権独立

これを考え出したのは山縣有朋である。この山縣有朋という人物は、小人物だったにも拘らず、うまく歴史の間隙を泳ぎ切って、総理大臣にまで上り詰め、83歳の天寿を全うしたのだが、日本の軍事大国化を実現させた人物で、明治以降の日本の運命と行く末を決めた問題人物である。

戦前の政治制度の問題点を歴史的に辿って行くと、ほとんど全てについて、山縣有朋が絡んでいるという事実に突き当たる。

山縣有朋が考え出した様々な制度の中でもその後の日本に決定的な影響を及ぼし、遂には国家の壊滅的破壊をもたらした最も重要な原因が、「統帥権独立」に他ならないと考えられているのである。

西南戦争の反省と再発防止から誕生

では、どうしてこんな制度を考え出したのかと言うと、それは西郷隆盛との戦いの中で生まれてきた。

長州出身の山縣有朋は元々、西郷隆盛を深く尊敬し、正に西郷隆盛信者の急先鋒だった。だが、例の明治6年の政変によって、西郷が下野してからは袂を分かつことになる。

そして勃発した西南戦争。これは迎え撃つ明治政府としても大変な事態であった。その時の反省と再発防止、今後の対策として山縣有朋が考え出したのがこの統帥権独立だったのだ。

このような軍事的な大事件については、いちいち閣議や話合いなどを重ねていては、対応できない。軍がスピーディーかつ的確に対処するためには、軍部が直接に天皇とだけ相談し、その裁可を求める必要がある。そのしなければ、あの巨大な西郷隆盛のような存在には太刀打ちできない。こういうことだったわけだ。

正に西郷隆盛の強大な力と影響力の証明に他ならなかった訳だが、こうして西郷隆盛を契機として生み出された統帥権独立が、やがて軍部に徹底的に利用され、昭和に入って、日本は軍部の独走を許すことになってしまう。

非業の死を遂げた西郷隆盛の怨念だったと言えるのかもしれない。

鹿島茂は統帥権には一切触れず

このことは、今回の鹿島茂の本の中では一言も触れられていない。僕がこのことを明確に知ったのは、あの加藤陽子の名著「それでも日本人は戦争を選んだ」の中でだった。

鹿島茂の西郷隆盛が日本の敗戦を導いたとする考え方は、これとは全く別物である。

もっとすごい。もっと本質に迫る深刻な問題の提示なのだ。

スポンサーリンク

鹿島茂が断罪する西郷隆盛的なもの

鹿島茂は制度やシステムではなく、もっと精神的なことを問題としている。

西郷隆盛の「陰ドーダ」が、日本人、特に勝利したはずの日本の軍人たちに広く浸透し、その考え方があの無謀な日中戦争、更に太平洋戦争に突入してしまった要因だと言うのである。戦前はおろか現在に至るまで、我々日本人はみんな西郷隆盛に完全にマインド・コントロールされていると主張する。

その詳細、具体的に何を言っているのか、特に鍵となる陰ドーダについては、どうか本書を直接読んで、衝撃を受けてほしい。ここで僕が詳しく説明してしまうのは、避けたい。

日本人はみんな西郷隆盛が大好きだ。明治維新を実現させた最大の功績者にして希代の英雄が、その後も私腹を肥やしたりすることとは無縁で、質素を貫き通し、それどころか弟の屋敷に居候をし、普段着は一枚きりで、いつも裾の短い薩摩かすりに兵児帯を二重巻にして走り回っている姿。

そんな西郷に日本人のほとんどが限りない信頼を寄せる。

この人を全面否定しなければならないのは辛いが・・・。

 

だが、そんな心情こそ最も危険であり、国を滅ぼしかねないという鹿島茂の驚愕の指摘を、どうか直接読んでいただきたい。

最高の権力者でありながらも清貧を貫いた西郷隆盛のどこがいけないのか?どうしてそれが非難されてしまうのか?

スポンサーリンク

衝撃と感動のコペルニクス的転換がテンコ盛り

ルソーの「社会契約論」は、現在の眼から見れば、最も過酷なファシズム=スターリニズムの原理書であるなど、今まで信じてきたことを真っ向から否定され、正にコペルニクス的転換を迫られる中江兆民論など、驚きの理論が続出する。この衝撃に耐えられるのか。常識が根底から覆される鹿島茂の理論を、しっかりと味わってみてほしい。

僕はこれ以上はない程の衝撃を受けたが、一方で、目から鱗が落ちる思いの連続であった。実におもしろく、ワクワクドキドキが止まらなかった。

そして、この本を読み終わってから世界が少し変わって見えた。この体験は貴重なものだ。正に納得させられ、感動を余儀なくされる歴史書としか言いようがない。

巻末に付けられた思想史家の片山杜秀との特別対談「ドーダ理論こそ、最強の歴史分析ツールだ」も、読み応え十分で、大いに楽しめる。

騙されたと思って、是非読んでほしい。日本人への警鐘の書でもある。


興味を持たれた方はこちらからご購入ください。 

1,210円(税込)送料無料。電子書籍もあります。値段は一緒。

 


ドーダの人、西郷隆盛 (中公文庫) [ 鹿島茂 ]


ドーダの人、西郷隆盛【電子書籍】[ 鹿島茂 ]

スポンサーリンク

おすすめの記事