昭和史の大家が池上彰と平成を振り返る

久々に半藤一利さんの対談本の紹介に戻る。今回は昭和史の大家にして専門家である半藤一利さんとしては非常に珍しい平成史を語った本だ。

その対談相手があの知らない人のいない池上彰だ。

これはあの池上解説がたっぷりと聞ける平成の約30年間を様々な視点から語り尽くした興味の尽きない本。実際に本当にめちゃくちゃおもしろく、まだ最近の出来事が語られるだけに、記憶も切実感も生々しく、実に興味深く読めた。

本のタイトルは何故か「令和を生きる」である。終わったばかりの平成の問題点と課題は、そのまま現在の令和に直結している事柄ばかりである。

平成の30年間をしっかりと振り返って、今の令和を生きていく。そんな貴重な対談が繰り広げられ、これは一人でも多くの方に読んでいただきたい本となった。

紹介した新書の表紙の写真
表紙の写真。心なしか半藤一利さんの表情がさすがに疲れているように感じてしまう。89歳であろう。

半藤さんはこの対談の後、数カ月後に逝去

半藤一利さんが90歳の天寿を全うして逝去されたのは、今年(2021年)の1月12日のことだった。もうかれこれちょうど丸一年となる。

この池上彰との平成史を振り返る対談は2019年に行われているので、亡くなる1年前、ほぼ最後の対談であり、執筆となった。

これは半藤一利の遺言のような意味合いを持つ極めて重要な本だと思えてならない。それが専門の昭和史ではなく、珍しい平成史。この辺りにも何か特別な因縁というか、主に戦前の古い昭和史を詳細に語り継いで来た半藤一利が、珍しく平成史を語って亡くなったことに、今の現代人に対するいつも以上に生々しい思いが聞けて、感慨深いものがある。

昭和から平成に引き継がれたもの。その平成から令和に引き継がれようとしているもの。そこに半藤一利は何を感じていたのか?

90歳を目前に控えた歴史探偵が語る平成史は、色々な意味で読み応え充分である。

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念のため池上彰のことを

池上彰のことを知らない人は本当にほとんどいないと思われるが、どこまでちゃんと知っているのかというと、それはまた別問題かもしれない。

最近の人は池上彰という人が元々どういう人で、どういう経緯で今日のステイタスを確立することに至ったかを振り返っておくことも意味があるかもしれない。

池上彰は、元々はNHKの人気の高いアナウンサーであった。社会部の記者やニュースキャスターを務めていたが、特に池上彰を一躍有名にしたのは、今日ではもう番組はなくなってしまってしまったが、10年以上に渡って出演し続けた「週刊子供ニュース」だった。この番組でお父さん役とキャスターを務めたことが今日の池上解説に直結しているのかもしれない。

2005年に55歳でNHKを退職し、以来15年以上に渡って本を出版し、テレビでニュース解説を行って今日に至っている。

平成の31年間を、「失敗」の視点から振り返る

本書「令和に生きる」には、サブタイトルが付いている。それは「平成の失敗を越えて」である。単純に平成の31年間を振り返るのではなく、あくまでも「失敗」に拘って、この「失敗」を振り返り、その原因がどこにあって、それをこれからの令和に活かしていくためにはどうしたらいいのかという視点で書かれているのが本書の肝である。

冒頭の「はじめに」の対談の中で、池上彰が「平成の31年間にも、実にさまざまなことが起きました。それらを昭和、あるいはそれ以前の出来事から照らして見たときに、重なるところがありはしないか。いまに至る岐路は何だったのか。そして令和という新しい時代を生きていくための教訓を見出すことができるのではないか。半藤さんとじっくり話し合いたいと思います」と言っている。

本書の表紙には「政治の劣化 経済大国からの転落 溢れかえるヘイトとデマ この過ちを繰り返してはならない」と目立つように書かれているのはそういう趣旨だ。

半藤一利と池上彰という稀代の知識人による「平成失敗史」は、実ににおもしろくスリリングだ。

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失敗のテーマは主に8つ

本書で語られるテーマ、平成の失敗として語られるテーマは8つある。いずれもまだまだ生々しく、今でも引きずっているテーマばかりである。ほとんど本書の目次そのものになるが、こういうテーマだ。

1.政治の劣化「小選挙区制導入」
2.災害で失われたもの「福島原発事故」
3.原子力政策の大いなる失敗
4.ネット社会に兆す全体主義
5.誰がカルトを暴発させたのか「オウム真理教」
6.「戦争がない時代」ではなかった
7.日本経済、失われ続けた30年「バブル崩壊」
8.日本人に天皇制は必要か

これらの中で特に僕が感心の強いテーマについて、少し掘り下げて紹介してみたい。

紹介した新書の裏表紙の写真
新書の裏表紙。キャッチコピーはさすがにいい表現だ。内容の紹介はごくごく一部分である。

1989年という特別な年から始まった平成

第一章の「政治の劣化」に入る前に、平成がスタートした1989年という特別な年について熱く語られる。この1989年は世界史上で非常に重要な意味を持つ特別な年である。言うまでもなくベルリンの壁崩壊と東欧革命の起きた年だ。これらが契機となって世界を分断していた冷戦構造が終結を迎えることになる。平成3年、1991年にはソ連邦が完全に崩壊してしまう。

二人の対談では、1989年のベルリンの壁が崩壊した当時に何をしていたかというあたりから話しは始まるのだが、実におもしろくワクワクしてしまう。

やがて話しは深まりを見せ、この未曽有の世界秩序の崩壊を理解できなかった日本人の話しに自らの自省の念も含めて斬り込んでいく。

半藤一利は「ベルリンの壁が崩れる前後、東欧の社会主義が次々とドミノ倒しのように崩壊していった。無血革命です。そういう大転換を欧米は目の当たりに見ていた。ところがわたくしたち日本人と言いますと・・・。少なくともわたくしは文藝春秋役員として、これは重大なことが起きているぞと訓示を飛ばした覚えがない。平成の始まりとともに世界がガラッと変わったことを日本人はまったく理解しなかったというのは、これ、何だと思いますか」と池上彰に問いかける。

それを受けて、池上彰いわく「日本では昭和64年(1989年)に昭和天皇の崩御があり、それに伴って元号が変わった。間をおかずバブルが弾けて内向きになっていくんです。世界の動乱に目をこらして考えるどころではなっかた、という感じでした」と。

更に半藤一利が「前年からのリクルート事件がまだ終わってなかったし、四月から消費税が導入されて、一円玉が不足だなんて騒ぎがあった。参議院選挙で自民党が社会党に負けて永田町には衝撃が走った。やっぱり関心は内向きだったんですね。云々」

こうして幕が開けた平成の時代。今から振り返ると大きな失敗ばかりだったことが明らかになってくる。

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政治改革としての小選挙区制導入の過ち

1988年(昭和63年)の6月に発覚したリクルート事件は政界、官界、マスコミを揺るがす歴史的な大不祥事となり、平成元年(1989年)6月には竹下登内閣が総辞職するに至る。これを受けて「政治改革」の必要性が訴えられ、それがきっかけとなって今も続く小選挙区制が導入されることとなった。

当時の衆議院で取られていた中選挙区制だと、広い選挙地盤を遺漏なく維持・運営、選挙準備していくのにカネがかかってしょうがない、だからこういうリクルート事件のようなものが起きるのだ、と。カネのかからない政治に変えるために小選挙区制にしようということだった。

小選挙区制導入に猛反対した半藤一利の奮戦ぶりも興味深いが、当時は「政治改革」が正義で、それに反対するのは「守旧派」あるいは「抵抗勢力」とレッテルを貼られたという話しが生々しい。

平成5年(1993年)に政権交代が起きた。宮沢喜一内閣への不信任決議案が可決され、衆議院解散。総選挙では新しく誕生したばかりの新生党や日本新党が議席を伸ばし、自民党と社会党主導の55年体制が崩壊。そして遂に政権交代。細川護熙内閣の誕生である。

社会主義陣営崩壊の余波で55年体制が終わり、「政治改革」の名のもとに選挙制度改革が行われ、平成日本の最初の岐路は、それまでの中選挙区制をやめて、小選挙区比例代表並立制を選んだことだと池上彰は言う。

今日の日本の政治を見ても、その最大の弊害は民意を正確に反映しない小選挙区制にあることは明らかだ。元々は政治腐敗から始まった政治改革が民意を反映しない選挙の仕組みを作り上げてしまったのだ。

政治改革の必要性に異を唱える人はいないだろう。だが、その「政治改革」という目的に対して、手段として選択した小選挙区制は、益々政治をおかしくしてしまった。あれから30年以上が経過した。令和という新しい時代を迎え、2大政党制のために必要不可欠などという日本の政治実態から完全にかけ離れた理由によって、良かれと導入された今の歪んだ選挙制度の見直しを、何とかして実現してほしいと切に望んでいるのだが。

オウム真理教とカルトに走った若者たち

平成の31年間を振り返って最も強烈な印象を残した事件はオウム真理教絡みの一連の事件であった。坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件などなど。

対談の中で、宗教法人に対してビビるようになってしまった戦後の警察の在り方が明らかにされる。うっかり触ると宗教弾圧だと言われかねないというので、警察は神奈川県警に限らずみんなビビッていた。そのことがことが結果的にオウム真理教の犯罪を見逃してしまうことになったと池上解説。

松本サリン事件で繰り返された戦前の過ちに対しても手厳しい。いったんそうだとなったらダーッとみなが流れていく。戦争中と同じだと半藤一利は指摘する。

池上彰は地下鉄サリン事件も警察の失態だったと厳しい。

高等教育を受けた優秀な若者たちを惹きつけたオウム真理教

池上彰はオウム真理教の教義それ自体はけっこう良くできており、若者たちはこの仏教の宗教理念に魅力を感じたと理解していると言う。半藤一利は若者たちに限らず、日本人の傾向として善悪二元論に立つ人たちが多く、その傾向がオウム真理教を支持した人たちの中にもあったのではないかと指摘。これは完全にいいものだと思えたら、心の空洞と言うか、それが埋められるようないい気持ちになった。光明がパッと見えたような気がして、批判的に見る視点を全く失ってしまった。マインドコントロールを受けてしまったのではないかとの指摘だ。

世紀末の不安、青年の不安に新興宗教が忍び寄るという背景があったという指摘も頷けるものがある。また、かつて若者たちは正義感から、政府を打倒しなければならないと考えて学生運動にドッと参加していった。それが全部つぶれてしまった後の長い空白を、オウム真理教が埋めていったというような事情もあったと思うと言う池上解説が説得力を持つ。

経済は二流に、官僚は三流になり下がった30年

かつて政治は二流、官僚は一流と言われたこともあったが、官僚が二流どころか三流になってしまったと二人が口を揃えて嘆く。これを受けて与党の政治家が、官僚主導はよろしくないとやたらに政治主導を唱えたという流れを明確にしてくれる。

池上解説によれば、バブルのツケである不良債権が巨額になったために、官僚の手に負えなくなり、政治家が前面に出てきた。「政治主導でやらないと問題が解決しない」という建前だったが、その実、行政の主導権、国家運営の舵取りを官僚から奪い返そうとした。政治主導で官僚の力を削ごうとしたというのだ。これを進めたのは民主党の小沢一郎だったと。

民主党政権はずっこけたけれども、それをそのまま引き継いだのが安倍政権。安倍政権では、内閣官房が各省庁の要の人事を握ることになった。とりわけ大きかったのが、内閣法制局長官の人事だったと言う。集団的自衛権を認めさせるために、安倍総理は従前までの長年のルールを破壊して、集団的自衛権を認めるべきだという考えを持つ人物をトップに据えた(平成25年)。

『安倍政権は、できるものは何でもやろうとし、実際にやった。このあたりから官僚の無力感が生まれ、「内閣官房からニラまれたら将来がない」怯えるようになる。で、ひたすら忖度することになってしまった』と池上彰は言う。

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バブル崩壊の本質とは

ここは本書の最大の読みどころの一つだ。

半藤一利が「わたくしが不得手とするところなので、ここは分かりやすく教えていただきたい」と切り出し、「バブルが崩壊へと向かう決定的な出来事とは、果たしてなんだったか」と訊ねてから始まる池上解説が、読み応え十分だ。

僕もこのあたりの経済問題には非常に疎いだけに、この池上解説をじっくりと読ませていただいて、目から鱗の連続で、非常に勉強になった。

その抜群の切れ味の池上解説の内容は、どうか本書を実際に読んでいただくとして、池上彰が「ものすごく大きなバブルは30年ごとに起きているんです。前回の日本のバブルはちょうど30年前。(中略)バブルの30年周期というのは、痛い目に遭ったひとたちが表舞台から姿を消して、それをまったく知らないひとたちが社会の中心となるのに要する期間なんです。(中略)少なくとも、バブルというものはまた起きるということを知ってなきゃいけないということです。起きたらかならず弾けますから」と予言じみた発言をするのを読んで、背筋がゾッとした。

これから令和を生きていくに当たっての必読書

具体的に紹介したテーマは、あくまでも本書の興味深いテーマの中のごく一部に過ぎない。他にも参考になること、考えさせられることが実に盛りだくさんだ。230ページ足らずの薄い新書であるにも拘わらず、そこに盛られた情報量と問題点の指摘は相当なものである。

まだまだ始まったばかりの令和の時代を誤ることなく生きていくためにも、本書をじっくりと読んで平成の31年間をしっかりと振り返っていただきたい。池上解説は全体を通じて冴えまくっており、ほぼ最後の著作となった歴史探偵の半藤一利の言葉にも重みがある。半藤一利の遺言とも言える本書をじっくりと味わっていただきたいものだ。

 

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