目 次
これまた興奮を抑えられないおもしろさ
半藤一利さんの対談本の紹介をもう一本だけ続けさせてもらう。一気にまとめて5冊読んで、いずれもおもしろくて満足したのだが、半藤さんの対談本は他にもたくさん出版されていて、5冊に留まるものではない。現に今も別の対談本を2冊並行して読んでいる真っ最中だ。シリーズとして今後も継続的に取り上げていきたいと考えているが、このシリーズが連続するのも興醒めを免れないだろう。
映画の紹介やしばらく途絶えているクラシック音楽の紹介、また手塚治虫作品の紹介などを組み合わせ、バラエティー豊かに紹介していきたいのだが、今回だけはどうしても引き続き半藤さんの対談本を取り上げたい。
というのは、今回紹介したい本は、前回の「明治維新とは何だったのか」と内容的に繋がる要素が非常に強いからだ。対談相手は出口さんとは別の人だし、時代もグッと下がって昭和史である。しかし、その底にあるのは「反薩長史観」であり、薩長が権力を集中させた結果、日本はどうなっていったのかという、言ってみれば「明治維新とは何だったのか」の続編、その後を描いた内容になっているのである。
これがまた実におもしろかった。薩長、特に長州が日本を支配するようになり、中でも例の山縣有朋が権力の頂点に上り詰めて、軍国主義国家への道をひた走りに走り抜け、昭和に入ってからは日中戦争、更に太平洋戦争に突入し、最後に国を亡ぼすことになってしまったその過程の検証。
知らないことが次から次へと出て来て驚嘆させられると共に、やっぱりそういうことだったのかと最後には納得させられてしまう不幸な昭和史。
明治維新から一直線で続いてきた歪みが暴き出される快感に、興奮が抑えられなくなってしまう。実におもしろく、夢中にさせられた対談だった。もちろん一番込み上げる感情は、他ならぬ怒りである。あんな日本に誰がしてしまったのか。どこで道を誤ったのか。
相手は盟友のあの保阪正康さん
今回の対談相手は、半藤さんの盟友としてもうお馴染みの保阪正康さんである。半藤さんは本書のはしがきで保阪さんを「畏友」と書いている。
このブログの中でも紹介した「太平洋戦争への道 1931~1941」の鼎談相手の一人として既に紹介済みだが、あらためて紹介させていただく。
保阪さんは半藤さんよりも9歳年下で、現在81歳となる。札幌市生まれ。同志社大学文学部を卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家として独立。昭和史の実証的研究を志し、のべ4,000人もの関係者たちを取材して肉声を記録してきた(本書の著者紹介より抜粋)。
半藤さんとは本当に肝胆相照らすような仲であり、二人の対談本は何冊も出版されている。その中でも今回は「反薩長史観」を全面に打ち出した内容。「明治維新とは何だったのか」との連続性を感じ、即座に読み始めると、その期待に違わず本当に興奮させられる対談で、これまた夢中になって読んでしまったという次第。
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どんな本なのか
ページ数はちょうど220ページ。それなりの厚みの割にはページ数は多くはなく、フォントも大きめなのでこれもまた直ぐに読める。「明治維新とは何だったのか」よりも短い。本のサイズは全く同じだ。
この対談本が出版されたのは2015年の8月20日。二人の対談も2015年か前年の2014年に行われたものであろう。先に僕が読んだ前回紹介の「明治維新とは何だったのか」は2018年の出版なので、内容的には「明治維新とは何だったのか」と連続しており、その後の日本を描いた続編のように思われがちだが、実はそうではなく、本書「賊軍の昭和史」の方が先に書かれている点は注意が必要だ。
あの「明治維新とは何だったのか」で示され、指摘された多くの驚くべき視点や歴史観が、本書の中で既に披露されている可能性があって、興味が尽きない。
戦後70周年の終戦記念日に出版された
この対談が行われた時期に注目してほしい。出版されたのは2015年の8月20日。通常、書籍は発行日前に店頭に並ぶことが常なので、この本は、戦後70年目の終戦記念日に合わせて出版されたということになる。
半藤さんは、「はしがき」でこう書いている。
「いまの日本国に、なぜか「薩長史観」的な、日本を軍事的強国にし大国にするのが目的なような考え方が大きく息を吹き返してきているような気がしてならないのである。(中略)とにかくわかりやすく、強くて堂々と突き進む「日本のすばらしさ」がいま強調される、そんな空気が世に満ち始めている。事を実現するために、地道な言論によって人々に納得してもらうのではなく、直接行動でとにかく挙国一致で人々を引っぱっていく。(中略)
日本の近代史とは、黒船来航で一挙にこの高揚された民族主義が顕在化し、そして松陰の門下生とその思想の流れを汲むものたちによってつくられた国家が、松陰の教えを忠実に実現せんとアジアの諸国へ怒涛の進撃をし、それが仇になってかえって国を亡ぼしてしまった、しかもそれはたった90年間のものであった、そう考えている。つまりそれが、〝官軍・賊軍史観″というわたくしの仮説なのである。
本書は、この少々時代離れしたわが仮説が、はたして通用するのかどうか、畏友保阪正康氏と検証してみようと、長時間語り合ったものである。(後略)」
半藤さんはこの本の出版当時、85歳。中々手厳しい。この85歳翁の執念とも言うべきものが、この対談を実現させた、これは今の日本人への警鐘であると同時に、半藤さんの遺言とも言えるのかもしれない。
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本書全体を通じて一番言いたいことを始めに
本文中に、こんな発言がある。これが本書全体を通じての、半藤さんが一番言いたかったことでもあり、底辺に通奏低音のごとく流れている変わらぬ思いであろう。
「昭和の戦争を考えるとき、どうしても、これだけはいっておきたいと思うんです。
あの戦争で、この国を滅ぼそうとしたのは、官軍の連中です。もっとも、近代日本を作ったのも官軍ですが・・・・。
この国が滅びようとしたとき、どうにもならないほどに破壊される一歩手前で、何とか国を救ったのは、全部、賊軍の人たちだったのです。」
これに対する保阪さんの言葉が本質を捉える。
「ある程度、歴史の法則めいたことをいうと、賊軍の人たちには悲惨な最期の姿を避ける知恵があったと見ていいんじゃないでしょうか。彼らは戊辰戦争のとき、悲惨な崩壊の様を経験していたからです。戦後70年という歴史の見直しの時期に来ていますけれど、賊軍出身者と官軍出身者という視点で、明治から昭和初期までの歴史を改めて俯瞰してみると、とくに太平洋戦争のさまざまな局面のなかにそれまで見えてこなかった真実が見えてくる気がします。」
全体の構成を目次で紹介
これを見ればこの本の内容が良く理解できるだろう。
プロローグ 官軍・賊軍史観が教えてくれること 半藤一利
序 章 賊軍vs官軍
浮かびあがる「もう一つの昭和史」
第一章 鈴木貫太郎
薩長の始めた戦争を終わらせた賊軍の首相
第二章 東條英機
混乱する賊軍エリートたちの昭和陸軍
第三章 石原莞爾
官軍の弊害を解消できなかった賊軍の天才
第四章 米内光政、山本五十六、井上成美
無力というほかない賊軍の三羽烏
第五章 今村 均
贖罪の余生を送った稀有な軍人
エピローグ 官軍的体質と賊軍的体質 保阪正康
何とも興味津々のラインナップだ。
最後は賊軍出身者が主流になったのに
日本が戦争への道をまっしぐらに突き進んだ絶望的な時代の総理大臣である東條英機とその戦争を最後に終結させた総理大臣の鈴木貫太郎。そして満州事変を企画・演出した石原莞爾。真珠湾攻撃を実行した張本人にして、実は戦争に反対していた山本五十六など、この時代の中心人物たちが、いずれも賊軍出身者であったという驚きの事実。
薩長は一体どこに行ってしまったのか?
官軍の薩長が引き起こした戦争といっても、どこにも官軍はいないじゃないかと新たな疑問が湧いてくる。
そんな錯綜した混迷を深める真相が、二人の対談の中から浮かび上がってくる。対談ならではの臨場感溢れる熱い語りで、日本がどこで道を誤ったのかが暴かれていく。
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そもそも官軍って何?賊軍って何?
これを理解してもらわないことには、話しが先に進まない。
歴史的には天皇をバックにする側、つまり天皇の御旗「錦の御旗」を掲げた方が官軍で、それに反する方が賊軍となる。
幕末に尊王攘夷運動が日本中を覆った際、攘夷については薩長はじめ倒幕側も最後には無理だと諦めたが、尊王という考え方は最後まで収まることはなく、これは新政府の王政復古にそのまま繋がっていった。
新政府の薩長対旧幕府軍の戦争の端緒になった鳥羽・伏見の戦いにおいて、薩長側が立てた「錦の御旗」が絶大の効果を上げて以来、薩長側が官軍となり、旧幕府側は賊軍とされて不利な戦争を強いられたわけである。
実は、今では鳥羽・伏見の戦いで薩長側が掲げた「錦の御旗」は、作り物(偽物)だったことが判明している。岩倉具視と大久保利通らが画策して、偽の旗を作ったのである。
鳥羽・伏見の戦いで、薩長と敵対する幕府軍(徳川軍)は、兵力から見ればはるかに優勢だったのに、「敵方に錦の御旗が立ちました」と聞いたとたんに、総大将だった将軍徳川慶喜は戦意を喪失し、大阪城を抜け出して軍艦に乗って江戸に逃げ帰ってしまった。あまりにも有名な話しだ。残った幕府軍も一気に戦意を失って総崩れしてしまったことは当然だろう。
薩長は(ニセの)錦の御旗を用意して、官軍だとアピールする戦術を使い、それがマンマと当たったわけだ。その時の官軍と賊軍という対立軸がその後もずっと残り、新政府側の薩長土肥が官軍、それに抵抗して最後まで戦った主に東北諸藩が賊軍の汚名を着せられ、それが長きに渡って続いたというわけだ。
戊辰戦争後の賊軍差別が凄まじい
明治政府はやがて土佐と佐賀も外されて、薩長だけの政府となる。旧幕府軍側、すなわち負けた賊軍側への明治政府の差別はかなり凄まじいものだった。
日清戦争と日露戦争後の明治40年、公候伯子男と叙爵され新しく華族となった人の出身地別の家数に驚かされる。本書に一覧表も載っているのだが、ほとんど薩長で独占されており、賊軍出身者はホンの僅かしかいない。あまりにも露骨である。
時代は前後するが、廃藩置県の際、賊軍の出身地は、元々の由緒ある地名はほとんど使うことができず、新しい地名に書き換えられた。こんなことまでやっていたのだ。
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賊軍の東條英機・石原莞爾・鈴木貫太郎の生き様
「明治維新とは何だったのか」の紹介ブログ記事の中にも書いたとおり、西南戦争で西郷隆盛が自刃し、追いかけるように大久保利通も暗殺され、木戸孝允も同じタイミングで病没した後、薩摩は人材が居なくなって、その後は長州が全ての権力を掌握していく。
大久保利通の後を伊藤博文が継ぎ、西郷隆盛の後は山縣有朋が継ぐことになったのだが、この山縣有朋がとにかくいけなかった。
統帥権の独立を言い出して、シビリアンコントロールを外し、軍国主義一色に染め上げていった。その中枢は全て長州で占められたわけだ。
やがて、陸軍は長州、海軍は薩摩という構図が出来上がるが、いずれにせよ薩長の独占に変わりはない。
賊軍出身者が権力を握るも、官軍的なるものを克服できず
ところが、やっぱりそれではダメだ、何とか薩長の力を削がねばという気運が高まり、紆余曲折の果てに、陸軍も海軍も賊軍出身者が主要ポストを占めるに至る。
それが昭和の戦争突入時の東條英機であり、石原莞爾であり、山本五十六。そして終戦時の鈴木貫太郎だったわけだ。みんな揃って賊軍出身である。
ところが、賊軍出身者たちも、長年に渡った薩長の官軍的な発想を突き破ることができなかったばかりか、その呪縛に陥って、賊軍だった彼らがいつの間にか官軍そのものにすり替わってしまうなど、全く情け無い姿を晒して、最後は自滅していった。
そういうことなのだ。
ことの経緯と詳細は、本書を読んでのお楽しみということにしておきたい。
実におもしろかった。大いに興奮させられたが、どうにも切なく、辛く、この憤懣やらかたなしをどこにぶつけたらいいのやら。
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最後まで贖罪を貫いた今村均に救われる
最後は今村均に救ってもらうしかない。
今村均は陸軍大将。あの日本の陸軍の中にあって、正に奇跡のような存在。暗黒の中での清涼剤だ。この人が居てくれたことが、唯一の救いだと言ってしまいたくなる。もちろん賊軍の出身者である。仙台の出身だ。
インドネシアのジャワの司令官だったときの善政は有名で、今村均は部下を愛し、現地住民を愛し、部下も現地住民も、絶大な親しみを寄せていたらしい。
終戦になると、自ら志願し、部下と共に南海の孤島(マヌス島)に戦犯として服役したいと申し出た今村のことを聞いたマッカーサーが、「日本に来て以来初めて真の武士道に触れた思いがする」と言ったエピソードを始め、今村均には本当に感動させられる。
そのマヌス島の刑務所に3年半服役したが、刑務所の廃止に伴い、他の日本人受刑者と共に巣鴨に移管。1954年1月に刑期満了で出所した。
その出所後が更にすごい。
東京の自宅の庭に、刑務所と同じ広さの掘っ立て小屋を作って、謹慎小屋と名付けて自らを幽閉。戦争責任を反省し、軍人恩給だけの質素な生活を続けながら回顧録を出版。その印税は全て戦死者や戦犯刑死者の遺族のために用いると共に、元部下に対してできる限りの援助を惜しまなかったという。
こんな人がいたのである。82歳の天寿を全うしたが、詳しくは、本書を読んでいただこう。
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あの時代を知るための必読の一冊
これは本当におもしろかった。僕の知らないことばかり書かれていて、驚嘆の連続。特に石原莞爾には強烈な興味を抱くに至った。この人はあの時代にあって、枠に収まらなかった特別な人。異端、いや異次元の天才と言うべきか。
そして奇跡的な人格者、今村均。
この二人の壮絶な生き様を知っただけでも僕にとってはかけがえのない本となった。
「明治維新とは何だったのか」に勝るとも劣らないおもしろさ。この2冊はセットとして、一緒に読んでほしいと言うのが、僕の切なる願いである。
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