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「百年の孤独」遂に文庫化!出版界の事件!
今年の初夏、御茶ノ水駅前の丸善に行くと、文庫本コーナーにかなりの面積を取って、うず高く積まれている文庫本があった。
ガブリエル・ガルシア=マルケスのあの有名な「百年の孤独」だった。名前だけは誰だって聞いたことがあるだろう。
プレミア麦焼酎の名前として知っている人の方が多いのかもしれないが(笑)、言うまでもないが、元々はこのガルシア=マルケスの小説が先だ。
これは出版界としては、ちょっとした事件である。ガルシア=マルケスの「百年の孤独」は、ノーベル文学賞に輝いた至高の名作と言われながらも、文庫本にはなっておらず、読もうと思ったら、厚くて高価なハードカバーを購入するしかなく、かなりハードルが高かった。
それが遂に今年になって新潮文庫化。新潮社はじめ書店も大キャンペーンを繰り広げている。
丸善でも、文庫分のコーナーにうず高く陳列するだけではなく、別のコーナーにも『百年の孤独』文庫化記念!と称して、「『百年の孤独』(原著)が出版された1967年とその前後にはこんな本が出版されていたフェア」という特集を組んで、大々的なPRを行っていた。
僕も、実は「百年の孤独」は読んだことがなかったのである。コロンビアという南米の文学というのがどうなのか、偏見と先入観があったことは明らかだ。
これは大きなチャンス、この機会に「百年の孤独」をしっかりと読んでみようと即座に購入した。
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凝り性の僕は他の作品も一緒に購入
凝り性の僕は、この機会に文庫本になっているガブリエル・ガルシア=マルケスの他の小説も購入した。全3冊。
今回紹介する「予告された殺人の記録」には、かなり目立つ帯が付いている。いわく『「百年の孤独」の次はこれ!』だった。
出版業界はすごい。「百年の孤独」の文庫化を受けて、他の作品にもこんな帯を巻くのである。もっとも同じ新潮文庫だからできたことだろう。
新潮社としては、先ずは初文庫化された最大の代表作「百年の孤独」を読んでもらって、その後に「予告された殺人の記録」を続けて読んでほしいという目論見だろうが、僕はそれを敢えて逆に(笑)。
「百年の孤独」は長編なので、読み終わるのにかなり時間がかかりそう、その前に先ずはガルシア=マルケスの作品をとにかく体験してみたい。
この薄っぺらさは最高だ!とこちらに飛びついて、わずか数時間で読んでしまったという次第。
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「予告された殺人の記録」の基本情報
新潮文庫。平成9年12月1日発行。僕の手元にある文庫は令和6年7月20日発行の第23刷。かなり読まれているのが分かる。
元々この作品は昭和58年(1983年)4月に新潮社から刊行されたものが、平成9年(1997年)に新潮文庫になったものである。脈々と読み継がれている作品と言えるだろう。
これはガブリエル・ガルシア=マルケスの中編小説。非常に薄い文庫本だ。小説そのものの最終ページは143ページ。7ページからスタートしているので、実質的は136ページしかない中編というよりも、少し長めの短編小説といった方が適切かもしれない。
本編の後に、訳者(野谷文昭)による9ページのかなり詳細な「訳者あとがき」があって、更にその後に、野谷さんによる「文庫本あとがき」がある。こちらは5ページと1行。
ということで、全体の最終ページは158ページとなる。
とにかく短くて、しかも読みやすく、内容的にも非常に劇的な引き込まれるストーリーということもあって、直ぐに読めてしまう。
僕も、他にも同時並行で読んでいる何冊もの本を差し置いて読み始めたところ、止まらなくなって、8月11日(日)、これは3連休の中日だったのだが、この日一日だけで、ホンの数時間で読めてしまった。
僕は本はかなり時間をかけてゆっくり読む方だが、それでも4時間前後で読み切ってしまったと思う。
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ガブリエル・ガルシア=マルケスについて
ここであらためて作者であるガブリエル・ガルシア=マルケスのことについて、紹介しておきたい。
南米コロンビアの出身である。コロンビアと聞いて何を思い浮かべるであろうか?
コロンビアは戦後の長年に渡る右派と左派による激しい内戦に引き続き、両陣営共に麻薬を資金源としたことから、20世紀の終盤、1980年代から1990年代にかけて、麻薬を巡って国内対立組織と政府との三つ巴の攻防(戦争)による暴力が横行し、世界で最も危険な国の1つとなったことは良く知られている。
21世紀になってコロンビアは劇的な治安の回復に成功した言われているが、僕は未だに以前の危険な国のイメージが払拭仕切れない。
このコロンビアが世界に誇るべき大作家を生み出した。
コロンビアは公用語はもちろんスペイン語なので、ガルシア=マルケスの作品は全てスペイン語で書かれている。
1928年3月にコロンビアのアラカタカで出生。亡くなったのは2014年と比較的最近のことなので、非常に長命。享年86歳という天寿を全うした。
ジャーナリスト、作家。
出生地のアラカタカはカリブ海に面した人口は2,000人しかいない寒村だった。事情によって両親と離別し、祖父母の下で育てられる。高校時代から小説の執筆を志したようだ。
首都ボゴタにある名門のコロンビア国立大学法学部に進学。ところが1948年にボゴタ暴動が起きて、大学が閉鎖されてしまう。そこで家族の住むカルタヘナのカルテヘナ大学に移るが、経済的な事情によって、中退を余儀なくされる。
地元の新聞社の記者として働き始めるが、生活は貧乏を強いられたらしい。一方で、この時期に文学に耽溺。フォークナーやカフカ、ジョイス、ウルフなどを熱心に読んだ。特にフォークナーを耽読したことが知られている。
キューバのカストロと親交があり、キューバ革命の後、国営通信社「プランサ・ラティーナ」のボゴタ支局編集長に就任。直ぐに辞職してしまうが、カストロとの親交はその後も続いた。
1967年に「百年の孤独」を発表。ちょうど40歳だった。その後も「族長の秋」、今回取り上げた「予告された殺人の記録」など傑作を量産する。
1982年10月にノーベル文学賞を受賞。
受賞理由は「現実的なものと幻想的なものを結び付けて、一つの大陸の生と葛藤の実相を反映する、豊かな想像の世界」を作り出したことだった。
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池澤夏樹の評価について
日本でも、ガルシア=マルケスの評価は非常に高く、強い影響を受けた作家がたくさん存在する。
阿部公房、筒井康隆、大江健三郎など錚々たる顔ぶれが並ぶ。中でも池澤夏樹の評価がただならぬものだ。
朝日新聞に掲載された賛辞がすごい。
「20世紀の世界文学シーンを変えたとんでもない作家。19世紀から欧州で発達してきた成熟した市民社会を舞台にした小説は、ジョイス『ユリシーズ』、プルースト『失われた時を求めて』を頂点に、行き詰まりになっていた。そこにまるで違う原理を持ち込んだ。市民でも欧州でもなく、リアリズムでさえない。20世紀後半の世界に、小説という鉱脈はまだあり、鉱石が埋まっていることを示した」
どんなストーリーなのか?
非常に短い小説なので、ごく簡単な紹介に留めたい。
町を挙げての盛大な結婚披露宴の翌日、一人の若者が無残にも切り刻まれて殺害されてしまう。殺された本人と身近な家族は知らなかったが、事前に殺害予告がなされ、そのとおりに殺されてしまった。
どうしてそんな惨劇が起きたのか。彼が殺された原因は何だったのか。本当に彼は殺されなければならなかったのか?周囲はどういう行動を取ったのか?
その顛末をまるでドキュメンタリーのように細やかに描写していく。
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実話を基に描いた作者自身が認めた最高作
これは驚くべき小説である。小説ではあるが、ここで描かれる事件は現実に起きた事件であり、実話を元にガルシア=マルケスが小説にしたものだ。
話によると、この小説があまりにも詳細かつリアルに描かれているため、ガルシア=マルケスが事件の真相を掌握しているのではないかと、地元の警察から事情聴取を受けたとか、受けなかったとかいう情報がまことしやかに伝わっている。
それだけリアルなドキュメンタリーに近い作風だったという、笑うに笑えない話しである。
ガルシア=マルケスは、この作品を自身の最高作と語っている。「百年の孤独」よりも作家自身が自信を持っていたというのは大変なことである。
確かに素晴らしい作品だ。
驚くべき展開と全体の構成
この小説を一読するなり、直ぐに驚かされるのはその全体の構成というか、ストーリー展開である。
この惨劇を、時系列に沿って展開させるのではなく、時間の順番を大胆にも大幅に変更し、バラバラにばらして語っていくのである。
こういう手法は、最近の映画では決して珍しくなく、多くの話題作で用いられているところである。
例えば、クエンティン・タランティーノの代表作である、あの「パルプ・フィクション」などでも多用されたあの手法だ。他にも数え切れないほどある。
小説の中で、ここまで大胆に用いられているのは、僕は初めて読んだ。
衝撃的なまでの効果抜群!
その衝撃たるや、言葉にできない。
冒頭の書き出し。「自分が殺される日、サンティアゴ・ナサールは司教が船で着くのを待つために、朝、5時半に起きた」から始まる。
その後は、町を挙げての結婚大披露宴が開かれることになった経緯が語られていくが、冒頭で殺害予告を受けたサンティアゴ・ナサールは全体の3分の1程度進んだところで、もういきなり殺されてしまっている。
そして極めていい加減な司法解剖で身体がバラバラ、ボロボロになってしまった哀れな状況が縷々語られる。
殺害を実行した双子の兄弟のその後の顛末などが語られ、そもそものこの惨劇の発端となった新婚夫婦、直ぐに離婚するに至るこの哀れな夫婦のその後の数十年に及ぶ後日談が示された後で、遂に殺害シーンが登場するという展開だ。
最後に悲劇の主人公サンティアゴ・ナサールが元気な姿で登場する。
そして、具体的にどのように殺害されたのかを、極めて映像的に詳細に再現する。
この描写がすごい。思わず唸ってしまった。
そしてあまりにも哀れで理不尽な目に遭ったサンティアゴ・ナサールの最後の姿に、胸が締め付けられることになる。
このアッと驚かされる襲撃の展開。あまりにも強烈な効果を生み出す。
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めちゃめちゃおもしろかった
とにかくめちゃくちゃおもしろい。これは一気に引き込まれ、最後まで夢中になって読んでしまう一級品である。
非常に残酷な話しであるが、実話を元にした小説でもあり、おもしろいだけではなく、深い感銘を受けずにいられない。
ガルシア=マルケスが自身の最高作と誇った思いも、良く分かる。
予想外の展開に思わず涙が込み上げる
終盤で思わず涙が込み上げる感動的な下りが出てくる。これは全く想定をしていなかった展開で、びっくり仰天。
やられた!と思わず声を上げってしまった程だ。
全くの想定外だっただけに、あまりにも信じがたく、それだけに感動的で涙が込み上げるどころか、読んでいてわなわなと手が震えてしまった。
素晴らしいものを読ませてもらった、その一言に尽きるエピソードだった。
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最後まで謎が解けない掻痒感も
だが、その一方で、ずっと気になりながらも最後まで解けない謎がある。掻痒感というか、この謎が解けない欲求不満ばかりか、そのことに全く触れようとしないガルシア=マルケスに、少し怒りも込み上げてくる。
これはあんまりじゃないかと。
ネタバレになるので、これ以上具体的には書けないが、非常に不満が残る。
イヤミスと呼んでしまいたくなる
正に今流の日本のミステリー小説における「イヤミス」そのものだ。
この部分だけを取り上げると、非常に気分が悪い、嫌な後味を残す小説となってしまう。
晴れて「百年の孤独」を読み始めよう
その1点の不満はあるものの、他には何も不満はない。素晴らしい小説だと大絶賛したい。
ロージ監督によって映画化もされた
この作品は、全く同じタイトルのまま映画化されており、かなりの出来栄えだと評価されている。イタリアの名匠フランチェスコ・ロージ監督の「予告された殺人の記録」である。
イギリスの名優ルパート・エヴェレットに加えて、つい先日、亡くなったばかりのあのアラン・ドロンの息子のアントニー・ドロンが悲劇の青年を演じている。僕は観たことがない。ソフト化もされておらず、簡単に観ることはできないようで残念だ。
U-NEXTでは観ることができる模様。
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あらためて「百年の孤独」に挑戦だ
僕が初めて読んだガルシア=マルケスの「予告された殺人の記録」は非常に素晴らしい作品で、大いに満喫させられた。
ガルシア=マルケスという作家の類い稀な才能も良く理解できた。
こうなるといよいよ「百年の孤独」を読むしかない。晴れて期待の大作「百年の孤独」を読み始めることにする。楽しみだ。
僕と同じように、ガルシア=マルケスに興味を持ちながらまだ実際には読んだことのない方、「百年の孤独」が気になりながらもまだ読んでいない方、長編であるということ、あまりにも高過ぎる評価に腰が引けている方は、先ずはこの短いながらも作者自身が最高傑作と認めているこの「予告された殺人の記録」を読んでみてほしい。
決して期待を裏切らない。第一級の素晴らしい小説を味わうことができることをお約束する。
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