目 次
僕のドストエフスキー遍歴
ドストエフスキーは僕にとっても非常に大切な作家である。高校時代から読んできたが、当時は初期の抒情的にしてロマンチックな作品ばかりを愛読してきた。「貧しき人々」や「白夜」などを何度も繰り返し読んだものである。
後期の未曾有の大作群のことは、非常に気になりつつも中々手が出せなかったが、例の読書界に衝撃を与えた亀山郁夫による画期的な「カラマーゾフの兄弟」の新訳が出て以来、亀山郁夫の訳によって本格的に読み始めて現在に至っている。
「カラマーゾフの兄弟」、「罪と罰」、「悪霊」、そして「白痴」の4大長編である。これらを全て亀山郁夫による光文社文庫の新訳で読了した。
亀山郁夫の翻訳に対しては、一部から誤訳や意訳が多いとの指摘もあるが、読んでいて非常に読みやすく、内容に真っすぐに没頭しやすいので、僕は非常に優れた翻訳だと高く評価している。そして何と言っても素晴らしいのは、その文庫に必ず掲載されている非常に詳細にして、かつ分かりやすい解説である。これが他のどの訳者にもない亀山郁夫訳の特徴だ。
ちなみに亀山郁夫は、長らく東京外国語大学の学長を務めていたが、定年で国立大学の東京外大を退官した後は名古屋外国語大学の学長に就任し、現在に至っている。2017年に日本ドストエフスキー協会を発足させ、初代会長に就任。
ドストエフスキーの翻訳だけではなく、ロシアの文学と社会に関する優れた著作が非常に多く、もちろんドストエフスキーに関する解説書、研究書も量産している。NHKの番組でもドストエフスキーに関するものはほとんど亀山郁夫が受け持っているので、お馴染みの方も多いことだろう。
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亀山郁夫の新訳で大長編を端から読み終えた
ということは、僕は50代になって初めてドストエフスキーの後期の大作群、世界文学の最高峰である巨大な名作群を読んできたということになる。
50代のいい歳をしたおじさんがドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」や「罪と罰」を夢中になって読み耽る姿もいかがなものかと思うが、これは僕にとって本当に貴重な読書体験となった。
文学好きを自認していながら、しかもドストエフスキーが好きだと言いながらも、これらの名作を読んでいなかった僕は、そのことにかなりの後ろめたさを感じていたので、ようやくその負い目から逃れられたわけだが、そんなことは全くどうでもいいことで、本当に僕は次々と出てくる亀山郁夫による新訳でドストエフスキーの大作群を読み耽ることに、これ以上はない喜びと感動を覚え、夢中になって没頭したのだ。
かけがえのない最高の読書体験
本当に素晴らしい体験だった。いずれの作品からも大変な衝撃と感動を受け、ドストエフスキーが雄渾かつ繊細に描き尽くす19世紀ロシアに息づくどうしようもない人間群像、絶望し、苦悩し続け、社会の底辺で蠢き続ける様々な登場人物たちの行動と思考、心理状況に大いに考えさせられ、深遠な思索の機会を与えられることになった。
とりわけ気に入った作品はやっぱり「カラマーゾフの兄弟」。これはもう色々な意味で全くの別格。人類が書き残すことができた最高の文学作品であることは言うを待たない。
本当にこれは何という作品だろうとつくづく感服し、畏怖するしかない。
その「カラマーゾフの兄弟」の感動に勝るとも劣らない作品は「罪と罰」だった。
「罪と罰」は良く知られた話しとは全く異なる
50代のいい歳をしたおじさんが、ドストエフスキーの「罪と罰」に深く感動し、好きで好きでたまらないなんていうのは、本当にどうかと思うのである。
しかも結局は、「カラマーゾフの兄弟」と「罪と罰」なのである。どんな解説書でも評論家でも、ドストエフスキーの2大名作といえばこの2作なのである。
そんなありふれた結論をなぞるのは意にそぐわなくて嫌なのだが、仕方がない。
だが、これだけはハッキリと言っておきたい。僕が「罪と罰」にひどく惹きつけられるのは、一般に言われているあの良く知られたストーリーのせいでは全くないのである。
ちまたに喧伝されている「罪と罰」の感動ストーリーは、僕が思うに実は全く違っている。献身的な娼婦の無償の愛によって、殺人を犯した主人公は罪に目覚め、深く反省して人生をやり直す。
そんな話しでは決してない!のである。
主人公、あの有名なラスコーリニコフは、娼婦の愛の力で罪に目覚めた訳ではなく、最後まで自分の罪なんて認めていない。
それが最後の最後に、ある別のことで目覚め、人生が一変するのである。その下りが凄すぎる。あの衝撃は言葉にできない。
「ああ、そういうことだったのか!」と唖然とさせられ、感動が止まらなくなる。
これは実際に読んでもらうしかないだろう。
そして、もう一つ。普通の解説書にはほとんど出てこないもう一人の陰の主人公の存在だ。彼の存在があまりにも異様であり、全く想像すらできないとんでもない生き様で、老婆殺しのラスコーリニコフを完全に食ってしまっているほどだ。
それがもう凄すぎる。「罪と罰」は世の中で一般に知れ渡っている物語とは全く違うのである。
こういう重大な齟齬があるということも、大変なことだと思う。
一人でも多くの方に、本当の「罪と罰」の凄まじさを知っていただき、打ちのめされていただきたいと切に願うものである。
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亀山郁夫訳で4大名作を読んだ後は「地下室の記録」
既に読み終えた「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」「悪霊」「白痴」がドストエフスキーの4大名作と言われている作品だ。
これに「未成年」を加えたものが後期の未曾有の大作群であり、5大長編と呼ばれている。
昨年末、ようやくこの「未成年」についても、亀山郁夫が新訳を出してくれ始めた。待望の「未成年」の新訳である。
全体はいつもの光文社古典新訳文庫からの3分冊の予定。既に第1巻が出版されて、もちろん僕も今、読み始めているところだ。
全体が揃うにはまだ少なく見積もっても半年以上はかかるだろう。
ということで、これらの後期大作群を、全て読み終えるまでに、もう一冊の極めて重要な作品を、新年早々に読んでみたのである。
それが「地下室の記録」というわけだ。
亀山郁夫の新訳「地下室の記録」を巡る二つの謎
「地下室の記録」はドストエフスキーの全作品の中でも非常に良く知られた重要な作品である。
タイトルを敢えて変えた理由
とは言っても従来良く知られているものとはタイトルが異なっているので、注意が必要だ。
今回、新年早々に僕が読み終えた亀山郁夫による新訳の「地下室の記録」は、普通には長年「地下室の手記」として知られてきたものである。
「地下室の手記」。このタイトルを見るだけで、いかにもドストエフスキーの問題の書というのが、直ぐに伝わってくる。
それを今回、亀山郁夫が訳すに当たっては、敢えてタイトルを「手記」から「記録」にあらためている。「新訳 地下室の記録」というのが、今回の亀山郁夫訳の正式なタイトルである。
この亀山郁夫の拘りについては、いつも詳し過ぎるほどの解説を載せる亀山が、一言も語ってくれない。
ロシア語が全く理解できない僕には、その真意は分かりようがないのだが、本来は手記ではなく、記録というのが正しい言葉なのであろうか。
少なくても、これだけ日本では長年に渡って「地下室の手記」として流布している大文豪の古典的名作を、タイトルから変更することは大変な挑戦のように思われる。敢えて頭に「新訳」と付け加えていることに亀山郁夫のこの作品に込めた並々ならぬ強い思いが伝わってくるのである。
ドストエフスキーの小説本編に入る前に、「まえがきにかえて」として訳者の亀山郁夫による「運命の大いなる力に組みしかれた、新たな不確実性の世界」という2ページの冒頭解説がある。
これが実にすごい読み物だ。いつもなら引用するところだが、作品の本質に迫る極めて重要な解説を含んでいるため、引用は避けたい。この作品にかける亀山郁夫の並々ならぬ決意を思い知らされる。
出版社がどうして違うのか?
この亀山郁夫の新訳では、不思議でならないことがもう一つある。
それはズバリ出版社である。
あらためて言うまでもなく、亀山郁夫のドストエフスキーは、全て光文社古典新訳文庫から出ている。もちろん文庫本でだ。
それがどうして今回、この良く知られたドストエフスキーの「地下室」を出すに当たって、亀山郁夫は光文社古典新訳文庫シリーズで出さなかったのであろうか?
ちなみにこの「新訳地下室の記録」は、集英社から、文庫ではなくソフトカバーで出されている。
質問の答えは、実はハッキリしていて、既に「地下室の手記」が亀山以外の別の訳者によって、光文社古典新訳文庫シリーズから出ているからに他ならない。
いくらなんでも同じ出版社から訳者違いで同一作品の翻訳本を出すなんてことは考えられないので、至極もっともな対応なのだが、そもそも、ここまで亀山郁夫が光文社古典新訳文庫からドストエフスキーの新訳を出し続けて来たのに、どうしてこんなに重要な「地下室」を、亀山以外の別の訳者で出版させたのか?
それが謎なのだ。
何と言っても「地下室」は、ドストエフスキーにとって、非常に重要な作品で、あれだけ貢献度が高い亀山郁夫に訳の依頼がいかなかったのだろうか?亀山郁夫が一旦は断ったのだろうか?
それが不思議でならないのである。
ある読者は、「亀山郁夫と光文社が喧嘩別れして、今後は亀山は集英社からドストエフスキー作品を出すんだろう」などと呟いていたが、今回待望の新しい「未成年」は、いつもどおり光文社古典新訳文庫シリーズから出版されているので、別に喧嘩別れしたわけでもなさそうだ。
どうでもいいことに僕が拘っているように思えるだろうが、ここはどうしても拘りたいところなのである。
光文社と古典新訳文庫について
今でこそ、光文社古典新訳文庫は業界に確固たる地位を占めるに至っているが、それは偏に亀山郁夫のドストエフスキーのシリーズがあったからなのだ。
特に第一作目の「カラマーゾフの兄弟」のベストセラーが大きかった。
少し文学や出版界に詳しい人なら誰でも知っていることだが、光文社という出版社は、この亀山郁夫によるドストエフスキーの新訳シリーズが出るまでは、純文学とは全く程遠い、縁もゆかりもない出版社だったのである。
光文社というのは、カッパブックスシリーズで有名な会社。例えばあの空前のベストセラーとなった多湖輝の「頭の体操」などである。
そして週間「宝石」など、大人向けのお色気や風俗小説、ハッキリ言えばエロ雑誌に近いものを色々と出版してきた会社であった。
だから、亀山郁夫があの「カラマーゾフの兄弟」をここから出した時に、僕は本当にビックリし、何事が起きたんだろうと不思議でたまらなかったのだ。
出版社がある日突然、こんなふうに方向転換を図るなんてことがあるんだろうかと、衝撃を受けたのだ。
だが、「どう考えてもカッパからドストエフスキーって変。いずれ頓挫するだろう」と見ていた。ところが、そんなことはなく、毎月毎月、力作の新訳がドンドン出てくる。
最近では、更に幅を広げて純文学だけではなく、哲学の古典の新訳がものすごい勢いで出続けている。ヘーゲル、カント、ショーペンハウエル、ハイデッカーなどなど。フロイトも何冊も出ている。
もうまるで第二の岩波文庫そのものなのである。
あのカッパの光文社が第二の岩波文庫。何故?
それもこれも第一号の亀山郁夫の「カラマーゾフの兄弟」が当たったからに他ならない。もちろん僕の推測だが、どう考えたって間違いない。
その意味では、光文社にとって亀山郁夫は大功労者のはずである。
それなのに何故、大切な「地下室」を亀山に任せなかったのだろう。本当に不思議な話しがあったものである。
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ドストエフスキーを読み解く鍵「地下室の記録」
さて、あまりにも前置きが長くなってしまった。「地下室の記録」の内容に入らなければ。
「地下室の記録」も若い時からズッと気になりながら、読む機会がなかった。慣れ親しんだ亀山郁夫が新訳を出してくれたということで、2013年3月の出版後(もうかれこれ10年近く前)、直ぐに購入。
「白痴」まで読み終わったところで、この正月(2022年)に、約10年ぶりに取り出して来て、亀山郁夫の新訳を読んでみた。
冒頭「わたしは、病んだ人間だ」で始まるこの作品。
う〜ん、これは中々特殊な小説である。気楽に是非とも読んでください!などとはとても勧められない作品である、と正直に書かせてもらうしかない。
この作品はドストエフスキーを解く「鍵」、あの後期の未曾有の大作群を生み出す契機になった、作者が変身することになった非常に重要な作品と言われている。
この「地下室の記録」を書いたことで、「ドストエフスキー」が誕生することになったと言われているわけである。
確かにそれはそうなんだろうと理解できなくはない。
だが、それにしてはあまりにも重過ぎて、暗過ぎて、もうまともに読んでなんかいられなくなるほどの、ちょっと特殊な、普通には読めない類いの小説なのである。
一言で言えば、読むことが苦痛になってくる小説なのだ。
どれだけ特殊な、読むことが苦痛になる独白なのか
「地下室の記録」は、2部構成になっている。第一部は「地下室」、第二部は「ぼたん雪にちなんで」。
全体で220ページ足らず程の作品なので、ドストエフスキーとしては短い。いわゆる中編ものと言われている長さである。
前半の第一部「地下室」は60ページほどしかない。全体の4分の1程度である。
しかし、この前半の「地下室」があまりにも異様なのである。
これはある意味で現代の日本にもそのまま当てはまるような、「引きこもり」をテーマにした作品とも言える。
世の中と社会、周囲のバカな人間どもに嫌気がさして、地下室に引きこもり、人との交流を絶った40代の独身男の、恨みつらみ、世の中と周囲の人間たちに対する罵詈雑言と、自分自身へのひたすらな自虐と嘲笑、それのオンパレードなのである。
その恨み節の饒舌なこと。たった一人の人間による一方的な独り言をひたすら聞かされ続けるのだ。
その毒の強烈さは半端ない。陰鬱極まりない。
正に拗ねていじけた引きこもり男の、世の中と周囲の人間たちへの恨み節が炸裂。大爆発するのである。
その上、そんな自分自身への嘲笑と自虐も強烈なので、まともな神経の持ち主だと、読んでいられなくなりそうだ。
一言で言うと、あまりにも自意識過剰なのである。それでいてこれまたあまりにも饒舌過ぎる点が、神経を逆撫でする。
暗くて、救いようのない話しの大好きな僕でも、このあまりにも一方的な独白には正直言ってついて行けないほど。
ハッキリ言うと、僕はこの第一部で地下室男の言っていることに、少しも同感、共感できないのである。この地下室に引きこもった男は、多分ドストエフスキーその人だろうが。
このどうしようもない社会と周囲の人間たち、更に徹底した自己否定をこの作品で試みたことで、自らの大きな殻を破って、遂に自らの進むべき道を発見し、「ドストエフスキー誕生」となるのだろう。その通過儀礼としてどうしても必要な過程ということなのだろうが、それにしてもあまりにも陰欝で、救いがなさ過ぎる。
正直に言って、ドストエフスキー好きなこの僕でも、この地下室男にはついていけないのであった。
第二部はあまりの修羅場の連続が痛過ぎる
第二部の「ぼたん雪にちなんで」は、この地下室に引きこもった男の20年前の若き日の回想である。全体の4分の3近くを占め、第一部の独白よりもずっと長い。
これがまたここまでやるのか、描くのか!?というあまりにも惨めでみっともない主人公の生き様を、ここまで赤裸々に晒すのかという位に包み隠さずに語る。もう読んでいていたたまれなく、ズバリ痛い。痛過ぎる内容なのだ。
引きこもり男は、20代の若き日にこれだけの痛い体験、文字通りの修羅場を色々と繰り返し経験し、その結果、いよいよ世の中と自分自身に嫌気がさして、引きこもりを始め、何と20年間も地下にこもっているということになるのだろう。
痛い。痛過ぎる。
この後半の第二部は第一部「地下室」のような一方的な独白ではなく、ちゃんとしたストーリが展開されるのだが、それが痛すぎる修羅場の連続となる。読んでいるこちらの精神が平常を保てなくなるほど、ここには救い難く、辛い修羅場が次から次へと出てくる。
それらが全て主人公自らが招いた身から出たサビ以外の何物でもないことが、更に辛く、非常に痛いのである。
ここで特徴的なことは、この地下室男は、心の中で考えていることと、実際の行動とが常に食い違ってしまうということだ。
心の中では、ああだこうだと色々と考えを巡らして、それなりに最善策を練っているのに、実はそのとおりに行動できない。
心の中で思っていることと、実際に表面に出る行動がいつも齟齬をきたし、その食い違いに更に苦悩するということの繰り返しなのだ。
でも、それって実は、誰にでも良くあるようなことだと思う。
極めて現代的な人間行動のように思われるのだが、それをトコトン描き切っているドストエフスキーはやっぱり大したものだと痛感させられるのである。
兎にも角にも、全編が魂の雄叫びと慟哭に塗りつぶされている。すさまじい作品としか言いようがない。
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娼婦を救い出そうと誠心誠意の説得を試みるのは
自ら望んで痛すぎる修羅場を演じてしまった主人公が、その直後に、まるで生まれ変わったかのように、関係を持った薄幸の娼婦に対して、どこまでも丁寧に誠意を持って今の環境からの脱却を説くシーンに、ハッとさせられる。
彼はあれほど自暴自棄で痛すぎる修羅場を自ら招きながらも、これこそ彼の真の姿だったのかと、目頭が熱くなるいいシーンが出てくる。一服の清涼剤のよう。
僕にはあのマーティン・スコセッシ監督の大問題作、ロバート・デ・ニーロが演じた「タクシー・ドライバー」のトラヴィスを彷彿とさせられるのだが、これは果たして清涼剤となるのか?
ネタバレになるので、書きたいのは山々なのだが、これ以上は書けない。どうか実際に読んで確かめていただきたい。想像を絶するすごいシーンが展開されるとだけ言っておく。
この修羅場と葛藤を経てドストエフスキーの誕生に至る
ここに描かれたあまりにも痛すぎる修羅場の数々。正に慟哭するしかない救い難い地獄のような青春の日々をありのままに、全く包み隠さず赤裸々に、自らの醜と愚をトコトン描き切ったところから、「ドストエフスキー」が生まれたことは間違いない。
正にこの救い難いいわば呪われた一冊を書き切ったことで、ドストエフスキーは新たなステージに歩みを進めたとしか言いようがない。
あの世界文学の最高峰と言われる巨大な名作群を生み出すためには、これだけの苦悩と修羅場、醜愚を曝け出し、そこからの思索と脱出、更なる飛翔が必要であったということだろう。
そう考えると、読むのがあまりにも辛く、落ち込むこと必至のこの「地下室の記録」は、我々ドストエフスキーの文学を愛し、その作品を最も深いところで理解しようとする全ての読者にとって、かけがえのない一冊ということになりそうだ。
それにしても、辛い一冊である。だが、これはドストエフスキーの全ての鍵が隠されているという大問題作である。
是非とも手に取ってほしいものだ。
特に現在、この社会の中にあって苦しみ、もがいている貴方(貴女)にとっては、きっとかけがえのない唯一無二の作品となるかもしれない。この「地下室男」のどん底、修羅場を追体験し、共有することがきっと救済になる、そう思われてならない。そんな気がする。
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