目 次
フランスのバロック音楽:ベルサイユ楽派の輝ける作曲家たち
前回、リュリの「アティス」の紹介で、ベルサイユ楽派と呼ばれるフランスのバロック音楽について書かせてもらった。
太陽王と呼ばれたヨーロッパ随一の絶対専制君主であったルイ14世が、その70年以上に及ぶ治世の中で、音楽を熱心に保護したことで、音楽芸術が花開いたことを説明した。
17世紀から18世紀にかけてフランスのベルサイユ宮殿を中心に花開いた非常に趣味のいい高雅な音楽がフランスのバロック音楽の特徴だ。
ちなみにこのフランスのバロック音楽は、フランスでは、バロック音楽ではなく、フランス古典音楽と呼ばれている。
その最初の大作曲家がイタリアからやってきたリュリであり、中期を代表する最も有名な作曲家がフランソワ・クープランであり、後期を代表する大作曲家がラモーである。
同時代のドイツのバッハやヘンデル、テレマンに匹敵する大作曲家たち。ちなみにラモーは大バッハの2年前に生誕しており、完全な同時代人である。
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クープラン家について
ドイツのバッハ家が生物の遺伝の教科書に紹介されるほどの、数百年に渡って著名な作曲家や音楽家を多数輩出した家系として非常に有名なことは広く知られている。
圧倒的な音楽的才能に恵まれた「音楽の神」は、大バッハことヨハン・セバスチャン・バッハであるが、その大バッハの3人の子供ばかりではなく、一族には数え切れないくらいの有名な作曲家と音楽家を輩出した。
実は、驚くなかれ。同時期のフランスのクープラン家もバッハ家と同様、一族から著名な作曲家や音楽家(演奏家)を多数輩出しているのだ。
その中でも最も有名なフランソワ・クープランは、バッハと同様に、大クープランと呼ばれているが、それ以外にも優れた作曲家が何人もいる。
僕は、フランソワの伯父に当たるルイ・クープランの音楽を熱愛している。フランソワよりも好きなくらいだ。
こんな珍しいことが、同じ時代のドイツとフランスという隣り合ったヨーロッパで起きていたことは、本当に驚くばかり。
家業として代々音楽を継いでいた訳だが、それにしても音楽という芸術は、やはり才能と天才に恵まれないと、簡単に作曲などできるものではない。
本当に不思議なことであったものである。
フランソワ・クープランのこと
さて、今回はベルサイユ楽派、すなわちフランスのバロック音楽(古典音楽)の中でも最も才能に恵まれ、良く知られた大作曲家のフランソワ・クープランの作品を紹介したい。
フランソワ・クープランは1668年生まれなので、大バッハことヨハン・セバスチャン・バッハとは17歳違い。大クープランの方が大バッハよりも17歳年長という関係である。
フランソワ・クープランは、特にクラヴサン(チェンバロ)の名手として名高く、珠玉の作品が多数残されている。
音楽におけるロココ趣味の極致とでも言うもので、極めて洗練された愛すべき音楽で、聴く者の心の琴線に響く美しい音楽だ。現代人にとっては格好の清涼剤になるに違いない。これらクラヴサン曲を紹介しても何の不都合もないのだが、クープランから1曲だけ紹介するとなれば、この宗教曲の類まれな名作「ルソン・ド・テネーブル」に尽きる。
「ルソン・ド・テネーブル」とは何か
「ルソン・ド・テネーブル」は、日本語で表記すると「テネーブルの読誦」となる。旧約聖書の中でも最も美しいと言われている「エレミアの哀歌」をテキストとする宗教曲で、エルサレムの崩壊を嘆くユダヤ人の悲歌に他ならない。
紀元前597年、新バビロニアによって引き起こされたユダ王国のユダヤ人たちがバビロンに強制連行され、移住させられたバビロン幽囚(捕囚)時代に作られたものと言われている。
このテネーブルと呼ばれる聖務日課、簡単に言えばキリスト教による一つの儀式に他ならないのだが、実に興味深いものだ。
テネーブルは復活祭に先立つ「聖なる3日間」の聖務日課のうち、深夜に行われる朝課のことで、灯していた蝋燭を一本ずつ消していって、最後は全て消して真っ暗にしてしまうという儀式の中、その際に歌われる歌である。
17世紀のフランスで大流行し、幾つもの作品が作られたが、このクープランのものが、リュリと同時代人のマルカントワーヌ・シャルパンティエの作品群と共に、特に名作として名高いものだ。
どんな内容で、どんな音楽なのか
曲は聖水曜日のための3曲のルソンからなり、2人のソプラノによって歌われる。半音階と絶妙な転調に彩られた音楽で、多くの方は、一聴して異様なまでのその美しさに息を飲むのではないだろうか。
暗い蝋燭の灯りの中で切々と歌い上げる嘆きの歌。できれば思いっきり照明を落として、静寂の中で聴いてみたいものだ。
明け方、漸く空が白み始める頃、こちらも全ての明かりを消して静かに耳を傾けることができれば最高だ。慰めの音楽、癒しの音楽としてこれ以上のものを、僕は知らない。
絶望と悲しみの行き着く果てから、救いとして天に昇っていく、正にその瞬間に立ち会うかのような神秘的で静謐極まりない音楽。
静謐極まりない音楽とはいっても、メロディラインは意の赴くままに自由自在に変転し、時に華麗なメリスマ(装飾音)を伴いながら、途切れることなく神秘的な声が10分以上も延々と続いていく。
特に3曲めの二重唱では、冒頭から二人の声が不協和音でぶつかり合うのがたまらない快感となって耳に届いてくる。心を揺さぶられる何とも魅力的な嘆きの歌。
嘆きといっても決して叫んだり、慟哭したりすることはなく、ここには気品と抑制があるばかりだ。
そこから仄かな官能の匂いが立ち上がる。
この喩えようのない絶妙な美しさには聴く度に、もう鳥肌が立つというか息を飲むしかない。この静謐にしてどこまでも深い嘆きと救いの音楽に、素直に身を任せてみてはいかがだろうか。
本当に驚くべき音楽があったものである。
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このCDの演奏について
これだけの稀有の名作だけに、CDは輸入盤を含めると、20指にも届こうか。
演奏時間は3曲合わせて40分程度。長すぎることもなく、短かすぎることもない、じっくりと身を任すには最適な長さではないだろうか。
僕の手元には今、7種類の演奏がある。一番愛聴してきた名盤は、この曲の真価を世に知らしめた決定盤であるエンマ・カークビーとジュディス・ネルソンという古楽唱法の最高の歌姫二人によるホグウッド盤を聴きたいところだが、こんな名盤が何と、現在は入手不可能となっている。何たることか。
そこで、僕の手元にあって現在も簡単に入手できる名盤として、前回の「アティス」を指揮したフランス・バロック音楽の最大にして最高の立役者であるあの名指揮者のウィリアム・クリスティが、クラヴサンを受け持ったCDを紹介させてもらう。
クリスティはやっぱりすごい。フランス・バロック音楽の世界では、正に大巨匠なのである。
ソフィー・デーネマンとパトリシア・プティボン、2人のソプラノは実に素晴らしい。声も歌い方も最高である。
古楽唱法の推進役となった2人の歌姫、ネルソンとカークビーには若干及ばない感じはするが、勝るとも劣らないと言っても過言ではない。
クリスティがクラブサンで支える2人の天使の歌声に、この世の喧騒などさっぱり忘れてしまいたいものだ。
これは騙されたと思って、何としても聴いていただきたい稀有の名曲である。
☟ 興味を持たれた方はこちらからご購入ください。輸入盤であり、普通のCDショップでは購入できません。国内盤は現在出ておらず、日本語の解説と訳が付いていないのが残念ですが、この輸入盤がベストです。
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F.クープラン:ルソン・ド・テネブレ [ ウィリアム・クリスティ ]
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