ここからが一番重要な話し。病院で働く事務職に与えるメッセージだ。事務長職の僕も病院で働く事務職の一員であり、同じ立場にある。
目 次
事務系職員は病院で何をやるのか?
病院で働く事務職(事務系職員)は病院でどんな仕事をするのか?何をやるのか?
もちろん、事務職に与えられたルーチンの仕事がある。
これはしっかりとやってもらう必要があるが、それだけやっていればいいと思っていたら、大間違い。
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与えられたことを何の問題意識もなく、ただ繰り返している職員は不要
僕に言わせてもらうと「そんな与えられた事務仕事だけを、何の問題意識もなく来る日も来る日も、ただ繰り返しているだけの職員」は、要りません!ということになる。
この困難な時代、病院の生き残りが問われる時代にあって、この最大の難問に太刀打ちできるのは事務職だけだ。これが僕の持論であり、信念である。
僕の持論はこうだ。
「病気になった患者さんを治すのは医者、医師である。今はチーム医療の時代だから、医師が中心となって、各コメディカルとナースとで力を合わせて患者さんを治す、元気にする」。
僕たち事務職は、患者の病気を治すことはできない。どうやったってそれはできない。当たり前のことだ。
だが、もっと大きな視点で、もう一段高みに立って、考えてみてほしい。
このやたらと問題を抱え、生き残りまでかかった問題だらけの病院という存在。分かりやすく言えば、今の病院は病気にかかっている。それも重症の。
病院は今、病気にかかっているということ。このことを先ずは認識すべきだ。
例えば、自治体病院は巨額な繰入金がありながら、民間病院とは違って税金で大変な優遇を受けているにも拘らず全国的に赤字が非常に多いわけである。
全国の自治体病院は、そのこと自体が病気だとも言える。
自治体や病院そのものが悪いわけではなくて、国の医療政策に大きな問題があることは事実なのだが、病気にかかった原因はともかくとして、病院が病気にかかっていることは間違いない。
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「病気にかかった病院を治す」ことが事務職の仕事。「事務職が病院を救う」
誰かが、この病気にかかっている病院を治さなければならない。誰かが、病気を治すための処方箋を書かなければならない。「病気にかかった病院を治すという処方箋」だ。
この「病気の病院を治す」のは我々事務職の仕事だと私は考えている。
逆にいうと、私たち事務職だけがそれが可能なのだ。そのために事務職は存在していると。
医師やコメディカル、ナースは患者を治すことに専念してほしい。病院そのものを治して、元気にさせ、この職場と地域医療を守ることは、我々事務職なんだと。
これがこの業界で35年間働いてきて、当初は病院で働くことが嫌で嫌でたまらなかった僕が辿り着いた究極の持論にして信念である。
そのためには勉強をしなきゃダメ。ひたすら勉強して、良く考える
「事務職が病気の病院を救う!」実は、そんな偉そうなことを口で言っていても、院内の誰も相手にしてくれない。
事務職が病気にかかっている病院そのものを治そうとしたら、とにかく勉強するしかない。必死で勉強してほしい。そのための努力は惜しまないでほしい。
日々の仕事が忙しいということと、僕が求めている勉強とは別物だ。時間を有効に使って、効率性と生産性を高め、ルーチンワークに追いかけられることのないように工夫してほしい。
常に効率性と生産性の向上を常に意識して、仕事をしてほしい。
会議に時間をかけて、ダラダラと時間ばかりかかるけれど、何も決まらないというのは本当に困る。
とにかく医療と病院のことを勉強をして、医師やコメディカル、ナースから、「彼はすごい」「彼女はすごい」と一目も二目も置かれる存在になることが求められる。
勉強をして、良く考える。事務職は「考えなければダメ」。「考えない事務職はダメ」だということをいつも忘れないように仕事を進めてもらう必要がある。
病院内で唯一、資格を持っていない僕たちは、頭を使って勝負するしかない。
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脳みそに汗をかいてほしい
考えて、考えて、考え抜く。脳みそに汗をかくようにしなければダメだ。
考えるためには、がむしゃらなインプットが必要
念のためにもう一言、言っておくと、いくら考えろ!脳みそに汗をかけ!と言ってみても勉強をしていないと考えることなんかできない。
勉強をするということは、「インプット」するということ。がむしゃらにインプットをすることが何よりも必要だ。
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先ずは本を読むこと
具体的に言おう。本を読むことが最も有効なインプットである。本を読まない人は本当に困る。本を読むということは、あらためて言うまでもないことだが、仕事のためだけではなく、人間が豊かな人生を過ごすためにも必須のこと。本を読んでしっかりとインプットすることを何よりも大切にしてほしい。
とにかくまとまった知識を得ようとしたら、本を読むしかない。それが最も有効であることは強調しておく。
だが、僕が言うインプットはもっと広い概念である。ありとあらゆることがインプットとなる。
例えば、病院の現場に行くこと、現場を見て回ること。そこで現場を直接見て、聞いたことが考える上での貴重なインプットとなる。
更にそれだけではない。病院という職場を離れて、人生の様々な体験をすること。映画や音楽などの芸術に触れること、スポーツだってもちろん貴重なインプットだ。実際にやってみることも、観戦することも。それらの全てがインプットとなる。要は様々な人生経験や芸術などに触れることによって、引き出しを一つでも多くしてほしいと切に願わずにいられない。
とにかく必死になって、がむしゃらにインプットをして、そのインプット情報を基に、今度は良く考える。
インプットなしでは、何も考えられない。所詮、あらかじめ自分の頭の中にある知識や体験なんていうものは大したことはない!ほとんど空っぽだ!と認識するべきだ。だから、がむしゃらにインプットして、勉強してほしいと言っている。
次に問われるのは実行力。考えたことをスピーディかつ確実に実行
考え抜いた後に、更に重要なことは、その考えたことを実行することだ。この「実行力」が最後に問われる。スピーディかつ確実に実行しなければならない。
「考え抜いたことを実行する」。求められることは、ちゃんと実行されることだ。
この病院をもっと良くするために、自分がどうあるべきなのかをしっかりと勉強して良く考え、その考えたことを実行していく。
その実行する内容(中身)が問われることになるので、良く勉強して、良く考えろと言っているわけである。
勉強して、考えたことをスピーディに実行していく。これをPDCAサイクルで回していく。
これが全て。実行する⇒変革する⇒改革する。
病院の生き残りがかかった今、求められていることは「改革」に他ならない。改革をいかに進めていくべきか。
いずれは、その改革の方向性が問われることになるのだが、答えをそう先走って先に出してしまうことは避けておこう。
先ずは一人ひとりが自分の頭の中で必死で考えてみることだ。しっかりと勉強し、インプットを重ねた上で、良く考える。
「患者を増やす」。ベッド稼働率を上げて、一日あたりの入院診療単価を大きく
ここで、念のため考えてみることの内容を再確認しておこう。これを忘れてしまってはいないか。
熱々たけちゃんの医療経営塾①を振り返ってみてほしい。
医業収益を大きくするということ。そのためには患者を増やすこと。ベッド稼働率を上げて、一日当たりの入院診療単価を大きくすること。これが最も大切なことである。
これに尽きるのである。これが目標であり、目的だ。このことをいつも忘れてはならない。
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目的は定まっている。後は手段、アクションプランを考える
これを実現するためにどうするのか?具体的には、実に様々な方法がある。その方法が手段である。手段はいくらでも考えられる。その手段が考えられたら、更に実行力が問われると前述したが、その実現をどう図っていくのかがアクションプランに他ならない。アクションプランをどう組み立てるのか、ここでもまた考えることが求められてくる。
PDCAサイクルというのは、正にそういうことなのだ。
病院で働く全ての事務系職員が自分自身のこととして、一人ひとりが本気で、必死で取り組む必要がある。
これができれば、確実に病院は変わり、いい病院になれるはずだ。
必ず変わる!変わることができる!
困難を極めるが、やり甲斐のある刺激的な仕事
こんなにやり甲斐のある仕事は他にないじゃないかと、いつも思ってしまう。
実現するためのハードルは極めて高い。困難を極める院内の様々な障壁の取り除きと気の遠くなるような様々な利害の調整。病院と言う組織がどうしようもないというのはこういうことで、最大の問題は病院の職員の向いているベクトルがてんでばらばらな点。病院で働く全職員が共通の目標を持って、同じ方向に向いてくれたら、問題は半分は解決したようなものだ。そこがとにかく難しい。
そして最終的な相手は厚生労働省が推し進める国の医療政策なのである。
「病気の病院を治す処方箋」を考える仕事は、いつも刺激に満ち溢れている。
これを楽しく思えないと病院での事務職は務まらない。挫けずに前を向こう。きっと道は開ける。
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