目 次
ロシアが生んだ弦楽四重奏曲の名作2曲
スメタナ、ドヴォルザーク、ヤナーチェク。ボヘミアとモラヴィアのチェコの弦楽四重奏曲の名作を紹介してきた。
ヤナーチェクは晩年になって作曲家としての本領を発揮し、20世紀に活躍したこともあって「国民楽派」という範疇からは離れた作曲家だが、いずれにしてもドイツやフランスという音楽の本場から離れたヨーロッパ辺境地域で、その地域ならでは独自の民族的な音楽を追求した作曲家たちだった。
そんな国民楽派に属する作曲家として、ロシアを外すわけにはいかない。
ロシアは音楽大国だ。19世紀から20世紀にかけて数え切れない程の天才を輩出した。
今回はその中でも弦楽四重奏曲の名作を遺したボロディンとチャイコフスキーを取り上げたい。


この2人、かなり似た感じの非常に美しい弦楽四重奏曲を作曲しているのである。
ボロディンの「夜想曲」とチャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」である。この2曲は共にニ長調で、演奏時間もほぼ同じ25分から30分程度と、一卵性双生児のような曲となっている。
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ボロディンの弦楽四重奏曲が絶品の美しさ
どちらも非常に有名な曲で、人気も高く、クラシック音楽に特別詳しい方でなくても、そのメロディを聴いてもらえれば、「あぁ、これは聴いたことがある!」となること間違いなし。
作曲家としてはチャイコフスキーの方が圧倒的にメジャーで、チャイコフスキーは古今東西のあらゆる作曲家の中でも屈指の人気を誇る大作曲家だ。
だが、今回取り上げる弦楽四重奏曲に関して言えば、ボロディンの方がより親しまれ、愛されている名曲であることは、間違いない。
この機会に、あまり知られていないボロディンのことをもって知っていただければ嬉しい。
本当に素敵な音楽なのである。
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ボロディンと「ロシア5人組」
ボロディンは、いわゆる「ロシア5人組」という作曲家グループに属した19世紀後半に活躍したロシアの作曲家である。
「ロシア5人組」とは19世紀後半にロシアで民族主義的な作曲活動を進めた5人の作曲家集団で、何と言ってもあのムソルグスキーが最強だ。中心メンバーはバラキエフ。他にリムスキー=コルサコフと今回紹介するボロディンがいる。
もう一人はキュイという。キュイは今日、一般的にはあまり知られていないが、5人の中では最も長命で、膨大な量の作品を残している。
ミレイ・バラキエフ(1837~1910年)指導者・中心メンバー
ツェーザリ・キュイ(1835~1918年)
モデスト・ムソルグスキー(1839~1881年)
アレクサンドル・ボロディン(1833~1887年)
ニコライ・リムスキー=コルサコフ(1844~1908年)
指導的な立場にあった中心メンバーのバラキエフは、ピアノの名手と知られた音楽家であったが、後の4人は音楽以外に定職を持っており、音楽はあくまでもアマチュアだった。キュイやボロディンは本職の方が超一流だった。
「日曜作曲家」だったボロディン
バラキエフ以外の4人はいずれも作曲以外の本職を持ち、ボロディンは化学者だった。
サンクトペテルブルク大学の医学部を卒業した医師でもあったが、化学者として著名な存在となった。化学の世界では有名な「ボロディン反応」にその名を残し、「アルドール反応」の発見者と言われている。アルデヒド(有機化合物の一つ)に関する研究の第一人者として知られ、尊敬を集めた。


化学の研究の方が多忙を極め、作曲はあくまでも仕事から解放された週末だけで、本格的な作曲法を学び始めたのはバラキエフに出合った30歳の時からだという。
正に日曜作曲家だった。ボロディン自身も「日曜作曲家」を自称していたらしい。
友人を何人か招いたパーティの席上で、上機嫌に歌って踊っている最中に急死してしまう。動脈瘤の破裂だった。享年53歳。


ボロディンの代表作について
ボロディンの作品としては未完のオペラ「イーゴリ公」が非常に有名だが、他にも交響曲が2曲(3曲目は未完)、「中央アジアの草原にて」という交響詩が良く知られている。
中でも特に愛されているのが、今回取り上げた「弦楽四重奏曲第2番 ニ長調」である。
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ロシア5人組が目指した音楽は
元々ロシア5人組の音楽は、当時の音楽界の主流であったメンデルスゾーンやシューマンに代表されるドイツロマン派の音楽、もっと端的に言うと、ドイツ音楽の影響を受けないロシアの土着の音楽、民族独自の音楽を開拓していこうとする音楽活動であった。
たまたま19世紀後半という同一時期に活躍したロシア出身の音楽家たちがチームを作ったという関係ではなく、あくまでもロシアの民族的な音楽を探り、独創的な音楽を創作していこうとする確固たる信念が根底にあった。
その最たる存在がムソルグスキー。ロシアの土着性、風土を鷲づかみにして、有無を言わせぬ圧倒的なエネルギーと民族の叫びを赤裸々に表出させた。
それがロシア5人組が目指した音楽だった。
だからチャイコフスキーは加わっていない。メンバーとして誘われていない。チャイコフスキーは非常に西洋的、ドイツ的な伝統的な音楽だったからである。
ボロディンは洗練された美しさが身上
そうは言っても個人差が出る。同じロシア5人組と言ってもボロディンはムソルグスキーとはかなり違った音楽だ。
ボロディンの音楽はもっと洗練された、ロシアの土着性というよりは、本来は禁止されていた西洋の洗練を感じさせるものだ。
非常に趣味のいい、心に沁み渡る美しい音楽が持ち味だ。
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ボロディン作曲 弦楽四重奏曲第2番
1881年に作曲。ボロディンは47歳と最も脂が乗っていた頃の作品である。
元々日曜作曲家ということもあって、非常に遅筆、すなわち作曲するのに時間がかかるタイプで、弦楽四重奏曲第1番は完成させるのに足掛け5年間もかかったが、この第2番はわずか2ヵ月足らずで一気に完成させている。

妻に捧げられた美し過ぎる音楽
この曲はボロディンが妻のエカテリーナに愛を告白した20周年の記念に作曲したと伝えられており、実際に妻に献呈された。
何ともロマンティックな話しだが、そのエピソードを聞くと、この曲の優しさと美しさ、甘いメロディの秘密が分かるような気がする。
全体的に優しく抒情的な美しさに満ちており、特に第3楽章「ノットゥルノ」(夜想曲)の美しさは、聴く者の心を惹きつけ、夢中にさせて離さない。
だが、この曲の魅力は第3楽章に尽きるわけではない。第1楽章も素晴らしく、短い第2楽章の魅力も捨て難い。最後の第4楽章も含めて、その全てが魅力的なのだ。
演奏時間は全体で30分程である。
第1楽章 アレグロ・モデラート
約8分。曲の冒頭からチェロが奏でるゆったりと流れる子守歌のような優しくメランコリックなメロディに心を奪われてしまう。
愛くるしく「たゆとう」と言うべきか。柔らかい波に揺られてゆったりと海面を漂うような音楽が、どこまでも耳にも体にも心地良い。4つの楽器が良く歌う。聴いていて非常に幸福感に浸れる音楽である。
第2楽章 スケルツォ
約5分。この5分間がまた実に味わい深いものだ。
スケルツォとして早いテンポで一陣の風が爽やかに通り過ぎていくかのよう。可愛らしい子供がありったけの愛嬌を次々と振りまくような非常にかわいらしい音楽。くすぐられるような愛らしさに満ちている。
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第3楽章 ノットゥルノ(夜想曲)
約8分半。第2ヴァイオリンとヴィオラの柔らかいシンコペーションに包まれるかのようにチェロが奏で始める何ともロマンチックで優しい音楽に、ただただ惹きこまれてしまう。
絶筆に尽くし難い美しさで聴く者を魅了し、虜にしてしまう。

そのメロディが第1ヴァイオリンに引き継がれると、そのヴァイオリンが万感の思いを込めて、切々と美しいメロディを奏でる。

この音楽には何を言っても始まらない。とにかくこの気持ちのいい音楽にしっかりと浸って、安らぎを感じてほしいとしか言いようがない。
本当に甘く優しい音楽だ。特にヴァイオリンの高音が心に沁みてくる。
それでもこの夢見るような甘い音楽が、中盤は驚く程に高揚し、圧を強めて来る。かなりの高鳴りを示す。この高揚感も捨て難いが、それも元の静けさに戻っていく。
第4楽章 フィナーレ
約6分半。冒頭は意外な重厚な響きで、不気味さが漂う。ところがその不気味さは長くは続かず、その後は軽快な快活な音楽が流れ始めて、颯爽と愛らしさを振りまいていく。
再び重厚な不気味な響きに戻り、一時はヤナーチェクを思わせるような反復音で刺激的な音が流れるが、それも長続きはせず、最後はやんちゃなヴァイオリンが思いっ切り気持ち良く暴れ回って終演を迎える、そんな感じだ。
最後まで深刻にならずに爽やかさを残していくのがボロディンならでは。ロシアの暗い大地といういうよりは、明るく吹き抜ける一陣の風、そんな洗練されたイメージが最後まで続く。
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チャイコフスキーはロシア5人組とは別
チャイコフスキーは1840年5月生まれなので、1839年3月生まれのムソルグスキーとほぼ同級だが、日本の学校では2学年の差が出る関係だ。実際は1年2カ月しか差がない。
ムソルグスキーは1881年に42歳という若さで、アル中として悲惨な状況で亡くなったが、チャイコフスキーの方は、それよりほぼ10歳長く生きたがコレラに罹患して、1893年に53歳で悲惨な死に方をしている。
このロシアが生んだ二人の大天才がほぼ同じ時代を生きたという事実は非常に興味深い。


チャイコフスキーは前述のとおり「ロシア5人組」のメンバーではない。ロシアの民族音楽を独創的に再現するという志向はチャイコフスキーにはなかった。西洋の伝統的な音楽、ドイツ音楽に直結する音楽に拘り、ロシアならでは音楽を目指したわけではなかった。
いずれにしても、19世紀後半というロシアにとって大変革の動乱時代にロシア5人組とチャイコフスキーという天才たちが大活躍してくれたたことに感謝したい。


国民楽派を代表する大作曲家
チャイコフスキーは押しも押されぬ大作曲家である。ムソルグスキーの空前の天才には及ばないが、残された作品は非常に完成度の高い名作が揃っている。
「悲愴」を筆頭する6曲の交響曲とヴァイオリン協奏曲、絶大な人気を誇るピアノ協奏曲第1番、「白鳥の湖」「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」のバレエ音楽などクラシック音楽の大定番がひしめいている。
ほぼ同じ時期に活躍したボヘミアのドヴォルザークと好対照で、このロシアのチャイコフスキーとボヘミア(チェコ)のドヴォルザークが国民楽派の2大作曲家と言っていいだろう。
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チャイコフスキーの室内楽
チャイコフスキーはどんなジャンルにも傑作、名作を残しており、室内楽にも名作が多い。
最も良く知られているのは「ある偉大な芸術家の思い出のために」という愛称で有名なピアノ三重奏曲だろうが、今回紹介する弦楽四重奏曲にも「アンダンテ・カンタービレ」の愛称で非常に親しまれている。
チャイコフスキーは弦楽四重奏曲を3曲作曲しているが、第1番が最も有名であり、「アンダンテ・カンタービレ」は第2楽章に当たる。
チャイコフスキーの弦楽四重奏曲は、この曲を聴いてくれれば十分だろう。
チャイコフスキー作曲 弦楽四重奏曲第1番
第2楽章の「アンダンテ・カンタービレ」があまりにも美しく、人気が高い。あのトルストイがモスクワ来訪時に聴いて涙を流したエピソードは良く知られている。
作品11。チャイコフスキーがちょうど30歳の時の作品。交響曲は既に第1番は作曲されていたが(但し、作品番号は13)、弦楽四重奏曲を作曲した翌年に第2交響曲が作曲されたという流れになっている。
チャイコフスキー初期の傑作といっていい。


ボロディンの弦楽四重奏曲と同様に、この曲の魅力は第2楽章だけに尽きるわけではなく、第1楽章も第4楽章も素晴らしい。
演奏時間は全体で25分程である。
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第1楽章 モデラート・エ・センプリチェ
約7分半。曲の冒頭は4つの楽器が足並みを揃えて、一緒に歩みだそうとするようなちょっと襟を正したくなるような雰囲気だ。微妙な転調が耳に心地良い。やがて4つの楽器が力強く歌い始める。
第2楽章 アンダンテ・カンタービレ
約7分。これぞ有名なアンダンテ・カンタービレに他ならない。誰でも知っている非常に美しい感傷的な音楽だ。誰が聴いても美しいと感じる癒しの音楽の定番だ。
どこまでも静かで優しい慰めの音楽である。このメロディはウクライナのカミャンカの民謡が元になっているという。
この優しいメロディはウクライナ発祥と思うと感慨深い。

第3楽章 スケルツォ
約4分。特徴のあるリズムが印象に残る活気に満ちた曲。活気の中に暗さも秘めており、これはいかにもロシア風な音楽と言っていいだろう。
晩年のチャイコフスキーならもう一工夫してくれたようにも思える少し単純な印象を受ける。
第4楽章 フィナーレ
約6分半。冒頭でロシヤの民族舞曲が軽快に始まる。いかにも舞曲で身体が動き出しそうだ。やがて熱を帯びて来ると同時に、チェロが暗めのメロディを奏で始めるが、最後は4つの楽器が高揚感を高めながら、力強く結ばれる。
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2曲が収まった理想的なCD
このロシアの2大弦楽四重奏曲が1枚のCDに収まっている演奏は意外と少ない。かつては色々と出ていたと思われるが、現在はエマーソン弦楽四重奏団による1枚しかないようだ。
おかしな話しである。
エマーソン弦楽四重奏団が素晴らしい
だが、このエマーソン弦楽四重奏団による演奏が非の打ちどころのない名演で、何の不満も感じさせない。アンサンブルも、メロディの歌わせ方も申し分なく、最高の演奏と言っていいだろう。
各楽器の流麗な響きが何とも美しい。
僕の手元にあるものはエマーソン弦楽四重奏団の50枚組の大型CDBOXの中の1枚で、以前からこれを愛聴しているが、本来のオリジナルCDは、この2曲に加えて、何と例のドヴォルザークの弦楽四重奏曲「アメリカ」も収録されているようで、これは何とも魅力的なラインナップである。
収録時間も80分に近いのではなかろうか。これ以上は考えられない理想的なCDだ。
これは貴重な1枚だ。是非とも購入していただく、国民楽派が生み出した弦楽四重奏団の名曲を存分に味わっていただきたいものだ。
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1,410円(税込)。送料込み。輸入盤。
記事本文でも書いたとおり、ボロディンとチャイコフスキーの2曲に加えて、ドヴォルザークの「アメリカ」まで収められた理想的なCD。これは買うっきゃない大変なお買い得CDだ。
ドヴォルザーク、チャイコフスキー、ボロディン:弦楽四重奏曲 [ エマーソン弦楽四重奏団 ]