目 次
クラシック熱を決定付けたベートーヴェンの「運命」
僕がどのようにしてここまでクラシック音楽にハマってしまったのか、その出会いと遍歴を2回に渡って書いてきた。
僕のクラシック音楽の原点はベートーヴェンにある。それもやっぱりあの誰でも知っている交響曲第5番の「運命」だったという話し。
人生最初のクラシックのLPレコードが「運命」だったわけだが、そもそも最初にクラシックに馴染んだのは、札幌の小学校のお昼の給食の時間に教室の古ぼけたスピーカーから流れてきた「いつもの音楽」だった。
それが「運命」の第3楽章だったというのも、少し驚きだ。
正しくその後の僕の人生を変えることになるベートーヴェンの「運命」との運命的な出会い!
あの第3楽章を聴きながら、当時の小学生は毎日給食を食べていた(笑)。
あの小学校は、僕が約2年間在学した札幌市立白陽小学校だった。今から60年近く前、今でも残っているのだろうか?
小学校・中学校時代にベートーヴェンの交響曲を熱心に聴いていた僕は、その後、興味の対象がバッハを中心とするバロック音楽と近現代のドビュッシーに移り、ベートーヴェンも交響曲もすっかり聴かなくなってしまったが、ベートーヴェンはやっぱりとてつもなく魅力的で、その交響曲の魅力は言葉に尽くし難い。
我が人生において最も長い期間に渡って聴いてきたベートーヴェンの交響曲について、書くときがやってきた。
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交響曲の誕生
そもそも交響曲というのは、どういうものでいつ誕生したのか?そこから書く必要があるだろう。
僕が一番熱心に聴いているバッハを中心とするバロック音楽には、交響曲というものはない。一曲もない。
というのは、まだ音楽史において交響曲は誕生しておらず、存在していなかったのだ。
交響曲の父は、弦楽四重奏曲と同様にハイドンだ。
交響曲も弦楽四重奏曲も、古典派音楽が生み出した産物であり、どちらもハイドンが考え出したと言われている。
正確には、ハイドンの前にも交響曲も弦楽四重奏曲はあるにはあったわけで、このクラシック音楽の中核に位置する2つの最も重要な作曲ジャンルを、どちらもハイドンが考え出したというのは正確ではない。
だが、この二つの作曲様式を、今日のようにクラシック音楽の中核に押し上げて、非常に価値の高いものに向上させたのが、ハイドンであることは間違いない。
「交響曲の父」と呼ばれる所以である。
ハイドンとモーツァルトは交響曲を量産した
最初に本格的な交響曲を生み出した交響曲の父ハイドンは、25歳から始めて生涯に何と107曲も交響曲を書いた。
その次の天才モーツァルトは35歳という短い生涯で、8歳から始めて60曲前後も交響曲を書いた。
番号が付いた交響曲は僕が最初に買ってもらったLPレコードで、「運命」と一緒に収められていたあの「ジュピター」がモーツァルトの最後の交響曲で、第41番であるが、番号が付いていないものや紛失したものなどを加えると、60曲を超えることになりそう。
僕は本当にあのワルターが指揮した「ジュピター」を一時期、狂ったように聴き続けていた。小学6年から中学生時代。本当に来る日も来る日も「ジュピター」を聞き続けていた。きっと「運命」よりも聴いている。
ベートーヴェンの交響曲はそのモーツァルトの後にやってくる。
古典派の三羽烏の中にあって、ハイドンが104曲、モーツァルトが約60曲も交響曲を作曲したわけだが、この二人の後輩に当たるベートーヴェンは何と9曲しか交響曲を作曲しなかった。
このことに先ずは注目する必要がある。
ベートーヴェンが交響曲を変えてしまった。ベートーヴェン以降、全ての作曲家がベートーヴェンが考えたように交響曲を作ることになる。新しい交響曲の誕生だ。
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ベートーヴェンの交響曲の全容
ベートーヴェン(1770~1827)の9曲の交響曲の全容を示すとこうなる。
交響曲の作曲番号と調、作品番号(Op.)と愛称に加えて、作曲された西暦とベートーヴェンの作曲時の年齢、そして標準的な演奏時間も掲げてみた。以下のとおりだ。
念のため、ベートーヴェンの誕生日は1770年の12月17日。1770年生まれと切りがいいため、作曲年代と年齢は一見、分かりやすいのだが、誕生日が遅いため、年齢ときれいに揃わないことが多いので注意が必要だ。12月の半ば以降の完成でないと、年齢は一つ差し引かなければならない関係となる。
第1番ハ長調Op.21 1800年(29歳) 約28分
第2番ニ長調Op.36 1802年(31歳) 約30分 ※作曲が完成時の年齢ははっきり分からない。初演は1803年4月。その時には32歳。
第3番変ホ長調「英雄」Op.55 1804年(33歳) 約52分
第4番変ロ長調Op.60 1806年(35歳) 約34分
第5番ハ短調「運命」Op.67 1808年(37歳) 約30分
第6番ヘ長調「田園」Op.68 1808年(37歳) 約42分
第7番イ長調Op.92 1812年(41歳) 約38分
第8番ヘ長調Op.93 1812年(41歳) 約26分
第9番ニ短調「合唱」Op.125 1824年(53歳) 約72分
注目すべき1800年=29~30歳の実り
ベートーヴェンが作曲した9つの交響曲を一覧表にして眺めると、ここから色々なことが分かってくる。
先ずは、作曲した年代(作曲年)に注目してほしい。
最初の記念すべき第1番の交響曲が作曲されたのはベートーヴェンが30歳になる目前の1800年。厳密には29歳の時。この1800年、ベートーヴェン30歳というのは本当に彼の創作にとってエポックメーキングとなった貴重な年で、前に紹介した初期の弦楽四重奏曲作品18の全6曲が完成した年で、その後、初めての交響曲も続けて作曲されたわけだ。
つまりベートーヴェンはヨーロッパのクラシック音楽において、その中核部分を形成する最も重要な弦楽四重奏曲と交響曲という2つのジャンルの最初の作品を立て続けに作曲したわけで、それがちょうどアラサーという節目の年だったというのは、いかにも印象深い。
作曲年代の特徴(約束事)
第1番の最初の交響曲が1800年、ベートーヴェンが30歳目前に作曲されてから、何と第5番の「運命」まで、見事に2年毎に交響曲が作曲されていることに注目だ。第1番から第5番できれいに2年毎に作曲されている。
これはベートーヴェンが意識して2年に1曲、必ず交響曲を作曲しようと目標を定め、それをちゃんと実現した、目標管理的に言えば目標を達成したのかどうかは分からないのだが。
そしてもう一つ驚くべきことは、あの5番「運命」を作曲した同じ年に第6番「田園」を立て続けに作曲されていることは、意外に知られていないのでないか。オーパス番号(作曲番号)も続いていることに注目してほしい。
これは本当に大変なことを意味する。あの超有名な「運命」と「田園」の2つの名曲交響曲が同じ年に連続して作曲されたのである。
しかも、この2曲、この後、詳述するが曲想が似ても似つかない極めて対照的な曲となっている。動と静。男性的な激しさと女性的な優しさと。この2曲が究極のベートーヴェン的なるものの対極を形成しているだけに、この2曲が連続して作曲されたことに驚嘆を隠せない。
第6番「田園」を作曲した後、次の第7番までには4年かかるが、ここでまた驚くべき事態が起きる。何と第7番と次の第8番の2曲が、これまた同じ年の1812年にまたセットのように連続して作曲されているのである。
つまりベートーヴェンの交響曲は、第5番と第6番が連続して、次の第7番と第8番が連続して作曲されたというわけだ。
そして最後の第九は、第8番の何と12年後に作曲された、少し異端児的な存在となる。
この作曲の頻度、どういう間隔で作曲されたのかという点はもっと注目されていい。
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奇数番号と偶数番号という有名な分類
ベートーヴェンの交響曲を巡っては、奇数番号と偶数番号という有名な分類がある。
つまり第1番・3番・5番・7番・9番という奇数番号の5曲の交響曲と、第2番・4番・6番・8番という偶数番号の4曲の交響曲という分類だ。
奇数番号の交響曲は、曲想が男性的で力動的、豪放雄大。偶数番号の交響曲は、女性的で柔和で優しく、軽快優美と言われている。
この分類は奇数と偶数という数字の持つイメージと奇しくも一致する点がおもしろいのである。奇数の「素数」が持つ尖ったイメージと、偶数の割り切れる柔らかい丸いイメージだ。
それが1・3・5・7・9の各交響曲と2・4・6・8の各交響曲の曲想と奇しくも一致するおもしろさである。
これはベートーヴェンが意識してこのような結果となったのかどうか、僕は良く知らない。偶然の結果なら、非常におもしろいが真相はどうなのだろうか?
このベートーヴェンの交響曲の奇数番号と偶数番号の曲想の違いというのは、非常に的を得た興味深い話しだが、実はあんまり強調したくないというのが、僕の率直な思いである。というのは、じっくりとベートーヴェンの交響曲の全曲を聴き込んでくると、そう単純な話しではないということが分かってくる。
2番や4番もかなり力動的な男性っぽい曲で、雄大だと言えるし、1番や5番にも非常に柔和な女性的な優しさに満ち溢れた部分があり、軽快優美でもある。そう単純なものではない。
ベートーヴェンの交響曲には、9つのそれぞれに男性的な部分と女性的な部分が共に包含されている。これが正解なのだ。そう思って変な先入観は捨て、心を空っぽにして曲と向かい合ってほしい、そう願わずにいられない。
ベートーヴェンが交響曲をすっかり変えてしまった
ベートーヴェン以降、交響曲はその在り様を一変させてしまう。ベートーヴェンが交響曲の歴史を抜本的に変えてしまったのだ。
ベートーヴェンは56年の生涯に交響曲はわずか9曲しか残していない。ハイドンとモーツァルトと比べ圧倒的に少ない。
それはどうしてなのか?
ベートーヴェンは交響曲の在りようをどのように変えてしまったのだろうか?
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人生と音楽と全身全霊で格闘するかのような音楽
ベートーヴェンは交響曲を作曲するに当たって、作曲時点での人生の総決算として、自身の人生とも、芸術としての音楽とも死ぬもの狂いで格闘するかのような抜き差しならない音楽を、全身全霊で創作した。
交響曲というものは、その時点における作曲家の人生観、生き様の全てを披歴する音楽に変容していった。
交響曲にそういう人生の重いものを持ち込んだのがベートーヴェンだ。それを2年毎に発表していったベートーヴェン。第5「運命」と第6「田園」を同じ年に連続して、更に第7と第8をこれまた同じ年に連続して作曲した。
全身全霊で人生の全てを披歴する重い音楽を連続して作曲したベートーヴェンの創作意欲はものすごいことだ。
交響曲がそういう全身全霊で人生と格闘する音楽となると、そうたくさんの曲数を作れなくなることは当然だろう。一生涯を通じて9曲あたり、つまり一桁が限界となる。二桁のハードルは極めて高くなってしまう。
このような交響曲との向き合い方が、ベートーヴェンにも、その後に続く作曲家たちにも、はたまた交響曲という作曲ジャンルにも、幸せなことだったのかどうか、それは分からない。
だが、時代と音楽はそれを求めた。ベートーヴェン以降の多くの作曲家たちはベートーヴェンの思いをそっくり受け継いで、みんな見事なまでにベートーヴェンの真似をして、交響曲の作曲に当たっては、全身全霊で人生と音楽と格闘するかのような音楽を作っていったのだ。
だから、後世の我々は交響曲を聴くに当たっては、そういう深く重いものを求めて聴くことにもなった。これも幸せなことかどうかは分からない・・・。
ベートーヴェン以降の作曲家とその交響曲の数
ちなみに、交響曲を中心的な作曲ジャンルに据えた作曲家、具体的には交響曲を4曲以上作った作曲家と、その作曲した交響曲の数を書き記すと次のとおりとなる。
シューベルト(1797~1828)全9曲
メンデルスゾーン(1809~47)全5曲
シューマン(1810~56)全4曲
ブラームス(1833~97)全4曲
ブルックナー(1824~95)全9曲
マーラー(1860~1911)全9曲
チャイコフスキー(1840~93)全6曲
ドヴォルザーク(1841~1904)全9曲
シベリウス(1865~1957)全7曲
オネゲル(1892~1955)全5曲
ショスタコーヴィチ(1906~1975)全15曲
下線に注目してほしい。何とベートーヴェンの後、ほとんどの作曲家が、生涯で9曲以上の交響曲を作曲することができなくなってしまう。全く信じられないことだが、ベートーヴェンが作曲した交響曲の作曲数に呪縛されて、20世紀のショスタコーヴィチを除くと、誰もベートーヴェンの9つを超えることができなかった。9曲というのが、絶対に乗り越えられない困難な壁となってしまった。
ある意味で不幸になったといってもいいかもしれない。ベートーヴェンの呪文、いや呪いかもしれない。
全く不思議なことが続いたものである。
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あらゆる側面から特別な意味を持ったベートーヴェンの「不滅の9曲」
こうしてベートーヴェンの9つの交響曲は、ベートーヴェンの創作の3本柱の中の最も重要なジャンルというに留まらず、その後、約2百年近くに渡って、その絶大な影響が及び続けた。これは本当に凄いことだと思う。交響曲の作曲数が9曲を超えられなかったというのは、呪縛というよりも呪文にかかったというべきだろうが。
「楽聖」ベートーヴェンはこうして交響曲と音楽の歴史を変えることになった。
ベートーヴェンの交響曲を紹介するに当たっての総論編は、もうこの辺りで、そろそろお終いにする。あまりにも長過ぎた総論編。
いよいよ次回はベートーヴェンの交響曲の各論編をスタートさせる。請う、ご期待!
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