代表作をジャンル別に俯瞰してみる

バッハには何故かオペラ(歌劇)作品が1曲もない。

オペラは僕が愛してやまないモンテヴェルディがバッハの生まれる150年程前に史上初めて作曲して以降、バロック音楽の最もバロック音楽らしいジャンルの作品として盛んに作曲され、それは古典派のモーツァルトにまで及んでいる。

それなのに、バロック音楽の集大成をしたという大バッハにオペラ作品が1曲もないことは意外である。しかしながら、バッハがバロック音楽につきものの劇的なものの追及に興味がなかったということにはならない。有名な「マタイ受難曲」にしても「ヨハネ受難曲」にしても、これは取りようによってはイエスが迫害を受けて十字架上で殺されていく正に受難を描いたドラマそのものであるし、バッハが作曲した18曲に及ぶ「世俗カンタータ」というジャンルは、正にミニオペラ集と呼んでもいい作品群だ。

それ以外のジャンルは全て揃っている。
スポンサーリンク


オーケストラ(管弦楽)作品

先ずは、誰が聴いても楽しめて、バッハの音楽の格調の高さが存分に味わえるのがオーケストラ作品だ。バッハの入門曲としてつとに有名「管弦楽組曲」。全4曲。2番と3番があまりにも有名なものだが、僕は4番が好きだし、あまり知られていない1番も本当に素晴らしい曲だ。

この管弦楽組曲と並び称せられる入門曲はあの有名な「ブランデンブルグ協奏曲」ということに異存がある人はいまい。全6曲。CDはちょうど2枚にきれいに入る。6曲の全てが粒ぞろいの名曲ばかりで、これを聴けばみんなバッハを好きになってしまうだろう。いずれも甲乙付け難い名曲ばかりだが、僕自身の初めてのバッハ体験となったチェンバロの活躍が著しい第5番が一番の人気曲。リコーダーが大活躍する4番も人気が高く、他にも華やかな1番、力強い3番など本当に名曲ばかりだ。僕は一番地味だと言われているあまり目立たない6番が今では一番好きだ。

全部で7曲あるチェンバロ協奏曲も名曲揃い、その他に2台のチェンバロ、3台のチェンバロなどの協奏曲があり、CDは4枚程で収まる。ヴァイオリン協奏曲は2台用も含めて3曲だが、これも名曲。ちょうどCD1枚にきれいに入る。

また最晩年の作品で「音楽の捧げもの」という絶品がオーケストラで演奏されることが多い。最近は古楽器(オリジナル楽器・ピリオド楽器)の室内楽編成で演奏されることが多くなっているが、僕は昔のオーケストラで演奏される「音楽の捧げもの」が大好きだ。この「音楽の捧げもの」という作品は、例のバッハの次男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハが仕えていた歴史上も極めて有名なプロシャのフリードリヒ大王が作ったメロディを元にバッハが編曲の粋を活かして作曲して大王に献上した作品である。今ではすっかり忘れられたバッハ指揮者となってしまったカール・ミュンヒンガーが、とりわけこの「音楽の捧げもの」を得意としており、その張り詰めた格調の高さは、今聴いても実に素晴らしい。

バッハの遺作である「フーガの技法」も演奏楽器が指定されておらず、オーケストラで演奏されることも多い。

僕のCDコレクションのバッハの器楽曲の該当部分。1枚物は全てプラスチックケースから出してあるので、真正面から撮影しても中身がほとんど分からないのが残念だ。

室内楽

バッハの器楽曲は、独奏楽器にひときわ優れたものが多く、室内楽はどちらかというと影が薄い。だが、「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」や、「ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ」も同様。他にも「フルートと通奏低音のためのソナタ」などがある。他にも、例のフリードリヒ大王に献上した「音楽の捧げもの」が、小アンサンブルで演奏されるのが最近の傾向だということは書いたとおり。

スポンサーリンク

独奏曲

バッハは声楽曲と並んで、このジャンルこそ創作の中心で、名作が山のようにある。楽器が何によるかによって、大別される。大きくチェンバロ(ドイツ語であり、英語ではハープシコード、フランス語ではクラブサンと呼ばれる)。これはピアノの前身となる楽器なので、全ての曲がピアノでも演奏される。有名なカナダ出身の鬼才グレン・グールドを知らない人はいないだろう。

そしてパイプオルガンの作品群。これがバッハならではのジャンル。後はヴァイオリンとチェロにすごい名作が揃っている。

チェンバロ作品:ピアノで演奏されることも多い

ここがバッハの創作の重要な柱であることは言うまでもない。本来はチェンバロで演奏されるべき作品群であるが、カナダが生んだ天才ピアニストのグレン・グールドによって、ピアニストにとっても避けては通れない試金石となっている名作の宝庫がここだ。

グールドに敬意を評して、先ずは彼が二度に渡って録音し、この曲の熱狂的なファンを生み出した「ゴールドベルク変奏曲」を取り上げよう。

これはもうめちゃくちゃの名曲で、バッハの全作品から5曲だけを選び出せという至難な要望があった場合でも、決して外すことができない至高の名作。1曲だけで約1時間を軽く超える大作だ。もっともグールドの演奏は、繰り返しを全て省略し、もっと短い。

グールドの新旧2種類のピアノで聴くのが不可欠で、本当に感動的だが、チェンバロによる演奏も素晴らしいので是非どうぞ。

「平均律クラヴィーア曲集」のこと

これは第1巻と第2巻の2つがあって、これがバッハの作曲した作品の中で最も重要なものだと僕は断言したい。バッハが後世に残した最大の音楽的な功績は、この平均律というものを生み出し、その新しい発想である平均律を用いてこれだけ素晴らしい音楽を残したということが何よりも大きい。

平均律というのは1オクターブを12等分にした音律のことで、隣り合う音の周波数は等しく100セントとなり、現在のピアノの調律に使われているものだ。それを可能にしたのがバッハというわけだ。平均律が考え出される以前の音楽は純正律に基づいており、1オクターブを機械的に12で割り込んだ場合には、ハーモニーが崩れてしまうという致命的な欠陥があったが、バッハが敢えて平均律を取ることで、音楽の汎用性が一挙に拡大された。これによって移調や転調がいとも簡単にできるようになったのだ。これを広めようとしてバッハが残した作品がこの全二巻からなる平均律クラヴィーア曲集。これはハ長調から始まって半音ずつ全ての長調と短調を順番どおりに用いて、前奏曲とフーガという対照的な2種類の音楽でまとめ上げた正に「音楽の神が人類のために残してくれた最大の遺産」

それがつまらない曲だったら、そうかご苦労さんでしたで終わってしまうところ、全ての曲がその調に相応しい素晴らしい楽想で作曲された至極の名曲のオンパレード。これには驚くしかない。12で均等に割られた全ての長調と短調の前奏曲とフーガがあるので、一巻だけで全48曲。全二巻で96曲の前奏曲とフーガが納められている。CDはそれぞれの巻が2枚で、全体で4枚というのが普通。

これは正に音楽の誕生から死までを描いた音楽の一生とも言える作品群であり、いずれにしても全宇宙を体系立てた壮大な大伽藍ともいえる空前絶後のものである。学習用にもよく用いられるものであるが、僕はこれ以上の音楽は知らず、繰り返しどんなに聴いても、飽きるということはなく、その都度深い感動に包まれている。

僕は西洋音楽の中からただ一曲だけ選べと言われたら、迷うことなくこのバッハの平均律クラヴィーア曲集を選ぶ

この辺りがチェンバロやピアノ曲の該当部分。左上の青い大きなボックスはグレン・グールドのバッハ作品全種。たくさんの平均律クラヴィーア曲集のCDが分かる。

他には「イギリス組曲」、「フランス組曲」、「パルティータ」などの組曲ものがそれぞれ6曲ずつがあって、CDでもそれぞれ2枚ずつ。ピアノの初心者が散々苦労させられる「インベンションとシンフォニア」もちょうどCD1枚に収まる。

他にも「イタリア協奏曲」や極めて印象的な人気曲「半音階的幻想曲とフーガ」など、バッハの名曲として古くから人口に膾炙している名曲が目白押しだ。

前述の「音楽の捧げもの」や「フーガの技法」もチェンバロあるいはピアノで演奏されることもある。
スポンサーリンク


オルガン曲(パイプオルガン)

バッハを語ってオルガン曲を忘れることは許されない。オルガンこそバッハが一番愛した楽器であり、このバロック音楽の最も代表的な楽器なのであった。日本に居ると今一つピンと来ないが、ヨーロッパではいたるところに教会があり、教会にはパイプオルガンが備えられているのが普通の姿であり、人々の生活に根差した音楽文化があるのである。

有名な「トッカータとフーガ  ニ短調」に代表されるようなキリスト教と関係なく、自由に創作した劇的にして力強い曲想を誇る曲と、コラール前奏曲と呼ばれる聖書の文言を優しく音源化したしみじみと魂に響いてくる静かな曲とに大別される。こちらの代表曲は「オルゲルビューヒライン」である。それぞれCD10枚程度の量があり、オルガン曲全体でCD20枚程にも達するバッハの創作の中心を占めている重要な作品群だ。

演奏楽器が指定されていない「フーガの技法」は一般的にはオルガンで演奏されることが多い。あのグレン・グールドもパイプラインで演奏している。

オルガン曲全集がいくつも並んでいる。上段左側は無伴奏チェロ組曲のCDがズラリと並んでいる。


スポンサーリンク

無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ・無伴奏チェロ組曲

それぞれ無伴奏の至高の名作がある。

ヴァイオリンは「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」。ソナタとパルティータがそれぞれ3曲ずつで全6曲。CDはこれもまたちょうど2枚にきれいに収まる。

チェロは「無伴奏チェロ組曲」。1番から6番まで全6曲。これもCD2枚にきれいに収める。

この曲集の掛け替えのない価値を何と言ったら良いのだろうか。ヴァイオリン弾きとっても、チェロ弾きにとっても、それぞれのバッハの無伴奏全6曲は、一生を通じての最大の目標となるこの楽器のために書かれた空前絶後の究極の作品。ヴァイオリニストは究極の目標としてバッハの無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータを目指し、全てのチェリストがこれまた究極の目標として無伴奏チェロ組曲を目指す。そんな曲をバッハ以外の誰が書けただろうか?

ここで注意していただきたいのは、長い音楽史を通じて、ヴァイオリンとかチェロという弦楽器は無伴奏では普通は演奏されないのだ。モーツァルトやベートーヴェン、ブラームスなどの大作曲家たちもヴァイオリンやチェロのための作品を多数作曲した。ヴァイオリン・ソナタがいずれも有名だが、それらはいずれもピアノとの二重奏、つまりデュオで、無伴奏ではないということに注目してほしい。バッハの影響を受けて、後世の作曲家の何人かは無伴奏のヴァイオリンやチェロの作品を書いたが、その出来栄えはとてもバッハとは比べられない。極めて例外的なジャンルなのである。バッハだけが無伴奏のヴァイオリンとチェロのためにこれだけの名曲を遺した。だからこそどんなヴァイオリニストにとってもチェリストにとっても、究極の目標となっているのである。

この無伴奏のヴァイオリンとチェロの各6曲は、本当に素晴らしい曲ばかり。僕は全ての曲を熱愛しているが、特に無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番の終曲の有名な「シャコンヌ」は、聴く度に鳥肌が立つ感動に身動きができなくなる程。どちらかというと無伴奏チェロの方が好きな僕は、その第5番がありとあらゆるクラシック音楽の中でも最も好きな曲の一つとして激愛している。バッハの音楽は宇宙の音楽、宇宙の深淵さを描いていると紹介したが、それを体験できるのがこの第5番。一台のチェロだけで、広大無比な宇宙を表現してしまうあたり、バッハはやはり音楽の神だと実感させられる瞬間だ。
スポンサーリンク


カザルスの有名なエピソード

無伴奏チェロ組曲は、現在ではチェロ音楽の至宝としてありとあらゆるチェリストにとって究極の名曲との位置付けが確定されているが、この曲が20世紀の初頭まで完全に埋もれていた曲だったことは是非とも知っておいてもらいたいことだ。スペイン出身の20世紀最大のチェリストとして世界中の音楽ファンから尊敬を集めていたパブロ・カザルスが、1890年(13歳)にバルセロナの古書店で偶然にこの曲集の楽譜を「発見」し、独学で練習を進め、1904(28歳)にパリで全曲演奏会を開催し、約200年近く埋もれていたこの至高の名曲が復活したという嘘のような本当のエピソードがあまりにも有名だ。
現在ではさすがにカザルスの演奏は少し古くなったと言われているが、つい数十年前まではこの無伴奏チェロ組曲の最高の演奏として世界中で傾聴されていたことは忘れてはならない。全く驚くべきことだ。



おすすめの記事