前編からの続きである。

「戦争は女の顔をしていない」で描かれているもの

これにはもう圧倒されてしまう。

独ソ戦に出征したありとあらゆる女性たちが紹介される。

医師あるいは看護婦として兵士たちと行動を共にしたということは、どこの国にもあった。それは当然想像できる。

ソ連の場合には、女医や看護婦、衛生士などももちろんたくさん登場するが、普通なら男が担う、本当に敵を殺す純然たる兵士が多数いた。

かなり多いのは狙撃兵である。なるほどあり得るなと納得。遠くから隠れて敵を狙撃するわけだから、射撃の技術さえ持っていれば、腕力を求められず、むしろ女性向きなのかもしれない。

実在の伝説のスナイパー、リュドミラ・パヴリチェンコ。307人のドイツ兵を狙撃した。

僕が熱愛するスタンリー・キューブリック監督のあの「フルメタル・ジャケット」の後半の実際のベトナムでの戦闘編で、屈強なアメリカ兵が次々と狙撃されて殺され、犯人を追い詰めるとか細い少女だったというあの衝撃のシーンからも、少女が優秀なスナイパーになるというのはあり得るだろう。

こちらもリュドミラ・パヴリチェンコである。

他にも、様々な立場で前線において勇猛果敢に戦った10代の少女たちの様々な奮戦ぶりと、パルチザンや地下組織に入っての過酷な体験などが本人の口から次々と語られる。

スポンサーリンク

どのページも涙と衝撃が満載で心が震える

それぞれの証言は非常に読みやすいとは言ったが、そこで語られる戦場での記憶はあまりにも生々しく、凄まじいエピソードばかりで、ページを捲る手が思わず震えてしまう。そして心も。

一人ひとりの証言は、一人で10ページを超えるかなり長いものもあれば、1ページにも満たない短いものもある。

だが、どこのページを読んでも、誰の話しを聞いても、気楽に読み飛ばせるようなものは一つとしてなく、どんな証言の中にも、戦場に赴いた少女たちの絶望と苦しみ、怒りと悲しみ、そして涙が満載だ。

一つ一つの証言を、長いものでも短いものでも、じっくりと情景を思い浮かべながら読めば(そんなことがどうしてできようか?!僕は戦争を知らないのだ!)、必ずや息ができなくなるほどの衝撃と、胸が張り裂けそうな少女たちの苦しみと怒り、悲しみに、こちらの方も胸が詰まり、涙が込み上げ、胸が張り裂けそうになる。

少女たちの怒りと悲しみが次々と押し寄せてくる。

これは大変な本である。

後半には戦場で花開いた恋など、少しホッとするエピソードも出てくるが、ほとんどは縁もゆかりもない個人的には何の恨みもないドイツの若い兵士たち(男)を殺す話しばかりだ。そしてそのことの苦しみと、やがてはその苦しみも感じなくなって殺人マシーンと化していく自分への耐え難い自己嫌悪と。

本当にこれは気軽に読める本ではない。だが、これを読まなければ、戦争の恐ろしさと無意味さ、その残虐にして非道を極める理不尽さは理解できない。

そして、現在リアルタイムで起きているロシアによるウクライナへの侵略戦争のむごさも。

少女が兵士となって人を殺すのは辛すぎる体験だ

実際に戦場に行って戦った兵士たちのインタビューや報告の類は、前にも読んだことはある。

日本の兵士たちの証言も色々と読んだ。

それらを読めばやっぱり今回と同様の衝撃を受け、涙が止まらなくなってしまうものだが、本書の証言は、全て若い女性兵士たちの生の声である。

これはやっぱり衝撃の程度が違う。

10代後半の日本で言えば中学生や高校生の女の子たち、戦場で背が伸びたという証言も複数あったが、まだ胸も膨らみきらないような少女たちが、男たちがはく下着とブカブカの軍服を着て、銃を身につけて、実際に敵を殺すという体験。

極寒の寒さと戦いながら、自らも常に死と隣り合わせの過酷な状況の中、相手を殺さなければならなかったという、女性として普通では考えられないことが、他にはない大変な衝撃を受ける理由になっていると思う。

ジェンダー平等とは言うけれど、女性は、特に少女は戦場で戦って敵を殺すなどということはあってはならないことだ。

人を殺すのは女の仕事ではないだろう!?

そんなことをやったソ連という国を、どう理解したらいいのか? 

スポンサーリンク

少女たちは自ら志願して兵士となった

但し、本書を読むと驚かされるのだが、戦場に行った女性兵士たちは国(ソ連)から強いられたわけでは決してなく、自ら進んで、本人たちの強い希望で前線に繰り出て行ったのだ。

そこは本当に大事な点。

日本の学徒出陣のような国策として、強制的に徴兵されたものでは決してなく、自ら進んでどころか、周囲からの「ダメだ、認められない」という強い反対を押し切って、かなり強引に自ら望んで兵士となった。

少女たちのほとんどは、あくまでも志願兵だったのだ。

本書を読んで非常に印象に残るのは、自分も前線で戦いたいと強く願った少女たちが軍隊に押しかけて行って、「到底認められない」と軍人たちから猛烈に反対されるのに、困る軍人たちを逆に説得して無理やり入隊を認めさせるというケースだ。強引と言いたくなるほど自分から積極的に働きかけて、入隊している。

独ソ戦時代のソ連の徴兵制度の仕組みが分からないのだが、同じような証言が実にたくさん出てくる。 

少女たちにしてみれば、自分たちの希望が何とか叶って満足して戦地に赴くのだが、そこで例外なく、誰もが地獄を見ることになる。

そこが、どうも良く分からないところなのだ。

ソ連とスターリンのプロパガンダが効き過ぎて、彼女たちは国を守るために、その史上初めての社会主義国家という貴重な祖国を守るために自ら志願したとしたら、それはやっぱり美談では決してなく、ある意味でスターリンに洗脳されていた以外の何物でもないような気がする。

そうやって、ソ連社会がいわば暗黙に少女たちを戦場に駆り立てたのではないだろうか?分からないように巧妙に少女たちを誘導したのではないだろうか?

いずれにしても時代に大きく翻弄された少女たち。あまりにも悲しく、残酷な話しである。

戦争が終わった後で彼女たちを待ち受けていたもの

それなのに、そんな志願して兵士となり、命を賭けて戦い抜いた少女たちを待ち受けていたものは、新たな戦いだった。

過酷な戦争を勇猛果敢に戦い抜き、最後にナチスドイツを打ち破り、ヒトラーを自殺にまで追い込んで勝利したのも束の間、彼女たちの国家への生命を賭けた貢献は、スターリンとソ連という国家に裏切られるのである。

その結果、従軍手帳を隠し、支援を受けるに必要な戦争での負傷の記録を捨てて、戦争体験をひた隠しにしなければならなかった。

アレクシエーヴィチが元兵士の女性たちにインタビューを申し込んだ際に、多くの女性たちから強烈に拒否されたのは、そういう経緯もあったからなのだ。

これがあまりにも辛すぎる。

勝利を得て国に戻った彼女たちを待ち受けていたものは、賞賛や感謝ではなく、疑惑と蔑みの目だったのだ。

生の証言を本書から少し引用してみる。

クラヴヂア・S 狙撃兵

(該当部分のみ)

「祖国でどんな迎え方をされたか?涙なしでは語れません・・・・40年もたったけど、まだほほが熱くなるわ。男たちは黙っていたけど、女たちは?女たちはこう言ったんです。『あんたたちが戦地で何をしたか知ってるわ。若さで誘惑して、あたしたちの亭主と懇ろになってたんだろ。戦地のあばずれ、戦争の雌犬め・・・』ありとあらゆる侮辱を受けました・・・・。ロシア語の汚い言葉は表現が豊富だから・・・」

もう一人、地下活動家の証言も紹介しておく。

(該当部分のみ)

「占領地域に住んでいたこと、捕虜になったこと、ドイツに連行されたこと、ファシストの強制収容所にいたこと、その全てに疑いがかけられたの。ただ一つの質問は『なぜ生き残ることができた?どうしてしななかったのか?』すでに死んだ人たちでさえ疑われた・・・・その人たちも同じ理由で・・・・私たちが戦っていたこと、勝利のためにすべてを犠牲にしたことなどまったく考慮されなかった。勝利した、民衆は勝利したのよ!スターリンは結局民衆を信じなかった。祖国は私たちにそういうお礼をしてくれたの。私たちが注いだ愛情と流した血に対して・・・・」

絶句である。何も言葉が見つからない。

スポンサーリンク

若干の不満もある

これは本当に素晴らしい作品。ノーベル文学賞に値する大傑作と言っていいだろう。

だが、僕にはいくつか不満もある。大きく3点ほどある。

写真の掲載がないこと

どうして当時の写真を掲載してくれなかったのか。その従軍女性の姿を豊富に載せてほしかった。この本の中には1枚の写真もない。本の表紙に一枚あるだけ。どうしてもっと載せてくれなかったのだろう。百聞は一見に如かずなのだ。

当時の戦う若い女性兵士の写真をたくさん見たかった。

以下はネットで僕が集めてきたものを掲載させてもらう。

女性兵士誕生の原因分析がないこと

次は本質に関わる重要な点だ。

どうして10代のまだ子供と言ってもいい若い女性が、独ソ戦という人類の歴史上で最も死者の多い過酷な戦場の前線にまで駆り出されなければならなかったのか、という一番重要なことに対する、ジャーナリストとしての分析どころか、言及がほとんどないことだ。

実際に戦場に赴いた元兵士たちへの生の取材の重要さはよく理解できるのだが、それら生の声を聞いた後は、それを聞いた上で、どうしてこのような悲劇が起きてしまったのかという分析がほしかった。

僕が尊敬してやまない立花隆だったらそのあたりは抜かりなく、絶対にその問題の考察は徹底的に行ったと思う。

スターリンの大粛清の影響もあったのではないか。多数の将校を始め貴重な軍人たちや優秀な男性を片っ端から銃殺あるいは流刑にして死に追い込んでしまったことで、兵力が激減し、その結果として普通では考えられない女性兵士の誕生となったのでないか。

日本の学徒出陣ならぬ女性出陣を強いられたのでなかったのか。上述のとおり、少女たちは自ら志願して、むしろ戦場に行く必要なんかないという周囲の反対を押し切って前線に立ったのであり、決して強制されたわけではないが、それだって実際には分からない、プロパガンダで洗脳されていた可能性もあって、そのあたりをジャーナリストとして分析し、考察してほしかった。

全体像が分かる概念的な目次がほしいこと

更にもう一点付け加えるなら、本書の全体の構成だ。もう少し概念的に目次やタイトルを付けられなかったものかと少し残念に思う。

これが「戦争は女の顔をしていない」の目次。もう少し体系的に並べ、内容別に目次で整理してもらいたいと願うのは僕だけだろうか。

本書のタイトルでは、彼女たちが語った印象的な言葉を単に並べただけで、全体の大きな構成、流れが全く分からない。もう少し概念的・論理的にまとめてもらいたかったと思うのだが。

そういう意味ではこれは、確かに「文学」と言えるのかもしれない。

スポンサーリンク

NHKの100分de名著でも取り上げられた

本書は昨年(2021年)8月に、NHK(Eテレ)の「100分de名著」に取り上げたので、もしかしたらご存知の方も多いかもしれない。

これは実に良心的な素晴らしい番組であった。僕はあの放映の段階で、既に本書を購入してあって、実に興味深く見させてもらった。その時点で本書を直ぐに読むことはなかったのだが。

番組のテキストが秀逸。また番組の中ではさすがに映像番組だけあって、独ソ戦で働く女性兵士たちの貴重な動画がたくさん映し出されていた。

みんな笑顔を絶やさずに、歌を歌いながら楽しそうに戦場に赴く実に魅力的な映像だった。あの姿を忘れることができない。

それだってプロパガンダのための映像だったのだろうが。

もちろん、作者のアレクシエーヴィチの姿もたくさん映し出されていた。

テキストの中にも女性兵士たちの写真がかなり収められていて、500ページの本は中々読めそうにないという方は、先ずはこのテキストを読んでもらうといいかもしれない。

アレクシエーヴィチの写真も扉を開けると大きく登場だ。

アレクシエーヴィチと親交があるという筆者の沼野恭子さんの解説は秀逸だと思う。

原作への不満でも書いた、どうしてこんな歴史上例のない女性兵士が誕生することになったのかという原因を分かりやすく解説してくれている。

やはりソ連の国を挙げてのプロパガンダであったことが良く分かる。テキストの中にはその強烈な印象を残すポスターが紹介されている。

これを見て、若い少女たちが戦場の前線を目指したのだと思うと本当に胸が詰まる。

ヒトラーという史上最悪のファシズム国家を倒すために多大な犠牲を払って、民主国家が勝利したというのならまだしも、何度も言うが、第二次世界大戦が始まって2年間は、ヒトラーと手を取り合ってやりたい放題、近隣諸国を蹂躙したのだ。

そして最後にヒトラーと全面衝突となったスターリンが目指した国家がどういう国家だったのかということは今では明らかになっている。

そんな国家のために生命を賭けて戦場の前線に赴き、勝利した後で、彼女たちを待ち構えていたものを思うと、本当に胸が詰まってしまう。

このNHKのテキストは、今でも普通に購入できるので、是非とも読んでいただければと願わずにいられない。

もちろん、オリジナルのアレクシエーヴィチの原作も直接読んでいただきたいのであるが。

スポンサーリンク

ウクライナ侵略戦争にアレクシエーヴィチはこう語る

僕はロシアのウクライナへの侵略戦争が始まってからの1カ月間、これに関連するニュース・報道を来る日も来る日も夢中になって見ているが、その中で、つい先日(2022.3.19土曜日)、NHKの「ウクライナ侵攻 国民秩序の危機」(NHK WARLD Japan)という番組の一番最後にアレクシエーヴィチが突然登場してきて、本当にビックリしてしまった。正しくスヴェトラーナ本人で思わず目が点になってしまった。

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチは、現在73歳。ご健在だ。

目を悪くしており、その治療のために現在はドイツに暮らしているが、今でもベラルーシ国籍を持っている。

そのスヴェトラーナは、今回のロシアによるウクライナ侵略について、以下のように語っていた。かなり感動的だったので、その全てを掲載させていただく。

自分がやるべきことをやるのです。私はただ座って『戦争と平和』を書いているわけではありません。何が起きているかを理解しようと努めています。

何が人でなくするか、何が人を人たらしめるのか、人々の話を聞き、それについて私は書こうとしています。たとえ小さくとも、できることから始めるべきです。

世界では何かおかしなことが起きているようです。闇はありとあらゆるところにあります。けれども、どの国にも明るい側にいる人がいます。

時には民主主義が後退しているように見えるかもしれません。それは一時的なものです。

ただ、私たちは結束しなければ、滅んでしまうことを自覚しなければなりません

しっかりと心に刻み込みたい言葉だ。

今こそ全ての人に読んでほしい特別な問題作

本書のタイトルのいわれは、アレクシエーヴィチの先輩に当たるベラルーシのドキュメンタリー作家アレーシ・アダモーヴィチが言った「戦争は女の顔をしていない。しかし、この戦争において、私たちの母親たちの顔ほど大きく、厳しく、恐ろしく、そして美しいものとして記憶されたものはない」による。

アレクシエーヴィチは記念すべき第1作のタイトルにこのアダモーヴィチの言葉を借りてきたのだが、本書のタイトルとしてこれ以上ふさわしいものはないだろう。

国家のプロパガンダに煽られて、その気になって志願して戦場に駆り出され、生き延びて勝利したものの、戦場から帰国後には偏見の目で見られ、従軍兵士だったことを隠さなければならなかったという悲劇。

これは本当に感動的なドキュメンタリーである。もう80年以上も前の戦争の証言集だが、この証言がなされた過酷な戦場の地で、今、再び考えられないような悲惨な戦争がリアルタイムで繰り広げられている。

本書を読むと、戦争というものがどれだけ過酷で理不尽極まりないものであり、本人と周囲の人々をいかに不幸のどん底に落とすものか、取り返しのつかない悲劇と惨劇が果てしなく広がっていくのかということが、痛いほど良く分かる。

ウクライナ生まれのベラルーシ育ち、元ソ連のジャーナリストの渾身のドキュメンタリーは、正に今、読むのにこれ以上のタイミングはない。

一人で多くの人に読んでいただきたい人類必読の書と言うべきだろう。

なお、このドキュメンタリー「戦争は女の顔をしていない」は、何と日本の漫画家によってコミックとして世に出た。実は本日(2022.3.26)第3巻目が出版されたばかり。

これも実に素晴らしいもので、近日中にこのコミック版の「戦争は女の顔をしていない」を紹介する予定である。

請う、ご期待。

 

☟どうかこちらからご購入ください。

1,540円(税込)。送料無料。電子書籍もあります。1,540円(税込)。


戦争は女の顔をしていない (岩波現代文庫) [ スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ ]


戦争は女の顔をしていない【電子書籍】[ スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ ]

 

☟ 100分de名著「戦争は女の顔をしていない」のテキスト。

599円(税込)。送料無料。電子書籍もあります。550円(税込)。


アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』 2021年8月 (100分 de 名著) [ 沼野 恭子 ]


NHK 100分 de 名著 アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』 2021年8月[雑誌]【電子書籍】

おすすめの記事