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かけがえのない貴重な一冊

8月15日の終戦記念日にちょうど読み終えた貴重な一冊を紹介したい。

日頃から僕が愛読し、尊敬して止まない3人による対談を収めた願ってもない本。そのタイトルはズバリ「太平洋戦争への道」である。

惜しまれつつも今年1月に亡くなってしまったあの半藤一利と、その朋友にして後継者とも呼ぶべき保阪康利。そしてあの名著『それでも、日本人は「戦争」を選んだ」』で有名な東大の加藤陽子教授による鼎談を新書にまとめたものである。

これは元々は2017年の終戦記念日に放送されたNHKラジオの特集番組「太平洋戦争への道~戦前日本の歴史の選択~」で行われた3人の対談を、改めて書籍化したものだという。

その4年前のラジオ番組は、当時かなり好評を得たようだ。僕はあいにく聞いていなかったが、この昭和史、日本の近現代の戦争史の泰斗である3人による対談には興味を抱かずにはいられない。

放送から4年も経ってしまい、半藤さんが亡くなってしまった後で、良くぞ本にして出版してくれたとNHKの英断に感謝したい。

著者3人のいい表情の顔写真が嬉しい。本が歪んでいるのは、読んだ際の折り癖のせい。
本の裏表紙。著者3人の略歴。帯にはブログ本文でも掲げたタイトルが全て掲載されている。丁寧な造りだ。

どんな内容なのか

これは文字通り米英を相手に太平洋戦争をスタートさせるまでの、日本の中国進出と国内の軍部独裁による日本型全体主義の形成に至るまでの歴史を、専門家である3人で語り合ったものである。

全体は序章を含めて大きく7つの章からなる。タイトルを示しておこう。西暦が入ったサブタイトルが具体的でかなり正確にイメージができることと思う。

序 章 太平洋戦争とは何か
第一章 関東軍の暴走
    1931 満州事変―1932 満州国建国
第二章 国際協調の放棄
    1931 リットン報告書ー1933 国際連盟脱退
第三章 言論・思想の統制
    1932 五・一五事件ー1936 二・二六事件
第四章 中国侵攻の拡大
    1937 盧溝橋事件ー1938 国家総動員法
第五章 三国同盟の締結
    1939 第二次世界大戦勃発ー1940 日独伊三国同盟
第六章 日米交渉の失敗
    1941 野村・ハル会談ー真珠湾攻撃

3人がそれぞれの思いを熱く語り合うのだが、全体の構成としては、東大教授の加藤陽子が司会進行とその当時の概略、流れを最初に説明し、それについて保阪正康と半藤一利が詳しく語り、加藤陽子も絡むという展開になっている。

読んでいて非常に説得力があり、一つの事件や出来事に対して、3人が語ることで多少のニュアンスの違いも出て、それぞれの歴史的事件が多方面から立体的に浮かび上がるようになっている。これは中々読み応えがある。

そして、対談の中で話題になる事件や出来事、人物などについて、各章毎に詳しい註が付いていることが実にありがたい。このような対談ではそれが不可欠なことである。

また、巻末には詳しい年表や参考文献も豊富に掲載されており、しっかりと丁寧に作られた本だと感心させられる。

それほど厚い新書ではない。直ぐに読める。

著者の3人のこと

この3人はそれぞれが日本の近現代史、特に昭和の戦争史に関しての専門家であり、第一人者である。著名な方ばかりだが、念のために簡単に紹介しておく。

半藤一利

言わずと知れた自称「歴史探偵」。昭和史の語り部としてあまねく知られた人。僕がこの人の熱心な愛読者であることは、このブログの中でも度々触れてきた。

2回も映画化されたことでも知られる「日本の一番長い日」の著書で、幕末から昭和にかけて膨大な著作が残されている。中でも昭和史には思い入れが深く、前後2冊の「昭和史」は大ベストセラーとなったことは記憶に新しい。「ノモンハンの夏」や「日露戦争」などの力作が多い。夏目漱石の研究家としても著名。

保阪正康

半藤一利と並ぶ昭和史研究の第一人者。膨大な量の著作がある。

半藤一利との対談、共著も多数。正にこの二人は盟友と呼ぶべき存在だ。

同志社大学のOBであり、僕の大先輩にあたる。

加藤陽子

加藤陽子も日本の近現代史、特に昭和史の第一人者であるが、作家の半藤一利や保阪正康と異なり、大学の学者である。東京大学大学院人文社会系研究科教授。現在61歳。

特に加藤陽子が一躍有名になったのは、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』という素晴らしい一冊。

歴史に詳しい中高生を相手に日本の近現代の戦争を縦横無尽に語った特別授業を本をしたものだが、これは本当に驚嘆すべき名著。

いずれこのブログでも紹介するつもりである。

菅総理から任命拒否された学術会議メンバーの一人!

加藤陽子が有名になったのは、この名著の作者ということだけではなく、例の菅総理が任命を拒否した学術会議のメンバーの一員だったことで更に話題となった。

菅総理から任命を拒否された6名の研究者の一人がこの加藤陽子だったのだ。

僕は『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』を読んで、すっかり心服・敬服し、素晴らしい学者がいるもんだと深い感銘を受けていたので、こんな素晴らしい学者が時の総理大臣から学術会議の会員を拒否されたと知って、何たるスキャンダル!と怒りが収まらなかったと、正直に書いておく。

真意は定かではないが、安保法制に反対したことを理由に、日本の近現代史における傑出した慧眼の持ち主を、時の総理が政治権力を用いて拒否したとしたら、とんでもないことである。

全く嘆かわしい。

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1931~1941の日本の暗黒史が解き明かされる

これは本当に貴重な一冊で、あの時代に関して非常に示唆に富んでいる。多くの日本人に読んでいただきたいと切に願わずにいられない。

何という救い難い時代

読み終えて、いよいよあの時代は何と救い難い、最悪の時代だったのかと思わずにいられなかった。

驕り高ぶった軍部が台頭し、言論と思想を統制し、一切の自由な発言を封じ込んで、戦争への道をまっしぐらに突き進んだ。

国際社会で孤立化する中、過激な暴力事件を何度も繰り返し、暴力と軍事力で政府と国民を脅かして権力を掌握した陸軍が諸悪の根源であったことはもちろんだが、結局はその軍部に対抗できずに迎合したばかりか、時には軍部以上に既得権益の獲得に夢中になった政治家や財界人たちの罪は限りなく深く、大きい。

新聞など軍部を煽ったマスコミの罪

だが、この時代を知るにつけ、それ以上に絶望感に押し潰されるのは、そんな軍部を支援し、国民を煽りに煽った当時の新聞やラジオに代表されるマスコミと言論人たちの存在である。

あのような新聞や各種のマスコミが、軍部と彼らが中国大陸で押し進めた侵略行為を賛美し、支援することがなければ、日本はあんな軍国主義一色にはならなかったのではないか、とつくづく思うのである。

すっかり洗脳されてしまった一般国民の罪

そして、そんな新聞やマスコミにスッカリ洗脳されてしまった一般の国民たち。これが実に弱かった。瞬く間にスッカリ洗脳されてしまう。ものの見事に軍部の権力掌握と戦争を、国民そのものが強力に応援し、推進したのである。

そのあたりの経緯が本書を読めば、実に良く理解できる。

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太平洋戦争に至る前の日中戦争の驚くべき愚策

僕がこの本の中で最も感銘を受けた部分の一つは、満州事変から始まる日本の中国への侵略のピークとしての盧溝橋事件から始まった全面的な日中戦争について語られたところ。

首都南京を攻略しながらも、中国の奥へ奥へと侵攻を進め続けた日本軍について、保阪正康が今から約30年前の1992年に、蒋介石の右腕だった部下や次男から直接聞いた話が紹介されている。その話しに僕は衝撃を受けると同時に、その内容がストンと胸に落ちたというか、大いに納得できたのである。

少し長くなるが引用させてもらう。特に蒋介石の次男の蒋緯国が言っていたことだという。

「古来、どんな強い軍隊でも、ナポレオンでもフビライでも、ひとたび軍を動かすと、直線的に進んでいくという心理があり、そうすると最後は、断崖にまで突き進んで、そこから落ちてしまう。自分たちが目論んだのは、まさにその心理を利用することであり、我々はとにかく日本軍を中国の奥地まで引き入れて兵站を切り、孤立した日本軍の部隊を次々と殲滅していくという戦略を考えていたと言う」
 そして、「しかし」と彼は話しを続け、「いくら軍にそういう性質があるとしても、なぜ日本軍は中国のこんなに奥深くまで入ってきて戦争をするのか、自分には理解できないのだが、君はわかるか」と逆に聞かれました。
 私もわからないから、こうして話しを聞きに来ているのだと答えたら、彼は、「日本の軍人は単純に言えば歴史観がないのだろう」と言う。なぜ中国と戦っているのか、なぜ中国に攻め入るのか、それを決めるのが歴史観だが、それが日本軍にはないのだろう。軍の論理でしか物事を考えないから、最後は軍事の限界にぶち当たって勝手に潰れていくのはわかっていたことだ、と言われたんです。これは、なるほどと思いましたね」

これを受けて、加藤陽子が次のように発言している。

「軍事作戦そのものから始まった戦争ですと、どうしても参謀本部なり課長級の考える「作戦」重視になる。その上で、戦争相手国の何を変えようとして戦争をしているのかという「大義」を見ることができる政治家や指導者が、戦争を統御しなければならないのに、当時の日本ではそれができなかったということですね」

日本はこんな戦争を中国で繰り広げていたのである。

奇しくも終戦記念日に読み終えた。

保阪正康がまとめた各章の解説が力作

3人による対談とは別に、それぞれの章には保阪正康がまとめた解説部分があるのだが、これが読み応え十分。

保阪正康は、この部分はあくまでも保阪正康が書いたものであり、この記述の見解、感想などはすべて保阪の考えであり視点であると断っているが、3人による対談の内容をしっかりと踏まえながらも、様々な側面からその時代を正確かつポイントをしっかり押さえてまとめてくれている。簡潔ながらも漏れのない盤石な総括であり、解説として非常に分かりやすい内容だと思う。

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何がいけなかったのか?再来を防げるのか?

あの時代の何がいけなかったのだろうか?どうしたらあの時代の再来を防ぐことができるのだろうか?

本書の中にその答えをある程度は見出すことができるが、詳しくは本書を読んでもらうしかない。

本書の最後に、半藤一利が、「不勉強な人たちが指導者になっても、その都度その都度大事なところで冷静になって考え、判断をするということは難しかったと思いますね。(中略)
今の日本人も同じように不勉強です。もしかしたら、今のほうがもっと不勉強かもしれません。本当のことを言うと、このままの日本で大丈夫かと、もう八十七歳の爺は思うわけです。ぜひ、しっかりと勉強してほしい。若い人にはとくに勉強してほしいと思いますねと、「日本人よ、しっかりと勉強しよう」と呼びかけている。

これは半藤一利の心からなる遺言だったかもしれない。

時代の生き証人がいなくなる恐怖と絶望

この本を読んで改めて痛感させられ、不安に陥るのは、このような本が今後は作られなくなってしまうのではないかということだ。半藤一利は既に亡くなってしまったし、保阪正康も現在81歳の高齢である。

昭和史やあの戦争の記憶を語り継ぐ人がドンドン亡くなっていく。あの立花隆も死んでしまった。

もちろんこの本の対談内容は1931~1941にかけての時代を、当時その場に居合わせた当事者が語り合ったというものではない。それは当然のことだ。だが、多少なりともその時代の空気を共有し、その後の「戦争」そのものには少なからず関わったという人の証言がいかに重要であることか。

戦後から早いもので76年。終戦の年に生まれた人でも、現在76歳になる勘定だ。戦場に赴いた経験を持つ人は、20歳で従軍経験があるとすれば、何と現在96歳ということになる。存命でいること自体が奇跡的なこと。

亡くなった半藤さんは1930年生まれなので、終戦の時点で15歳の少年だった。従軍経験はもちろんない。その半藤さんも91歳で亡くなってしまったのである。

これは本当に大変なことだと思う。正しく国家的損失。国のプロジェクトとしてあの時代と戦争の証言を徹底的に集め、記録として後世に残しておく必要があるのではないか。本当にそう思われてならない。

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無謀な戦争に至った原因と経緯を伝える名著

これは本当に貴重な本だ。232ページの薄い新書にも拘らず、内容は頗る濃厚。コンパクトながらもあの暗黒の約10年間の問題点と失敗が実に的確にまとめられ、あの時代を振り返るにこれ以上ふさわしい本はないと思える程だ。

基本的には3人による対談の再現であり、非常に読みやすい。僕は2~3日で直ぐに読めた。時間的には10時間もあれば十分に読み切れるのではないだろうか。

今年(2021年)1月に亡くなった半藤一利の「肉声」を聞けることは本当にありがたい。

あの時代、どうして国を亡ぼす無謀な戦争に突入していったのか、それは起こるべくして起こった必然的な道だったようにも思えてくる。これから先、またいつか来た道にならないようにすることができるのであろうか。

そのためにはどうしたらいいのだろうか。

一人でも多くの日本人が実際に手に取って、真剣に読んでいただくことを切願して止まない。

 

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