熱々たけちゃんブログ、大怪我報告編の続きです。
目 次
朝は何時まででも寝ていられる僕が
朝はとにかく何時まででも寝ていることができるという特異体質の持ち主。もう63歳にもなるのに、若い頃とその点は全く変わらない。
普段は映画を観たり、音楽を聴いたりで、極端に睡眠時間の少ない僕は、週末は寝溜め。寝溜めなんてできないということは分かりつつも、土日は昼近くまで寝ていることが多い。だいたい10時半頃に起きるのが、いつものパターンだ。
そんな僕があの怪我の後は、寝ていられなかった。とにかく痛い。それに尽きる。顔面の傷。そしてなんと言っても肩と首。同じ姿勢で、ズッと仰向けで寝ていると辛くなってくるので、何とか少しだけでも身体の向きを変えようと試みるのだが、とにかく痛くて身体を動かせない。微塵たりとも動かせない。それでも何とか動かそうとすると、もう地獄の痛みが襲いかかる。
そうこうしている中で、もうこれ以上痛みの中で寝ているわけにもいかず、朝の7時半に苦労して起き出してきた。
色々と考えて、的確な判断を下さなければならないことが待ち受けている。
えっ!?
何のこと?
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指揮者なのに、大切な合唱団の練習に行けず!
そう、この日は実は特別な日だったのだ。
先ず、この日、昨日の日曜日は、怪我をしてしまった土曜日に続いて、東京フリューゲルの大事な練習が予定されていたのだ。僕が指揮者を務めている合唱団のこと。
外部の著名な先生をお招きしてのボイトレの指導を受ける日。僕らの東京フリューゲルには正式なボイトレ(ボイストレーナー)がおらず、ボイトレつまり声の鍛錬は合唱団最大の課題となっている。普段は僕が日頃の練習の中でああだこうだと指導しているのだが、声の鍛錬は中々容易なことではない。プロとしてのテクニックと指導力が不可欠だ。
今まで時間をかけて色々と検討し、ようやく昨日、ある指導者のボイトレ(ボイストレーニング)を受けることが決まっていたのだ。
午後の1時から4時までの3時間。
そんな大事な日の前日に指揮者が大怪我を負ってしまうという不始末。本当に何と言ったら良いのか。僕自身このボイトレの指導を前々から楽しみにしていたのだが、この状態ではとても受けられそうにない。
そして、昨日はそれだけではなかった‼️何という巡り合わせだろう。
大風15号の首都圏直撃である。
大風15号の首都圏直撃にも見舞われる
これが喫緊の課題。迫りつつある超大型台風が関東直撃と言われる中で、先ずはボイトレを決行するのかどうかの判断が最大の課題となっていた。
前日の土曜日の練習では、「明日のボイトレは前々から時間をかけて検討してきたもので漸く実現することになった大事な企画だが、滅多にない台風直撃と奇しくも重なってしまった。せっかくの機会ではあるが、無理はできない。帰りに帰宅できなくなるということは避けなければならない。その判断を指揮者である僕が当日の朝、10時に決断し、決行する場合でも中止する場合でも、メーリングリストで案内する」と。
という次第。
ボイトレをやるのかやらないのか、大風接近の中、僕が決断しなければならない。
それなのに、そもそも僕自身がこの大怪我の中で、参加できるかどうかも分からない。一体どうするんだ?
指揮者が怪我で参加できないようなら、ちょうど大型台風の直撃も迫る中で、そっくり「なし」にしてもいいのではないか、日程はまた調整すればボイトレが受けられなくなるわけではない、そうも思えた。そんな誘惑にもかられた。
練習をやるかやらないか、ギリギリの決断を迫られる
だが、幸か不幸か、台風15号は当初の予報から少しスピードが落ちて、首都圏直撃が少し遅れる、その日の深夜0時頃になるとの直近情報。
これなら指揮者が怪我で参加できなくても、中止にするいわれはない。残念ながら僕は参加できないが、ボイトレは決行しよう、それが正解だ。
一方で、僕の怪我の治療をどうするんだ?という大問題もあった。
一晩寝て、楽になっているようなら週明けに自分の病院にかかればいいじゃないか、とも考えていた。
ところが、一晩寝て起きても、顔面や腕の傷以上に肩と首の状態が最悪で、これはとても放置できない。すぐにでも救急にかかろうと決断。幸い、近くの町田市民病院が今度は外科系の救急当番日に当たっていた。
女房に電話してもらい、受け入れがO・Kとなる。
合唱団のメンバーにボイトレの決行を決断するタイムリミットは10時だったが、病院の受診と重なるため、少し早かったが、これから僕は病院の救急にかかる、指揮者は参加できないが、ボイトレは決行、終わり次第、早めに帰宅してほしいと女房にメールを送ってもらう。
ちなみに我が女房は、合唱団のメンバー。アルトのパートリーダーという合唱団の要職に就いている。
台風直撃の中、指揮者抜きでの練習が決定
台風が首都圏を直撃するという未曾有の中での指揮者抜きのボイトレ指導。一方、その指揮者は近くの市民病院で救急受診が決まったものの、何故かこの日はタクシーが混んでいて30分待ちだと告げられる。
歩いても15分もかからず、自転車なら5分で行けるのだが、その満身創痍の中、やはりタクシーで行くしかない。もちろんハンドルはとても握れなかった。
タクシーの到着を今か今かと待つこと20分。心細いが女房はボイトレに参加しなければならず、一人で苦労してタクシーに乗り込んだ。
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町田市民病院に受診
町田市民病院には同業者としてあまりいい印象がない。亡き父や家族が色々とお世話になったが、非常に非効率的な役所的な運営をしており、これは本当に救い難い病院だと思っていた。
だが、数年前に全面リニューアルされてさすがにそれなりの病院として再出発したようだ。その後、初めての受診。
しかも日曜日の外科系の救急。どうしても医療の質やレベル以上に、運営面とかマネジメントが気になってしまう職業気質を押し殺して、ここは一患者に徹して治療を待つ。
で、どうだったのか?
とてもいい対応をしていだき、大いに満足した。町田市民病院、中々いいじゃないかと心底感じた。
ドクターはまだ若い整形外科の先生。電話で依頼した際、顔面の措置は難しいと言われていたが、全てを対応してくれて、これには感謝するしかない。
病院での治療内容は
先ず、レントゲン、これは放射線撮影と言うべきだが、どこの病院でもレントゲンと言っている。レントゲン先生は大したものである。
左肩と首の写真をそれぞれ2枚ずつ撮影してもらう。
で、その結果、骨には異常はなくホッとする。ただ、捻挫と軽い亜脱臼だと説明を受ける。
いずれにしても、痛みが消えるには少し時間がかかるだろうが、あまり心配いらないだろうと。
問題はむしろ、顔面の傷だった。オデコの大きなタンコブは今朝はもうかなり引いていたが、問題は左目の真横の縦の断裂。よく見ると皮がベロリと剥けていて、先生にはこれは傷が残っちゃうねと言われる。そして縫った方がいいと思うけれど、どうしようかなと?
色々と検討してもらった結果、やはり縫いましょうとなる。整形の先生が良く決断してくれたものだ。
でも、顔面の縫い合わせだ!これは思ってもいなかった。さすがにショックを受ける。
僕は痛みには元々強い方なのだが、さすがに目の横の頬を針で縫われるのは怖い。痛いだろうなあと不安でたまらない。
顔面の縫い合わせ。4針
しかし、ここは全てを先生に委ねるしかない。覚悟を決めて緊急措置に臨む。顔に布を被されていよいよスタート。
最初に麻酔だ。これが痛い。何ヶ所か
注射される。
麻酔は効いたようだが、いよいよ縫われ始めるとさすがに痛い。いいおじさんが、痛い痛いと言うわけにもいかず、ここはグッと我慢。
結局、顔面を4針も縫われてしまった。時間にして15分か20分だったろうか。
こうして僕の治療は一旦、終了した。むち打ち症の人がはめる首のギブス(カラーキーパー)をはめられ、左肩の負担と痛みを避けるために、左手は三角巾に吊るされ、そして顔面は大きなガーゼに覆われた。そして左手のあちこちにもガーゼというか絆創膏というか。
今後の戒めのためにこのどうしようもない姿を写真に残しておこうと、自分で撮影。親しい人には公開したが、さすがにこのブログでの公開は差し控えたい。
見てもらうと一目瞭然なのだが。
今後の消毒や抜糸は僕の勤務先の病院で対応してもらうことになり、先生に紹介状、正式に言うと診療情報提供書を書いてもらって、診察は全て終了。
それほど心配は要らないが、まあそれなりの治療を受けて、台風が近づく中、またタクシーで帰宅したという次第。
診療情報提供書の内容によると、僕の怪我の状況は、
顔面の挫創、頚椎捻挫、右肩鎖関節脱臼grade2
とのこと。
顔面の挫創は一部皮膚欠損を認め縫合措置を施行しました云々。
後は、傷が癒えるのを待つばかり。縫われた傷跡がピリピリと痛かったが、もう一安心。一日だけ有休をもらって、火曜日から出勤しようとこの日は早く寝た。
これで、後は時が傷を癒してくれるはずだった。この後は良くなるだけのはずだったのだが・・・。
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これだけでは終わらなかった!悲惨な状況に
これがそうはならなかったのだ‼️
昨日、救急治療を終えて帰宅後、安心しきっていたのだが、何だかやたらと目ヤニが出てくるのが気になり始めた。
瞼の端に茶色い膿のような液体がドンドン出てくるのだ。最初はこれだけの傷を負ったのだから、当然かな。いずれ収まるだろうと閉口しながらも、それほど気にしていなかった。
だが、就寝してからも、ドンドン流れてくる始末。とにかくその都度、ティッシュで拭いて、あの台風直撃の激しい暴風雨の中、膿拭きに追われる。
まあこれで出切ってしまえば問題ないだろう、明日はもう治っているはずだ。物凄い暴風雨の騒音の中、明日の朝を待った。
そして台風一過の朝を迎える。今朝だ。
元々怪我のせいで休みをもらっていた僕はあの大混乱を起こした電車の不通も関係なく、その点では救われたのだが、朝、また起き上がるのにエラく苦労して何とか起き出すと、先ず右目が全く開かないことに愕然。
そして恐る恐る鏡を覗き込む。
悲惨な顔に腰を抜かさんばかりに驚愕!!
‼️ えっ⁉️ええっ⁉️
腰を抜かさんばかりに思わず息を飲んだ。
物凄い顔が写っていた。
右目が全く塞がっていて、物凄い腫れ。しかもその腫れがもう真っ赤というよりも黒紫色に染まっていて、見るなり悪寒が走った。唖然。言葉を失う。
あの時の動揺と絶望感。
女房と娘に見られないようにするが、隠し通せるわけもない。見られるなり、ギャー‼️
どうなっちゃったの?と腰を抜かさんばかり。
昨日より酷いじゃないの⁉️
今日は休んで一日ゆっくりと過ごし、傷の癒えるのを待とうと思っていたが、これはダメだ。もう一度、町田市民病院にかからなければと大慌て。
実は、昨日救急で診てもらった整形の先生の名前も認識していなかった。迂闊だったなあ、どうやったら分かるのか。そこでハタと診療情報提供書を書いてもらったことを思い出した。
診療情報提供書は医師から医師への診療の情報提供なので、患者本人は開封できない。封筒は封印されている。
この際、そんなことは言っていられない。どうせ自分の病院にかかるんだから事情を説明すれば許されるだろうと封を開けた。そこで初めて昨日お世話になったドクターの名前が分かったという次第。
そこに書かれていた病名が上述の病名というわけだ。
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再び町田市民病院へ
町田市民病院のホームページを見ると、幸運なことに昨日のそのドクターが今日の外来を担当していることが判明。直ぐに電話をして、整形外来のナースに事情を説明。このナースの対応はあまり感心できなかったが、とにかく診てくれることになった。
非常に混んでいるので、相当待ってもらうことになりますよ、みたいな少し嫌な言い方をされてしまう。
というのは、ホームページによれば整形外来は予約しか受けていないということなのだ。そんな馬鹿な?
しかも整形外科だけで4診、つまり4人の先生が同時に外来を担当しているのに、全て予約だけだなんて。
それでも昨日の救急にかかった患者だから、特別に診てあげるという上から目線が僅かながらも感じられて、町田市民病院はやっぱりあまり変わっていないのかなと少し失望させられた。僕の思い過ごしの可能性もあるが。
いずれにしても、今日の僕にはそんな病院の評価をしている余裕なんかない。
目の周りがお岩さん状態だったので、今日もタクシーで行きたかったが、台風一過の交通混乱でタクシーはつかまらない。仕方がないので、もう信じられない猛暑だったが、自転車で漕ぎ着ける。
さんざん待たされる
本当に待たされた。
長い。まだか。何と4人の整形外来の先生の中でも、僕のその主治医が一番の人気医師のようで、そのドクターのところだけがめちゃくちゃ混んでいる。待たされた。
そのあまりにも長い待ち時間に嫌気がさして、この怪我の顛末を詳細に報告してやろうとスマホにブログを書き始めた。こうして書き終えたのが前編というわけだ。
ようやく診察が回ってくる。先生も僕の顔を一目見るなり、驚いて、これは念のため目の周りをCTで撮ってみましょうということになった。
このCTも散々待たされて、漸く先生による説明に辿り着いた時にはもう午後の3時を疾うに回っていた。
先生はとても丁寧かつ感じのいい方で、こんなに待たせたしまったことを心底詫びてくれたことが救いだった。いい先生がいるなと強く印象に残った。
CTの結果は、目(眼)の周りにも頭部にも、骨には全く異常がないことが判明して、漸くこの長い一日が安堵で終わった。
オデコにできた大きなタンコブの中の内出血や悪いものが重力の関係でドンドン下に降りてくる。特に弱い部分の目の周りに溜まって来たと思われるとのこと。更に下に移る可能性もあるとのことだった。
これはもう時間をかけて腫れと変色が元に戻るのを待つしかない。冷やすのがいいと指導を受け、昨日縫合された傷の消毒を終えて、漸く診療が終わったのである。この間、お昼も食べずに約5時間半。
見るに耐えない悲惨な顔に変形
今、僕の顔はとんでもないことになっている。特に右目(右眼)の周りは黒紫に大きく腫れ上がり、見るに耐えない。ゾッとする凄まじさだ。
だが、これで安心できた。
本当に後は傷と腫れが治るのを待つばかり。肩も首も相変わらず痛くてたまらないが、少し楽になったように感じる。
これが僕の今度の大怪我の一部始終。傷や腫れ、痛みが消えるにはまだまだ時間がかかるだろうが、何とかここまで全容が判明し、ホッとしている。
こんな簡単なことでも、これだけ心配し、苦労して診察を受け、その結果に一喜一憂。
これがガンやもっと重篤な病気だったら。怪我だってもっと全身を激しく傷つけたなんて場合は、とてもこんなことでは済まない。
僕は過去、様々な急性期の病院に勤めてきた医療人だ。今も現役。病院の経営改善が天職だと思っている。
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あらためて適切な医療提供の必要性を痛感
こんな僕のような病院が極めて身近にある者でも、これだけの右往左往。
医療の重要性と適切な医療の提供の必要性を改めて痛感させられた。
そして、それ以上に、今回は日常生活の在り方をもっと改善していかなければと猛省させられた。
酒はほどほどにしよう。無理は禁物。今回の件で家族に、特に女房に大変な心配と迷惑をかけてしまった。
もちろん合唱団にも。
深く反省したい。悔い改めようと固く決心している。