目 次
手塚治虫の禁断の書と呼ぶべき問題作
「きりひと讃歌」に続いて取り上げたいのは「奇子」である。「奇子」と書いて「あやこ」と読む。手塚治虫自身があとがきで、これを「あやこ」と読ませるのは少し無理があったと書いているが、手塚治虫の熱烈なファンの間では、「奇子」は「あやこ」。何の躊躇もない。これまた手塚治虫の隠れた傑作中の傑作で、一部に熱狂的なファンがいる。かくいう僕も「奇子」への思い入れは特別に強く、僕としては迷いながらも手塚治虫の全作品中のベスト5に入れたいと切望している作品だ。
名作と言ってはいけないのかもしれない。これは「きりひと讃歌」に勝るとも劣らない傑作でありながら、その話しがあまりにも暗く、あまりにも特殊で、またあまりにも刺激が強過ぎるため、どうしても名作と呼ぶことは憚られる。問題作と呼ぶべき作品で、ハッキリ言って「禁断の書」と呼ぶのが一番適切かもしれない。
だが、手塚治虫の絵はいよいよ洗練さと緻密さを増し、そのテーマの持つ問題の深さは、「きりひと讃歌」以上だ。
ここで描かれるのは、終戦後の日本の閉鎖的な地方における大地主と旧家、「家」の問題とドロドロの家族関係。そしてあの時代の最大の社会問題の一つであった一連の国鉄を巡る怪事件の真相に迫る渾身の問題作なのである。戦後の日本を覆った政治的閉塞感と、どうしようもなく個人を圧迫し、押しつぶしていく「家」とを絶妙に結び付けて、想像を絶する物語を展開させた手塚治虫のストーリーテラーぶりに脱帽。ビックリする他はない唯一無二の作品だ。
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初めて読んだ時の刺激が強すぎて、トラウマになったほど
僕は、これを始めて読んだ時の衝撃があまりにも強過ぎて、すっかり打ちのめされてトラウマになってしまったほど。それくらいの衝撃が待ち構える。これがあの「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」を書いたのと同じ作者の作品とはとても思えない、人間のダークな部分、悪が徹底的に描かれて言葉を失う。
だが、衝撃を受け、打ちのめされた後は、逆に手塚治虫に対する絶大なリスペクトと驚嘆しか残らない。この「奇子」は一時期は僕にとって「アドルフに告ぐ」と火の鳥の「未来編」「鳳凰編」と並ぶベスト4の位置をずっとキープしていた。
最近は、少し残念な部分も膨らんできて、そのベスト4のキープは厳しくなってきているが、いずれにしても、この「奇子」の持つ強烈なインパクトと壮絶な物語には何度読んでも衝撃を受け、この作品を「特別な傑作」とする評価にいささかのぶれもない。
とにかくこれも一人でも多くの方に読んでもらいたい手塚治虫の隠れた傑作にして最大の問題作と呼ぶべきものだ。これを読まずして手塚治虫を語るなかれと言いたくなる。
「奇子」の基本情報
前回紹介の「きりひと讃歌」に続いてビッグコミックに連載された。
期間は1972年1月25日~73年6月25日。約1年半の連載だ。手塚治虫は44歳から45歳にかけてということになる。手塚治虫の「長い長い冬の時代」はまだまだ続いており、もがいていた手塚治虫だが、復活の狼煙を上げるあの「ブラック・ジャック」の連載開始はもうそこまで迫ってきていた。「奇子」完結後の約半年後から「ブラック・ジャック」の連載は始まったのだ。冬の時代はいよいよ終わりを告げようとしていた。
手塚治虫の才能に驚嘆!
僕が改めて手塚治虫の凄まじい能力と才能に驚嘆してしまうのは、以下の事実。事実はとにかく雄弁だ。
あの渾身の傑作「きりひと讃歌」が完結して、ビッグコミックでの連載が終了したのは、1972年の12月25日。そしてその次の連載となる「奇子」の連載スタートは年明けの1月25日からなのだ。ちょうど1カ月後から新連載のスタートとなっている。その間に年末年始が挟まっている。
小学館のビッグコミックは誰でも知っていることだろうが隔週で発売される。つまり2週間に一回ずつ出るわけだ。となると、手塚治虫は「きりひと讃歌」が終了して、1回だけ休んで1カ月後に、いとも普通のことのように次の連載作品である「奇子」の連載がスタートを切ったのである。これって、僕にはどうしても信じられないのである。この間に年末年始もあったのだ。
つまり手塚治虫という人は、「きりひと讃歌」が大団円を迎え、完結したその直後から直ぐに次の「奇子」の連載をスタートさせているのだ。手塚治虫が複数人いるとしか思えないような事実。
「きりひと讃歌」はあれだけの渾身作。特にエンディングの濃密さと盛り上がりは大変なもの。2年に及ぶ長期連載が完結したならば、普通はしばらくゆっくり休みながら、次の作品の構想を練る。当然そうだろう、それが普通というものだ。それなのに手塚治虫という人は、前作の連載が終わるなり、年末年始を挟んでちょうど1カ月後から新連載をスタートさせた。「奇子」は完全に手塚治虫のオリジナルストーリーなのだから恐れ入ってしまう。実は、こういうことは手塚治虫にとって、いつものことなのだが。
本当に頭の中を覗いて見てみたい。一体どうなっているのか?どうしてそんな離れ業ができるのだろうか?
同時に何本もの連載を抱えていたという信じがたい事実
しかも事情はそれだけではない。この「きりひと讃歌」の終盤と「奇子」の序盤の時期、手塚治虫は同時にあの珠玉の短編集「ライオンブックス」シリーズを次々と発表し、あの大長編の「ブッダ」も連載を始めていた。更に「復活編」(火の鳥)、「人間昆虫記」、「鳥人体系」、「時計仕掛けのりんご」などの力作、問題作を続々と発表したばかりか、僕の大のお気に入りの「アラバスター」も。これらを同時並行して、何本もの連載を抱えていたのである。こんなこと、本当に考えられるだろうか?
本当にこの人は、もはや人間ではない。宇宙人というか、別の生命体と言うしかない。只々驚嘆してしまうのだ。
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「奇子」はどんなストーリーなのか?
戦後4年経った昭和24年、青森県の旧家の次男仁朗は復員兵としてマニラから戻ってきた。その天外(てんげ)家で仁朗が5年振りに見たものは汚れ切ったおぞましいばかりの家族関係だった。
その天外家の一族を、復員した仁朗が心の中でつぶやくモノローグをそのままコピペして、紹介してみる。
誤解がなくて一番確実だ。
①天外作右衛門・・52歳。大地主 傲慢 尊大 放蕩 淫乱 不遜 懐疑主義 マキャベリスト なにひとつ侮蔑の形容の当たらないことのないような人間だが。それでいてこれだけの親族がひとりとして頭のあがらないのは恐怖からか?あきらめなのか?
②おふくろは・・・天外ゐば 51歳 典型的な滅私奉公型貞妻
③あにき 天外市朗 27歳 打算的で日和見主義者 えせモラリスト おやじの陰険な側近
④義姉 すえ 23歳 年よりもふけて見える 無口でかなり虚無的な悲しさの漂う女
⑤妹 志子(なおこ)18歳 高校生 平凡な明るい性格でおれとは気が合う だれにも好かれるタイプ
⑥弟 伺朗 12歳 小学生 一家ではいちばんしっかり者で理論家である 彼に見すえられると市朗あにきでもタジタジとして我を折るほどだ
⑦そして奇子・・・4歳 妹と呼ぶべきか・・・それともめいというべきだろうか?おふくろの異様なろうばい そして義姉に生きうつしの容ぼう
奇子は仁朗が睨んだとおり作右衛門が長男の嫁であるすえとの間に作った子だ。長男の市朗は知らないわけではなく、父の財産をそっくり相続することの見返りとしてしぶしぶ父親に嫁を提供したというおぞましさの極致のような関係。したがって長男の市朗にとって弟の仁朗が戻ってきたことは内心穏やかではない。
このように冷静かつ批判的に家族を分析している仁朗なのだが、実は仁朗はGHQのスパイとして裏でヤバイ仕事を担っていた。それがあの国鉄の下山総裁の轢死事件と直結してくるあたり、いつもながらに手塚治虫のストーリーテラーぶりには舌を巻くしかない。
仁朗がGHQの指示に従って妹の恋人である共産党員の幹部の死に関わり、その証拠を奇子に目撃されてしまったあたりから物語は急転直下で回り始め、ハラハラドキドキの連続で、ページをめくる手が止まらなくなってくる。
そして様々な大人たちのエゴとみにくさの犠牲となって、奇子は死んだことにされ、戸籍も消され、完全に存在を抹殺されて、地下牢の中に閉じ込められてしまうのだ。
この想像を絶する奇想天外な物語はどこから生まれたのか
こうしてどうしようもない星の元に生まれた幼女奇子は、運命に弄ばれるかのように醜い大人たちの腐り切った思惑によって地下牢に閉じ込められ、伺朗の必死の抵抗も空しく、以来存在を消されて外部との一切の関係を絶って、地下牢での生活を余儀なくされる。
奇子は地下牢から出ようと必死でせがむのだが、どうしても出してもらえない。小学生でありながら理論家で正義感の強い伺朗は、大人たちの犠牲になった奇子の面倒を必死で見ていく。やがてこのいたいけない少女はいつの間にか地下牢の中で「女」に目覚め、奇子の純粋で一途な求めに伺朗は遂に拒めなくなってしまう。
一方GHQのスパイとして下山事件に関わった仁朗は天外家を逃亡し、朝鮮戦争の混乱の中、裏社会で暗躍し、その地位を確立していくのだが。
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手塚治虫が目指したものは手塚版「カラマーゾフの兄弟」
これがあのドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に良く似た話しだということは直ぐに気が付くだろう。実際に、手塚治虫自身が手塚治虫版の「カラマーゾフの兄弟」を目指そうとしたことを告白している。骨格はそっくりだ。どうしようもない権力者にして淫乱好色の父親に、性格と生き様の全く異なる3人の兄弟。そこに直系ではないもう一人の兄弟(姉妹)が加わるあたりも、「カラマーゾフの兄弟」に実に良く似ている。
大人たちのエゴとおぞましさ、「家」の犠牲となった奇子
それにしても奇子の運命があまりにも過酷過ぎて衝撃が収まらない。そもそも出生から呪われていた奇子は、その後も特殊な運命に弄ばれて、想像を絶する地下牢への閉じ込め。これは全て大人たちのそれぞれの身勝手なエゴと思惑が幾重にも重なって行われたもので、正に大人たちの身勝手な「エゴ」と「家」の犠牲になってしまったわけだ。
それだけで終わらせないのが、手塚治虫の天才たる所以。この犠牲になったいたいけない少女が、閉じ込められた地下牢の中で、やがて幼虫がさなぎとなり、美しい蝶に生まれ変わるように、純粋無垢な極めて美しい女に変身を遂げた。その妖艶さに打ちのめされる。
これは手塚治虫の最大の問題作にして禁断の書
こうして手塚治虫の最大の問題作の誕生となる。ごく一部の家族を除外して他に誰とも接点なしに純粋培養されたかわいい女の子がいつの間にか美しい女に変身していく。全く汚れを知らない純粋無垢の「女」は、やがて性に目覚め、身近にいた唯一の男性を求めることになる。それが兄であり、叔父でもある伺朗だ。一族の中で唯一まともな人間であった伺朗が妹(姪)からの男を求める純粋な欲望を制止することができなくなる。こうして禁断の関係に陥ってしまう兄妹。
これは相当に刺激が強い。始めて読んだ時の衝撃と興奮を忘れることができない。奇子を責めることはとてもできないし、伺朗もあの誘惑を無視しろと言うことは無理だったのではないか。だが、それが常習となってしまうとは。伺朗も父親作右衛門の血を引く好色な淫蕩者だったのだ。
手塚治虫が若かりし頃、「やけっぱちのマリア」で性教育を展開し、PTAなどから糾弾されたことは有名だが、この「奇子」で描かれる姿はそんなレベルのものではない。もっと遙かに強烈で、読む者にトラウマを与えかねない代物。正に禁断の書なのである。
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手塚治虫の「カラマーゾフの兄弟」の出来栄えは?
手塚治虫の「カラマーゾフの兄弟」である「奇子」は、世界最高峰の文学作品との評価が定まっているドストエフスキーとは比べられないかもしれないが、僕は相当にいい線まで行っていると思っている。異様なまでに暗く、ドロドロとした話しであり、悲劇のヒロイン奇子はあまりにも常人とかけ離れてしまって、これを好きだとか、名作だとか言いにくいかもしれない。僕は個人的には大変な名作だと信じて疑わないが、あまりにもシチュエーションが特殊過ぎるかもしれない。
この物語の中にはまともな人間は一人も出てこない。実は正確にはそうではなく、母親のゐばと志子はいたってまとも。そして奇子は純粋培養された精神的には汚れを知らない女となったわけだが、後は全員が自己中心的な悪の塊のような人間ばかり。全ての人間が罪を重ねて、その罪のために更に罪を重ねていくという悪の連鎖に陥って、そこから抜け出すことができない。
そして最後はアッと驚く衝撃のラストが待ち構える・・・。
戦前の旧家、「家」の閉塞性が痛切に伝わってくる
極端だと思われるかもしれないが、戦前の地方の大地主の旧家、「家」というものはこんな特殊な閉鎖的なものだったであろうことは容易に想像ができるし、その姿を一切妥協せずにこれでもかと描き尽くした手塚治虫の執念が痛いほど伝わってくる。
そして「家」の問題だけではない。戦後の日本社会の闇が見事なまでに暴露されていく。これは手塚治虫が最も社会的な問題に真正面から立ち向かった問題作だ。僕は迷うことなく大喝采を与えたい。
未来志向だった「きりひと讃歌」に対して、ここには絶望しかないのかも
「奇子」で少し不満な点は終盤である。衝撃のラストであるが、少し無理があったか。あのような極端な終わり方しかできなかったのかと少し残念な気がする。だが、奇子が運命の悪戯のように地下牢に閉じ込められ、その中で女となってやがては地下牢を脱出するまでのストーリー展開には、開いた口が塞がらないような衝撃の連続で、とにかく夢中になって引き込まれてしまう。
この想像を絶する奇想天外のストーリー展開は正に手塚治虫の真骨頂。そら恐ろしさを痛感させられる。正に天才にしか作ることができない代物だ。
それにしてもここまで人間の暗部と闇、悪の本質に迫ろうとする手塚治虫の執念はどこから出てきたのであろうか。前回取り上げた「奇子」の直近作の「きりひと讃歌」はこれまた異様な地獄を描きながらも、基本的には極めて未来志向の希望のある物語だった。未来を目指す桐人の姿が忘れられない。
一方でこの「奇子」には絶望しかないように思われる。いや、必ずしもそうではなくて、明るい未来が描かれているんだよとする意見もありそうだが、いかにも暗く、絶望的だ。この先、更に「MW」(ムウ)という最大の衝撃作も待っているのだが、この時期の手塚治虫の人間に対する絶望の深さは半端ではない。
だが、僕は中途半端な明るい未来よりも徹底的に闇と悪を描き尽くす暗い手塚治虫の方が大好きなのだ。実際に世界を見回してみれば、世界中に暗い闇と悪は未だに蔓延している。どうにも救いようがないひどい世界の方が、むしろ世界の本質だと思いたくなってしまうほどだ。
闇と悪を徹底的に描く手塚治虫を読むことで、むしろ未来への思いを強くする。そうあってほしいと願うばかりだ。
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