目 次
シューベルトはやっぱり歌を聴かなければ
久しぶりのシューベルトの音楽の紹介だ。
一時、集中的にシューベルト作品を取り上げたが、実は一番肝心なものを紹介していなかった。それはもちろん歌曲である。
シューベルトと言えば歌曲、すなわち歌である。シューベルトの愛称が「歌曲の王」であることは誰でも知っているだろう。「神童モーツァルト」、「楽聖ベートーヴェン」などという例の奴だ。「音楽の父バッハ」云々。
「歌曲の王シューベルト」というわけだ。
それくらい、シューベルトと歌は切り離せない。
それなのに、シューベルト作品をあれだけ集中的に取り上げたというのに、そのほとんどが器楽作品ばかりで、歌は最晩年の「白鳥の歌」を紹介しただけだった。
歌曲集などの大曲ではなく、誰にでも良く知られたシューベルトの歌曲の数々をどうしても紹介したかったのだが、僕が熱愛して止まないディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウのシューベルトの独立した名歌曲を集めたCDが、現在では入手困難となっていて、泣く泣く諦めた経緯があった。
最近、まだそのCDが生きていることを確認できたので、遅ればせながら取り上げることにしたい。
それにしても朗報だった。こんなかけがえのない貴重な音楽を聴けないなんてことがあってはならない。ホッとしているところである。
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「歌曲の王」シューベルト
シューベルトの歌への情熱、創作意欲は尋常ではない。3大歌曲集と呼ばれている有名な「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」のようなまとまった連作歌曲集の他に、個々に作曲された独立したの歌曲が膨大な量、作曲されている。
何とその数、約600曲。600曲の歌の数々。CDの枚数にして約30枚にも及ぶ。
それが31歳で夭折してしまった作曲家。歌だけを作曲していたわけではもちろんなく、膨大な量の器楽曲を作曲する一方で、歌曲を600曲も作り続けたのである。
シューベルトが作曲した約600曲の歌曲の中で、男性が歌うに相応しいもの、逆にいうと、女性が歌うことを前提とした歌曲を除く全ての歌を一人で録音してしまった歌手がいる。その数、408曲。CDは21枚に及ぶ。
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フィッシャー・ディースカウのこと
それがディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウである。
僕がありとあらゆるクラシック音楽の演奏家の中で最も尊敬して止まない芸術家である。
この人は一番分かりやすい今流の例え方をすれば、野球界における大谷翔平のような存在だといえば分かりやすいかもしれない。空前絶後の存在で、同時代と過去の実力者を含めても桁が違うような不世出の存在だ。
大谷翔平が二刀流というならば、ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウは三刀流というべきか。クラシックの歌手がそれぞれ目指すコンサート歌手とオペラと宗教曲の歌い手、その全てを最高の完成度でやり遂げ、そればかりか指揮もしたし、シューベルトに関する分厚な本も出版し、絵の腕前も傑出していた。
およそ西欧のクラシックの作曲家が作曲したありとあらゆる古今の歌曲を、考えうる最高のレベルでレコーディングした。
ドイツリート(ドイツで作曲された芸術歌曲はドイツリートと呼ばれている)だけではなく、フランス歌曲もロシア歌曲も、全て録音し尽くした。
とにかく高音から低音まで満遍なくコントロールできるどこまでも柔らかい美声に聴き惚れてしまう。もちろん力強さと深みも圧倒的だった。加えてこの人の歌はどこまでも知的であることが特徴で、解釈も抜群だった。
あの知的な歌唱は、全く他の追随を許さない不世出な名歌手だった。こんな人は他に知らない。
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F=ディースカウとシューベルト
そんなフィッシャー=ディースカウにとって、「歌曲の王」シューベルトの作品が特別な意味を持っていたことはもちろんだ。
たった一人で男性が歌える全408曲のシューベルトの歌曲をレコーディングするという快挙を成し遂げた。
そのドイツグラモフォンに録音した21枚がもちろん最高の聴き物であるが、その前後に膨大の量のシューベルトの歌曲の録音が残されている。
例えば、シューベルトの歌曲集としてあまりにも有名な「冬の旅」に至っては、正式なスタジオ録音で7回。その他演奏会のライヴ録音などを含めると、もう数え切れない程になる。
僕の手元には、そのフィッシャー=ディースカウによるシューベルトの歌曲の録音が、ほぼ全て揃っている。
そもそもCDコレクターの僕の最大の目標の一つが、フィッシャー=ディースカウの世界中のありとあらゆる全てのCDを集めることである。
ちなみにフィッシャー=ディースカウはかの有名な指揮者のカラヤンを軽く飛び越えて、最もたくさんのCD(LPレコードを含む)を録音した音楽家であり、全く他の追随を許さない唯一無二の存在である。
ここに写っているものはあくまでもシューベルトに限定されており、他に数百のフィッシャー=ディースカウのCDがある(笑)。
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シューベルトが作曲した歌曲の全体像
シューベルトの歌を聴こうとした場合、やっぱり是非とも聴いてほしいのは、あの3大歌曲集ということになってしまう。作曲された順に並べると、「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」そして僕にとって特別な作品である「白鳥の歌」だ。
この中にあって「白鳥の歌」は、シューベルトの創作の高みの頂点に位置する空前の作品で、僕にとっても最も重要な音楽作品で、既にこのブログの中でその思いを吐露しているので、興味のある方は是非、読んでほしい。前編・後編の2部作となっている。
シューベルトの名前と抜き差しならない関係で固く結びついている「冬の旅」は、もちろん素晴らしい傑作だ。但し、あまりにも辛く、救いがない世界なので、あまり人に勧められる音楽ではないと思っている。
延々と1時間以上に渡って続く失恋による絶望の歌は、そう気軽に聴けるものではない。
「菩提樹」など非常に美しい歌に満ちているのだが、メンタルをやられてしまいかねないような音楽だ。
今回は、歌曲集に収まっていない、独立した個別の名歌曲をお薦めしたい。
これが数え切れない位たくさんある。何と言っても600曲も歌を作ったのだから。
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独立した個別の名歌曲の数々
数え切れない程たくさんあるそれぞれが独立した個別の名作歌曲。これは本当にチョイスが非常に難しい。そもそも僕だって、シューベルトの歌曲全600曲を聴いたことなんてない。知らない曲の方が多いだろう。
3大歌曲集とは別に、「シューベルト名歌曲集」として様々なCDが出ているので、それを聴いてもらえばいいが、やっぱりフィッシャー=ディースカウの録音で聴いていただくことを強くお勧めしたい。
フィッシャー=・ディースカウにも1枚もののシューベルト名歌曲集のようなCDが様々なバージョンで出ていたが、この不世出の大歌手も亡くなって早10年以上経過(2012年5月に死去)すると、さすがに忘れ去られてきて、信じ難いことに、市場に出回っていた様々なCDが、気が付けばいつのまにか姿を消してしまっていた。
何たるスキャンダル。
そんなこともあって、シューベルトの歌曲のCDを紹介することができなかったのだが、幸い1枚だけは現役で生き残っていたという次第である。
これもまた、いつ市場から姿を消してしまうとも限らない。
興味のある方は、直ぐに入手することをお勧めする。本当に飛び切りの名曲ばかりが並んでいるので、シューベルトの最も美しく、魅力的な音楽を心行くまで味わうことができる。
ちなみにこのCDに収められた歌曲を列挙してみる。
1.憩いなき恋
2.野ばら
3.魔王
4.連祷
5.幸福(「至福」)
6.さすらい人
7.死と乙女
8.音楽に寄せて(楽に寄す)
9.ます
10.春のおもい
11.水の上で歌う
12.君はわがやすらい
13.笑いと涙
14.夕映えの中に
15.独りずまい
16.漁師の暮らし
17.春に
18.きけ、きけ、ひばり
19.シルヴィアに
20.菩提樹(歌曲集「冬の旅」より)
21.緑野の歌
22.セレナーデ(歌曲集「白鳥の歌」より)
全22曲。素晴らしいラインナップである。収録時間は75分7秒。ほぼ普通のCD2枚分のシューベルトの歌がたっぷりと収められている優れものだ。
演奏はもちろんディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウによるもの。
フィッシャー・ディースカウはシューベルトの歌曲を、生涯に渡って繰り返し録音しているが、このコンピレーションアルバム(オムニバス)は、フィッシャー・ディースカウの比較的若き日の録音。1960年代が中心で、中には50年代のモノラル録音もあるが、全く問題ない。
もう60年も70年も前の古い録音ではあるが、その後、フィッシャー・ディースカウを凌ぐ男性歌手は出現してしていないし、今日これだけシューベルトの歌曲が世の中に浸透しているのも、フィッシャー・ディースカウがいたからこそなのである。
録音は古くても、若き日のフィッシャー・ディースカウの類まれな美声を心行くまで堪能できる。
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何ていい歌ばかりなんだろう
そして、シューベルトの選りすぐりの名歌曲の素晴らしさに耳も心も奪われてしまう。
ここに収められた22曲はシューベルトの600曲に及ぶ全歌曲の中のベスト・オブ・ベストである。
シューベルトの歌曲がこのCDに入っていない作品以外にも山のようにあることは当然で、これがシューベルトの魅力の全てかと早とちりされることは困るが、少なくてもここに収められた22曲が飛び切りの名曲であることは間違いない。
有名どころがほとんど網羅されているので、本当にありがたい。
器楽曲の元になったオリジナル歌曲も
僕がこのブログで取り上げてきた有名な器楽曲の元となった歌曲も収められている。
「死と乙女」(弦楽四重奏曲)と「ます」(ピアノ五重奏曲)。オリジナルの歌曲の魅力を味わってほしい。
「音楽に寄せて(楽に寄す)」は、音楽好きにとってはたまらない曲だ。音楽に感謝を寄せる歌で、涙なくして聴くことも、歌うこともできない感動的な1曲だ。
有名な「魔王」は、あの志賀直哉が憤慨したというあんまりにも残酷な歌として知られている。確かにこれは親にとっては耐え難い歌だ。
この残酷な歌が、シューベルトの最も有名な歌とされているのは、本人も世のシューベルトファンも耐え難いことかもしれないが、これはシューベルトの最初の作品で、描写力と表現力は既に天才の片鱗をうかがわせる。
素晴らしい歌が目白押しなので、シューベルトの歌の美しさと素晴らしさを知ってほしい。
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シューベルトの歌曲の特徴
シューベルトの歌の多くは、「有節歌曲」というある意味で素朴で単純なものだ。「有節歌曲形式」とはあまり耳にしない言葉かもしれないが、歌というものの最も一般的な形式と言っていい、どこにでもある普通の歌である。
つまり歌詞は色々と変わろうとも、歌のメロディは変わらずに、繰り返す方式だ。歌詞が変わってもその都度異なる音楽を付けるのではなく、、一つのメロディ(旋律)を何度も繰り返して使う。
これって普通の歌はみんなそうだ。
シューベルトはこれを極めたのである。したがって、現代の巷に溢れるJポップを筆頭とする様々なポピュラー音楽、様々な歌はみんなシューベルトの有節歌曲と同じ手法で作られている。
ちなみにシューベルトの後、後継の天才作曲家たちは有節歌曲の伝統を引き継ぎながらも、歌詞の内容に応じて音楽が変化していく、違う旋律(メロディ)を展開させる大胆な音楽を生み出していく。
シューマンの歌曲がそうだった。ドビュッシーの天才。
そうは言っても、歌が広く人口に膾炙するためには、有節歌曲は欠かせない。これで歌が多くの人に愛唱されることが可能となったわけだ。
有節歌曲は途中で、大きくその旋律を1回は変えるのが定番だ。これが二部形式という手法である。分かりやすく今流に言えば、いわゆる「さび」の展開がこれに当たる。
シューベルトの歌も全く一緒。ということは、シューベルトが極めた歌の仕組みが、現代においてもなおそのまま、変わらずに踏襲されているのである。
色々と聴いても最後はここに戻って来る
クラシック音楽における歌、つまり「歌曲」は、シューベルトの後も脈々と発展を遂げ、数多くの天才たちが素晴らしい歌を次々と生み出した。
ドイツにシューマン、ブラームス、マーラー、ヴォルフ、R・シュトラウス。そしてフランスにはフォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、プーランクなどなど。
これらの作曲家は、本当に魅力的な歌を数え切れないほど作曲してくれた。特に僕はシューマンとR・シュトラウス、ドビュッシーの歌曲を熱愛している。
だが、それらの歌をどんなに聴き込んで、夢中になっても、最後にはシューベルトに戻ってきてしまう。不思議なものだ。最後はシューベルトなのである。歌の原点とでも言うべきか。
シューベルトの歌は、そういうとんでもない力を持っている。
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シューベルトの歌曲の魅力
シューベルトの歌の魅力は、何と言ってもメロディの美しさにあることは言うまでもない。
シューベルトならではの優しく、抒情的なメロディはとにかく耳に心地良い。そして気持ちのいい伸びやかさ。聴いていても歌っていても、本当に気持ちがいい。
感情の高まりと音楽的な高まりの機軸が一緒となって、一体となって高揚してくる様が感動的だ。
有節歌曲ながらも、さりげない転調がかなり頻繁に行われ、明暗が刻一刻と切り替わり、変化していく。音色が変幻自在に移り変わっていく。
シューベルトは音色を使い分ける名人だったというべきだろう。
そしてもう一つ触れておかなければならないのは、ピアノ伴奏の美しさと雄弁さだ。本当に美しい前奏の数々。シューベルトの歌にとって、ピアノは単なる歌の伴奏ではなく、歌と一体になって歌を補完し、引き立たせながらも、ピアノの音色そのものの魅力によって、歌の魅力を立体的に支えていく。
シューマンでそれは更に発展させられるのだが、シューベルトは明らかにその向かうべき方向性を指し示していた。
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シューベルトを聴くには歌曲は絶対外せない
シューベルトのエッセンスは歌にある。シューベルトに関心がある人、シューベルトの音楽を味わいたい人は、何をおいても歌曲を聴いてもらう必要がある。これだけは絶対に外せない。
膨大な量の歌曲がある中で、ここに収めらているているものは珠玉の名歌ばかりで、シューベルトの歌の魅力をたっぷりと味わうことができる。
歌っているディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウは空前前後の不世出の名歌手で、ここでも素晴らしい歌を聴かせてくれる。
シューベルトとフィッシャー=ディースカウという最高の組み合わせで、芸術歌曲の素晴らしさとシューベルトの音楽の魅力、更にクラシック音楽の最高の歌手がどんな声で、どんな解釈と表現で歌を歌うのか、それを知ってもらうだけでもかけがえのない価値がある。
シューベルトの歌曲もフィッシャー=ディースカウも聴いたことがないという方、この機会に是非とも騙されたと思ってこのCDを聴いてほしい。
間違いなく、この後、繰り返し聴くことになる至福のCDとの出会いになることをお約束する。
☟ 興味を持たれた方は、どうかこちらからご購入をお願いします。
ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウが歌うシューベルトの歌曲名曲集で同じCDですが、同じ値段で3つの店舗で売られています。以下のCDのクリックは全く同じ表示になっていますが、店舗が異なっています。
いずれも送料無料ですから、どのお店で注文していただいても、同じCD、同じ値段です。
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