バッハの教会カンタータは、実際には300曲以上
途方もない大作曲家バッハについての第4弾はは、ずばりバッハの創作の中心を占めながら、中々全曲を聴くには敷居が高い教会カンタータについてである。
バッハの教会カンタータが何と200曲も存在し、CDの枚数にして50枚~60枚強に及ぶものであり、バッハの全創作の約3分の1を占めるものであることは前回の声楽曲編で書いたとおりなのだが、実は実際には300曲以上作曲されたことが知られている。
100曲以上は消失してしまった。残念だがこの時代の作曲家の作品にはこういうことは多い。よくぞ、200曲は残ってくれたと喜ぶべきだろう。
カンタータについて書くことは、バッハの波乱万丈の人生やかなり細かい宗教的な事柄についても書かなければならない。専門的になることはできるだけ控えたいが、バッハを、特に教会カンタータを聴いてもらうには不可欠なことなので、今回はお付き合い願いたい。
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バッハの作曲年代の区分
先ずはバッハの作曲年代区分を簡単に振り返っておく。バッハは享年65歳。大作曲家はモーツァルトやシューベルトに代表されるように短命の人が多い中にあって、かなり長い生涯を全うしたと言えるだろう。まして18世紀の前半だ。
この「音楽の神」。古今東西の長い人類の音楽史を通じての最高・最大の大作曲家が、生涯を通じてドイツの外へは一歩も出たことがなかったことは、本当に意外な事実。それでいて、あれだけ普遍的な音楽を遺せたこと自体がやはり奇跡としか言いようがない。
バッハは、作曲をスタートさせてからドイツ国内の5つの都市に住み、作曲家として活動した。
1703年~1707年(18歳~22歳)アルンシュタット時代
当時、大オルガニストとして極めて著名だった作曲家のディートリッヒ・ブクステフーデを訪ねてリューベックへ大旅行。その演奏と曲の素晴らしさにすっかり感激して、4週間の予定が4カ月にも及び、帰国後大目玉を喰らうのは、若き日のバッハの有名なエピソード。
この時期にブクステフーデの影響を受けて作曲したのが、あの有名な「トッカータとフーガニ短調」である。
1707年~1708年(22歳~23歳)ミュールハウゼン時代
聖ブラジウス教会オルガニストに就任。ここで教会カンタータの創作をスタートさせた。第4番や第106番など初期のカンタータの名作が作曲された。最初の妻、マリア・バルバラと結婚。又従妹であった。
1708年~1717年(23歳~32歳)ヴァイマール時代
ザクセン=ヴァイマール公国の宮廷オルガニスト。多くのオルガン曲はこの時代に作曲された。楽師長に昇進し、1カ月に1曲の新作の教会カンタータの上演を義務付けられる。大規模な傑作として有名な第21番を筆頭に20曲程のカンタータが作曲された。
1717年~1723年(32歳~38歳)ケーテン時代
アンハルト=ケーテン侯国の宮廷楽長。領主のアンハルト=ケーテン侯レオポルトは音楽に理解を持った若い名君(当時23歳)で、恵まれた環境の中で、「ブランデンブルク協奏曲」、「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」、「無伴奏チェロ組曲」、更に「平均律クラヴィーア曲集第1巻」などの器楽曲の名曲が続々と作られた。これはアンハルト=ケーテン侯国が同じプロテスタントでもカルヴァン派を信奉していて、バッハは教会音楽を作曲する必要がなかったが関係している。
非常に恵まれた平穏な時代だったが、こんな中で大変な不幸が起きる。妻が急死してしまう。しかも当のバッハは領主のレオポルト侯に随行する2カ月間の旅行中で、バッハが帰郷したときに待っていたのは悲嘆に暮れた4人の子供たちだけで、亡き妻の埋葬は既に終わっていたという。
バッハの嘆きは如何ばかりであっただろうか。想像するにあまりある。あの超有名な劇的にして悲壮感が漲った「半音階的幻想曲とフーガ」は、亡き妻へ捧げた曲との意見もあるが、定かではない。
周囲の強い勧めに従って、翌年に宮廷歌手のアンナ・マグダレーナと再婚。このアンナ・マグダレーナは良妻としてつとに有名な存在。
1723年~1750年(38歳~65歳)ライプツィヒ時代
1723年。バッハは念願叶ってライプツィヒの有名な聖トーマス教会の音楽監督(カントル)「トーマスカントル」に就任。これは音楽家としては最大の名誉と言っていい。
ここで死ぬまでの30年近くを過ごすことになる。
ここで精力的に作曲したのが教会カンタータというわけだ。教会歴で年間に59日もある祝祭日にカンタータの演奏をすることが求められ、ほぼ毎週カンタータの上演が義務付けられた。特にトーマスカントルに就任直後の1723年から29年の6年間に集中的にカンタータの作曲が進められ、基本的に毎週1曲の新作カンタータが作曲され、上演された。こうして毎週のように5年分のカンタータ、約300曲を作曲したが、現在は4年分の200曲が遺っているというわけだ。
また、このライプツィヒ時代に、あの「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」、「クリスマス・オラトリオ」などのバッハの至高の声楽曲が続々と作曲された。
ちなみに晩年のバッハはもう完全に時代から取り残されていて、忘れられた古い作曲家とされていた。そんな中で、バッハは自らの芸術の集大成を意識し始め、僕が愛してやまないあの「ロ短調ミサ曲」や「フーガの技法」、「平均律クラヴィーア曲集第2巻」など空前の名作をいくつも遺してくれた。次男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハが仕えていたあのプロシャのフリードリヒ大王に招かれて「音楽の捧げもの」を献上したことは、最晩年のバッハを慰める貴重なエピソードだ。
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教会カンタータ全200曲を聴くことは
こうしてバッハの生涯を通じて作曲され続けた200曲の教会カンタータ。その中には非常に良く知られた有名な作品が10~15曲ほどあるのだが、様々なジャンルに名作・傑作が目白押しのバッハの場合には、それ以外のあまり知られていないカンタータを聴いてみることや、いわんや全曲を聴くということは非常にハードルが高く、簡単にできることではない。
お恥ずかしい話しではあるが、僕のような45年間以上になるバッハの熱愛者でも実現することは最近までできなかったのだ。これは僕としては忸怩たる思いで、猛省をしなければならないことなのだが・・・。
カンタータを全曲録音したCDはどれくらいあるのか?
カンタータ全曲の録音は、21世紀に入って急激に進み、僕の知る限り、現在世界に6種類の全曲録音が存在している。ちなみに我が家にはその中のほとんど話題にならない1種類を除いて、全て手元に揃っていることはもちろんだ。しかも録音が終了しCDが発売される都度、購入していたので、僕は自分の手元にかなり前からカンタータ全曲録音のCDが5種類も揃っていながら、実際には全曲をまとめて聴くことはなかったことになる。バッハ熱愛者としては罪は重い。もちろんその中の何枚かはそれぞれ聴いてはいたのだが。
教会カンタータ200曲の編成等について
バッハに積極的に取り組む指揮者にとって、カンタータの全曲録音は究極の夢でもあり目標である。しかしながら、全200曲。CDの枚数にして50~60枚強にもなるものは、そう簡単には実現できず、その夢の実現は容易なことではない。
教会カンタータの200曲は、多様性を極めている。全てに共通していることはオーケストラに声楽、つまり人の声が加わるということだけで、千差万別、実に様々な編成があるのだ。
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教会カンタータ創作の背景と経緯
先ず演奏時間は、一般的には20分程度のものが多い。中には45分を超えるものもあるのだが、それは例外で大体が20分前後。それには理由がある。上述のとおりバッハは特にライプツィヒのトーマスカントール時代は毎週のように新作のカンタータを作曲し上演することが義務付けられていた。
何度も書いてきたが、バッハの住むドイツでは1517年にルターの宗教改革が行われ、新教すなわちプロテスタント一色だった。そのプロテスタントの教会にあって、毎週の教会での集まりに、会衆の前で神を称える音楽を演奏しなければならなかった。それがカントルの職務だったというわけだ。
誤解を恐れずに簡単に言ってしまうと、バッハは僅か1週間の間に新作のカンタータを一曲作曲し、それを写譜した上でオーケストラと合唱団、歌手に練習させ、演奏を聴いてもらうという信じられないことをずっと続けていたのである。
驚くべきこと。毎週毎週、新しい曲を披露しなければならない教会のルールもとんでもないものだが、それをちゃんと実行し、300曲ものカンタータを遺したバッハ。したがって、あんまり長い曲だと作曲する方が大変なだけではなく、演奏するオーケストラや合唱団、独唱者がたまったもんじゃなかったわけだ。
というわけで、一曲20分前後となっている。それにしても、毎週毎週、常に新作を求められるって、どんなに辛いことだろうか?だからこそ、ここにはバッハの全てがあると言われることになる。この創作こそが、バッハの一番の仕事で、それで生活していたわけだ。20人もの子供を育てていたわけだから。もっとも半分の10人は幼くして夭折し、成人したのは10人だけだったのだが。
教会カンタータ1曲あたりの構成と編成
その1曲の教会カンタータは更にそれぞれ完結した7曲程から成り立っている。交響曲であれば楽章のようなもの。一般的には交響曲は4楽章からなり、協奏曲は3楽章から成り立っているのだが、教会カンタータはそれが7つ程の曲から構成されていることだ。それぞれの構成も本当に千差万別なのだが、一般的な説明として理解してほしい。
曲の冒頭(第1曲目)はオーケストラを伴う合唱曲で幕を開けることが多い。このカンタータを歌うために集まった全員で高らかに歌い上げましょう。全員で歌い、楽器を弾きましょうといった感じ。編成が最大規模となることが多いのが冒頭の1曲目となる。他に多いパターンは冒頭にシンフォニアと呼ばれるオーケストラによる器楽演奏が置かれることも数十曲ある。
その後は、独唱が続くことになるのだが、独唱者にとって聞かせどころとなるアリアもあれば、レシタティーヴォ(レチタティーヴォ)と呼ばれる聖書の言葉などを語るように歌い、説明する曲など、様々なパターンがある。二人で歌うデュエット(二重唱)、三重唱なども多い。独唱と一口に言っても、ソプラノ、アルト、テノール、バスとどんな声部の歌手が歌うかによって、4つの区分けもあり、実に様々だ。
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コラール(独:Choral)とは何なのか?
もう一つ、バッハの声楽曲に不可欠なものとして重要なものは「コラール」(独:Choral)と呼ばれる曲だ。特に教会カンタータには頻繁に登場してくる。実は「マタイ受難曲」と「ヨハネ受難曲」でも同様だ。このコラールは、分かりやすく言えば「讃美歌」のこと。
正確に言うとルター派の教会において全会衆によって歌われる讃美歌のことである。バッハはもちろんルター派なので、カンタータにはこのコラールが不可欠なものとなる。ほとんどの場合、カンタータの締めくくりとして最後に歌われる。合唱の形で歌われるのだが、いわゆる合唱曲とは規模も音楽的なレベルも全く異なるもの。
このように、オーケストラを伴いながら、合唱、アリア、レシタティーヴォ、二重唱、三重唱、コラールなどが様々な形で盛り込まれ20分程を彩るのである。アリアと合唱。アリアとコラール、レシタティーヴォとコラールとが組み合わされるなど、バッハの多様性には驚かされるばかり。
中にはソロ・カンタータと呼ばれる全体を通じてただ一人の独唱者が最初から最後まで一人で歌い続ける曲もある。特にソプラノとバスのソロ・カンタータが名作として有名だ。
全曲録音を成し遂げた偉大な指揮者たちの全容
このように教会カンタータの全200曲は、実に様々な構成と編成を誇り、それ故に、この200曲の全てを演奏しようとすると、非常にハードルが高くなってしまう。優秀なオーケストラと合唱団。オーケストラではヴァイオリンやオーボエ、トランペットなど聴かせ所も満載なので、力量の高い演奏者を集める必要がある。優秀な独唱者も何人も必要になってくる。それらをCDにして60枚前後分の録音を実施するとなると、そうは簡単なことではない。そんな事情もあって、教会カンタータの全曲を録音した指揮者はまだまだほんの数人しか出現していないのである。
あの史上最高のバッハ指揮者として世界中の尊敬を集めていたカール・リヒターも教会カンタータの全曲録音を目指しながら、結局は74曲、CD20枚分しか遺せなかったことは、前回書いたとおりだ。
現在、バッハの教会カンタータの全曲録音を達成している指揮者は以下のとおりである。
【ヘルムート・リリング指揮】
演奏団体:シュトゥットガルト・バッハ合奏団、ヴュルッテンベルク室内管弦楽団、ゲッヒンゲン聖歌隊他
楽器:モダン楽器(現代楽器)
録音年代:1969~1985年
CD枚数:62枚
寸評:今ではすっかり姿を消してしまったモダン楽器(現代楽器)による全集。作曲年代順の録音。リリングはカール・リヒターと並ぶ70年代を席巻したバッハの大権威。古楽器勢の中ではどうしてもかすんでしまう古い録音だが、やわらかな非常に人間味を感じさせる温かいアプローチは捨てがたく、僕はかなり好きだ。
【ニコラウス・アーノンクール指揮&グスタフ・レオンハルト指揮】
演奏団体:指揮ニコラウス・アーノンクール→ウィーン・コンチェントゥス・ムジクス、ウィーン少年合唱団他
指揮グスタフ・レオンハルトン→レオンハルト・コンソート、ハノーファー少年合唱団他
楽器:オリジナル楽器(ピリオド楽器)
録音年代:1977~1988年
CD枚数:60枚
寸評:アーノンクールとレオンハルトというカール・リヒター全盛期に、古楽器を用いた新しい古楽演奏で革命を起こした二人による古楽器(オリジナル楽器=ピリオド楽器)による史上初めてのカンタータ全集。この二人は古楽演奏のパイオニアとして世界中の古楽演奏家の尊敬を集めた。レオンハルトは「現代のバッハ」と呼ばれ、バッハ演奏の最高にして最大の権威となり、一方、アーノンクールはモダンのオーケストラも指揮するようになり、世界最高のオーケストラであるウィーン・フィルで度々指揮をする世界最高の指揮者の一人に大成した。
この全集はバッハの作品番号であるBWV順に収められている。この演奏のもう一つの大きな特徴は、女声を一切排除して全て男声だけの演奏である点。ソプラノとアルトは少年が全て担っている。当時の教会ではそのように演奏されていたようであるが、僕のような混声合唱団の指揮者にとっては残念の極み。合唱はどうしても成人の女性の声で聴きたい。しかしながら、ここで歌われる少年合唱団の歌声は極めて美しく、これはこれで大変な魅力である。
【ピーター・ヤン・ルーシンク指揮】
演奏団体:ネザーランド・バッハ・コレギウム
楽器:オリジナル楽器(ピリオド楽器)
録音年代:1999~2000年
CD枚数:50枚
寸評:これがあまり話題にならなかった僕が聴いたことのない演奏。それなりのものだと思うが、詳細は不明。
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【トン・コープマン指揮】
演奏団体:アムステルダム・バロック管弦楽団&合唱団
楽器:オリジナル楽器(ピリオド楽器)
録音年代:1994~2003年
CD枚数:67枚(但し、世俗カンタータと小ミサ曲も含む)
寸評:指揮者のトン・コープマンは上述の「現代のバッハ」レオンハルトの高弟。レオンハルトに勝るとも劣らない俊英としてバッハ演奏の大権威。その演奏もバランスの取れた素晴らしいもの。何一つ不満はないが、鈴木雅明の全集が出てきた後では少し影が薄くなってしまったことは事実。だが、実に立派なものだ。
【ジョン・エリオット・ガーディナー指揮】
演奏団体:イングリッシュ・バロック・ソロイスツ 、 モンテヴェルディ合唱団
楽器:オリジナル楽器(ピリオド楽器)
録音年代:1999~2000年
CD枚数:56枚
寸評:これまた快挙と言っていい素晴らしいカンタータの全集。ガーディナーは僕が最も尊敬し、崇拝する合唱の天才。僕がバッハと並んで熱愛しているモンテヴェルディの世界最高の指揮者にして、世界最高の合唱指揮者。
そのガーディナーがバッハ没後250年の企画として、「バッハ:カンタータ巡礼」と称して、世界中の名だたる聖地を巡って、全てライブ演奏として一気呵成に収録したもの。わずかに2年間で全曲録音を達成したのはものすごい快挙だ。
但し、非常に短時間で集中的に録音した分、完成度という面では次に紹介する鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンには到底太刀打ちできないように思う。ガーディナーの熱心なファンとしては残念だ。
ガーディナーの手兵のモンテヴェルディ合唱団の合唱のレベルは、いつもは半端じゃないのだが、このカンタータ全集ではその素晴らしい合唱の魅力が少しだけ弱まっているように感じる。
【鈴木雅明指揮】
演奏団体:バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)
楽器:オリジナル楽器(ピリオド楽器)
録音年代:1995~2013年
CD枚数:55枚
寸評:これぞ日本が世界に誇る最高のバッハ演奏。バッハの音楽はどうしてもヨーロッパの長い音楽史と宗教的な背景が不可欠とされるため、日本人は近づき難いと思われていたが、この鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンの出現によって、世のバッハ演奏図は一変してしまった。これぞ世界最高のバッハ演奏。世界最高のカンタータ演奏だ。
オーケストラ、合唱、独唱陣。その全てが完璧で恐るべき完成度の高さを誇る。
スウェーデンのレコード会社であるBISレーベルから発売されたこの日本人指揮者によるカンタータ全集という快挙はどんなに絶賛してもしきれない。すごい、その一言である。この驚くべき鈴木雅明とバッハ・コレギウム・ジャパンについては更に引き続き、次回で触れさせてもらう。
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