目 次
コンパクトな知られざる少年向け黒手塚
今回の「手塚治虫を語り尽くす」はちょうど30本目となる。この記念すべき30本目には手塚治虫の大作、それもあまり知られていない知る人ぞ知るといった類の傑作を取り上げたかった。
この熱々たけちゃんブログで取り上げる「手塚治虫を語り尽くす」には、まだまだいくらでも候補作がある。そういう意味では手塚治虫という作家は本当に無尽蔵、膨大な傑作群を残してくれた。
晩年の名作大長編「陽だまりの樹」を筆頭に、「地球を呑む」「上を下へのジレッタ」など候補作は待ち構えているのだが、今回はそれらの大作は外して、ほとんど知られていない中編作品を取り上げたい。
「鉄の旋律」や「ボンバ!」とほぼ同じ長さの約100ページの読み切り中編。「大暴走」という少年向けの作品だ。
手塚治虫の「大暴走」と言われて、ピンとくる方がどれだけいるだろうか?正にこれは知る人ぞ知る隠れた作品である。本当は「隠れた傑作」と言いたいところだが、本当にこの中編が「傑作」と呼べるものなのかどうか、僕もあまり自信がない。
少なくても僕は、「大暴走」にかなり好感を持っており、一人でも多くの手塚治虫の愛読者に読んでいただきたく取り上げた。
少年向け作品ながら黒手塚
実は、この作品は少年向けの作品とはいうものの、れっきとした黒手塚なのである。さすがに少年少女に読ませるのに、あまり過激かつ残酷には描きにくかったということはあったのだろう。
黒手塚の典型作品と比べるとその描き方はソフトで、あまり刺激的ではない。だが、底辺に流れているのは、人間に嫌気がさしている紛うことなき黒手塚だ。
このあたりが、「大暴走」の特別な立ち位置。非常に興味深い部分ではある。
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「大暴走」の基本情報
掲載雑誌は別冊少年マガジン。1969年(昭和44年)の9月号だった。もう50年以上も前に書かれたこの作品はいわゆる読み切り、つまり冒頭から終わりまでのちょうど100ページを、1回でまとめて月刊誌に発表したものである。時に手塚治虫41歳。
100ページの中編というと、前回紹介した「鉄の旋律」も以前紹介した黒手塚の金字塔の「ボンバ!」もほぼ同じ長さだが、「鉄の旋律」でも「ボンバ!」でも連載物で、「鉄の旋律」は約半年間(6回)に渡って、「ボンバ!」は「大暴走」と同じ別冊少年マガジンに、4回に渡って連載されていた。
それが「大暴走」は100ページを一挙に読み切りとして掲載した。
これってどういうことを意味しているか想像してほしい。この全くオリジナルの黒手塚の海洋パニックアクションにしてミステリーでもある大作を、1回で最初から最後まで全て描き上げているのである。しかも他に何本もの連載を抱えながらである。こんなこと、常人でできるだろうか?
これはこのまま第一級のミステリーアクション映画にできるものだ。実際に僕はこの作品を第一級の素晴らしい映画を観ている感覚で、漫画を読み終えた。
そんな優れた映画を、脚本件監督、そして全ての出演者たちを一切合切、一人の手で完成させているのである。正に超人。普通の人間のできることではない。
同時に連載が火の鳥「鳳凰編」の衝撃!
その月刊の読み切りで100ページという事実にも唖然としてしまうが、その頃、手塚はあの究極の名作である火の鳥の「鳳凰編」を連載しており、他にも短編の傑作集、この「手塚治虫を語り尽くす」でも取り上げている短編の傑作集「空気の底」「クレータ-」も同時に掲載していた。
そんな中での読み切り100ページの力作。いつも言うことだが、本当に手塚治虫という人は、人間離れし過ぎていて、超人としか言いようのない怪物だった。
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どんなストーリーなのか
最新のコンピュータを搭載し、自動航行機能を備えた大型タンカー「おさかべ丸」の出航が行われようとしている。そこに様々な思惑を持った癖ありの乗組員や乗客が乗り込んで、記念すべき初航行がスタートするのだが、やがてコンピュータが狂い始め、暴走を引き起こして、制御不能になってしまう。
猛スピードで暴走するタンカーを止める手段はないのか?制御不能に陥ったコンピュータをコントロールすることはできないのか?やがておさかべ丸の思わぬ秘密が明らかに・・・・。
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未来を先取りしていた手塚の慧眼に仰天
この作品が書かれたのは1969年(昭和44年)。今から50年以上も前のことである。それなのに手塚治虫の未来設定はほとんどブレていなかった。
この漫画の中で描かれる未来世界がほとんど現在の世界の最先端の科学技術そのものである点には、驚嘆するしかない。
というよりも、この漫画を読んでいてその中に描かれる未来社会があまりにも現在と変わらないので、この漫画は今、描かれたものなのかと錯覚を覚えてしまう程なのだ。
最新のコンピュータによる自動運転(この場合は大型タンカーなので自動航行というべきだろうが)を始めとして、人間の音声の指示によって機械が料理したり、お好みのコーヒーを作ったり。
人が呼びかけることで機械が勝手に反応し、動き出す仕組みは現代においてほぼ当たり前のことになっているが、それをごく普通のこととして描いている。
まだ完全な自動航行や自動調理にはまだ時間がかかりそうな状況なので、手塚治虫は現代よりも更に先を見ていたことになるのだが。
手塚治虫の慧眼というか未来予知能力には本当に驚かされる。
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あとがきに書かれた手塚の解説
この作品のあとがきの中で、手塚治虫はこの作品を発表した当時の自らの状況などを、驚くほど具体的かつ明確に書いている。いつになく饒舌に告白している。
「ここにおさめられた三本の読み切り作品は、虫プロや虫プロ商事にごたごたが起きて、愛想をつかし始めた頃にかかれたものです。と同時に、そういった問題でエネルギーや時間を消耗して、原稿執筆にかける活力が欠けていたことも事実です。
当時は、過激派の学生や一部の漫画評論家が持ち上げた、いわゆるアウトサイダーを主人公に、少年漫画らしくない漫画がもてはやされた時代でもありました。
あれやこれやの事情があって、何十人ものスタッフをかかえた手塚プロ(虫プロからはすでに独立していました)をつづけていくには、精神的にたいへん苦しかった時期です。
そのころですら連載は七、八本抱えていましたが、正直言って、自信作どころか、なにをかいても調子がが乗らないのでした。あちこちから手塚は時代遅れでもうだめだといわれていました。
そんなころ、「別冊少年マガジン」では毎月ゲスト作家に百ページずつかかせる読み切りシリーズをつづけていました。「大暴走」は、その中のたしか三本目のものでした。
百ページとなると力わざです。かく作家も限られてきます。ちょうど夏を控えて、手塚プロもボーナスなどで収入をあげなければならなかったので、引き受けました。(後略)」
これほどあからさまに自身の苦境を語る手塚治虫は珍しい。
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残酷さ、過激さを抑えたソフトな黒手塚
こんな状況の中で描かれた作品はどうしても黒手塚になってしまう。
だから、少年誌向けの読み切りにも拘らず、黒手塚の臭いがプンプンとしてくる。
だが、これが黒手塚作品に間違いないとは言いながらも、他の典型的な黒手塚に比べると、一見(一読)非常にソフトで、いかにも少年向けに書かれた「健全な」漫画のように受け取れる。
少年向けの作品にも「アラバスター」のような過激な黒手塚もあって、少年向けだからソフトにしているというわけでは決してない。
少し中途半端で、手塚の主張がうまく伝わってこないまどろっこしさを否めないが、逆にいうとあまり強烈に描写されないものの、作品の底辺には黒手塚ならではの人間に対する絶望感や残虐性も垣間見えて、これはこれで非常に得難い貴重な作品のようにも思えてくる。
そして実は、ソフトなように見えて、相当に残酷な部分、手塚治虫が手を抜かずに容赦しなかった厳しいシーンも出てくる。
それが実は一番まともな発言をしていた正義漢だけに衝撃が大きい。
僕はこの作品のちょっと中途半端な点に、妙に愛着を覚えてしまう。かなり気に入っている。
実に得難い貴重な作品のように思えてくる。
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海洋パニックアクションとして最高!
少年向けのミステリーにしてアクション漫画に黒手塚の要素を無理して詰め込んだ感は否めない。
しかも、いくら未来社会を描くと言っても、少し無理な設定がいくつかあることも事実だが、これは結構楽しめる実にユニークな作品だ。
巨大タンカーのコンピュータシステムが異常をきたして制御不能となり、猛スピードで暴走を始めるあたりは、あの大ヒット映画の「スピード2」そのものだし、海洋パニックとしては、「ポセイドン・アドベンチャー」を先取りしたものだ。
このことについて、手塚治虫は例のあとがきで、こう書いている。先ほど、長く引用した続きの部分である。
「こういう”船舶パニック”ものは、「ポセイドン・アドベンチャー」や「ジャガーノート」など今では映画もたくさん作られていますが、「大暴走」のあとに続々封切られたもので、当時は「タイタニック号」事件ていどしか前例はなかったのです」
その先見の明たるや驚くべきものがある。この「大暴走」はもっと広く知られて然るべき作品である。
手に汗握るシーンも多く、これは読んでいて非常にワクワクドキドキさせられる一級品。 無条件におもしろい。
登場人物は意外なほど多く、しかもアセチレン・ランプやロック・ホームなど、手塚治作品を代表するスター揃いで、熱心な手塚ファンとしては嬉しい限りだ。
知られざる傑作中編を楽しんでほしい
この「大暴走」は、ほとんど知られていない隠れた作品だ。相当な手塚治虫ファンでないと、この作品には至らないだろう。
無理な設定もあって、手塚治虫の偉大な作品群の中にあって目立つ作品ではない。
だが、僕としては完璧な神の手によるとしか思えない至高の作品が多数ひしめく中、こんな少し無理のある破綻寸前の欠陥だらけの作品に、却って愛着を感じてしまう。
前回の「鉄の旋律」や「イエロー・ダスト」「悪魔の開幕」同様に、知る人ぞ知る隠れた傑作を、この機会に是非とも読んでほしい。
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正直驚いた。前回紹介の「鉄の旋律」と同じようなケース。こんなことがあるのかとビックリしている。
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