目 次
トラウマ必至の黒手塚の恐るべき短編2本
「鉄の旋律」に続いて、今度はもっと短い短編の黒手塚作品を取り上げる。「イエロー・ダスト」と「悪魔の開幕」という2つの作品である。
両方とも20~30ページという非常に短い読み切りの短編漫画である。ところがその短いページ数の中に驚嘆すべき濃密なドラマとアクション、怒りというよりも憤怒に近い非常にやり切れなさが残る衝撃的なドラマが詰め込まれている。
その衝撃度の強さは、後々まで後を引くトラウマとなりかねない強烈なものだ。
戦争と政治への激しい怒りと不信が全編を貫く、短いながらも手塚治虫渾身の逸品と呼んでいいもの。
この2作はもちろんまぎれもない黒手塚でありながら、手塚治虫のメッセージ色の強い作品であり、手塚ノワール、黒手塚という言葉で片付けることのできない、強い怒りとメッセージが込められている。
「鉄の旋律」と同様に、いやそれ以上に残酷なシーンも多く、相当ショックを受ける可能性が高いので、こんな短い短編漫画であるにも拘わらず注意してほしい。
「イエロー・ダスト、悪魔の開幕」の基本情報
掲載雑誌は「鉄の旋律」と同様に「ヤングコミック」である。「鉄の旋律」は増刊「ヤングコミック」に半年間の連載であったが、今回の「イエロー・ダスト」と「悪魔の開幕」の2本は、通常の「ヤングコミック」に1回完結の読み切りとして発表された。
「イエロー・ダスト」は1972年7月12日号。ページ数はわずか21ページ。「悪魔の開幕」はそれよりも1年以上後の1973年11月27日号であった。こちらは30ページである。
「鉄の旋律」の連載は1974年の6.25号から1975年の1.7号までの約半年間であり、ヤングコミックへの手塚治虫の作品はこの3本しかなかったが、掲載時期はそれぞれ離れており、足かけ2年半に及んでいる。
「イエロー・ダスト」は「冬の時代」の真っ最中に発表されたが、注目すべきは「悪魔の開幕」の1973年の11月27日号という日付けだ。
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「B・J」連載開始と「悪魔の開幕」同時
前回の「鉄の旋律」で詳述したとおり、あの手塚治虫の復活の狼煙となった「ブラック・ジャック」の連載が始まったのは1973年の11.19号の「週刊少年チャンピオン」だった。記念すべき「ブラック・ジャック」第1話の発表である。
一方で「悪魔の開幕」の掲載は1973年11月27日号。これには驚かされる。あの「ブラック・ジャック」の連載スタートと「悪魔の開幕」の掲載はほぼ同時。厳密に言うとブラック・ジャックの記念すべき第1話の発表の1週間後だった。
正確に調べると、「ブラック・ジャック」の第2話「海のストレンジャー」が11月26日号であり、「悪魔の開幕」とは1日違いということになる。
手塚治虫は「ブラック・ジャック」のスタートを切った時に、一方でこんな政治不信に満ち溢れた問題作を発表していたというわけだ。この事実にはもっと注目してもらった方がいいだろう。
「奇子」連載中に「イエロー・ダスト」
ちなみに「イエロー・ダスト」が掲載された1972年7月12日号当時は、何とあの「奇子」連載中であった。「奇子」と言えば手塚治虫最大の問題作にして至高の名作。手塚治虫全作品の中でも屈指の傑作で、手塚治虫による「カラマーゾフの兄弟」に他ならない大変な作品。
その「奇子」の連載は1972年1.25号から1973年6.25号までの1年半に及んだ。「イエロー・ダスト」は「奇子」の1年半の連載期間の半年経過後に発表されたことになる。
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「イエロー・ダスト」のストーリー
沖縄の米軍基地で米軍子弟小学校のバスが暴漢に襲われ、引率の女性教師と学園児23人が人質に取られてしまう。犯人は3人の日本人で、人質たちを旧沖縄作戦本部海軍壕に連れ込んで立て籠もる。
3人ともベトナム戦争に従軍し、そこでベトナム人を数十人も殺し、地獄を体験していた。当時アメリカ軍から教えられたことを「おさらい」しているだけだとうそぶき、女性教師を強姦し、人質の子供たちも情け容赦なく残虐に殺していく・・・。
最後に想定外の衝撃な事態が起きてしまうのだが、そこにはアメリカ軍の極秘の作戦が絡んでいた・・。
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「悪魔の開幕」のストーリー
近未来の日本。時の丹波総理によって国民の反対を押し切って憲法改正がなされ、核兵器の製造も始められていた。戒厳令が敷かれ、夜間外出は禁止。あらゆるメディアは検閲され、盗聴、手紙の開封など国民の自由は抹殺され、反対運動はことごとく鎮圧されてしまっていた。
そんな折、政府を倒すために命を張ると誓った活動家の岡は、反体制の若者たちに強い影響を与えていた思想家「先生」から首相暗殺の指示を受ける。
岡は自分の得意分野を活かして念入りに準備を進め、丹波首相の暗殺は確実に成功するずだった・・・。
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「イエロー・ダスト」の衝撃が強烈過ぎる
2本ともホンの20~30ページの非常に短い短編漫画だが、その衝撃度たるや大変なものがある。
特に20ページしかない「イエロー・ダスト」の衝撃たるや言葉を失ってしまう程で、ほとんどトラウマになりそうな強烈さだ。
あまりにも残酷な描写に言葉を失う
犯人は躊躇うことなく、人質の若い女教師を犯し、それと引き換えに子供を一人ずつ開放するという約束を反故にして、あまりにもむごたらしく子供たちを残酷に殺していく。
人質を取っての立て籠もりのを描く映画を今まで随分色々と観てきたが、こんな残酷な展開と描写を伴う映画は観たためしがない。ほとんど狂気の沙汰だ。それを手塚治虫は情け容赦なく、リアルに描いている。
実際に、ベトナム戦争に従軍したことで、感覚が麻痺して精神に異常をきたしたと考えるしかなさそうだが、それにしてもキツイ描写が続く。
そして明らかになるアメリ軍の闇。犯人も犯人だが、もっと組織的な闇と犯罪が明らかにされて、最後は言葉を失ってしまう。戦争の狂気が浮き彫りとなって、絶望感に打ちのめされることになる。
当時の泥沼のベトナム戦争と世界中を覆い尽くした反戦運動が色濃く影を落としているのは当然だ。
全てを凝縮した恐るべき20ページ
そんな全ての状況がわずか20ページに凝縮されている。これは実際、驚嘆すべき20ページ。
人質犯の狂気とそこで実際に繰り広げられた地獄絵。その背景のベトナム戦争の狂気。犯人を鎮圧しようとするアメリカ兵が最後に観た悪夢。それらがある原因で引き起こされたと明らかになる事の顛末。
そんな濃厚過ぎる事件の実相と真相がわずか20ページに凝縮されている様に、開いた口が塞がらなくなること必定。本当に驚くべき20ページ。手塚治虫以外にこんなことができる人がいるとは到底思えない。
恐るべし、手塚治虫。天才の証としかいいようがない。
それにしても、残酷な描写が続く。黒手塚の極点と言うべきだろう。
残酷な戦争は今も続く
そんな愚かな戦争が、今日でも起きていて、日々無辜の人びとや子供が犠牲になっている現実に、やり切れなさが増強される。ウクライナ、ガザ。どうして止めることができないのか、本当にやりきれない。
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「悪魔の開幕」の衝撃も大変なもの
「悪魔の開幕」は「イエロー・ダスト」とは全く違った雰囲気の作品だ。主要人物は2~3人しか出てこない。活動家の岡とインテリ思想家の先生、そして悪政を敷いて暗殺の対象となる丹波総理。丹波は実はほとんど登場しないので、これは岡と先生との二人芝居のようなもの。
「ジャッカルの日」の影響が濃厚だ
むしろ、暗殺を命じられた岡が、どのような方法で総理の暗殺を計画し、実行に移していくのか。その岡の細かい行動をドキュメンタリータッチで綿密に追いかけていく。フレッド・ジンネマン監督の「ジャッカルの日」を漫画で観ているようだ。
ちなみに「ジャッカルの日」の日本公開は1973年9月である。「悪魔の開幕」の発表は1973年11月27日号。これは見事にドンピシャリ!
映画マニアの手塚治虫は間違いなく「ジャッカルの日」を観ていて、それを「悪魔の開幕」のベースにしているのではないか。ジャッカルと岡とでは暗殺手段も方法も全く似ても似つかないものだが、暗殺犯の準備の行程を事細かに緻密に描いていく手法は全く同一だ。
また漫画の岡は、ジャッカルに扮したエドワード・フォックスとは似ても似つかない風采の上がらない小男である、念のため。
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徹底した政治不信とインテリ批判
ここでは政治不信と、日頃から偉そうなことを言って若者を煽るインテリへの批判が徹底している。ここで描かれた日本は、憲法が改正されており、国民の自由は束縛され、反政府運動は徹底的に弾圧されている。核武装も行われており、今日の日本の姿の更にその辿る末を描いているようだ。
今の日本はもちろんこんな事態には至っていないが、相当近づきつつあるのも事実。
これを1973年に手塚治虫が予測していたのかもしれないと考えると、その慧眼に刮目される。
もちろんそんな日が来てもらっては困るのだが、くれぐれも用心しなければならないとこの作品を読んで、肝に据える必要がある。
手に汗握る一級サスペンス
これも残酷描写が半端ないが、全体を貫くサスペンス感がただ事ではなく、手塚治虫の最高の職人としての腕前が発揮された傑作と言えるだろう。実に緻密な作りで、その完成度の高さは一級品だ。
根底に深く横たわる人間と政治への深い不信は、やっぱりこの短編も黒手塚の極点の1本と評するしかないものだ。
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短編に込められた手塚治虫の天才ぶりに唖然
非常に短い短編漫画と言いながら、内容の濃厚さ、手塚治虫の戦争や政治に対する真摯な思いも反映されて、読み応え十分な屈指の傑作となった。
特に「イエロー・ダスト」は、暗くて、救い難い黒手塚の極北に位置する作品と呼ぶべきものだが、残酷シーンは頻出するが、実に志しの高い問題作で、多くの方にこの作品の存在を知ってほしいと願わずにいられない。
そのストーリーテラーとしての手塚治虫の天才ぶりにも唖然としてしまう。
手塚治虫作品は膨大なだけに、中々この2編の短編には辿り着けないかもしれないが、どうかこの知る人ぞ知る隠れた傑作を、この機会に是非とも読んでほしいと切に希望するものである。
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正直驚いた。直前に配信した「鉄の旋律」と今回の短編2編、すなわち「ヤングコミック」誌に掲載された手塚治虫の全3作品が1冊の文庫に全て収録されているという何とも嬉しい文庫本。これは是非ともご購入いただきたい素晴らしい1冊。
いつもは手塚治虫作品を読むに当たって、文庫本を否定している僕だが、これだけは別だ。
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