目 次
一冊でも多く著書を読んでおこうと買い込んだ
こうして念願の面会日が決定した。
アポが確定したのは1月30日だった。面会日は2月16日。2週間ちょっと。
にわかに慌ただしくなった。僕は実際に出口さんにお目にかかるまでに、一冊でも多くの本を読んでおこうと決心した。
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立花隆から学んだ大切なこと
これはあの立花隆から学んだことだ。立花隆はインタビューの達人だった。
立花隆は様々な分野での世界の第一線で活躍する第一人者にインタビューすることが頻繁だったが、その時の秘訣は、インタビューに臨むまでに、その方の書かれた著作などは全て読んでおくことだと断言している。
この立花隆が実践していたインタビューに臨む姿勢に、僕は絶大の信頼と尊敬の念を抱いており、今回、出口さんにお目にかかるに当たって、この立花隆の姿勢を尊重し、何としてでも、一冊でも多く出口さんの著作を読んでおかなければと固く決心した次第。
今回、出口さんにお目にかかるに当たって、立花隆が貫いていたように相手の書いた全ての本を事前に読むことなど、到底できっこなかった。
出口さんは対談などの共著を含めると70冊以上の本を出版している、僕が読んでいたのはたかだかその十分の一の7冊のみだった。
てんで話しにならない。
それでも、できるだけ出口さんの最も深い部分を味わえる読み応えのある本をチョイスして、大至急ネットで6冊の本を注文。
面会する直前までに何とかそれらの本を読み切ることにトライした。
まだ読んでいない本が3冊ほど手元にあったが、新たに6冊を注文し、その後はひたすら出口さんの本に没頭した。
力作を5冊、何とか読破
アポをもらってから約2週間。僕はひたすら出口さんの本に没頭した。この間、ブログ記事は一本も配信していない。
とにかくがむしゃらに出口さんの本のインプットに取り組んだ。
通勤途上でも、職場の昼休みでも、そして帰宅後も夜遅くまで、ひたすら出口さんの本を読んだ。
そして何とか新たに5冊を読了した。
2週間に5冊、フルタイムで働いている身にはかなりハードルは高かったが、厳密には5冊目は50ページ程残っていたものの、ほぼ読了することができた。
これは自分にノルマをかけたことが大きかったのはもちろんだが、何と言っても、この出口さんの本に明け暮れた2週間が苦痛になるどころか、楽しくて楽しくてたまらなかったというのが最大のポイントだ。
出口さんに会うんだから読んでおかなくちゃではなく、おもしろいから、楽しいから必死に読んだ。それに尽きる。
そういう意味では、僕は今回の出口さんとの面会を通じて、その初めての面談が非常に感動的だったことはもちろんなのだが、実際に会ってもらう前から出口さんの世界にドップリと浸かり、そのことでもう既に感動的な時間と出口さんとの心の共有を味わっていたことは、どうしても書いておきたい。
この一気呵成に読み切った感動を呼ぶ5冊の出口さんの本についてはこの後、1冊ずつ紹介させてもらう。
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いざAPU東京キャンパスへ
APU(立命館アジア太平洋大学)東京キャンパスは、東京駅の真横にあるサピアタワーという高層ビルの8階にある。
今回、サピアタワーに行って見て、新たな気づきと発見があった。
病院の経営改革とマネジメントという僕の本職にとっての師匠であり、大恩人である著名なMさんとは、Mさんのご指定で東京駅で待ち合わせて様々な報告をしたり、悩み事を聞いてもらったりすることがしばしばある。
Mさんと待ち合わせる東京駅の八重洲口の駅構内や周辺を歩いていると、我が母校である同志社大学や関西学院大学、関西大学、そしてもちろん立命館大学など、関西の有名私立大学の広告用のポスターというかパネルのようなものがところどころに貼って(掲げて)あることが、不思議でならなかった。
どうして東京駅のこんなところに京都や神戸の私立大学の広報パネルが貼ってあるんだろうと、前々から気になっていた。
その謎が今回見事に晴れた。
APU東京キャンパスの入っているサピアタワーの中に、立命館のAPUだけではなく、同志社や関学など関西の著名大学の東京キャンパスが、こぞって入っていることを初めて知った。
おもしろいものである。東京駅に隣接している巨大な高層ビルに、関西の私立大学の東京キャンパスが集中して入っているのだ。
これはいかにもユニークな発想だ。ここに来れば関西の著名私立大学の情報などを一箇所で集めることができるわけだ。
なお、今回APUのあるサピアタワーの8階に行ってみて分かったことは、このビルには関西の私立大学だけではなく、東大の研究室などもあって、様々な大学の分室みたいなものが揃っているようだ。
東大もあるのだから、私立大学だけということでもない。
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当日の面談の実際は
サピアタワーは中々素敵なビルだった。1階部分はラウンジのようになっていて、椅子が並べてあってそこで自由に座っていることができた。
早めに着いた僕はそこで時間調整をした。
約束時間は15時だったのだが、かなり早めに着いていた僕は気持ちが焦って、少し早めに8階に上がって、そこで更に時間を潰せばいいと、3階で入館証を受け取って、いざ8階へ。
14:45頃だったと思う。
エレベーターを降りると例の東大の研究室のようなものが目に飛び込んできた。
APUはどこだろうかとキョロキョロしていると、親切そうな女性が声をかけてくれた。
「どちらへ?」と聞いてくれたので、「APUの東京キャンパスです」と答えると、「こちらですよ」と案内してくれた。そしてその方もAPUのスタッフだったのだろうか?
「どのようなご用件で?」とおっしゃるので、「実は出口先生からアポをいただいているんです」などと話しをしていると、奥の方からいかにも感じの良さそうな女性が現れて、「〇〇です」と秘書のKさんが名乗られて、「〇〇さんですね?」と聞かれた。
「そうです、〇〇です」と答えると、優しい笑顔で直ぐに案内をしてくれそうになった。
僕は「まだお約束の時間に早いので、少し待たせてもらいます」と断ったのだが、「大丈夫ですよ。どうぞどうぞ」と出口先生の部屋に案内してくれた。
そして「お約束の〇〇さんがいらっしゃいました」と言って部屋のあるじに声をかけてくれたのだ。
約束時間の10分以上前だったんじゃないだろうか。
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感動的な30分間の面談のスタート
ここから感動の30分間が始まる。
元々僕が秘書のKさんを通じていただいた時間は20分間であったが、結果的には30分以上に及んだ。
出口さんは初めて会う僕のことを、冒頭から別れる最後の最後まで非常に非常に温かく迎えてくれた。
出口さんは最初からマスクはされていなかった。そのことに気が付いた僕は「それでは私の方もマスクを外させていただきます」とマスクを外し、マスクなしで語り合うことができた。
とは言っても、出口さんはやっぱり話しをするのはかなり不自由な感じで、主に僕の方が一方的に
僕は色々な話しを始める前に、先ず、今日の面談のために持参してきた僕が所有している出口さんの本を全て袋から出して、出口さんの目の前に並べた。これには出口さんも随分と驚かれたご様子だった。
お茶を持ってきてくれた秘書のKさんも、その本を見て驚かれていた。
あいさつとばかりに、僕の方でかなり一方的に話しをした。
1.僕が長年に渡って出口さん(面会の中では僕は終始出口先生と呼んでいたのだが)の本を熱心に読んできたこと。
2.今回の面会が決まってから約2週間の間に、新たに5冊の本を読み終えたこと。
3.出口さんのことで僕が非常に共感を覚えたことの一つとして、NHKのEテレの「知恵泉」の平清盛を取り上げた取り上げた際、解説者の出口さんが、日本史上の3人に入る人物だと平清盛を絶賛していたことに大いに感銘を受けていたことがあったこと。
実は僕も平清盛と平家一門が大好きで、あの番組を見て以来、出口先生のことを深く尊敬するようになったこと。
4.先生の書かれた本の感想、特にとりわけ深い感銘を受けた5~6冊の作品について思いを伝えた。
これが一番の話題となったことはもちろんだ。それぞれの本に深い感銘を受けた旨を伝えると、出口さんは本当に嬉しそうな表情で、僕の顔を見つめて、盛んに「ありがとうございます」とおっしゃった。
ここでは、詳しく書かないが、僕が出口さんの膨大な量の著作の中でも、一番の労作だと確信している素晴らしい内容を誇る本があって、実はまだ読み切っていないものの、その本を手に取って、その旨を伝えると、「正にそうなんです、そのとおり。それを分かってもらえましたか」と言わんばかりに深く頷き、同意してくれた。
僕の思いが伝わった感じを受けた。
5.僕の妻が出口さんのご出身の三重県の美杉村のすぐ近くの同郷の人間であること。
6.先生は京大の出身でいらっしゃるが、僕は同志社の出身で同じ京都で学生時代を送ったこと。
7.そして何よりも僕が読んだ先生の本をブログで紹介していること。そのブログ記事がいつも非常に長くなってしまって、先生の本の紹介も随分と長くなってしまったこと。
などを限られた時間の中で、矢継ぎ早に話させてもらった。
先生が僕のブログをちゃんと読んでくれていたことも、ちゃんと伝わってきた。
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出口さんが著書を1冊プレゼントしてくれた
その中で、歴史のこと、特に清盛に限りない魅力を感じると言うあたりの話しを受けて、本棚に並べられた出口さんの本を指さして、1冊プレゼントしてくれることになった。
出口さんが指示したのは、出口さんが日本史を語った一連のシリーズ。それをプレゼントしてくれるとおっしゃる。これには驚かされたが、僕は迷わず平清盛が登場する中世編をチョイスした。
いただいた本へのサインと写真撮影
その贈書に先生がサインを書いてくれた。利き手ではない左手を使って「出口」と書いてくれたのだ。
思わず感動した僕が、「先生のお姿を写真に撮っていいですか?」と確認すると、快諾してくれた。
そして出口さんの方から、一緒に写真を撮ろうという話しになった。
ちなみに出口さんは重い障害を抱えているにも拘わらず、スキンシップには何ら抵抗がなく、僕は何度も何度も握手をしてもらうことになった。
30分間に固い握手を何度も交わした。
どうしても言葉による対話が思うようにならないこともあって、その分余計に「握手すること」が僕の気持ちも、それに対する出口さんの気持ちも雄弁に代弁するものとなった。
出口さんからの申し出で、その本を掲げての写真撮影となる。その時の写真をそのまま掲載させてもらう。
出口さんがそのままブログに写真を掲載してもいいと言ってくれているのに、僕の方が写真に修整するなどして顔を隠すことはどうしてもできない。
僕の写真も、公開させてもらう。
出口さんからプレゼントしてもらった本がこちら。
こちらからも別の写真をお願いした
僕の方からも、写真をもう一枚撮ってほしいとお願いをした。
先生の部屋に戻って、僕の持参した先生の本と一緒に撮っていただけないかとの依頼だ。これももちろん快諾してくれた。
こうして撮影してもらった写真がこちら。
少し逆行だが、中々いい写真で気に入っている。
僕が両手で出口さんの左手を固く握りしめているあたりに注目してほしい。
この写真は逆光ということもあり、アングルも含めて、秘書のKさんに色々と向きを変えて撮ってもらったり、何かとご迷惑をおかけした1枚。
結果的には先生も僕も非常にいい感じで撮れていて、嬉しくてたまらない。
出口さんにも、Kさんにも心から感謝したい。
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最後はエレベーターまで見送ってくれた
ここまでの歓待は、全くの想定外であった。
約束の3時20分が迫ってきた。
いよいよもうお暇しようとなった際に、先生にしっかりとお礼を伝え、また固く握手を交わし、「それではこれで失礼いたします。本日はありがとうございました」と頭を下げて出口さんの部屋から出た。
すると、出口さんはわざわざ電動車椅子を操作して、部屋の外に出てきてくれて見送ってくれた。例の写真を撮ったバックボードの場所だ。
そこで、いよいよ失礼しますと背中を向けると、何と出口さんが更に電動車椅子で一緒についてきてくれた。エレベーターまで見送ってくれようとしていることが直ぐに分かった。
大変に恐縮なことで、ましてや出口さんは車椅子である。僕は固辞したのだが、ニコニコしながらエレベーターまで逆に案内してくれたのだ。
これには驚かされた。
そしてエレベーターの前で下りボタンを押すと直ぐに来た。4台のエレベーターがあったが、出口さんが降りてくるエレベーターを手で合図してくれた。
僕は乗り込んで、頭を下げて深く敬礼。エレベーターの扉が閉まる最後には、何と出口さんは左手でしっかりと手を振ってくれた。
感動で胸が一杯となる。感激した。涙が溢れ出た。
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僕の要望を全て認めてくれる並外れた包容力
また会ってくれることはもちろん、本日の面談のことをブログにありのままに書いていいこと、写真をそのまま載
今回のアポ
配信の都度、それを先生にも案内したいが
これはモチベーションが上がる。ブロガー(ライター)にとって、著者ご本人からのこの言葉以上に嬉しいことも、書き甲斐のあることもない。
出口さんとの初対面は最高の出会いに
本当に感動した。
あんなに歓待してもらえるとは思わなかった。
でも、こうして出口さんという尊敬すべき著者にお近づきになれたのは光栄だし、これをきっかけに
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冷静に振り返ってみる
やっぱりコミュニケーションを取るのが難しいのは事実だった。
深い話し、本質に迫る話しが思うようにできない。
特に出口さんが残念な点は、言葉はかなり戻ってきているが、
少し聞き取りにくいのだ。
一生懸命に話してくれるのだが、聞き直すは失礼だし、気を悪く
そしてもう一つは、出口さんは右半身麻痺であること。つまり利き手の右手が全く動かせないから、筆談をするわけにもい
「出口」というサインは左手で書いてくれだが、普通にガンガン書
言葉は不自由でも利き手を使って筆談ができれば、ちゃんと深い話
だが、左手の訓練はドンドンできるので、あの驚くほどポジティブで挫けることを全く知らない出口さんなら、この先、普通に左手
あの方なら、やってくれそうだ。そう信じている。
あの嬉しそうな満面の笑みや包容力はただごとではない。
本当にすごい方だと、今回初めて直接ご対面させていただいて、あらためて痛感させられた。
3月にもう一度会いに行こうと考えている。
それまではいただいた本も含めて、出口さんの本を徹底的に読むこととしたい。