シューベルト作曲「白鳥の歌」の紹介の後半である。
後半は、「白鳥の歌」の後半、6曲からなる「ハイネ歌曲集」について、詳細に見ていくことにしたい。
とにかく時間的には非常に短いながらも圧倒されてしまう凄い歌が、次から次へと出てくる。
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目 次
打ちのめされる凄絶な歌の数々
6曲のハイネ歌曲集の中でも、とりわけ僕が心を惹かれ圧倒されてしまうのは「彼女の絵姿」「都会」「海辺にて」そして「ドッペルゲンガー」の4曲である。
これらの曲を理解してもらうためにはどうしてもハイネの詩の内容を知ってもらうことが不可欠なので、4曲の日本語訳を示しておく。
日本語の訳詞には、僕の手元だけでも4~5種類あるのだが、ここでは僕が深く私淑している最高の音楽評論家の吉田秀和が最晩年に出した「永遠の故郷」という吉田が選曲した歌曲のCDと、吉田秀和自身が訳した日本語訳が付いた労作から、引用させていただく。
その日本語訳の後で、それぞれの音楽の解説も書かせてもらう。
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「彼女の絵姿」(Ihr Bild.)
【詩の日本語訳】吉田秀和訳
おれは暗い夢の中に立っていて
彼女の絵姿をじっと見つめていた
すると愛しい彼女の顔が
ひそかに生気を帯びてきた
彼女の唇のまわりには
いとも妙なるほほ笑みが浮び
まるで悲しみの涙にくれたみたいに
彼女の両眼がきらきら光ってきた
おれの頬からも涙が
はらはらと落ちてきたんだ
でも、信じられないよ、あー
君を失ってしまったなんて
ハイネの詩の素晴らしさに胸を打たれてしまうが、この詩に付けたシューベルトのわずか2分足らずの音楽が凄い。
無駄な部分や装飾を一切切り捨て、トコトン削ぎ落として核心に真っすぐ迫っ
簡潔さの極み。音楽は全体で36小節しかないのに、訴えかける力は絶大なものがあって、聴いていて魂を激しく揺さぶられてしまう。
歌うというよりは語る。
冒頭部分は語ると言うのも言い過ぎなくらいで、ほとんどつぶやきのようなモノローグ。ここには歌という甘美なものは完全に捨て去って、ハイネの詩の持つ切実な世界を、簡単なピアノと人の言葉だけで確実に伝えようとしているだけ。
それでいて、ここまで聴く者の心の最も深い部分にまで訴えかけてくる。
歌というものの概念を根底から覆してしまうとんでもない歌。
楽譜は何と2ページ
全体で36小節しかない楽譜は、ページ数も何と2ページ。見開き1ページで完全に収まってしまう。
それなのにこの音楽の豊かさはどうだろうか。驚嘆するしかない。
「都会」(Die Stadt.)
【詩の日本語訳】吉田秀和訳
霧の影のように
幾つも塔をもった都会が
夕闇に包まれて立っている
一陣の湿った風が吹き
灰色の水脈に小波(さざなみ)が立つ
ぼくの小舟の船頭は
物悲しい拍子を立てて櫓を操る
太陽はもう一度
地平線からきらきらと現われ
かつてぼくが最愛の人を失った
あの場所を指し示す
楽譜は3ページのみ
この「都会」も楽譜は驚く程短いもので3ページ。9連譜による印象的なアルペジオが17回に渡って繰り返されるのに、全体の小節数は何と40小節しかない。
それでいて聴く者にここまで強烈な印象を与えることは、そう易々とできることではない。
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「海辺にて」(Am Meer.)
【詩の日本語訳】吉田秀和訳
海は遥か遠くの彼方まで
最後の夕映えの中で輝いていた
ぼくらは人気のない漁師小屋のそば
二人だけでじっと口もきかず座っていた
霧が立ち昇り、潮が満ちてくる
鷗の群れがあちこち飛びかう
君の愛らしい眼からは涙が
したたり落ちてきた
その涙の君の手に落ちるのを見て
ぼくは思わずひざまずき
君の白い手の涙をむさぼり呑んだ
その時以来、ぼくの身体は憔れ(やつれ)果て
心は憧れに死ぬ思いー
幸薄きあの人は涙でもって
ぼくに毒を注いでしまったのだ
これはまた、ハイネの詩に圧倒される。心を抉られる凄絶な詩と言うしかない。
「涙で毒を盛る」。これが恋の究極の姿なのだろう。愛する彼女の涙をすすった男は、以来憔悴し、憔れ果てる。それが恋の苦しみだ。
ハイネの天才に感嘆してしまうが、本当にハイネは死ぬほどの苦しい失恋体験をしたのだろう。
シューベルトの音楽がまた素晴らしいものだ。短い音楽の中で、色調が一変し、心の一番深いところにグサグサと突き刺さってくる。
冒頭はピアノの弱々しい和音がp(弱音)で2回、そっと鳴らされるだけ。
その後はいかにもシューベルトらしい伸びやかな美しいメロディが展開されるが、それもほんの束の間。直後に急に色調が変わり、ピアノが36分音符という非常に細かいトリルを奏で始める。もちろん波が静かに押し寄せて来る光景だ。
そこからはかなり激しく、一瞬慟哭に近い心の叫びがもたらされ、これが聴く者の心に突き刺さってくる。
いかにもシューベルトらしいメローディアスな伸びやかな明るい歌が急変し、最後には語り掛けるように人生の真実に迫る。
聴いていていかにも恐ろしい。僕はこの歌を聴く度に、鳥肌が立ち、深く感動させられる。感動というよりもただひたすらに恐ろしくなってくる。
そしてこの後、曲集はいよいよ「ドッペルゲンガー」を迎えることになる。
楽譜はこれも2ページだけだ
この万華鏡のように目まぐるしく色調が変化していく恐ろしい歌も信じられないことに2ページ、見開きで1枚に収まってしまう。小節数は45小節しかない。
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「影法師(ドッペルゲンガー)」(Der Doppelgänger.)
【詩の日本語訳】吉田秀和訳
夜は静まり返り、小路は安らぐ
ぼくの恋人は この家に住んでた
今は彼女が町を離れて久しいが
家は前と変わらぬところに立っている
あそこに一人の男がいて空をみつめている
よほど苦しいのか 両手をよじっている
その顔を見て、ぼくはぞっとした
月が照らし出したのは ほかならぬぼくの姿なのだ
お前、私の分身、血の気の失せた仲間よ!
何でまた お前はぼくの真似をしてみせるのだ?
昔、夜な夜な、ここに立ち
嘆き悲しんだ恋の悩みのそのことを
そして最後に待っているのが、言葉を失う程の凄絶さの極み、「影法師」こと「ドッペルゲンガー」だ。吉田秀和は「分身」という言葉を用いている。
ハイネの詩は遂にここまで自らの内面を見極めていく。いよいよ最も深いところに沈潜していく。
失恋の苦しみをここまで表現する。これは生きるか死ぬかというギリギリの身を裂く苦しみを体験した者でなければ理解できない境地かもしれない。
このドッペルゲンガーは恐ろし過ぎる。
それを見つめる自分に、愛する人を失った当時、夜な夜な彼女の住んでいた家の下まで来て、恋の苦しみと闘っていた自分のことを思い起こさせるのだ。
ほとんど今でいうストーカーそのものと言ってもいい光景。
だが、本当に愛するものを失ったとき、その愛が深ければ深いほど、どうしたって人はそうなってしまうのでなかろうか。カルメンを愛したドン・ホセも同じである。
繰り返すが、これは人を愛して、死ぬ程の苦しみを味わった者でなければ、決して理解できない境地なのかもしれない。
音楽史上の事件と呼ぶべき衝撃的な歌と語りの出現
このとんでもない詩に、シューベルトは本当に驚くべき音楽を付けた。これは音楽史上の事件と呼ばなければならない衝撃的な音と歌である。
ここにはもうシューベルト的な歌はどこにも存在せず、モノローグ、語りの音楽があるだけだ。
ワーグナーに最も近い。そのワーグナーも脂の乗り切った後期の様式に最も近いか、それをも凌駕しているように僕には思えてしまう。これは大変なことである。
ワーグナーは当時の音楽界にあって新しい革新的な手法をドンドン取り入れた革命児だったのだから。その改革派の大巨匠ワーグナーに近いところまで、1820年代に31歳のシューベルトが到達していたというのである。
ピアノの斬新な和音と語りだけで、圧倒的な迫力を持って、心の一番奥の奥まで迫ってくる。
語りの音楽が、感情の高ぶりと共に少しずつアチェルランドして切迫感が増してくる。そのあたりのドラマチックな展開が、ピアノの和音と語りという非常に少ない音で異様なまでに盛り上がり、自らも、聴く者も追い詰めていく。
これ以上、心の内面に肉薄した音楽はない。壮絶の一語。
あのシューベルトがこういう音楽を、死ぬ直前に残したことを一人でも多くのクラシック音楽ファンに知ってほしい。
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楽譜はこちらも何と2ページのみ
ハイネ歌曲集の最後を飾る「ドッペルゲンガー」は、ハイネ歌曲集の中では演奏時間も5分強もかかる大作だが、その楽譜を見てみると、何と他の凄い曲と変わることなく、やっぱり2ページ、見開きで1枚に収まってしまっている。
この強烈な音楽が見開き1枚の楽譜として表現されていると知って、音楽というものの深さをあらためて痛感させられてしまう。
小節数はこちらは63小節と他の3曲よりは若干多くなっている。
交響曲にも匹敵する濃厚な音楽
以上、個別の曲毎に具体的に書いてきたが、本当にこのハイネ歌曲集は空恐ろしい歌の集まりである。
僕はこれらの曲を聴き進めて行くと、真から打ちのめ
魂を抉られる凄絶なまでの音楽だ。
どんな長大な曲にも勝るとも劣らない濃厚な音楽が詰まっている。長大な交響曲にも匹敵する音楽がここにはあると言っても決して過言ではない。
合計してもわずか10ページ足らずの楽譜の中にどれだけの濃厚な音楽と斬新性、身を切り裂かれるような凄絶極まりない音が込められていることか。
音楽もそこに盛り込まれた内容も、桁外れの大きさと切実さを備え、更にその音楽は時代を100年近くも先んじた新しさも兼ね備えている。
こんな音楽を、31歳の若者が死の目前に作ってしまった。
31歳で死んだシューベルトの心の深淵
この凄絶な音楽を聴くにつけ、31歳というあまりにも若過ぎる死を迎えなければならなかったシューベルトの心の深淵と苦悩を垣間見るのである。
若死にが多いと言われている大作曲家の中でも、シューベルトの31歳というのは特別に早過ぎる死である。
あのモーツァルトが35歳。前回「カルメン」で取り上げたビゼーが36歳。メンデルスゾーンは38歳。ショパンは39歳でそれぞれ亡くなっている。
シューベルトは31歳だ。やりきれない。
一説には梅毒と言われている病魔に蝕まれて、これだけの天分に恵まれていた音楽と訣別しなければならなかった苦痛が、最後の最後にここまでの凄絶な音楽に結実したとしか思えない。
シューベルトのレクイエムではないか
その意味では、この「白鳥の歌」、特に後半のハイネ歌曲集はシューベルトの「レクイエム」と呼ぶべき作品なのかもしれない。そう思えてきた。そんな気がする。
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たとえ1年間でも長生きできればきっと
31歳という若過ぎる死の直前にこれだけ斬新な音楽を書き上げたシューベルト。
前に取り上げた「弦楽五重奏曲ハ長調」といい、この「白鳥の歌」といい、シューベルトは死の直前にとんでもない傑作を一気呵成に書き上げた。
この異常なまでの創作的な高まりは音楽史上の奇跡というか謎なのだが、あれだけの新しい音楽を生み出しただけに、せめて後1年間だけでも長生きできれば、更に名作、傑作の類を量産してくれたことは間違いない。
もしそれが実現できれば、その後の音楽史は今とは全く違ったものになったことだろう。シューベルトが音楽史を一変させてしまった可能性が高い。
それを思うと全くやりきれない絶望的な思いに陥る。
シューベルト自身にもそのことがある程度分かっていて、この「ハイネ歌曲集」にその無念の思いと、せめて自らの力の証を刻印したのでないか。それが僕の見立てである。そう思えてならない。
終曲の「鳩の使い」について
「白鳥の歌」の終曲はドッペルゲンガーではなく、ザイドルの詩に付けた「鳩の使い」である。これがまた素晴らしい。
シューベルトが亡くなったのは1828年の11月19日であるが、前半のレルシュタープとハイネ歌曲集は同年の8月に作曲された。亡くなる約2~3カ月前の作曲である。
ところが終曲の「鳩の使い」は10月に作曲されたもので、シューベルトの最後の歌で間違いないらしい。
その最後の歌が、往年のシューベルトを彷彿とさせるいかにも伸びやかで軽やかなものであることが嬉しい。
自分の内面とギリギリのところまで向き合って、壮絶な闘いを繰り広げてきた最後の最後に、このようなある種屈託のない明るい歌に戻ってこれたことは、これはこれでまた一つの奇跡と呼んでもいいものだ。
「白鳥の歌」が、明るく健康的な歌で締め括られることは大いなる救いでもある。
実にいい歌だなと思う。
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フィッシャー・ディースカウという異次元の名歌手
最後になってしまったが、ここで大歌手のディートリッヒ・フィッシャー・ディースカウのことに触れないわけにはいかない。
「白鳥の歌」は、多くの男性歌手が競うように録音しているが、どうしたってフィッシャー・ディースカウの歌で聴いてもらわないといけない。
フィッシャー・ディースカウの歌で「白鳥の歌」、特に後半のハイネ歌曲集を聴くことで、この歌がどれだけ凄いもので、聴く者を打ちのめすような凄い音楽なのか、初めて体験できる。
他の歌手の歌では、僕がここまで力説するこの曲の圧倒的な世界を知ることはできない。
これだけは絶対にフィッシャー・ディースカウの歌で聴いてもらわないとダメだ。
問題はむしろ、フィッシャー・ディースカウは「白鳥の歌」を繰り返し録音しており、どの録音で聴いてもらうのかということだが、どの録音でもいい。
フィッシャー・ディースカウは完璧な音楽家で、彼の録音にダメなものは一つもないので、どれでも安心してシューベルトとハイネの世界に没頭できることを保証する。
実は非常に腹立たしいことだが、現在、普通に入手できるフィッシャー・ディースカウが歌う「白鳥の歌」は下記のドイツ・グラモフォンの録音しかないようだ。
だが、この録音が最高のものであり、これさえあれば問題なし。安心して聴いてほしい。
フィッシャー・ディースカウはどんな人
ちなみにフィッシャー・ディースカウは人類史上、空前絶後の大歌手であり、ドイツリートでもオペラでも、宗教曲でも、どんな歌を歌っても世界最高という超人だ。
この人は歌手というジャンルを離れて、クラシック音楽のありとあらゆる演奏家(指揮者やピアニストを含めて)の中でも他に並ぶ人がいない、正に不世出の、化け物のような存在である。
僕はこのフィッシャー・ディースカウを熱愛していて、世界中で販売されたありとあらゆるフィッシャー・ディースカウのCDを集めているというフィッシャー・ディースカウのコレクターだ。
いずれ、フィッシャー・ディースカウのことは、別の機会にゆっくりと書かせてもらう。
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シューベルトのイメージを覆す「白鳥の歌」を聴いて!
どうかフィッシャー・ディースカウの歌で、シューベルト畢生の傑作「白鳥の歌」をじっくりと聴いてほしい。
これがシューベルトが死を目前にした最後に到達した世界である。驚くべき音宇宙。
シューベルトのイメージがいい意味で大きく覆ることを約束する。知らない方は是非聴いて。
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