目 次
ビゼーの若き日の隠れた名曲
先日、古楽器によるビゼーが作曲したオリジナルどおりに演奏した「カルメン」のブルーレイを紹介したところだが、もう1曲、知る人ぞ知るビゼーの隠れた名曲を取り上げたい。
「交響曲ハ長調」である。何とこれはビゼー17歳の時の作曲。正確にいうと、17歳の誕生日を迎えた直後に作曲したというのだから恐れ入る。
こういうものは、一般的には若き日の習作と呼ぶべき作品なのだが、このビゼーの作品に限っては習作などとはとんでもない、実に魅力的な素晴らしい作品なのである。
僕はこの作品が、昔から大好きだった。
誰だってこの作品に素直に耳を傾ければ、好きにならずにいられない。心がウキウキとし、その美しさにぞっこんとなってしまう逸品中の逸品なのである。
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驚くべき早熟の天才ビゼー
前回の古楽器によるオリジナル版「カルメン」の紹介の際にも書いたことだが、ビゼーというフランス人作曲家は大変な音楽的才能に恵まれた早熟の天才であった。
声楽教師の父と優れたピアニストだった母との間で育ったビゼーなのだから、生まれついての音楽的天分を持っていたのだろう。
9歳という異例の若さでパリ音楽院に入学が認められ、そこで早くから頭角を現していく。そして17歳の誕生日直後に交響曲ハ長調を作曲するに至る。
それから2年後に、当時のフランスの楽壇にあっては将来の作曲家としての成功が約束される大変なステイタスだった「ローマ賞」を受賞し、本格的な作曲活動を進めていくことになる。
こんな名曲が忘れられてしまった悲運
ローマ賞を受賞する前の17歳になったばかりの少年が作った交響曲は素晴らしいものだったが、ビゼーという人は、こんなにも音楽的天分に恵まれていたにも拘らず、運が悪いというか、タイミングに恵まれないというか、いつもいい作品を作曲した後に不幸が襲い掛かってくる。本当に気の毒な人。
今日これだけの人気を残る「カルメン」が、初演では大失敗に終わり、その初演から僅か3ヵ月後に失意のうちに心臓発作で急逝してしまう。
この交響曲も似たようなものだ。いや、もっと不幸な過程を辿る。
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傑作交響曲は演奏すらされなかった
何とこの交響曲は演奏されることもなく、その存在すら知られることもなく、完全に忘れ去られ、初演されたのは第2次世界大戦の足音が近づいてきた1933年のことだった。
埋もれてしまっていた楽譜が1933年に発見され、その年に当時の大指揮者であったワインガルトナーによって初演された。作曲されてからちょうど80年後のことだった。
初演と同時に作品の素晴らしさはすぐに伝わり、その後は世界中で盛んに演奏されることになって、今日に至っている。
ビゼーの存命中に演奏されることがなかったことがいかにも残念。
だが、実はビゼー自身もこの曲を世に送り出そうとは考えていなかったようだ。
当時のフランスでは交響曲は不遇の扱い
というのは、交響曲といえばクラシック音楽における最高の演奏形態、作曲ジャンルだと誰でも考えているだろうし、間違いないことなのだが、それは音楽大国かのドイツを基準とした発想であって、フランスでは必ずしもそうではない。特に当時のフランスにあっては、交響曲は全くお呼びじゃなかったのである。
当時のフランス楽壇にあっては、何といってもオペラ。オペラこそ音楽の王道だったのだ。
天才的な豪腕ピアニストとしての腕前を持ちながらも、ピアノ曲にもピアニストにも興味がなかったビゼーがオペラを目指したのは、そういう背景があったからだ。
それで必死になってオペラを作曲し、あの「カルメン」という稀有の傑作を作曲しながら、初演でこけ、失意のうちに3ヵ月後に急逝してしまったビゼーの無念さは、想像するにあまりある。
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最悪の妻の存在(ビゼーの妻)
ビゼーが不運だったことは、妻とのことも大きい。ビゼーは妻に恵まれなかった。
音楽家の悪妻というと、誰でもあのモーツァルトの妻のコンスタンツェを思い浮かべるだろうが、ビゼーの妻はコンスタンツェの比ではない。
ビゼーの妻のジュヌヴィエーヴ・アレヴィはビゼーの音楽の師の娘だったのだが、夫の音楽的才能を全く評価しなかったどころか、頭から馬鹿にしていたとのことだ。
「カルメン」の大失敗で、ビゼーが急逝した後も、彼の残した楽譜の整理や離散を防ぐようなことは一切せずに、とっとと他の男と結婚してしまった。
ビゼーが死んだ後、彼の作品(楽譜)を放置し、散逸するに任せてしまったのだ!
悪妻の典型のように言われるモーツァルトの妻コンスタンツェは、再婚しても、モーツァルトの楽譜は大切に保管し、再婚した夫と共にその作品が世に出るように尽力し、その結果として今日、モーツァルトの作品がこれだけ残っているのである。
他の男と言ったが、ビゼーと共通の非常に親しくしていた友人であり、実はビゼーの生前から二人は不倫を続けていたと言われている。何ともやり切れない話しだ。
そんなこともあって、ビゼーの交響曲も埋もれ続けてしまったというわけだ。
サロン主催者として非常に有名な存在
この悪妻は、実は非常に有名な歴史的な人物でもあるので、ここで少し触れておきたい。
本名はかなり長い。マリー=ジュヌヴィエーヴ・ラファエル・アレヴィ=ビゼー=ストロースという。
パリのサロンの主催者として有名な存在で、何とあの、マルセル・プルーストの20世紀最高の文学作品と称えられている『失われた時を求めて』の登場人物であるゲルマント公爵夫人とオデット・ド・クレシーのモデルとなった人物なのである。
恥ずかしながら、僕はこのことは全く知らなかった。驚嘆すべき話しである。
そのジュヌヴィエーヴ・アレヴィは、不運のうちに急逝してしまったビゼーのことなどすっかり忘れて、パリのサロンを優雅に主催し続け、様々な芸術家のパトロンとし活躍したばかりか、世界最高峰の文学のモデルにもなって、1926年に77歳の天寿を全うして亡くなっている。
ビゼーの若き日の記念碑的傑作とは何の関係もない話しだが、好楽家でもほとんど知られていないビゼーのあまりにも気の毒な話しとして、少し心に留めておいてほしい。
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ビゼー:交響曲ハ長調の概要
【作曲者】ジョルジュ・ビゼー
【作曲時期】1855年 ビゼー17歳誕生日直後
【初演】1935年2月26日 バーゼル 作品完成の80年後
演奏者:フェリックス・ワインガルトナー指揮 パリ管弦楽団
【曲の構成と時間】 演奏時間 約30分
第1楽章 Allegro vivo 約7分半
第2楽章 Adagio 約11分
第3楽章 Scherzo. Allegro vivace 約4分半
第4楽章 Allegro vivace 約6分半
ビゼーの交響曲は、どんな曲なのか
4つの楽章からなる演奏時間30分程度の典型的な交響曲であるが、一聴してその清々しい爽やかさと快活さに、すっかり心を奪われてしまう傑作だ。
第1楽章が最高
特に魅力的なのは、冒頭の第1楽章だ。
音楽が始まると同時に、聴く人の心を捉えて離さなくなる快活さに満ち溢れている。
若さの特権というか、その音楽はどこまでも若々しく、新鮮極まりない。その瑞々しいことといったら、他に例がないくらい。
リズムの軽快にしてキレのいいこと。聴いていて思わず身体が動き出してしまうような軽やかな音楽が自由自在に流れていく。
愛くるしいチャーミングな曲想で、屈託なく周囲に媚びを振りまく。まるで天衣無縫なモーツァルトそのものだ。
それでいて、実に大胆でもある。若者だけがなしうる物怖じしない大胆さが、聴いていて眩しいばかり。
正にこれは青春の金字塔とも言える傑作だ。
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モーツァルトやメンデルスゾーンを彷彿
ここから聴こえてくる音楽は、一音一音苦労しながら、考え抜いた上で作り上げた音楽ではなく、自然に浮かび上がってきて、そのまま音に留めたような音楽なのだ。
換言すると、天から勝手に降ってきた音楽を、そのまま即興的に書き留めたような音楽なのである。
天衣無縫というか、早熟の天才ならではの一点の曇りもないような自然発生的な音楽と言うべきか。
苦労した後がどこにも見当たらない。こういうものを天才の音楽というのであろうか。
そういう意味では、この音楽は泉のように音楽が湧き出てきたモーツァルトやメンデルスゾーン、あるいはロッシーニの音楽に良く似ている。
モーツァルトの交響曲第29番と類似性
特に類似性を感じるのは、モーツァルトの若き日の記念碑的作品である交響曲第29番だ。
これは絶筆に尽くし難い名曲だが、それに近いような感じを受ける。
モーツァルトの交響曲第29番は、モーツァルトが18歳の時に作曲した作品。片やビゼーの交響曲は17歳。ほとんど同じ年齢だ。
いずれも全4楽章からあたりは、交響曲だからお約束と言えばそのとおりだが、なんだかとても近い感じがする。
モーツァルトの29番は約20分程度の短い曲。ビゼーの方は少し長い30分程度。
この類似性は注目に値する。
何と言っても、爽やかな一陣の風が通り抜けるかのような爽快さが、両者に共通している。
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第2楽章のアダージョも素敵
第2楽章は一転してアダージョとなる。
アダージョ楽章はどんな作曲家でも、ゆったりとしたテンポの心を洗われるような美しさメロディが定番だが、このビゼーのアダージョはそれほど一聴して心を奪われるといった感じのものではない。
哀感を帯びたメロディが切々と歌い上げるという感じではなく、もっと異国情緒が漂う健康的で明るい伸びやかさが身上だ。
そのエキゾチックを盛り上げるのはオーボエだ。オーボエが静かにエキゾチックなメロディを響かせ始め、やがてヴァイオリンが別のメロディを奏で始めるのだが、それらが互いに受け継がれながら、ゆったりと伸びやかに、少しずつ盛り上がってくる。
いつ終わるのか分からなくなるような甘美で、エキゾチックな世界が広がっていく。
イタリアのシチリア島を舞台にした映画音楽のような味わいでもある。
聴くほどに魅力が増してくる味わい深い曲だ。
第3楽章
スケルツォの第3楽章は、胸がスッとするような整然とした力強い音楽で始まり、ところどころで実に甘美な美しいメロディが流れてくる。
全体的に引き締まった音楽で、モーツァルトに近い音楽だと感じる。
いかにも古典派のバランスの取れた音楽で、ベートーヴェンの第1交響曲にも近い印象を受ける。
オーケストラのそれぞれの楽器が、非常に良く鳴ることにも驚かされる。実に見事なオーケストレーションだと感嘆してしまう。
第4楽章
軽快な小気味いい音楽で、まるで上機嫌なロッシーニのようなチャーミングな音楽。
ロッシーニに一番近いと感じるが、終盤の堂々たる様はモーツァルトの最後の交響曲、あの名作中の名作である交響曲第41番「ジュピター」のエンディングのようでもある。
弦楽器も管楽器も良く歌い、ティンパニも気持ち良く鳴り響く。
最後に全体がバトンリレーをするかのように盛り上がってきて、実に気持ちの良いエンディングを迎えるのも最高だ。
決して最後まで爽やかさと若々しさが途切れることはない。
これは本当に17歳の少年が作った音楽なのかと耳を疑ってしまう。
音楽史に残る第一級の名作の名に恥じない稀有な名曲だ。
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演奏はどれを選ぶべきか
僕の手元には2種類の演奏しかないが、それで十分に満足している。
アンセルメ指揮のスイス・ロマンド管弦楽団と、かなり古いモノラル演奏(1954年録音)だが、フランス音楽の最高の指揮者だったアンドレ・クリュイタンスが振ったフランス国立放送管弦楽団の演奏。
どちらの演奏も気に入っているが、現在はいずれも入手できない。困ったものである。
では、現在聴こうとしたら、どの演奏がお勧めだろうか。
当然、フランス系の指揮者とオーケストラで聴くべきだろう。
現在、僕が愛聴している2種類を含め、往年の名演が軒並み廃盤となっているが、幸い素晴らしい演奏が格安になって復活している。
是非ともこれで聴いていただきたい。
フランスの名指揮者ジャン・マルティノンが指揮をしたフランス国立管弦楽団の演奏。これは素晴らしいものだ。
これが国内盤で生きていることは非常に嬉しい。
☟ 興味を持たれた方は、どうかこちらからご購入をお願いします。
1,316円(税込)。送料無料。CD2枚組。
記事の本文中で紹介したCD。2枚組だがビゼーの音楽の名曲ばかりが収まっている。
1枚目には歌劇「カルメン」全曲からの抄録。聴きどころは網羅されているので悪くない。アバド指揮 ロンドン交響曲団の名演だ。
2枚に、「アルルの女組曲」などと一緒に「交響曲」が収録されている。
演奏はジャン・マルティノン指揮のフランス国立管弦楽団。
2枚組で1,316円はあまりにも格安。ビゼーの素晴らしさを満喫できるはずだ。これは買いだ。
ビゼー:歌劇≪カルメン≫(抜粋)/≪アルルの女≫第1・2組曲/交響曲ハ長調/アニュス・デイ/歌劇≪真珠採り≫から「耳に残るきみの歌声」「神殿の奥深く」 [ (クラシック) ]