目 次
天真爛漫な明るいシューベルトはこれだ
このところ集中的にシューベルトを取り上げてきた。シューベルトが死ぬ年の創作力が異常なまでに高まった際の「弦楽五重奏曲」と「白鳥の歌」(僕の紹介記事は2部構成:前編・後編)。そして「死と乙女」。
3曲共に何とも暗い作品ばかりであった。
こういう作品ばかり聴いていると、シューベルトという作曲家はこんな暗い慟哭するような音楽ばかり作曲していて、うつ病にでも陥っていたのか、精神が破綻していたのではないか、と思われてしまいそうである。
そんなことは決してないのである。
シューベルトは明るくて伸び伸びとした健全な音楽もたくさん作っているので、こちらの方も紹介しないと、あまりにも片手落ちというものだろう。
むしろ大方のイメージ通りに、この明るくて屈託のない伸びやかな音楽こそ、シューベルトの真骨頂と呼んでいいものだ。
そんな曲の代表例としては、今回取り上げるピアノ五重奏曲「ます」に勝るものはない。
実にいい曲。聴いていて幸福感に満たされる何とも明るくて、清々しいものだ。
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編成が異なるシューベルトのピアノ五重奏曲
ピアノ五重奏曲というジャンルは音楽史上、それ程たくさん作曲されたものではないが、著名な大作曲家による名曲が何曲か作られている。
音楽史に名だたるピアノ五重奏曲
シューマンやブラームス、ドヴォルザークなどロマン派に多いが、フランスのフォーレに名曲が2曲もあり、現代ものではショスタコーヴィチの作品が非常に有名である。
それらのピアノ五重奏曲とシューベルトのピアノ五重奏曲ではメンバー、すなわち楽器の編成が異なっているので、注意が必要だ。
シューベルトのピアノ五重奏曲の編成
一般的なピアノ五重奏曲の編成は、非常に分かりやすく、弦楽四重奏(ヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1)にピアノが加わるというシンプルなものだ。
前述の著名なピアノ五重奏曲の編成は、全てそうなっている。
ところが、シューベルトは異なるのである。
ヴァイオリンを1人にする代わりに、低音を担当するコントラバスを追加するという編成を採用している。
これは珍しいが、同じ編成によるピアノ五重奏曲はフンメルという作曲家による2曲のピアノ五重奏曲が作曲されており、実際にシューベルトのこの曲はフンメルを演奏をした楽団のために作曲されたという。
ちなみにフンメルはハンガリー出身のオーストリアで活躍した作曲家にしてピアニスト。今日ではすっかり忘れ去られているが、当時は大作曲家としてベートーヴェンと並び称せられる存在だった。
そのフンメルと同じ編成を採用したと聞くと、なるほどそういうことかと納得させられるが、シューベルトは、ああ見えて、中々革新的というか、通常の大作曲家とは何かと異なることを色々と試みた斬新な作曲家だったように思う。
今回のピアノ五重奏曲しかり。そして既に取り上げている大傑作の弦楽五重奏曲の編成も通常とは異なり、ヴィオラに代えてチェロを2台としていることは既に紹介したとおり。
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歌曲「ます」をメロディにしたピアノ五重奏曲
シューベルトは「歌曲の王」として何と歌曲を600曲も量産しただけに、その中の自分で作曲した歌曲のメロディを旋律に用いて室内楽を作曲した例がいくつかある。
何と言っても有名なものは、弦楽四重奏曲「死と乙女」であり、もう一曲が今回紹介のピアノ五重奏曲「ます」である。
この「死と乙女」と「ます」が、自身の歌曲を引用して作曲された双璧となる。
大切な点は、そのオリジナルの歌曲の性格がそのまま室内楽の曲想となっていることだ。
つまり「死と乙女」はどこまでも暗く絶望的に。一方の「ます」は明るくどこまでも希望に満ちた曲となった。
前回は暗い「死と乙女」を紹介したが、今回は全く逆の明るく希望に満ちた「ます」を取り上げる。
シューベルトを知ろうと思ったら、どちらも聴いてもらわないと完結しない。
明暗を極めた両曲を聴いてもらって初めて、シューベルトの全体像が明らかになる。
シューベルト ピアノ五重奏曲「ます」の概要
作曲されたのは、1819年。「死と乙女」に先立つこと5年。シューベルト22歳である。正に若き日の屈託のない希望に満ち溢れたシューベルトの姿がここにある。
非常に若くして死んでしまったシューベルトだったが、この「ます」を作曲してからまだ約10年も活躍できた。
シューベルトが最も幸福感に満たされていた頃の作品と言っていいだろう。
全体は5つの楽章からなる点もかなりユニークである。
演奏時間は約40分弱。あの弦楽四重奏曲「死と乙女」よりは多少短いが、ほとんど同じ長さである。
奇しくも自身が作曲した歌曲のメロディを引用した室内楽の傑作2曲が、曲想が明暗が際立つ対照的ながらも、演奏時間はほぼ同じいうことだ。この偶然には注目したい。
楽章ごとの概要と解説
【第1楽章】 約13分半
アレグロ・ヴィヴァーチェ イ長調、4分の4拍子、ソナタ形式 。
この第1楽章の魅力は抗しがたい。素晴らしい音楽だ。
冒頭ピアノと弦が一体となって、いかにも健康的な伸びやかなメロディが一斉に堰を切ったように流れ始める。
「流れ始める」というのがポイントだ。まさしく鱒の群れが川の中で、気持ち良さそうに泳いでいる様を描写するような音楽なのである。
後述するようにこの「ます」というタイトルは、もちろんシューベルト自身の歌曲「ます」のメロディが用いられているからであり、弦楽四重奏曲の「死と乙女」と全く同じ関係にある。
肝心要の「ます」のメロディは中々出てこないのだが、この第1楽章を聴けば、誰だって、透き通った川のせせらぎの中で、優雅に泳ぐ鱒の群れを連想できるに違いない。
それくらい、川のせせらぎとその中で泳ぎ回る鱒を描いた描写音楽の一級品である。
実に清々しくて、気持ちのいい曲だ。
【第2楽章】 約7分
アンダンテ ヘ長調、4分の2拍子、二部形式。
このアンダンテがまた絶妙で、聴く者を虜にしてしまう素敵な音楽だ。
ヘ長調ならではの幸福感に満たされる曲。スピーディに動き回る第1楽章の機敏な動きの鱒に対して、こちらの鱒は非常にゆったりとしている。落ち着いたまったりとした雰囲気が何とも心地良い。
【第3楽章】 約4分
スケルツォ:プレスト - トリオ イ長調(トリオはニ長調)、4分の3拍子、複合3部形式。
かなり短い曲ではあるのだが、前半は鋭いリズムに刻まれる少々激しい音楽で、後半は優美な音楽が流れ出すという欲張りな第3楽章。この2種類の異なる旋律が絶妙に絡み合う様子を楽しみたい。
【第4楽章】 約8分
主題と変奏:アンダンティーノ - アレグレット ニ長調、4分の2拍子、変奏曲形式。
ここにシューベルト自身が作曲した有名な歌曲「ます」のメロディが出現する。漸く現れるあの快活な「ます」のメロディだ。
このメロディが流れ始めるとやっぱりホッと安堵感が広がり、更に幸福感が充満することになる。至福の8分間だ。
弦楽四重奏曲の「死と乙女」と同様にこの楽章は変奏曲で、「ます」のメロディが変奏されていく。6つの変奏が次々現れる。非常に分かりやすく、気持ちも高揚していく音楽だ。
【第5楽章】 約6分
フィナーレ:アレグロ・ジュスト イ長調、4分の2拍子、自由なソナタ形式。
細かいリズムで彩られ、機敏に動き回る鱒の様子を少しユーモラスに描いているかのよう。後半に現れる軽やかにして雄弁なピアノが、元気たっぷりに動き回る活発な鱒をお茶目に描写する。愛着を感じるかわいらしい音楽だ。
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第4楽章で漸く現れる「ます」のメロディ
前述のとおり、有名な歌曲「ます」のメロディは、漸く第4楽章に至って現れる。
これはちょっと意外な感じがする。そもそもこの40分間も所要時間がかかるピアノ五重奏曲が5つの楽章から成り立っているのも変則的なのだが、曲のタイトルの所以となった「ます」のテーマが、漸く第4楽章に至って現れることに、先ずは驚かされる。
第3楽章が終わった段階で、既に25分が経過。25分というのは相当な時間だ。
初めてこの曲を聴いた人は、あの有名な快活な「ます」のメロディは一体どこで出てくるんだろうと、延々と待たされることになる(笑)。
曲を聴き始めて25分を経過した後で、漸く現れるのだ。待ち時間の限界をもう遥かに経過している(笑)。
あり得ないこと。本当に不安になってくること必定だ。
一体どうなってるの?初めて聴いた人は、誰だってそう思う。
弦楽四重奏曲の「死と乙女」の方は、歌曲のメロディが第2楽章で現れるので、全く問題ない。10分ちょっとの第1楽章に続いて直ぐに現れるのに、どうして「ます」では第4楽章、25分も待たせるのか、不思議でならない。
シューベルトという作曲家は、思っている以上に、かなり個性的な思い切ったことを大胆に実行した人である。
ある種の実験精神というか、そういう進取の気構えが非常に強い人だったことは間違いない。
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「ます」のメロディだけでなく、曲全体で鱒を表現
この曲を何度も何度も聴き込んだ僕が思うに、この曲のタイトルは、有名な歌曲「ます」が第4楽章に使われているからではなく、シューベルトはこの40分間に及ぶ曲の全体を通して「鱒」を描きたかったに違いないと思えてくる。
「ます」の出て来る第4楽章だけではなく、どの楽章を聴いても、鱒の雰囲気を感じてしまうのである。シューベルトが描いた鱒の5変化と呼んでもいいのかもしれない。
そのいずれもが明るくて快活だ。「死と乙女」が4つの楽章の全てが短調で書かれている珍しい曲だと紹介したが、この「ます」は全く逆で、5つの楽章の全てが長調で作曲されている。
本当に何から何まで対照的なペアのような2曲なのである。
本当に気持ちのいい幸福感に満たされる音楽
その「ます」が、シューベルト自身にとってはもちろん、我々クラシック音楽ファンにとっても、幸福感と明るい未来の象徴となったことは嬉しい。
本当にここには明るく屈託のないシューベルトの真骨頂が思う存分示される。明るいシューベルトのいいところだけが全面に出た稀有な音楽だ。
4本の弦楽器にピアノが加わっただけの小編成の音楽が、抜群の幸福感に満たされていて、聴く者全てをありったけ幸せな思いにさせてくれる。
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鱒は青春を謳歌する若者たちの姿
「鱒」を描きながらも、この鱒が青春を謳歌する若者たちに他ならないことは明らかだ。
この弾けるような新鮮で若々しい音楽は、青春そのもの。「青春の勝利」と呼んでしまいたい。
ここには屈託のない明るい未来がキラキラと光り輝いている。いつ消えてしまうか分からない脆弱な青春の輝きなのだが。
その一瞬の輝きを見事に音にすることに成功した稀有な音楽で、今は思う存分に青春を謳歌してほしいと願わずにいられない。
やがてその「青春の勝利」のたどり着く先は、「死と乙女」の世界になっていく。
しかし、そのことはしばし忘れて、今は「ます」の世界を存分に味わうべきだ。
演奏はブレンデルとクリーブランドSQが傑出
名曲だけに録音は多いが、昔からの名盤はかなり入手困難となっている。
そんな中にあって、究極の名演として非常に高く評価されているのが、アルフレッド・ブレンデルがピアノを弾いたクリーブランド弦楽四重奏団(コントラバスはデマーク)の演奏。
これが最初に世に出た時の大絶賛ぶりは今でも鮮明に覚えている。その後、これを凌ぐ演奏には遭遇していない。
ブレンデルのピアノがいつもの深刻さが消えて、心に気持ち良く響く最高の演奏となった。クリーブランドSQの面々との息もピッタリだ。
軽快な躍動感の中に潜む静けさが絶妙で、「ます」を聴くならこれを聴かないわけにはいかに超名盤。
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暗の極致「死と乙女」と明の極致「ます」の両方を聴いてほしい
ということで、同時に配信した弦楽四重奏曲の「死と乙女」とピアノ五重奏曲の「ます」。
片や暗さと絶望の極致。片や明るさと希望の極致。そのいずれも若きシューベルトが作曲したものだ。
このシューベルトいう作曲家の振幅の幅に呆気に取られ、戸惑ってしまうばかりだが、真の芸術家はこういうことをやってのけるし、逆に言えばこうしないと精神の均衡が保てないのではないかと思ってしまう。
あの手塚治虫が正にその典型だ。あれだけの未来志向の健全なヒューマニズムを描く一方で、目を覆うような暗くて残酷な世界を描いた。その表現の振幅の幅が広ければ広いだけ、人間の本質をしっかりと見ているなと弾き付けられてしまう。
手塚治虫だけではない。大作曲家もシューベルトに限らず、どんな作曲家もみんなやっていることだ、と言ってしまえばそれだけのことかもしれない。
バッハにも「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」もあれば、一方で「クリスマス・オラトリオ」もある。「ロ短調ミサ曲」のように1曲の中に、極端なまでの明暗の両面が含まれている作品もある。
モーツァルトも「ドン・ジョヴァンニ」の一方で、「フィガロの結婚」も書いた。
どんな作曲家でも暗い曲も作曲すれば、明るい曲も作曲する。そういうものなのだが、それにしてもシューベルトの場合には、その違いが際立ち過ぎている。
しかも今回の「死と乙女」と「ます」の2つの室内楽に関していうと、同じように歌曲から引用された曲でありながら、極端なまでに明暗が際立っており、それだけにその対比が興味深い。
このどちらもがシューベルトである。
この両方を聴いて、シューベルトの神髄をトコトン味わってほしい。実に贅沢な時間となるに違いない。
☟ 興味を持たれた方は、どうかこちらからご購入をお願いします。
本文でも触れたブレンデルのピアノ、クリーブランド弦楽四重奏団による大変な名演です。
1,530円(税込)。送料無料。
但し、こちらは店頭にある残り1枚の模様。直ぐになくなってしまう可能性がありますので、お早めに。
【新古品(未開封)】【CD】ブレンデルシューベルト:ピアノ五重奏曲「ます」/モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番 [UCCS-50067]
1,650円(税込)。送料380円。
シューベルト: ピアノ五重奏曲「ます」/モーツァルト: ピアノ四重奏曲第1番[CD] [SHM-CD] / アルフレッド・ブレンデル (ピアノ)
「死と乙女」でも紹介したドイツグラモフォン盤。エミール・ギレリスとアマデウス弦楽四重奏団の演奏。こちらも中々の名演。「死と乙女」のカップリングは本当に嬉しい限り。
★CD / エミール・ギレリス、アマデウスSQ / シューベルト:ピアノ五重奏曲(ます)、弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」 (解説付) / PROC-1539