目 次
感情の起伏が激し過ぎる作曲家シューベルト
このところ集中的にシューベルトの作品を取り上げてきたが、それらの多くは極端に暗かったり、逆にあまりにも屈託のない明るさに満ち溢れたものなど、シューベルトという作曲家がいかに感情の起伏の激しい情緒不安定な作曲家であったかを裏付けることになりかねないと、内心密かに危惧している。
死の直前に作曲した「弦楽五重奏曲ハ長調」や「歌曲集 白鳥の歌」が到達した芸術的な高みは比べるべきもない至高なものだが、いかにも暗い。慟哭の極みのような音楽であった。
そして弦楽四重奏曲「死と乙女」のあまりの暗さと苦悩の深さに絶句させられる。その一方で、ピアノ五重奏曲「ます」の天真爛漫な明るさと幸福感に満たされた音楽。
感情の起伏というか、揺れ幅が半端なさ過ぎるのである。
元々芸術家は繊細極まりない神経を持ち合わせており、その中にあって特にクラシック音楽の大作曲家は、そういう特別な感情と感性、神経の持ち主でないと到底ままならない人たちであって、決してシューベルトは異常なわけでも、特別なわけでもないのだが、僕の紹介はそのあたりの激しい感情の起伏を過度に強調し過ぎてしまったのではないか、といささか心配だ。
シューベルトは必ずしもこんな感情丸出しの作曲家ではない。単なる喜怒哀楽の激しい芸術家ということではなく、シューベルトは最も深い意味で他のどんな作曲家よりもデモーニッシュな作曲家だったのである。
もっと人間的な器の大きさとおおらかさを感じさせてくれる作曲家なのである。
そのあたりのシューベルトを知ってもらうために、今回は交響曲の大作「ザ・グレート」を取り上げる。
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上機嫌のシューベルトを堪能できる至高の名曲
この良く知られた交響曲は、いかにも感情のバランスの取れた人間的な大きさとおおらかさ。そして何よりも上機嫌なシューベルトが全面に打ち出される。
非常にバランスの取れたシューベルトの全作品を通じても屈指の名作であるばかりか古今のあまたある交響曲の中にあっても傑作中の傑作として知られているものだ。
気宇壮大にして、実におおらかなスケールの大きな音楽。全体的に躍動的なリズムに彩られ、若々しい生命の躍如とエネルギーが充満し、実に快活なエネルギッシュな音楽で狂喜乱舞、どこまでも上機嫌なシューベルトがここにいる。
それでいていかにもシューベルトらしい天衣無縫な大胆な転調と色彩的な和声で彩られており、この曲には他のどんな作曲家の交響曲にもない革新的な新しい音楽が備わっている至高の作品だ。
狂喜乱舞する激しいリズムの饗宴と、ルール破りの大胆な転調など革新的な音楽に、聴く者は圧倒されてしまう。
シューベルトのイメージを大きく覆す力強さとエネルギーに満ち溢れ、包容力に満ちた男らしい音楽が約1時間に渡って鳴り続ける。
シューベルトのいいところがギッシリと詰まっているどころか、古今東西のありとあらゆる交響曲の中でも、特別な至高の作品となった。
シューベルトの神髄を知りたいと思ったら、この「ザ・グレート」を聴かないことには始まらない。
裏返して撮影。収録された曲や演奏時間などを確認することができる。
「ザ・グレート」との出会いについて
僕がこのシューベルトの「ザ・グレート」の素晴らしさを知ったのは、実は比較的最近のことだ。最近とは言っても15年から20年は経つだろうが。
それだけではなく、シューベルトの作品の中でも、この傑作が僕の中で重要視されることはかなり遅かった。
シューベルトの音楽に深く親しむようになってからも、かなり後の方でこの曲を聴くようになり、聴き始めてからも、この曲の良さを思い知らされるようになるまでには、かなり時間がかかったというわけだ。
というわけでこの「ザ・グレート」は、聴いて直ぐにその良さが分かるという取っつきやすい音楽では決してない。
だが、一旦、この曲の良さに開眼すると、本当に好きでたまらなくなる。シューベルトを何か聴いてみようと思う時、僕はかなりの割合でこの曲に手が伸びてしまう。
それだけではなく、不思議なことにハッと気がつくと、僕の頭の中で無意識のうちのグルグルとこの曲の節(メロディ)が良く鳴っていることに、気がつかされることがしばしばある。
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交響曲第8(9)番「ザ・グレート」の概要
このシューベルトの最後の大交響曲が第9番なのか、8番なのかという議論があるのだが、そのことは後で触れるとして、先ずはこの第交響曲の歴史的な経緯を最初に述べておこう。
シューベルトの死後、埋もれていた
この曲を巡って一番重要な点は、これだけの力作、名曲でありながら、シューベルトの生前に演奏されることはなく、死後埋もれてしまい、すっかり忘れさられてしまっていたことだ。
作曲されたのは1825年から26年にかけて。シューベルト28歳から29歳、死の2年前のことである。
ところが、この曲が生前に演奏されることはなかった。
なぜ演奏されなかったのか?
そもそもこれだけの大作、傑作だったにも拘らず、どうしてこの曲は演奏されることがなかったのか?
シューベルトはこの曲の楽譜を作曲直後の1826年にウィーン楽友協会に提出し、受理された。ところが、何と演奏困難という理由で演奏されることはなく、シューベルトはわずかな謝礼をもらったという。
1828年にも再度、同協会に提出するも全く同じ理由で演奏されることなく、シューベルトは死んでしまう。
何とも残念極まりない話で、涙が込み上げる。
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シューマンが発見し、知られるように
それを発見し、再び世に放ったのがあのシューマンだ。
シューマンが1839年にシューベルトの自筆譜を発見し、世に知られるようになった。
シューマンがシューベルトの墓を訪れた際に、シューベルトの自宅に立ち寄り、シューベルトの机の上でほこりをかぶっていた長大な交響曲を発見したという。
シューマンはこの交響曲を演奏したいと強く願って、その初演をあのメンデルスゾーンに依頼した。
メンデルスゾーンによる初演
メンデルスゾーンによる初演は1839年3月21日。今も続く名門オーケストラ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が担った。シューベルトが作曲してから13年後、シューベルトが死んでから11年後のことであった。
シューマンもシューマンだが、メンデルスゾーンもメンデルスゾーン。どちらもシューベルトに続くドイツロマン派音楽の巨頭だが、メンデルスゾーンといえば、あの大バッハの「マタイ受難曲」を復活蘇演(1829年)し、バッハそのものを忘却の彼方から復活させた音楽史上の大恩人。
バッハの「マタイ受難曲」の復活蘇演だけではなく、シューベルトのこの大交響曲もメンデルスゾーンが最初に世に放った。
メンデルスゾーンはバッハを蘇らせ、シューベルトの「ザ・グレート」の初演を担当するなど、音楽史上の絶大な貢献は計り知れない。
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シューマンのこの曲の紹介と評価
実は、シューマンはメンデルスゾーンによるこの曲の初演には立ち合えなったのだが、翌年の2回目の蘇演は聴くことができた。
シューマンは、この曲を称してジャン・パウルの小説にたとえて「天国のように長い」と絶賛したことは良く知られている。
ちなみに、シューマンは当時最高の最高の音楽評論家としても知られ、そのシューマンの残した優れた音楽評論は、現在でも岩波文庫で簡単に読むことができる。「音楽と音楽家」。吉田秀和の訳である。
その中の、第四部 1840年ー1843年の冒頭に、1フランツ・シューベルトのハ長調交響曲として収録されている。10ページ程の記事である。
この10ページの冒頭に、シューマンがシューベルトの実家で発見した楽譜のエピソードも詳細かつ感動的に書かれているので、興味のある方は是非オリジナルを読んでいただきたい。
少し引用してみる。
「(前略)この交響曲をきいてみたまえ。このなかには堂々たる音楽史上作曲技術以外に、多種多様多彩を極めた生命が最も微妙な段階に至るまで表されている上に、至るところ深い意義があり、一音一音が鋭利を極めた表現をもち、そうして最後に全曲の上には今までのすべてのフランツ・シューベルトの曲によってなじみが深いロマン性がまきちらされている。
→ (この直後に、あの有名なくだりがくる)
その上、この交響曲は、ジャン・パウルの四巻の大部の小説に劣らず、天国のように長い。(中略)
この曲がドイツに根を生やすまでにはまだ幾年もかかるだろうが、忘れられたり見失われたりする心配に至っては、全然ない。この曲は永遠の青春の萌芽を含んでいる(後略)」
(後編に続く)
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カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルによる名演。「未完成」とのカップリングも嬉しい。
シューベルト:交響曲第8番≪未完成≫ 第9番≪ザ・グレイト≫ [ カール・ベーム ]
☟ シューマン「音楽と音楽家」(吉田秀和訳)
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音楽と音楽家 改版 (岩波文庫 青502-1) [ シューマン ]