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10月に入って、何故か路線バスの運転士名が一斉に撤廃
驚かされたことがある。職場通勤で平日に毎日使っている路線バスから運転士の名前を表示されたプレートが一斉に撤廃された。
最初に気が付いたのは10月2日の月曜日の朝のことだった。
いつものとおり職場の病院に向かうため地元のバスに乗り込んで、今日の運転士は誰だろう?と名札が掲げられている正面の窓の上の名札を確認しようとしたところ、何故か名札(氏名プレート)が入っていない。氏名プレートが差し込まれる部分に名札がないことを発見した。
あれ!?運転士が名札を掲げるのを忘れたんだな。困ったもんだと思った。
だが、冷静に振り返ると、この路線バスに乗るようになって2年半が経過したのだが(それは今の病院の勤務期間と当然のことながら一致する)、この間、こんなことは一度もなかったのだ。
それ位このバス会社の運転士が名札をちゃんと表示することは徹底していた。他のことでは非常に不満の多いバス会社だったが、氏名表示は実にお見事、表示されていなかったことは、僕が乗った際には一度もなかった。
だが、まあそういうこともあるのだろう、所詮人間がやることだからミスや失敗は付き物だ。
大して気にも留めていなかったのだが、帰りに乗った際にも、氏名プレートが掲げられていなかった。
うん?これはおかしいぞ。たまたまの偶然だろうか?俄かに気になってくる。
翌日の朝、またいつものとおりバスに乗った。やっぱり氏名プレートは掲げられていなかった。これは変だな。表示の位置が変わったのかとキョロキョロと見渡すが、どこにも運転士の氏名を表示するものはなかった。その日の帰りもなかった。
乗車の都度、運転士名を確認し評価するのが常
何故、そんなことが気になったのかというと、僕は職場の病院への通勤に使っている路線バスの運転士の名前を、乗車する都度、必ず確認していたからなのだ。ほとんど習慣となっており、この習慣を欠かしたことは一度もない。
そして、運転士毎にその運転士の特徴をスマホのメモに書き留めていた。言ってみれば自分の乗っているバスを運転している運転士の評価を、毎回必ず行っていたというわけだ。
「うわぁ!熱々たけちゃんって、そんなことをしているんだ。嫌な奴。陰険な奴!」と言われてしまいそうだが、そうは言うなかれ。
こんなことを毎回やっているには、それなりに訳があるのである。
一見、陰湿とも取られかねないことをやるには、僕の方にも理由があった。
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運転士毎にあまりにも対応が違い過ぎる驚くべきバス会社
この千葉県の民間のバス会社、今回はそのバス会社の社名は伏せておこうと考えているが、ハッキリ言って非常に問題のあるバス会社だと思っている。
というのは、運転士毎にあまりにもバラバラなのである。運転技術も乗客に対しての対応や接遇面も。
ここまで統一されていないバラバラの運転士を抱えているバス会社は初めてである。このばらつきが凄まじい。
一言も喋らない感じの悪い運転士
僕が今の病院に勤務し始め、病院までの往復にこの路線バスに乗るようになって、先ずビックリさせられたのは、信じられない位に感じの悪い運転士がたくさんいたことだ。
病院の最寄り駅がバスの始発になっていて、終点が職場の病院である。バス停の数は便によって2パターンあるのだが、6つまたは7つしかなく、時間的には10分から15分程度。乗っている時間は決して長くない。
ところがその10分から15分の間、つまり始発から乗って終点で降りるまで、全く一言も喋らない、つまり全く車内アナウンスをしない運転士がいるのである。
乗客が降りるときに「ありがとうございました」の一言もないどころか、始発で暫く止まっていて出発する時も「お待たせいたしました」の一言もない。
それは徹底していて、乗客が降りる際に「ありがとうございました」と客の方がお礼を伝えても、完全に無視して知らん顔をしているのである。
こんなバスに乗ったのは初めてだった。僕は日本全国あっちこっちに住んだ経験があるので、様々な路線バスを利用してきたのだが、こんなひどいバスには初めて乗った。
ひどいレベルの路線バスがあったもんだとビックリしてしまったのだった。
そこで、僕は先ず「全く話さない運転手」というタイトルを付けて、そのようなあまりにも感じが悪く、接遇面で大きな課題を抱えた運転士をメモすることにした。何人もいたのである。
その一方で、かなりしっかりとしたまともな運転手もたくさんいることも分かってきた。
非常に感じの良い乗っていて思わずハッピーな気分にしてくれる得難い運転士も、中にはいた。
要はこの会社のバスの運転士の資質はあまりにもバラバラであり、全く統一が取れていないということなのだ。
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運転中ひたすら喋り続ける運転士
驚くのはこれだけじゃない。
「全く話さない運転手」がゴロゴロいる一方で、その究極の対立軸として「あまりにも話し過ぎる運転手」がいることも判明した。
出発してから到着するまでの間、とにかくひたすら話し続ける運転士である。「お持たせいたしました。本日は○○バスにご乗車いただきまして誠にありがとうございました」を皮切りに、それはもちろんいいとして、その後も何だかんだとひたすらマイクで喋り続けるのである。
「運行には安全運転を心がけておりますが、やむを得ず急ブレーキをかけることがございます。お立ちのお客様はつり革手すりなどにおつかまりください」「右に回ります。ご注意ください」などなど、それらを常にご丁寧にも決まって2回繰り返すのだ。
出発点から終着点までの約15分間を、片時の空白時間もなく、ひたすら喋り続けている。いや、こう言っては失礼だろう。彼には決して悪気はないことは分かっている。ひたすら注意喚起をし、安全を呼びかけ、乗車への感謝を表明している。
だが、いくら何でも度が過ぎる。僕は本当に心から思う。「しばらく口を閉じて、運転にハンドルさばきに集中してくれないか」と。本当にうるさくて困ってしまう。
ハッキリ言って耳を塞ぎたくなってしまうのだ。
対応があまりにもバラバラ。これは個性の尊重なのか
ということで、このバス会社には「一言も全く話さない運転士」もいれば、「運転中に終始喋り続けている運転士」もいるのだ。
要するに運転士を完全に放し飼いにし、好きなように放置しているのである。
普通は路線バスを運転するにあたって、「乗車案内等のマニュアルの類」があって、それに則って、全ての運転士が同じ車内案内をするように教育し、研修していると思うのだが、どうもそうじゃないみたいなのである。
マニュアルがありながらも、それが極端なまでに不徹底になっているのか、それならそれで大問題だが、あれだけ運転士によって対応がバラバラだと、どうしてもマニュアルに基づいて教育をしているとは到底思えない。
運転士一人ひとりの個性を重んじている、とでも言うんだろうか。
そんな「個性豊かな様々な運転士」との驚きの出会いがあって、僕は何時の間にか、乗車する都度、必ず運転士の名前を確認し、一人ひとりの特徴をメモするようになっていたのである。
僕のスマホにはそれら運転士の問題点がびっしりと記されたメモがある。併せてその運転士が何回目の乗車であるかも記録してある。
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運転士毎の対応の違いが全くなかった福岡の路線バス
実は、以前単身赴任していた福岡県で、驚嘆するしかないすごいバス会社があったのだ。これは名前を出してもいいだろう。西鉄バスだ。
僕が一人暮らしをしていた筑紫野市から福岡空港に行くために、博多までしばしば路線バスを使っていた。
この西鉄バスの運転士のスキルは本当に驚嘆すべきもの。バスに乗る度に舌を巻いてしまう程、ビックリさせられた。
実に感じが良くて、接遇面には一切不満の余地がない。どの運転士も決まっていかにも感じが良くて、痒いところに手が届くきめの細やかさが身上。
しかも一番驚くべきことは、どの運転士もその車内案内とアナウンス内容が完全に統一されていて、違う運転士の運転するバスに乗っているにも拘わらず、いつも最高に感じの良い同一のサービスを受けていたことだ。
僕は西鉄バスに乗る度に心から感心し、西鉄バスの幹部にどのように職員教育を行っているのか、ここまで徹底して見事な接遇サービスをどうやって実現させ、維持させているのか、その教育システムの秘訣を教えていただきたいと切望し、具体的に教育システムをご教示いただこうと考えた程だった。
結局、僕が東京に戻ることになってその企画は実現しなかったが、今思い起こしても、どうしてあのようなことが可能だったのか、その西鉄バスの教育と人材育成のノウハウとポリシーが気になって仕方がない。
それだけに、この千葉県のバス会社の運転士たちに呆れると同時に、会社の教育システムと人材育成をどう考えているのか、こんなこと恥ずかしくないのかと大いに失望してしまう毎日だった。
そんな中で、10月に入って突然、運転士の名前表示が一斉に撤廃されてしまった。
その後も、この路線バスの運転士の対応のあまりにもバラバラな点は、一向に変わる向きはない。
僕は乗車の度に呆れながらも、今では運転士の名前を確認することもできずに、毎日苛立ちだけが増幅されていく。
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住まいの地元のバス会社からもネームプレートが消えた
実は、路線バスから運転士のネームプレートが10月から消えてしまったのは、職場のある千葉県の路線バスだけではなかったことが判明した。これを確認したときには衝撃が走った。
僕が住んでいる地元の路線バスからも名前の表示が消えてしまっていた。
僕が東京都の町田に住んでいることは、このブログの中では既に何度か触れているので、バス会社を隠しても意味がない。町田市は東京都でありながら、横浜市(神奈川県)の一部のように見られていることが多く、町田市内を走り回っている膨大な量の路線バスは、何故か「神奈中」なのだ。「神奈川中央交通」。
その神奈中からも運転士のネームプレートが撤廃された。神奈中は職場の千葉県のバスほど運転士によるバラツキはなくて、福岡の西鉄バスほどではないまでも、それなりの水準が保たれている。
したがって、このひどい運転士は誰なんだ?と気にすることもなく、ネームプレートが撤廃されていることに気が付かなかった。
たまたま確認したら、ネームプレートが外されており、「ええッ!?神奈中よ、おまえもか」と声を上げてしまった。
これは偶然とは思えない。何らかの意図を持って、10月から一斉に運転士のネームプレートが撤廃されたのだ。
なぜ?どうしてそんなことになったのか?
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路線バスの運転士のなり手がないという窮状
路線バスの運転士のなり手がないことが大きな社会問題となっていることは周知のとおりである。その運転士の激減を受けて、日本全国、貴重な路線バスがドンドン廃線に追い込まれている。
高齢者ドライバーによる悲惨な交通事故の増加もあって、高齢者の運転免許証の返納を促進させたい一方で、地域住民、特に高齢者の貴重な足である路線バスがなくなっていくことは深刻な問題で、高齢者にとっては死活問題である。
日々の生活ができないことを意味する。
それも全て、路線バスの運転士が激減していることが最大の問題。運転士が高齢化して引退して一方で、運転士のなり手がない。減る一方なのだ。正に人材の確保困難ということだ。
人材確保困難と指名表示の撤廃は関係しているのか?
僕が気になるのは、この点だ。路線バスの運転士のなり手がないことで、路線バスが縮小を余儀なくされている中での、路線バスの運転士のネームプレートの全面撤廃。
この両者が無関係だとは到底思えないのである。この二つの事項は偶然なのだろうか?
バスの車内に運転している運転士の名前を表示することが、運転士にとってはプレッシャーとなって、それが運転士のなり手を減らす要因の一つになっているのではないかということだ。
現に僕のように運転士ごとの勤務評定というか、良し悪しをメモしている乗客がいるわけで、車内に自らの名前を掲げることが、嫌がられる風潮があるのではないか?
そう思われてならない。
いずれにしても、どうして突然ネームプレートの完全撤廃などということが起きたのだろうか?
ネットで色々と調べてみた。意外にも直ぐにネームプレート撤廃の理由が判明した。
何と、何と。これにもびっくり仰天してしまった。
(続く)
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