目 次
坂本龍一がとうとう亡くなってしまった
あの坂本龍一がとうとう亡くなってしまった。令和5年(2023年)3月28日のこと。享年71歳。まだまだ若い。本当に残念でならない。
坂本龍一ががんに罹患していたことは本人も告白していて、日本人なら誰でも知っていた。
ニューヨークが生活の拠点となっていた坂本龍一は、がんの治療もニューヨークで行っており、その後、どうなっていたんだろうと心配していたが、活動を少しずつ再開しており、がんを克服したものと喜んでいたのも束の間、最後は一気に死に追い込まれてしまった感がある。
突然の訃報に衝撃を隠せなかった。再起を期待していただけに、本当に残念でならない。
71歳はまだまだ若い。最後は「もう楽にしてほしい」と哀願したことが伝わって来るにつけ、かなり厳しく、辛い闘病となったようだ。
胸が詰まる。ご冥福をお祈りしたい。
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実に興味深い自伝が新潮文庫として緊急出版
訃報が届いた直後から大きな書店に行くと、坂本龍一の追悼本が山積みになっていた。
そんな中にあって真っ先に手が伸びてしまったのが、今回取り上げた文庫本であった。
今まで見たことのない文庫本。新潮文庫の一冊だった。
あれ、坂本龍一の本が新潮文庫で出ていたかなあ?と訝しくも手にすると、訃報直後に緊急出版的に世に出たものであることが分かった。
元々、この坂本龍一の自伝は新潮社から出版されていて、それが逝去を契機に文庫化されたものと判明。
オリジナルの自伝の存在も知らなかったのは恥ずかしい限りだったが、ページを捲るとその読み易いことと、内容のおもしろさに一気に引き込まれ、迷わず購入することに。
文庫化は、実にタイムリーな素晴らしい英断。
新潮社に感謝したい。
そして何よりも嬉しかったのは、その内容が本当に興味の尽きない、めちゃくちゃおもしろい自伝だったことだ。本当にこれはお薦めの1冊である。
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坂本龍一「音楽は自由にする」の基本情報
新潮文庫。令和5年5月1日発行。僕が購入した本は5月15日発行の2刷である。
冒頭に「はじめに」があり、本文は5つの章立てとなっている。正に自伝であり、それは年代別にチャプターされている。
1 1952−1969
2 1970−1977
3 1978−1985
4 1986−2000
5 2001−
あとがきと、最後に年譜が付いている。
最終ページは331ページ。
それぞれの章は5つから8つのチャプターに別れ、タイトルが付いている。
例えば、「YMO、はじまる」「YMO、世界へ」「反・YMO」といったいった具合で、それぞれの見出しに通し番号が付けられている。
ちなみに全体は27のチャプターに分かれている。
すなわち、5章27編という全体像である。それに「はしがき」と「あとがき」、「年譜」が付いた330ページとなる。
オリジナルの単行本は2009年2月に新潮社から刊行された。内容的には、2008年、坂本龍一57歳までの自伝となっている。
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坂本龍一というミュージシャンの特異性
坂本龍一が広く知られるようになったのは、もちろんYMOことイエロー・マジック・オーケストラを通じてである。
YMOのメンバーは3人いてリーダーはギターの細野晴臣。ドラマーの高橋幸宏がいて坂本龍一はキーボードを受け持った。
細野晴臣も高橋幸宏も完全にポピュラー音楽の出身なので、坂本龍一もそうに違いないと、当然思われていたのだが、坂本龍一というミュージシャンは本当に変わっていて、完全にクラシック畑の人だったのだ。
YMOで躍り出たが、クラシック出身
これを先ずは最初に認識してもらわないと、話しが先に進まない。
クラシック畑の出身と言っても色々な経歴を持った人が様々いるわけだが、坂本龍一は東京芸大の作曲科を卒業したクラシック音楽の超エリートなのである。
つまりクラシックの大作曲家の系図に繋がっていく、バリバリのクラシック音楽の作曲を学んできた人物なのだ。
ピアノ科でもなく作曲科というのは、クラシック畑の中でもとりわけクラシック音楽の中核に位置しており、その卒業生はポピュラー音楽、J-ポップなどとは最も距離のある縁もゆかりもない「正統派作曲家」と思われても不思議がない、エリート中のエリートなのである。
如何にクラシックの世界に入り、如何に離れたのかを明かす
したがってこの自伝の大半は、坂本龍一が如何にして東京芸大の作曲科に進むクラシック音楽家としての坂本龍一の誕生と、クラシック音楽の頂点を学んできたにも拘わらず、その世界を突き進まずにどうしてポピュラーの方に身を置くことになったのかという深い謎について本人自身の口から語られることになる。
それが本書の中核部分であり、その部分が実に興味深いのである。
バッハやドビュッシーに心を奪われ、ピアノを演奏しながら、自らも作曲を志し、音楽を志す者にとって極めてハードルの高い超エリートコースの東京芸大の作曲科に進みながらも、テクノポップというポップスに身を投じるという異例のコースを辿った坂本龍一の生きざまが、何とも興味深い。
そして、クラシック音楽とポピュラー音楽との垣根を外し、偏見を取り除こうとする歩みでもある。
坂本龍一はYMOで一緒にバンドを組むことになる細野晴臣や高橋幸宏を音楽的にリスペクトしているのだが、その前に知り合った山下達郎や矢野顕子の音楽を知って、当然のことながら
「ぼくが昔から聴いて影響を受けてきた、ドビュッシーやラヴェルやストラヴィンスキーのような音楽を全部わかった上で、こういう音楽をやっているんだろうと思っていたんです。」
ところが全くそうではなく、そんなものは全く知らず、音楽理論も全く勉強したことがないということを知って、衝撃を受ける。
そうやって我々が良く知っているYMOの世界に歩み寄ってくるのである。
このあたりの感動とおもしろさは、実際に読んでもらうこしかない。
本当にめちゃくちゃおもしろくて、僕は夢中になって一気に読んでしまった。
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編集者に語った非常に読みやすい文章
この坂本龍一の自伝の最大の特徴は、とにかく読みやすくて、すらすらと頭の中に入ってくること。
元々が坂本龍一が本として書いたものではなく、信頼できる編集者に語ったもののようだ。
それを編集者がまとめたものなのだが、本当に読みやすくて、分かりやすい、実にいい文章だ。
坂本龍一その人が目の前にいて、自分に語りかけてくれているような、非常に親近感のある親しみやすい文章が続いていく。
それでいて、内容は深い。かなり深いのである。
しかも坂本龍一が亡くなったことを受けて、急遽、緊急的に新潮文庫となって発刊されたのだが、この新潮文庫の体裁が実に気の利いたもの。
大き目なフォントといい、人物や事項の「用語解説」なども実に充実していて、非常に好感の持てるもの。
余白も非常に潤沢に取っていて、これが読みやすさに拍車をかけてくれる。
坂本龍一の生涯の何とも波乱万丈の興味深さとおもしろさも相まって、一気に読めてしまう代物だ。
僕も夢中になってホンの数日で読み終えることができた。
YMOの微妙な人間関係も描かれる
YMOの仲間であった細野晴臣や高橋幸宏への、ちょっと微妙な人間関係もあからさまに描かれる。
3人は決して平穏な一枚岩だったわけではなく、むしろ時に対立関係にもある非常に緊張感を伴った関係であり、その辺りの正直な思いもありのままに語られる。
坂本龍一は折に触れ、この2人へのリスペクトを表明し、音楽感の違い、求めるものの違いを感じながらも、その個性も音楽感も異なる3人が醸し出す、化学反応のような効果を大いに認めているが、実際にYMOの人気に火が付いた絶頂期には、かなり対立もし、ギクシャクした人間関係にあったことも、隠そうとしない。
リスペクトを伴いながらも、ライバル心がぎらぎらと燃え盛る、対立し合っていた3人だったのだ。
実におもしろい。
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若き日の坂本龍一の生き様に興味尽きない
本当に興味深くおもしろい坂本龍一の人生。ごく幼少の頃の話題から中学時代、高校時代と全てのエピソードに心がときめく。
坂本龍一の高校時代と芸大生としての学生時代は正に学生運動の真っ盛り、「政治の時代」だった。日本中を覆った学生運動の真っただ中に坂本龍一も身を置くことになるのだが、驚かされたのは、新宿高校時代の政治活動。
「社研」に所属し、ストライキを実行するなどかなり過激な活動を展開していたことが生々しく書かれている。
芸大に進学した後も、政治活動とアルバイトに身を投じ、芸大の授業にはほとんど出ていなかったことが良く分かる。
そういう時代だったのだ。
安部公房や大江健三郎などの文学への没頭と、映画もずいぶん観たようだ。特ゴダールに夢中になって「気狂いピエロ」以降の作品は全てリアルタイムで観たという。
本当に食い入るように読んでしまう。どのページを捲っても、若き日の血気盛んな坂本龍一の時代と自らの人生に抗う姿が浮かび上がり、興味が尽きない。
自分は何者で、どう生きるべきなのか、という自らの人生に対して自問自答を繰り返し、迷いながらも青春のエネルギーを発散させる姿に、僕自身の姿もいくらか投影させながら、それはもう夢中になって読んでしまうのである。
驚嘆すべき事実の数々に興奮が収まらない
そんな破天荒な青春時代を過ごしながらも音楽への思いについては、やはり特別な思い入れを感じることが度々だ。古今の大作曲家への思いなどは、僕が熱烈なクラシック音楽の愛好家ということもあって、どうしても興味深々で食い入るように夢中になって活字を追いかけてしまう。
数々の驚嘆すべき事実が次々に出てくるのだが、特に僕が衝撃を受けたエピソードを紹介させてもらう。
ドビュッシーへの熱愛ぶりに感動
坂本龍一がドビュッシーに寄せる異常なまでの熱愛ぶりに、同じくドビュッシーを愛してやまない僕は本当にビックリ仰天してしまった。
それにしても坂本龍一のドビュッシー熱は尋常ではない。
坂本龍一が中2の時のエピソードである。当時ベートーヴェンに夢中になっていた坂本少年は、叔父のレコード・コレクションの中からドビュッシーの弦楽四重奏曲を聴いて、ものすごい衝撃を受ける。
本文から引用する。
「それは自分の知っているどんな音楽とも違っていました。好きだったバッハやベートーヴェンとは全然違う。ビートルズとももちろん違う。聴いたとたんに、なんだこれは、と興奮して、すっかりドビュッシーにとりつかれてしまった。
あまりに夢中になってドビュッシーに共感して、自我が溶け合ってくるというか、もうずっと昔に死んでしまっているドビュッシーのことが自分のことのように思えてきた。自分はドビュッシーの生まれ変わりのようなきがしたんです。おれはなんでこんなところに住んでいるの、どうして日本語をしゃべっているのか、なんて思うぐらい。ドビュッシーの筆跡をまねて、帳面何ページにもわたってサインの練習をしたりもした。」
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三善晃との関係に衝撃
本書を読んでというか、坂本龍一の自伝を読んで、一番びっくり仰天してしまったことは、あの三善晃のことが熱く語られていることだった。
三善晃は10年程前に惜しまれつつ亡くなった日本を代表する大作曲家で、ありとあらゆるジャンルに至高の名作を残した世界に冠たる天才なのだが、実は合唱曲にとりわけ名作が多いことで知られている。
合唱に携わる人間にとって、三善晃という存在は至高の極みであり、誰一人としてその高みに近づける人はいないという合唱界にとって神なのである。
とてつもない別格的な存在なのである。
合唱界における三善晃の位置づけ
三善晃が作曲する合唱曲は、他の作曲家の作品とは芸術性と完成度が次元を異にしており、誰もが心惹かれ、愛して止まない究極の作品だ。
だが、その演奏は極めて困難を極め、アマチュア合唱団は到底手を出すことができず、高度の演奏能力と芸術性を備えた合唱団出なければ歌うことができたい大変な作品なのである。
それらの作品の忠実な再現は、三善晃の頭の中でしか達成できないと言われる程の、孤高の高みにある。
正に合唱界の神にして、三善晃の前にも後にもこれだけの人は現れない日本の合唱のレベルを究極の高みにまで引き上げた未曾有の天才だ。
僕も若い頃からずっと三善晃の合唱曲を熱愛し、憧れ続けてきたが、演奏しようと思っても、容易に近づける存在ではない。
そんな合唱界の神のことを、まさか坂本龍一が自伝の中で触れているとは、全く想像出来なかった。
YMOの坂本龍一と三善晃が結び付く何てことは、どう考えてもあり得ないことだと思っていたのだが、実は坂本龍一は三善晃のことを非常に尊敬していたのである。
何と本書の中で、坂本龍一によって三善晃への熱烈な思いが語られており、本当に腰を抜かさんばかりに驚いてしまった。
三善晃に触れている部分は数カ所に及ぶが、一番のメインの部分を引用してみる。
これが驚きの文章なのである。チャプター10の冒頭である。
本書の三善晃に関する部分の引用
『三善晃さん
日本の作曲家の中で、武満徹さんと並んでとくにすごい人だと尊敬していた三善晃さんは、当時はまだ芸大でも教えていらっしゃいました。三善さんは武満さんとはまたタイプの違う、パリのコンセルヴァトワール(国立高等音楽院)という、アカデミックな音楽の最高峰ともいうべき学校に50年代に留学した人で、高度なメチエに基づいた緻密な作風で知られています。
僕は小学校のころから松本民之助先生に師事していたので、大学に入ってからも自動的に松本先生のゼミに振り分けられて、三善先生の授業には出たくても出られずにいたんですが、4年生になって「行ってもいいよ」と言われ、三善先生の授業に行かせてもらいました。大学にはほとんど来ない方で、学生をご自宅に招いての授業でした。
先生は「君は、形というものはどうやって認識できると思う?」と実存主義のような質問をしました。僕が埴谷雄高や吉本隆明で読んだようなことを答えると、「色彩がないと、認識できないんだ」という。色彩があって初めてフォルムが認識できると。つまり、婉曲なかたちでぼくの曲には色彩がないといわれたんですが、先生のおっしゃることには説得力があって、なるほどなあと思った。ぼくはすでにアカデミックな現代音楽とは別のものに魅力を感じていたけれど、三善先生が経てきたような厳密で論理的な鍛錬の向こう側には、それに見合う自由な世界があるのだろう、とも想像していました。
ぼくは不真面目な学生で、三善先生の授業には結局その一度しか出なかったんですが、最初で最後のその授業のことは、強く印象に残っています。』
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57歳までの軌跡
このめちゃくちゃおもしろい坂本龍一の自伝は、2008年、坂本が57歳のところで終わってしまう。
したがって、ここには2011年の東日本大震災や坂本龍一のがんの話はまだ全く出てこない。
本書を読んで残念だったのは、そのことだけだ。
この先がどうしても読みたい。この後、坂本龍一はどうなって、未曾有の東日本大震災に見舞われ、自身のがんとどう向き合っていったのか、それを知りたいと切実に思った。
その続きがあると知って狂喜した
ところが、その続きが出版されていると知って思わず狂喜してしまった。やはり坂本龍一が亡くなった後に、追悼本として出版された「ぼくはあと何回、満月をみるだろう」がそれ。ハードカバーでの刊行。
早速買い込んで、現在読み続けている。これがまた実におもしろい貴重な本。
近々このブログでも取り上げる予定である。
坂本龍一の驚くべき人生
僕よりも5歳ほど年上の坂本龍一の人生は、実に驚くべきものであった。本当にこれほど夢中にさせられた本も珍しい。
このおもしろさは実際に読んでもらうしかない。この稀代のミュージシャンの生き様を辿ることは、多くの読者にとって貴重な読書体験となるはずである。
こんな風に生きられたらさぞ幸せだろう、と羨望の思いもあるが、それを言っては野暮というものだ。
坂本龍一はまごうことなき天才に外ならないが、その稀代の天才ミュージシャンも、あの頃の自分と似たような青春時代を過ごしていたんだと思うだけで、少し勇気が湧いてくる。
どうか一人でも多くの方に坂本龍一の人生と、この非常に読みやすい本の素晴らしさを知っていただきたいものだ。
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