またベートーヴェンなのかと呆れられそうだ。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲について4回連続して非常に長いブログを書いたばかりだというのに、「手塚治虫を語り尽くすシリーズ」でもベートーヴェンとは!?
この展開は想定外で、我ながらビックリしている。実は、僕はベートーヴェンを特別に熱愛しているわけでも何でもない。もちろん大好きな作曲家ではあるが、もっと好きな作曲家はたくさんいるし、このブログにここまで集中的にベートーヴェンを取りげることになるとは、本当に考えてもいなかった。
だが、一度取り上げると、やっぱり相当に深いところまで踏み込まないと、自分でも納得できない。ベートーヴェンに対しても申し訳ないという思いもあって、挙句の果てに、手塚治虫の紹介でもベートーヴェンを取り上げることになってしまった。
この手塚治虫のベートーヴェンは、手塚治虫の死の直前まで書き続けながら、結局は手塚の死によって未完となってしまった、手塚治虫にとって非常に重要な最後の作品であり、紹介するならこのタイミングしかないと判断した次第である。
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目 次
急逝によって未完に終わったベートーヴェンの生涯
手塚治虫は昭和が終わった直後の令和元年(1989年)2月9日に60歳で急逝した。
前にも一度触れたが、その急逝によって未完に終わった連載中の作品が3本あった。
今回紹介する「ルードウィヒ・B」と、「ネオ・ファウスト」、「グリンゴ」の3作品であった。
いずれも大作、意欲作ばかりで、先の展開が気になるものばかりだったので、本当に残念でならない。
その3作の中でももっともスケールが大きく、相当な大作になったに違いないと思われるのが今回紹介する「ルードウィヒ・B」である。
これはもちろんあのベートーヴェンの生涯を手塚治虫の視点と解釈で描いた大作だ。
手塚治虫には実在の歴史上の人物を描いたいわば大河マンガが何作品かある。
一番有名な作品は、あの釈迦の生涯を描いた大作「ブッダ」であるが、この「ルードウィヒ・B」も、手塚治虫の急逝がなければ、ブッダを凌ぐ程の手塚治虫の全作品の中で、最も長い大作になったのではないかと思われてならない。
というのは、未完に終わったどころか、ここにはベートーヴェンの生涯のごく若い頃しか描かれていないからだ。それでも講談社の漫画全集にして2巻というのはそれなりの長さである。
ベートーヴェンの生涯は、実に波瀾万丈であり、しかもそこにはナポレオンなど歴史上の大人物が深く関わってくるだけに、ナポレオンが登場が描かれることなく、未完に終わってしまったことは、本当に残念でならない。
しかも、その底流にあるのは、手塚治虫の完全なオリジナルの発想があって、その発想と物語の展開は誰も想像すらできないもので、史実と手塚治虫のオリジナルストーリーがこれからどう絡んでいくのか、期待に胸躍るものだけだっただけに、その損失たるや言葉にできない。
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「ルードウィヒ・B」の基本情報
手塚治虫が実在の歴史上の人物を描いた作品として「ブッダ」があると紹介したが、このベートーヴェンの生涯は、まさに「ブッダ」の連載(1972.9~83.12 12年間に及ぶ連載)が終了した後に、「ブッダ」を連載していたその出版社との約束によってもう一本、実在の人物を描くことになり、選ばれたのがベートーヴェンだったという。ウォルト・ディズニーも有力だったらしいがベートーヴェンに決まった。
その出版社というのが前に佐藤優の「プーチンの野望」でも触れた創価学会の潮出版社。そこが出していた「コミックトム」誌で「ブッダ」の連載が行われていたことは連載当時からリアルタイムで承知していたし、テーマから言っても何一つ違和感がなかったが、ブッダ連載完了後に、この潮出版社でベートーヴェンが連載されたことは認識しておらず、少し驚いている。
「コミックトム」での連載は1987年6月号より1989年2月号までの約1年半に渡ったが、手塚治虫の急逝で未完となってしまったわけだ。
時に手塚治虫は、58歳からもちろん死ぬ直前の60歳までということになる。
どんなストーリーなのか
ベートーヴェンの生涯をほぼ忠実に辿っていくが、そこに手塚治虫が全くオリジナルの架空の人物を設定し、第2の主人公とも言うべき重要な役割を担って登場してくる。
その人物とは、オーストリアの貴族フランツ・フォン・クロイツシュタインだ。
彼はベートーヴェンとは直接の関係は全くないのだが、フランツの出世時のある馬鹿げた不幸な出来事によって、「ルードウィヒ」という名前の人物に言われなき強い憎しみを抱いて成長し、ベートーヴェンの名前がルードウィヒと知って以来、敵意を丸出しにして暴力を振るい、ことごとく嫌がらせをし、ベートーヴェンのいく先々で立ちはだかる。
手塚治虫は思い切ったプロットを考え出す。こういうところは正しく天才。
ベートーヴェンの耳が聞こえなくなるあの有名なエピソードは、フランツが自分の杖でまだ少年だったベートーヴェンの顔を激しく叩き、それがベートーヴェンの耳に当たったせいだとして物語を展開していく。
これは設定としては悪くない。ベートーヴェンの耳がどうして聞こえなくなったのかを巡っては、様々な説があり、こういう設定であってもおかしくない。さすがに天才ストーリーテラーとしての面目躍如。
作品は、感動的なモーツァルトやハイドンとの出会いを始め、無二の友人となるワルトシュタイン、更に初恋の貴族の令嬢など、ベートーヴェンを巡る実在の人物との有名なエピソードをうまく盛り込みながら進んでいくのだが、そこにフランツが深く関わってくるという展開だ。
物語はその宿敵フランツの前でベートーヴェンが即興的に、有名なピアノソナタ「月光」を演奏するシーンで終わってしまう。
ピアノソナタ第14番作品27-2である。
ベートーヴェンが31歳の時のこと。前に紹介したあの初期の弦楽四重奏曲作品18全6曲の創作の後である。
ベートーヴェンと並ぶもう一人の主人公
この作品の主人公はもちろんベートーヴェンに他ならないのだが、このベートーヴェンを目の敵にする架空の人物フランツの物語でもある。
このフランツは、例の黒手塚の典型だ。暗い不幸な過去を背負い、めちゃくちゃ性格が歪んでしまっている。ベートーヴェンにとっては悪魔のような存在だ。
フランツは何の関係もないベートーヴェンを、たまたま名前が許せないということだけで、ベートーヴェンの耳を傷つけ、ベートーヴェンの前にいつも立ちはだかるのだが、この理不尽極まりないフランツの歪んだ狂気の振る舞いは、もちろん許すわけにはいかないが、そのフランツもまた言われなき不運に見舞われた被害者に他ならないのだった。
そのフランツの苦悩がベートーヴェンの苦悩とやがてシンクロしてくるあたりは、手塚治虫の天才に唸るしかない。
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ベートーヴェンを激しく憎悪するフランツ
このフランツの人物像が非常に錯綜していて、興味が尽きない。
どうしようもなく馬鹿げていて救いようのないフランツが、ベートーヴェンを激しく憎みながらもどう生きていくのか?
それがこの作品の大きなテーマである。
ここにはベートーヴェンの成長に勝るとも劣らないフランツの苦難の成長物語がある。
ベートーヴェンの音楽に心を奪われてしまうフランツ
ベートーヴェンをトコトン憎むフランツが、何と自分の意識とは別に、ベートーヴェンの音楽に心を奪われてしまう。
ベートーヴェンを叩きのめしたいと思っても、その音楽を耳にすると心を奪われ、どうしてもベートーヴェンに暴力を払えなくなってくる。
ベートーヴェンが感激して読み上げるシラーの詩(後に第九の第4楽章に用いられたあの合唱の詩である)を聞いて、動揺を隠せなくなり、心を打たれるフランツは、ベートーヴェンに暴力を振るうことができない。
そして何時の間にか、フランツこそ、ベートーヴェンの音楽の一番深い理解者へと変貌していくように見えるのだが、果たして・・。
そのギリギリのタイミングで、手塚治虫にはそれ以上、漫画を書き進めることはできなかった。
これから先、この2人はどうなっていくのか。フランツはベートーヴェンと和解することができるのか。
この惨めなフランツは、何とか自らの救いようのない人生に目覚め、今までの生き様を改め、真っ当に生きていけるようになるのか?
そこにベートーヴェンの音楽が、これから先、どう絡んでいくのか?
本当に興味は尽きなかったが、手塚治虫は逝ってしまった。
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ベートーヴェンの創作の秘密に迫る手塚治虫の剛腕
手塚治虫は本当に多彩な人で、ピアノもプロ並みに弾きこなしたことは良く知られている。
漫画の創作に行き詰まった時など、しばしばピアノに向かっていたようだ。
映画と並んで、クラシック音楽を熱愛しており、特にベートーヴェンが大好きだった。常々自分はベートーヴェンに似ていると言っていたようだ。
そんな手塚治虫が満を辞して描き始めたベートーヴェンの一代記。力が入らないわけがない。
ベートーヴェンの風貌が少年漫画チックなのが、僕としては少し残念だが、ベートーヴェンへの思い入れの強さは良く伝わってくる。
ベートーヴェンが音楽に没頭する迫真の描写が傑出
僕がこの手塚治虫の最後の作品をを読んで、一番すごいなと思うのは、ベートーヴェンがピアノを弾いている時の、音楽に没頭する姿を描く表現だ。
突然に何かに取り憑かれたかのようにピアノに向かい、忘我の境地に陥ってひたすらピアノを弾き続けるベートーヴェンの迫真の姿。その描写と絵そのものが持つ力。絵で音を、音楽をどうやって表現するのか?
これは正に手塚治虫の円熟のみがなし得た表現だ。その迫真の描写が傑出している。
手塚治虫が描いた絵から、ベートーヴェンの音楽が聴こえてくるかのようだ。
バッハの平均律を漫画で表現する辣腕
ベートーヴェンが尊敬してやまなかったバッハ(大バッハ=ヨハン・セバスチャン・バッハ)の作品の取り扱いが、実に的確で溜飲が下がった。
さすがはクラシック音楽に通暁していた手塚治虫である。
バッハの「平均律クラヴィーア曲集」の取り扱いだ。
これは僕が「ロ短調ミサ曲」、「マタイ受難曲」と並んで最も心を奪われているバッハの最高傑作どころか、古今東西のありとあらゆる音楽の中の最高傑作と言ってもいい名作。
そんな究極の名作を、それはもちろん音楽なのだが、その音楽を漫画というか絵で表現するのである。
それがなるほどこういう感じになるのかという、納得の表現なのである。天才のみがなし得た天才の音楽の絵による表現。
手塚治虫は音楽をこういう絵で表現するのか!と感嘆を感じ得ない。
未完で終わったことが残念でならない
このベートーヴェンの生涯を描いた大作が、未完で終わってしまったことは残念でならない。
上述のとおり手塚治虫の急逝によって未完で終わった漫画は3作品あるのだが、病床の手塚治虫が最後に渡した原稿はこの「ルードウィヒ・B」だったようだ。
死の直前まで、最後の命を削ってまで描き続けたベートーヴェンの生涯。
ベートーヴェンを憎む心と、ベートーヴェンの音楽を愛さずにいられない思いとの板挟みになって自己崩壊しかねないフランツの姿がラストシーンだ。
繰り返しになるが、「ルードウィヒ・B」の前に連載されていた「ブッダ」は、手塚治虫の全作品を通じても最も長い作品である。手塚治虫が急逝することがなければ、「ルードウィヒ・B」がそれに勝るとも劣らない大作になったことは間違いない。
返す返す残念であるが、せめて、我々はこの魂の籠った手塚治虫の最後の作品を読むことで飢えを癒やしたい。未完ではあるが、その魅力は十分に伝わってくる。
音楽好きの方、ベートーヴェンが好きな方は必読だ。
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