目 次
塩野七生の「ギリシア人の物語Ⅱ」に今回も大興奮
塩野七生の「ギリシア人の物語」の第1巻を紹介したのは、今年(2022年)4月、ちょうど半年前のこと。
『塩野七生「ギリシア人の物語Ⅰ 民主政のはじまり」〜時の経つのを忘れてしまうおもしろさ!ペルシア戦争の攻防に興奮必至!』という記事だった。
あの一世を風靡した未曾有の大作「ローマ人の物語」の続編とも言うべき「ギリシア人の物語」は、全体で3巻からなる。
「ローマ人の物語」が全15巻だったのに比べれば5分の1であるが、これまた本当におもしろいいことといったら、「ローマ人の物語」に決して引け劣るものではない。
全3巻はそれぞれ大きなテーマが1巻ずつ与えられている。古代ギリシアの歴史そのままなのだが、見事に1巻ずつ大きなテーマが取り扱われるのである。
既に紹介済みの第1巻は、ペルシア戦争の全容が描かれた。東方からギリシア世界に侵攻を始めた当時最強のアケメネス朝ペルシアの大軍団に、ギリシアの各ポリスがアテナを中心に団結し、如何に戦い、ペルシアを撃退させたのか?これがテーマ。
マラトンの戦い。国王レオニダス以下300人のスパルタ兵士が全滅したテルモピュレーの戦い、そしてその逆襲となったサラミスの海戦とプラタイアの戦いなど、本当にめちゃくちゃおもしろい攻防に興奮を抑え切れなくなる。
激しい戦史だけではなく、サラミスの海戦を大勝利に導いた英雄クレイステネスの戦後の生き様など、本当に事実は小説よりも奇なりを地で行く抜群のおもしろさに興奮が収まらなかった。
今回の第2巻は民主政の完成者にして非の打ち所がない大政治家にして将軍だったペリクレスの物語。
ペリクレスの生涯を追いながら、古代アテナで完成した類い稀な民主政の実態を徹底的に描いていく。
そして、その稀代の大政治家ペリクレスが亡くなった後のアテナの崩壊劇。ペルシア戦争ではアテナとスパルタというギリシアの2大ポリスが力を合わせることで、強敵のペルシアを撃退することができた両雄が、今度は内部で互いに戦い合う、ペロポネソス戦争の全容。
ここで、大方の予想に反してアテネが敗北し、あれだけの民主政を誇ったアテネが崩壊していく姿が描かれる。
頂点から奈落の底に。このギャップが最大のテーマとなる。
これがまためちゃくちゃおもしろく、興奮を抑えることができなかった。
表紙のイケメンの彫像はもちろんペリクレスである。
ちなみに第3巻は、もちろん最後の最後に全ギリシアを統一し、更にペルシアどころかインドの手前までを征服したマケドニアのアレキサンダー大王ことアレクサンドロスの物語となる。
おっと、先を急いではいけない。
今回はペリクレスとペロポネソス戦争である。
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「ギリシア人の物語Ⅱ」の基本情報
2017年1月25日発行。私のこの本は出版された直後に購入したものだが、この6年近くの間にどれだけ刷数を重ねているのだろうか?
本書はまだ文庫にはなっておらず、このハードカバーのままで、今でも本屋の店頭に並んでいる。
ページ数は、本文403ページ。その後ろに詳細な年表が付いており、総ページは414ページとなる。
それなりに厚いハードカバー本だ。
非常に読みやすい文章表示
だが、本書は非常に読みやすい本で、400ページ超とは言っても、かなり早く簡単に読めてしまう。
その大きな要因の一つは第1巻の際にも触れたが、この本のちょっと珍しい文章の表示にある。いま流のネット記事のように、わずか数行毎(短い場合には5~6行)に空行(スペース)を入れている点だ。これが本当に読みやすさを助長するし、実際に文章から少しもプレッシャーを受けることなく、ドンドンと読み進めることができる。
塩野七生の文章は
塩野七生の文章は、取り立てて名文だとは思わないが、約2,500年も前の大昔、遥か彼方のできごとが、目の前に実際に繰り広げられるかのような臨場感に満ち溢れている。
歴史を彩った多くの英雄たちの深謀遠慮や苦悩、様々な戦略、そして実際の行動など彼らの生き様が鮮明に浮かび上がってくる。
全体を通じて、この大昔の登場人物たちへの冷静ながらも温かな眼差しと熱い愛情に裏打ちされており、読む度に強く惹きつけられる。
一度読み始めると、本当に止まらなくなってしまう。
全体の構成
大きく2部構成となっている。
非常に分かりやすい。ペリクレス時代とペリクレス以後である。そしてそれぞれが前期と後期の二つに分かれるので、4部から構成されていることになる。
具体的に示すとこうなる。実際の目次を貼り付けておく。
第一部 ペリクレス時代(紀元前461年から429年までの33年間)
—現代からは、「民主政」(デモグラツィア)が、最も良く機能していたとされる時代—
前期(紀元前461年から451年までの11年間)
後期(紀元前450年から429年までの22年間)
第二部 ペリクレス以後(紀元前429年から404年までの26年間)
—「衆愚政」(デモゴジア)と呼ばれ、現代からは「民主政」が機能していなかったされている時代—
前期(紀元前429年から413年までの17年間)
後期(紀元前412年から404年までの9年間)
非常に要領を得た簡潔にして、分かりやすい分類となっている。
稀代の大政治家ペリクレスと民主政
古代ギリシアのアテネにおける民主政を完成させ、それを徹底的に押し進めたペリクレスのことは、僕は昔からこんな素晴らしい人物が歴史上に存在するのかと驚嘆し、尊敬もしていたのだが、その生涯とペリクレスが完成させた理想的とされた民主政の実態と真相を、塩野七生が徹底的に描いていく。
ここにはかなり冷徹な歴史評論家としての塩野七生の分析がある。
必ずしもいいことだけではない。ペリクレスという尊敬されるべき稀有の政治家の実像と虚像、すなわちペリクレスの功だけではなく罪の部分、あまり知られていないいわば隠された真実を見事に活写していく。
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ペリクレスが完成させたアテネの民主政
ペリクレスが完成させたと言われているアテネの民主政の実態はどうだったのだろうか?
高校の世界史の教科書にあげられているのは次の3点である。少し歴史に詳しい人なら誰でも知っていることだろう。
① 直接民主政
② 女性に参政権がない
③ 奴隷の存在
これの実態が縷々紹介されるのだが、中心は何と言ってもペリクレスという政治家の活動に集約されることになる。
ペリクレスはアテネをどう導いたのか
アテネの民主政は、民主政とはいうものの一人の政治家、ペリクレスという並外れた力を持った一人の人間による統治だったとも言われている。
著名な歴史家のツキディデスがペリクレス時代を評した非常に有名な言葉がこれだ。
「形は民主政体だが、実際はただ一人が支配した時代」。
それはどういう意味なのか?アテネの民主政の完成形と言われているだけに、その実態は正確に伝えておきたい。
アテネの国政を担当したければ、「ストラテゴス」に選出されなければならない。「トリブス」と呼ばれる選挙区で行われる選挙に、当選する必要がある。「ストラテゴス」の選挙は1年に一度行われるルールだ。
ペリクレスは、何と33歳で初当選して以来、実に32年間にわたって当選し続けるのである。ペリクレスが「ただ一人」になれた要因の第一は、この連続当選にあった。
2,500年前のアテネでは、政治・軍事・外交・経済の全てを担当する行政の最高機関、今ならば内閣は、十個ある「トリブス」から選ばれてくる十人の「ステラテゴス」が集まって構成されている。現代国家の内閣と違うのは、総理大臣という地位がないために各大臣を任命することはできない。
こんな状況下で、ペリクレスが「ただ一人」になるには、ペリクレスにはまず、自分以外の9人のステラテゴスを説得し、彼の考えに同意させる必要があった。更に、アテネの最高決定機関は、あくまでも市民集会であった。二十歳以上の男子ならば誰にも、参加し投票する権利が認めらていた。これが市民集会だ。
ペリクレスはこの市民集会で、彼にとっての唯一の武器である「言語」を使って市民の支持を受け続けた。言葉を駆使しての説得力だけで30年間もの間、勝負し続け、勝ち続けたのである。
ペリクレスは完璧過ぎて面白みに欠ける?
このようにアテネの民主政は、完成された民主政とはいうものの、実際にはペリクレスによる独裁制と実質的には変わらないというように揶揄されることがあっても、やっぱりペリクレスのことは、あまり批判されるべき要素がない。
ほぼ理想的な、これ以上はない完璧なリーダーであり、古今東西の長い世界史を通じても他に匹敵する人がいない稀有の大政治家であったことは間違いない。
実際にやったことは立派だし、ちゃんと実績も残している。
だが、完璧過ぎて、あまりにも立派過ぎて、面白みがないのである。もっと不完全で、問題を抱えている人間の方に魅力を感じてしまう。
これは不思議なものである。
本書を読んでいても、ペリクレスの全盛期は、正直にいうと少々退屈だ。
ペリクレス亡き後の方がズッと面白い
ペリクレスが完成させたアテネの民主政は、古代ギリシア史の最大の歴史的成果物であり、これの理解と歴史的背景はどうしたって不可欠である。
その意味で本書の中で、約半分がこのペリクレスに費やされることは当然なのだが、実はギリシア史においても、本書でも一番面白く、ワクワクドキドキさせられるのは、ペリクレスが死んだ後、このギリシア史上最大の政治家にして英雄のペリクレスが亡くなった以降なのである。
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ペリクレス亡き後のアテネの総括
高校の世界史の教科書的に、ペリクレスが亡くなった後の、ギリシア史を簡潔にまとめると、こうなる。
完成された民主政はデマゴーグ(扇動政治家)によって衆愚政治に陥り、やがて始まったアテネと並ぶギリシアのもう一方の雄であるスパルタとの間でペロポネソス戦争が勃発。この戦争は約30年の長きに渡って続き、最終的にアテネは敗北し、ギリシアの盟主の地位を失い、民主政も崩壊する。
アテネに勝利したスパルタの消耗も激しく、勃興しつつあった北方のマケドニアによって共に制圧されて、ギリシアの都市国家(ポリス)は消滅し、アレクサンドロスの時代が始まると。
こんなことになろうか。
こう括られると何の面白みもないが
本書を読むまで、僕もズッとそう思っていた。ペリクレスが死んで、アレクサンドロスが登場するまでのギリシア史など、何の魅力もないと。
ところが、これが大間違いだったのだ。
ペリクレスが死んだ後の、アテネを守ろうとしたリーダーたちの奮闘ぶりが実におもしろく、感動的なのである。
最終的にスパルタに破れて、アテネの民主政が崩壊し、アテネそのものが衰退していくのだが、その負の歴史が実に面白く、興味が尽きない。
様々な指導者やリーダーたちが登場し、彼らが彼らなりに奮闘し、アテネを牽引する姿に、興奮必至となる。
ペロポネソス戦争とはどんな戦争だったのか
ペロポネソス戦争は古代ギリシアの2大ポリス(都市国家)であるアテネとスパルタによる戦争である。
アテネが率いていた「デロス同盟」とスパルタが率いていた「ペロポネソス同盟」の戦いであったが、元々このギリシアの2大強国が真剣に戦い合ったわけではないことが大切な点だ。
何とも口惜しい残念な戦争としか言いようがない。
そもそもアテネとスパルタは古代ギリシアの2大ポリスというものの、両国は政治形態から国民性までまるで異なっており、極めて対照的な存在であった。詳細は本書を読んでほしい。
ところが、この水と油のような気質も文化も政治形態もまるで異なる2大ポリスが、あの古代ギリシアが迎えた最大の危機であったペルシア戦争では、共に力を合わせて死闘を繰り返し、遂にペルシアの侵攻を食い止めたばかりか、ペルシアを完膚なきまでに撃退したのである。
その記憶は両ポリス共に消えるわけもなく、その尊さは互いに良く分かっていたのだ。
アテネとスパルタが全力でぶつかり合うようなことはあってはならないとする共通認識が、浸透していたと思われる。
そんなことをやれば、またペルシアが攻めて来る、そうなったら今度は勝ち目がない。負けたペルシアはギリシアのポリス同士の内紛を虎視眈々と狙っていると。
そんな危険が良く分かっていたからこそ、アテネとスパルタの間に起きたペロポネソス戦争とは言っても、両ポリス共に、真正面から戦うつもりなど毛頭なかったのである。
古代ギリシアは数十とあるポリス(都市国家)の集合体である。
その数十あるポリスがアテネを盟主とするデロス同盟とスパルタを盟主とするペロポネソス同盟とに別れ、それぞれ同盟を結んでいたのだが、その同盟に加わっていたポリスの中で諍いが起きると、盟主のアテネとスパルタが放置できない、そこでいわば嫌々ながらに、もっと言えば当事者のポリスを盟主として守るために戦うポーズを取っているだけ、そんな実態から始まったものだ。
全面的かつ真剣に戦うつもりなど、アテネにもスパルタにもなかったのである。
それでダラダラと続く30年戦争となる。
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やる気のなかった戦争が、やがて総力戦に
そうは言っても戦争はやっぱり恐ろしい。当初は仕方なしに始めた戦争で、できるだけアテネとスパルタの2強ポリスの正面衝突を避けて適当に対応していた戦争が、30年近くも続き、様々な衝突やら、利害関係が発生し、指導者も次々と変わる中で、やがては適当な対応なんかでは済まなくなってくる。
そんな状況を見て、かつてギリシア連合軍に完膚なきまでに打ちのめされたペルシアも案の定、食指を伸ばしてきて、スパルタに接近。かつての報復を果たそうと動き始めてきた。
ペルシアという外国勢力の影響も受ける中、当初の両国の思惑がどんどん外れていって、最後は総力戦というか、死闘を繰り広げることになってしまう。
これが戦争というものの実態だ。
結局は、アテネの自慢だった海軍力が壊滅し、アテネは無様(ぶざま)な無条件降伏を余儀なくされる。
悲惨で惨めな負け方だった。
戦争というものは本当に恐ろしい。
いくらでも終結させる機会はあったのに
このペロポネソス戦争は、いくらでも、また何度でも終結させるタイミングはあったのだ。
その気になりさえすれば、こんな不毛な戦争はいつでも止めることができたはずなのに、そのチャンスを、ちょっとしたボタンの掛け違えで次々と失ってしまうと、後はズルズルととめどもなく突き進んで行ってしまう。
最強の海軍力を誇ったデロス同盟の盟主アテネは、夢にもスパルタに負ける日が来るなどとは思っていなかったはずだ。
それなのに、止めるチャンスを逃すと、いつの間にか泥沼に落ち込み、その気がなかったはずなのに無謀な最終戦に突入してしまう。
ペリクレスがいてくれたなら
もしペリクレスが生きていれば、こんな泥沼化に至ることはなかったはずだ。そもそもペリクレスがいれば、もっと早期に戦争を終結させることができたはずなのだが、ペリクレスはもう疾うに死んでいた。
だが、忘れないでほしい。
この不毛なペロポネソス戦争は、ペリクレスの存命中に始まっているのである。
あのペリクレスも、まさかこの戦争が栄光を極めたアテネを滅ぼすことになろうとは夢にも思っていなかっただろう。
軽い気持ちで戦争を始めてはダメだ、という最大の教訓がここにある。
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ペリクレスの後にも優秀な人材はいたのだが
前述したとおり、ペリクレス亡き後にも実に興味深い人物がたくさんいて、アテネのために奮闘する。
中でも、一番魅力的なのは、アルキビアデスという若者だ。
高校の世界史の教科書にも名前さえ出てこないこの人物、大変な資産家であったばかりか、アテネ最高の美貌、イケメンとして知られ、人気を博した人物だった。
実際、実に魅力的な人物だ。
あのソクラテスに私淑し、真剣に愛していたようだ。
演説は得意中の得意。大勢の市民を前に演説することも、一対一で相手を説得することも、いずれもかなう人間はいなかったと言われている。
プラトンが残した有名な「饗宴」に、ソクラテスへの熱烈な愛の告白?があり、本書でも詳しく紹介されている。
この若き俊英アルキビアデスの波瀾万丈の活躍には、本書を読んでいて何度も喝采を叫びたくなるほどだが、やがて思わぬ悲劇が待ち構えていて、それがアテネの凋落に直結してしまう。
勝利したスパルタもまた
元々やる気のなかったスパルタも、正式なスパルタの市民ではなく、ヘロット(農奴)上がりのアウトサイダーにこのアテネとの最終決戦を委ねた。
そのアウトサイダーが想定外の活躍をして、スパルタを勝利に導くのだが、勝ったスパルタも本心からは喜べない勝利であったばかりか、消耗もしていた。
勝利の栄光などどこにもなかったのだ。
一体、何のための戦争だったのか。
ギリシアはこの後、テーベなど別のポリスが覇権を握るなどの変遷を経ながらも、やがてマケドニアのアレクサンドロスに全て制圧されていく。
これは第3巻のお楽しみ。
本当に興味深く、興奮必至の一冊。「歴史を読む楽しみここに極まれり」の感がある。
今も続くロシアによるウクライナ侵略戦争を考えるに当たっても、大きな示唆がありそうだ。
是非ともご一読をお勧めしたい。
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